第13話 お前に会う口実がほしくて



イサドラとジェイコバはサニーと名乗った女の部屋で寝た。


小さなベッドに三人がぎゅうぎゅう詰めになると、薄いブランケットの取り合いになる。壁際に部屋の主サニー、真ん中にイサドラ、ベッドの外側にジェイコバ。


ジェイコバは女ふたりに腕枕を提供した。自由に動けないのはジェイコバだけではない。イサドラはジェイコバに背中を向けてサニーを背中から抱く形になった。全員が横向きでなければ、ベッドに収まらない。イサドラは背中からジェイコバの体温で温められ、胸をサニーに押し付けて温まった。



此の女を殺せば此の部屋に住める……



イサドラの思いはジェイコバにも伝わっていた。


其のサニーは、安らかな寝息を立ててイサドラに温もりを与えている。独り寝だろうがぎゅうぎゅう詰めの冷たい壁際だろうが疲れきったサニーには眠れれば良かった。



ジェイコバの腕が妙な動きになった。サニーの首を絞め始める。イサドラは暫く黙っていたが、サニーの眠りが深く抵抗が全くないことに何かを思い、ジェイコバの手を解く。「何故」と耳元でジェイコバが囁く。



「今夜は生かしておきましょ。此の女は湯タンポみたいに温かいの」


「俺は背中が寒い」


「明日、ブランケットを買い足せば済むことよ」


「俺が怖いか。俺は不能者だ。戦争で駄目になった。完全に壊れているんだ。女を抱くことはできない」


「恋人がいたんじゃないの。殺したんでしょ」


「恋人じゃない。娼婦だ。成敗しただけだ。今夜も何処かの娼婦を成敗して、其の部屋に転がり込むつもりだった」


「其の賢さを他に向ければ、あなたの人生は成功したかもしれないわね」


「今更……俺は脱獄して来たんだ。田舎の刑務所の事だから、此の街ではまだ誰も知らないようだ」


「やっぱり賢いのね」


「あんたも脱獄したんだろう。あんなに新聞を賑わせていたあんたが、今頃悠々と街を歩いているなんて……」


「明日、話すわ。おやすみなさい」



精神病院で拘束衣に縛られることになったのは、何故だったのかしら。其れまでは催眠術を解くためにあれこれ見せられたり質問されたりしたわ。病院と言っても檻の中と変わらない独房。同じように拘束衣の患者が死んだと言って、あの女医が、キスの上手い女医が拘束衣を脱がせてくれたのよ。シャワーに入れてくれるって……


『此の子は少し懲らしめなければならないわね。あなた方は出ていて。私が呼ぶまでは誰も来ないように……』


そう言ってシャワーの前に人払いをして、いつも好きなようにいたぶってきた。叫んでも、誰も助けに来てくれない。其れが精神病院。


私は性器を噛みきられた。そして、其の口でキスされたのよ。


あの女医こそ異常者よ。私の身代わりに苦しめば良いのよ。2日くらい食事抜きにされることもあったから、今頃はまだ独房を確認されてはいないわね。拘束衣を着せておいたから、私が寝ていると思うでしょう。


そろそろ、死んでくれると有難いけど、私の人生は私に優しくない。


此れからの計画は慎重に行わなければ……



「ジェイコバ……寝たの」



返事はない。寝たのね。

私がこんな部屋でこんな寝かたをするなんて、精神病院よりはましだけど、やっぱり私の人生は私に優しくない。


そもそも、私の親は隠れ貴族だった。フランス革命で処刑された貴族の末裔で、大きな屋敷で暮らしていた。気の狂った両親は児童虐待が趣味で、毎日が地獄の日々だったのに、何故か其の地獄が私には普通の生活に思えていたのよ。


其れが、あの日、父は母を殺して私を追いかけて来た。私は屋敷中を走り回り、飾りの甲冑の古い槍で父を……


私は親殺しで捕まって施設に入れられた。死刑になる一歩手前だったと教えられた。


花屋の夫婦に引き取られて、イサドラだからサディと呼ぶことにしたと……アヘンを吸わされて、生まれて初めて多幸感に満たされて、私は幸せとはアヘンが作るものだと思った。


『サデイ、アヘンがほしいか。アヘンがほしかったら……』


忌まわしい過去。

ガーランド様と出会ったのは、私がまだほんの子供の頃。優しくしてくれた。他の誰よりもガーランド様は特別だった。


シャンタン前会長に見いだされてショーパブでイサドラ・ダンカンを真似て踊って、私は此の街のスターになった。人生のやり直しを図ったのに、会長がこんなに早く死ぬなんて……シャンタン坊やが会長になっても私の地位は揺るがなかったのに……


ガーランド様をショーパブで見た夜……あれから私の人生の転てつ機は再び狂い始めた。私の望む方向へレールを繋いでくれない。私という汽車の走るべきレールは、狂った転てつ機によって、思わぬ方向へ進んでしまう。


花屋の夫婦を殺せば過去から自由になれると思ったのに、やっぱり私の人生は私に優しくない。


ラナンタータ、あなたも私の転てつ機を狂わせたのよね。





ラナンタータはカニバリズム教団ヴァルケラピスに悩まされて寝苦しい夜になった。


ラルポアがトイレで捕まえた男たちは、パパキノシタの手の者だった。其れなのにあのカニバリズム教団ヴァルケラピスと連絡を取れると言った。何故、パパキノシタの手の者がヴァルケラピスに連絡を取れるのか。


カナンデラ、ラルポア……明日、私は引きこもる。「ウタマロ」にはカナンデラとラルポアに行ってもらう。カニバリズム教団を撲滅しなければ、世界中のアルビノの命が危ない。安心して暮らせる社会を作りたい。




ラルポアもカニバリズム教団ヴァルケラピスに悩まされて寝苦しい夜になった。


ラナンタータが狙われていることを知ったのはまだ幼い頃、世界大戦前だ。僕は6才。2才になったラナンタータと公園で遊んでいた。まだ、僕の父が生きていて、ロールスロイスのシルバーゴーストに乗っていた頃だ。


公園の林の中から若いカップルが現れて『あらっ、エンジェルみたいな可愛い子がいるわ』『アルビノだ。高く売れる』と言った。ラナンタータは女に抱き上げられて、僕は、男に蹴飛ばされた。


父がシルバーゴーストで追いかけて、ラナンタータを取り戻して事なきを得たが、其れ以来ラナンタータは外出禁止になり、僕は格闘技を学んだ。悔しかった。男に足蹴にされて何もできない子供だった自分が、悔しかった。




カナンデラもシャンタンのことを思って寝苦しい夜になった。





カウンターの中で黒い蝶ネクタイのバーテンダーレスは呻いた。そう若くもないはずだが、夜の色を身に付けた女は年齢不詳で、生まれながらのフランス人のように鼻音の訛りがある。


「あいつら、パパキノシタの名前を出したのね。パパキノシタは此の店の元のオーナーで、今は全く無関係なのよ。たまに、あいつらみたいな昔馴染みの手下が飲みに来てくれるけど、其のくらいのものなのに……」



ル・マンのレーサーみたいなサングラス、キャメルの革ジャンに身を包んだ男が笑った。カウンターにはカクテル・ウタマロ。日本酒ベースに赤ワインで桜色に色付けした単純なレシピだが、見た目の優しさから女性に人気がある。



「そんな調子でヴァルケラピスとの関係が続くのか」



男は冷たい笑いを見せた。



「好きでヴァルケラピスに従っている訳じゃないからね、こっちは。月に一度、店の休みの日に大金積んで貸し切りパーティー開いてくれるお得意様だから、一応、掴んでおきたいだけよ。でもね、誰であろうと此の店を犯罪に使うのなら追い出すわよ。私の大事な店よ。死んだ男の形見なのよ」



低い小声できっぱり言った後、男のカクテル・ウタマロを奪ってゴクリと飲み干した。



「お抱え娼婦のいる店だろう。ふふふ。そこら辺の立ちンぼが減れば売上に繋がるんじゃないのか」


「カニバリズム教団って、単なる噂ではないって言うの……」


「どう言えば良いのかな……其れは一口では説明できない」



男の脳裏に鮮やかに蘇る儀式。



『右に乳房と子宮、左に乳房と心臓を置くのだ。ヴァルケラピス解放の為に此の女の浄化祭を執り行う』


女は鋭いメスで腹を切り裂かれ子宮を取り出されても生きていていた。男の喉を胃酸が襲う。



「うぅ……」



立ち上がって口元を押さえる男に訝しげな視線を送って、女は腹の中で嗤う。



「大丈夫……顔色悪いわよ」


「いや、何でもない」



扉が開いた。カナンデラ・ザカリーが中折れ帽子を斜めに被り、ムーヴのカシミヤマフラーを垂らしたトレンチコート姿で入って来る。



「あら、閉店かしらぁ……」



映画のワンシーンを思わせる出で立ちの割に、女っぽい言い回しで人をおちょくるのがカナンデラの悪い癖だ。


バーテンダーレスとサングラスの男の一瞬の緊張が、妙な生き物を見るような目に変わった。


バーテンダーレスは

「いらっしゃいませ。後5分で店じまいだけど」

と笑う。



しかし、客の男は警戒心を露にした。



「カナンデラ・ザカリー。何をしに来やがった」


「眠れなくてさぁ……安い酒でも飲みたいなぁ」


「噂の探偵さん。生憎、うちは安酒は置いてないんだけどね、無茶苦茶高ぁいボルドーの第5クラスワインならあるわよ」


「ははは、ぼったくりの店か。しまったな……ボトルでくれ」



カナンデラは男の傍に止まり木ひとつ開けて座った。



「ワインで良いの。」


「なら、スコッチウィスキー、ワンショット」


「あら、眠れなくてワンショット。可愛いものね。まあ、良いわ。何にする、バーボンもあるわよ」


「へぇ。アメリカは禁止法で酒の輸出はしてないンじゃなかったの」


「うちはなんでもありよ。どっち、イギリスかアメリカか」


「そうだなぁ、此の国を脱出しなきゃならなくなったらアメリカに行くか」


「バーボンね。豊潤な香りよ」



バーテンダーレスはにこりと笑ってワンジガー(45?)を細いグラスに注ぐ。カナンデラは其れを一気に煽った。


冷えきった身体に度数の強い琥珀色の液体が染み渡る。



「ふぅ……もう一杯くれ。其のお兄さんにも一杯。」



カナンデラを観察していたサングラスの男が、弾かれたように肩を揺らした。



「兄さん、アルビノを狙うのは止めてくれんか。ボナペティでも話したつもりだが」


「う……」


「人肉食いの外道教団になんの弱みを握られてるんだ。ヴァルケラピスに魂まで売った訳じゃないだろう」



ヴァルケラピスと聞いて、男の喉を再び胃酸が襲う。



「お、お前はあのアルビノの何なんだ」


「お兄様だよ。お兄様。あのアルビノに心の底の底から尊敬されて慕われちゃってさぁ、命がけで守ってやってるんだよ」



其々の目の前にグラスが並んぶ。



「うちの店は『コロシ』はやらない。物騒な連中の溜まり場だと勘違いしてもらっちゃ困るよ」


「そんな筈はない。ヴァルケラピスと関係しているだろう。うちのアルビノが狙われてんだよ。ヴァルケラピスに……」


「其れを恨んでの犯行なのね。トミーを殺したのは」



カウンターの中から、黒いコルト45口径の銃口がカナンデラに向けられた。



「可哀想にトミーは知恵遅れで何も知らないのに、何故殺すの」



カナンデラはホールドアップの姿勢になる。



「おいおい、身に覚えのない話だが、何のことだ」


「あんたが殺したんじゃなければ、此の街で誰があんな凄惨な殺しをやるって言うの」


「俺様ってば凄い言われ方。あのな、大体トミーって何処のどいつだ。殺し……凄惨な殺しって、デルタン通りのアパルトマンのカワハギ事件か……」


「ほら、目撃者と警察と犯人しか知らない事を」


「探偵だからね、警察と現場検証してきた。だから知っている。其の物騒なモノを下げてくれないか。此の店では殺しはやらないって嘘なのか」


「嘘じゃないわ。あんたが犯人じゃなければ誰がやったというの」


「俺は別件で来たんだけどな、其のトミーと云う奴について聞かせてくれ。」



男が口を開いた。



「トミーは此の店の常連だ。娼婦と暮らしていた」


「其の娼婦は……」


「街の立ちんぼだ。朝、袋詰めで発見された」


「おっと、ジャック・ザ・リパーの犯行って噂のあれか……」


「そうだ……」



男がぐっと喉を鳴らした。ハンカチで口を押さえる。



カナンデラは男に身体ごと向いた。



「何か知っているんだな」


「俺は何も……」



男は止まり木を降りた。降りしな懐から拳銃を引き抜く。



「来るな。付いて来るな……その場で100数えろ」



男は拳銃をカナンデラに向けながら後退りする。



「1、2、兄さん、5、バーボン奢るのに飲まんのか、8、9」



カナンデラが男の気を引く。男が「ちゃんと数えろ」と言った直後、後ろから男の首を締め上げたのはラルポアだ。



「ラルちゃん遅いじゃないの」

とカナンデラが女っぽくなよめかす。



「ラルちゃんって誰。其れより、ヴァルケラピス相手に単独行動は無茶だろう」



ラルポアは拳銃を奪い取り、男を壁に押し付けた。



「自分だって単独で乗り込んで来たじゃない、ラルちゃんてば」



カナンデラはラルポアを見ながらひょいとカウンターのコルトを奪い取った。銃身が長いコルトは奪いやすい。



「あっ……」


「姐さん、此れ、アメリカ銃だね。何でこんなモノを持ってるんだ」



と、カウンターに向かう。銃を奪われたバーテンダーレスは両手を上げて答えた。



「私も此の国に何かあったらアメリカに逃げるつもりだからよ」



第二次世界大戦が12年後の同月に起きることなど知らずに、もしもの場合はアメリカへ脱出すると、カナンデラもウタマロのバーテンダーレスも考えていた。



「ふうん、気が合うなぁ。ってことで、あいつを縛る紐をくれないか」



聞き込みに来たんだけど、いろいろ繋がりそうな夜だ。シャンタン、お前に会う口実がほしくてさぁ、俺様も苦労するぜ。


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