第35話 勘違い

シャンタンの記憶は、ジョスリンが経営するリーズナブルなカジノのビルが吹き飛んだ事件に遡る。五年前のクリスマス前だ。



1922年シャンタンは十三歳。孫のような可愛い一人息子の誘拐を恐れたガラシュリッヒ前会長が、目立たないようにと買い与えた黒のフォードに乗って、吹き飛んだビルを見物に出掛けた。



T型フォードは此の国ではルノーに続くポピュラーな車だ。購買層の殆どがマフィア関係だから、男らしいがっしりしたイメージのタフな車体が受けた。



雪の積もった道端にホットチョコ売りやクッキー売りが出て、お祭り騒ぎが始まっていた。道端にルノーとフォードが列を作って駐車して、馬車が行き交う。大勢の人間が犠牲になったのに、マフィアのビルが吹き飛んだことは、マフィアを憎んでいた市民や負債を抱えたギャンブラーにとっては胸の空く思いだったのだろう、盛況だった。


シャンタンは車から降りた。



「付いて来ないで」



クッキーとジュースを自分で買いたかった。お気に入りの赤いベレーと白いミンクの毛皮のコート。コートの下は見えないが、制服を着ている。セーラーカラーと膝までの半ズボンにニーハイソックス、黒いハーフブーツ。ピンクの財布を持ってホットチョコの出店に向かった。


カナンデラがブルンチャスと共に爆破されたビルの近くにいたのが、シャンタンにとっては幸いだった。シャンタンはピンクの財布を若い男に奪われて叫んだ。



「泥棒。誰か助けて。あいつを捕まえて」



男は走って逃げた。フォードとは反対の方向だったからガラシュリッヒの手下が車を降りて追いかけた時は既にカナンデラが捕まえていた。



「引ったくりの現行犯で逮捕する。お嬢ちゃん、可愛い財布だ。財布は金を払う時だけ出す物だよ」



カナンデラはシャンタンが声変わり前の男の子だと気づかなかった。シャンタンは走ったこともあってか頬を染めて「有り難う」と言ったが、立ち去り難く思い、手下に「来ないで」と追い払ってカナンデラを見つめた。



お嬢ちゃんだって……

女の子に見えるの……



「お嬢ちゃん、こいつを連行するけど、お嬢ちゃんの名前が必要だ。教えてくれるかい」


「シ、シャンタン・ガラシュリッヒ」


「ガラシュリッヒ……珍しい名前だが、もしかしてガラシュリッヒ・シュロスの……」



カナンデラの驚いた様子に、シャンタンは泣きそうな顔になった。



「へえぇ、こんな可愛いお孫さんがいたのか」



息子だとは言えずに赤らむ。女の子みたいだと言われて育ったが、完全に勘違いされたのは初めての経験だった。其れがシャンタンの覚えているカナンデラとの出会いだ。



それから三年の間、シャンタンは時々カナンデラを見かけたが、マフィアの息子だと知られるのを恐れてすれ違う。そしてため息を吐く。


森の湖で再会した時、カナンデラはシャンタンに名前を尋ねた。



可愛いと言ったくせに忘れるわけ……



シャンタンはナーシャと名乗り、十九歳だと偽った。きらきら光る夏だった。湖の畔で二人、並んで座る。白いワンピースが汚れないようにハンカチーフを敷いて気遣いを示すカナンデラを、シャンタンは一週間もしないうちに好きになった。大人の男にときめいた。



だからこうなったのかな……



シャンタンは背中から自分をくるむように抱いて寝ているカナンデラの寝息を聞きながら、ふと可笑しくなった。



「シャンタン、一緒に世界を変えよう……」



ドキリとする。

カナンデラはむにゃむにゃと意味不明の寝言を加え、シャンタンの頭を撫でた。「ジョスリン……」と聞こえる。空耳かと思ったが、ジョスリンと言えば五年前に爆破された三階建てビルのオーナーのことかも知れない。


初めての出会いを思い出したのかな……

ジョスリン事件のビルの前だったんだけど……

クリスマス前だった。

そう言えば、来月はクリスマスだ。

カナンデラ……クリスマスはどうする……

ツェルシュは彼女と過ごすんだって。

マフィアと婦人警官が出来ちゃったら

犯罪なんじゃないかな……

カナンデラには話せない。

クリスマスに会社をプレゼントしようか……

ん……

カナンデラ……

手が……待って、待って……

寝ているくせに……


笑い話を思い出した。手下から聞いた話だ。



『ある夫婦の住まいに亭主の友人が来た。夜中まで飲んで騒いだので、奥さんは怒って家を出た。二人は酔っぱらってベッドに潜り込んだ。

朝、友人が目覚めると、亭主が抱きついて身体をまさぐっている。そして、股間のモノを触った。

お、お前、まさかそんなに俺のことが好きだったのか……友人は求めに応じる気になったが、目覚めた亭主が言った。あれ、お前いつから男になった。

友人を奥さんと間違えたのか、其れとも女だと思っていたのか……』



カナンデラの熱い手がシャンタンの股間をまさぐってトランクスの中に侵入してきた。



待って……

其処は鄭切ってしまいたい処なのに……

カ……カナンデラ、大人しく寝ろおおお……

寝ながらするなあああ……










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