第22話 ロンホア・チャイナ事件

キーツの勘は当たった。龍花を訪ねてきた女アンドレア・チャブロワと被害者家族の面通しで、女は赤の他人だと判明した。


「本名はいつか本人の口が語るだろう。彼女が誰かは大事だが、事件の真相を探れ。何故、オイラワ・チャブロワが古美術品を持っているとわかったのか、其の古美術品は何処から入手したのか……事情聴取のプロを舐めるんじゃないと言っておけ」


アントローサ警部はブルンチャスとキーツに言った。


午後の取り調べで、早速ブルンチャスはボヤの起きた理由と毒殺の関係について女に訊いた。


「私は頼まれただけよ。誰とは言いたくないけれど、殺人事件なんて知らないわ」


「誰に頼まれた。其れを吐かなきゃお前さんが首謀者ってことになるぜ。殺人事件の首謀者だから、罪は重い」


女はブルンチャスを睨んだ。



シャンタンは赤い顔をした。側近がお茶を淹れる。カナンデラは入り口のガードマンにお茶缶の袋を手渡して、立ち去ったという。


「ザカリー探偵はいつも忙しそうですね、会長」


「そうなのか。今はどんな事件を手掛けているんだろう」


「表の者に、セラ・カポネに気をつけろと言ったそうです」


「セラ・カポネか……」


「困った者ですが上納金は随一ですから……しかし、タワンセブ組とロイチャス組といった古株のドンたちはパパキノシタ組の跡目を選び直す必要があると申し立てていますから、何も起こらなければ良いのですが」


「何か起きそうなのか」


「セラ・カポネは会長の座も狙ってくるかも知れません。ザカリー探偵は其のことを示唆しているような気がするのは私の考え過ぎですかね」


俯いたシャンタンの顔が赤らむ。側近は狼狽した。


……か、会長……あの夜は、何をしていたのですか……ザカリー探偵とは……

い、いかん。この秘密は墓場まで持っていくのだ。私は忠実な側近であることを前会長に約束したのだ。命に代えても現会長をお守りすると……

か、会長ぉぉ……顔が赤い。素直過ぎます。ザカリー探偵のことで顔が赤らむなどと、これから先が思いやられる……

いや、大丈夫。私がお守りします。見たのは私だけだ。隠しとうさなければ……


「こほん、こほ……」


「だ、大丈夫ですか、会長」


ストーブで部屋は暖かい。ケトルの湯気で乾燥も防げているはずだ。


「ん、大丈夫だ。此のお茶は何処で手に入れたのだろう」


横喉ですね、会長。ザカリー探偵からの差し入れだからって、そんなに慌てて飲まなくても……と、側近は微笑ましく思った。


「ロンホァチャイナでしょう。此の街でこんな読めない文字のお茶を扱っている店は彼処しかないですから」


赤いお茶の缶には金色の文字で『美麗花茶』と刷られている。美しい花の咲くお茶で手を温めながら、シャンタンは、こんな綺麗なお茶を客人に出せば、女顔に生まれついた俺様が、カナンデラ・ザカリーに良いように弄ばれているとバレてしまうかもしれないと危惧した。


「お前も飲んでみろ。しかし、誰が来ても此れは出すな」

と真顔で言った。


か、会長ぉぉぉ……


何故か嬉しそうな側近には目もくれずに、シャンタンはお茶を含む。喉に効くような気がする。


「此のお茶、もっと欲しいな……」


「畏まりました。早速、手配します」


「ん……いや、お前が行ってくれ」


「御意。では早速……」


側近が部屋を出た後、シャンタンはソファーに横になった。寒気がする。お茶でのどは潤ったが、暫くすると寒気と共に頭も重くなった。


朝から調子が悪かったけれど、若輩者は軟弱だと後ろ指を指されたくないし……休めば回復するさ……


油断大敵とは此の時のシャンタンが思い浮かべるべきゴッドファーザーの銘句の筈だった。何故なら、魔城を出しなに側近はカナンデラ・ザカリーと鉢合わせする。


「ザカリー探偵、丁度良い処に。私は会長の用事でお側を離れます。誰かに警護を頼む処でしたが」


「おお、其の必要はない。俺様に任せておけ。行ってらっしゃい、行ってらっしゃい。ついでに可愛い子ちゃんとキスしておいで」


側近の顔が赤らんだ。



ロンホァチャイナは表通りから脇に入った川沿いにある。傾いた西日は赤みを増して、赤い提灯の灯った店の表に色を添える。小さな川を挟んで、警察車両が停まっていた。

龍花は小皿に切った甘点心を盛ってふわりと紙包みを開いて被せ、お茶の水筒を持って川向こうに歩いた。緑色のシルクにピンク色の牡丹の刺繍が艶やかなチャイナドレス。金糸が織り込まれているらしく、夕日を受けて鮮やかに浮き上がる。腰までの白い毛皮を羽織っている。


「あれ、オーナーが出てきたぞ」


「此方に来るようですね」


ブルンチャスとキーツは慌てた。セラ・カポネの件で張り込みをしているのがバレる恐れがある。


龍花は警察車両の窓を覗いた。


「やっぱり……今晩は。今夜も冷えるのに大変ね。此れは差し入れよ。温まって元気になる」


切れ長の猫のような目が笑っている。龍花のあやかしのような美しさにキーツが口ごもる。


「あ、ありがとうございます。しかし……」


「もうそろそろ店を閉めるよ。今夜はセラ・カポネの組員からの連絡はなかったよ」


「わかりました。此れは頂きます。でも、もう差し入れはしないでください。我々は最後までいますから、気にしないように」


ブルンチャスが礼を言うついでに笑顔でやんわりと次を断る。警察は一般市民から袖の下を受け取ってはいけないことになっている。


「わかった。じゃあ、これきりね」


小走りに店に戻る龍花の後ろ姿が、キーツの目に焼き付く。


「チャイナドレスというのはセクシーな服だなぁ」


ブルンチャスがニタつく。


「親父さん、何を喜んでいるんですか。俺はそんなつもりでは……」


「どんなつもりだ」


キーツは項垂れて菓子に被せた袋を取る。ブルンチャスは水筒のお茶をカップに注いだ。


「お、親父さん、此の栗のゼリー、旨いですよ」


板栗洋甘菊(クリヨウカン)の甘さと温かい烏龍茶が脳と身体を癒す。


「ん、あの車は……」


黒いロールスロイスファントムがロンホァチャイナに横付けする。シャンタンの側近中の側近が車を降りた。店内に消える。


キーツは車を出した。川沿いを回り、ロンホァチャイナの通りに入る。ロールスロイスの横を通る。ショーファーの鋭い目付きに覚えがある。会長専用車だ。

ゆっくりだが、ルノーのような小型車でなければロールスロイスの腹を擦ってしまう道幅だ。前に停めた。何かあっても、ロールスロイスを足止めできる位置だ。


「こら、前に停めるな」


ロールスロイスから声がかかる。警察だとわかっていてもひとこと言いたかったらしい。


キーツが運転席から降りた。ブルンチャスが車を降りずに運転席に移動する。いつでも発進できる。


ロールスロイスのショーファーを無視して、キーツはさりげなく店内に入り、入り口近くの陳列棚を眺めた。壁一面の棚にブリキの缶が並んでいる。シャンタンの側近の声がした。カナンデラ・ザカリーはよく来るのかと質問している。キーツは全身を耳にして聞いた。


「ああ、知り合いよ。ボナペティで食事したね」


先輩が龍花さんと食事……


其の時、黒いキャデラックがロールスロイスの後ろに停まった。数人の男が各々のドアを開いて降り、店の中に雪崩れ込む。キーツの脇を通って奥に走る。其れを、キーツが反射的に追う。


「誰、あなたたち」


叫びに近い龍花の声。

3人の男が拳銃を構え、もうひとりは龍花のデスクに置かれている絵皿に手を伸ばす。


「何処の者だ」


側近のドスの利いた声。たじろぐ男たちはしかし側近に答えて「構わんでください」と言った。


キーツが店の奥に割り込む。


「警察だ。なにごとだ」


大きな絵皿を抱えた男を護って、拳銃の男たちが威嚇するように側近とキーツを制する。


「待って、其れは……」


龍花が叫ぶ。


キーツが男たちを追った。側近も走る。目の前で盗難事件が起きたのだ。


キャデラックのドアが次々に音を立てた。バックで発進して表通りに出る。側近もロールスロイスに乗り込んだ。運転手に「キャデラックを追え」と伝える。バックで表通りに出て直ぐ様キャデラックを追う。キーツが警察車両に乗り込んだ。フランスのルノーだ。アメリカ製の馬鹿でかいキャデラックと高級感が売りのロールスロイスファントムと小回りの利くルノーのカーチェイスが始まった。






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