第二十話「変われました」

「頭を洗ってもらうというのはこんなにも気持ちが良いものなのですね。毎日やってもらいたいくらい」

「ありがとうございます」


 モリオはミルのシャンプー、ドライを終えて仕上げに取り掛かった。

 もちろんシャンプー中のシャワーヘッドは虚無の表情で水魔法を出していたキュリの手。

 仕上げはコームで襟足を優しく掻き出して飛び出てくる数本の毛を切り落とす。


「風魔法で髪を乾かすというのも画期的ですね! 魔法研究塔に赴いて特許を申請してみては? そういう商品を作れば売れると思いますよ?」

「この世界にも特許が……なるほど。それはいい考えですね!」


 モリオはタオルで肩や顔に付いている毛くずを払う。


「温かい風を出すだけの魔法陣なら簡単に作成できると思いますし、風型魔石は用途が少ないので火型水型よりも安価に手に入ります」

「魔法陣は誰でも書けるものなんですか?」


「いえ。一般人の魔法陣作成は法で禁じられていますし作成方法も表には出ていません。魔法研究塔が独占しています」

「どこの世界も同じなんですね」


「アモス様は一応魔法研究塔の一員ですしお話をしてみるのもいいかもですね」

「そうなんですか。あの人そういうことはなにも教えてくれないんですよね。今度話してみます――ではお客様。仕上がりはどうでしょうか?」


 モリオは合わせ鏡で仕上がりを見せる。


「まあ。髪の毛というのはこんなにツヤが出るものなんですね。毛先も揃っていて綺麗です」

「ありがとうございます。髪はきちんと風で整えてあげればツヤが出ます。あと、指通りを確認してみてください」


 ミルは耳の下から指を通す。


「すごい――サラサラです! いつもは引っかかるからブラシで何度も梳かすのに。一度もブラシは入れていないですよね?」

「はい。この櫛だけです。髪の毛というのはキューティクルという目に見えない程小さなウロコ状の表面をしていまして、このウロコが開いているとごわついたり絡まりやすくなったりします。でも、毛先に向けて風を当ててあげるとキューティクルが閉じて引っ掛かりが無くなってツヤもでます」


「手入れ一つでこんなに変わるものなんですね。美容師というのは本当に凄いです。なんだか友達に自慢したくなっちゃう」

「ありがとうございます」


「あ! こういうことなんですね!! 私身をもってわかりました!」


 モリオは首を傾げる。


「言っていたじゃないですか。髪を切ると心に影響を与えるって。こういうことなんですね。なんだか心が明るくなったというか……ただ座っていただけなのにさっきまでの自分とは別人というか――」


 ミルは鏡を見ながら首を動かして髪を振る。


「いえ、ダンジョンで髪を切り落としたときすでに気づいていたのかもしれません。……父は私の目の前で亡くなりました。当時私は治癒魔法学校に入学したばかりで治癒魔法の実戦経験がありませんでした。父は仕事で薬草採取へ赴き、崖を登り足を滑らせて転落しました。同行していた私はすぐに駆け付けましたが……」


 ミルは昔を思い出してうつむく。

 モリオは鏡を戻してミルが口を開くのを待つ。


「ふぅ。父の姿はあまりにも無残な状態でした。手足はあらぬ方向に曲がっていて、口からは大量の血。何かを言おうとしていましたが、口を動かすだけで声にはなっていませんでした。そんな父と目が合い私は震えが止まらなかった。詠唱もままならず、助けを呼びに戻る時間もない状況。人を助けたいと治癒魔法学校へ入学したのに、目の前の父を救うことが出来なかった」

「そんなことが……」


「それから私は実習でも詠唱を終えることは出来ませんでした。出来たのは頭痛や擦り傷を治す軽度のものだけ。骨折の患者さんを前にすると震えが止まらず……。でもダンさんの時は全く震えずに詠唱できたんです。たんに気持ちが変化しただけだろうって思うかもしれません。でも変化のきっかけをくれたのはモリオさんのお話を聞いていたから。もう誰も死なせないと覚悟を決めるために髪を切り落としたからです。――ひどい女ですよね。まともに詠唱が出来ないくせにパーティーに参加なんてして」

「そんなことはないです。ミルさんは結果ダンさんを救いました。ローレルさんの二日酔いだって、ミルさんが治癒魔法を掛けていなければジャイアントスライム相手に動けなかったと思います。僕の看病もしてくれました。あのときも言いましたが、ミルさんは人助けをしたいという気持ちで参加した。尊敬できることです」


 ミルは笑顔で顔を上げた。


「しんみりしちゃいましたね。伝えたかったのは、私が変われたのはモリオさんのおかげということです。髪も綺麗にしてもらって――これからが生まれ変わった私です」


 モリオは言葉が出なかった。

 美容師のことを認めてもらった喜びなどではない。ダンジョンで心に影響を与えるなどと大口を叩いたが、ここまではっきりと変われたと言われたことは無かった。

 変われたと感謝もされたことも無かった。心に影響というのはモリオの美容論であり、実際にどうなのかの回答を得たことは無かった。

 だが実際に今その回答を得た。今まで行った千を超える客の中でたった一人からの回答。

 モリオの美容論が叶ったと知ることが出来た初めての一人。


「モリオ? 大丈夫?」


 気がつくとキュリが散らばった毛くずを箒で掃きながらモリオの顔を覗いていた。

 モリオはキュリの頭を撫でた。が、鏡を背にしてすぐに眉間に皺を寄せる。

 キュリは何か失敗してしまったと確信しながらスーッと下がる。


 モリオは笑顔を作り直してミルを席から立たせた。


「これでカットは終了です。お疲れさまでした。ミルさんのおかげで僕も美容師として自信がつきました、ありがとうございます」

「こちらこそありがとうございます」


 お互いに頭を下げる。

 このやり取りが面白かったミルはクスリと笑う。


「それじゃ夕食の準備しますね。台所をお借りします」

「はい」


 ミルが台所に移動したのを確認するとキュリの耳元で口を開く。


「さっきはまだお客様が席に座っているだろう。終わり際に掃除を堂々とやるな。お客様によっては早く帰れと思われているのではないかと感じることもある。ケースバイケースだが雰囲気を読み取るのも大切だ。ちなみにさっきの掃除はタイミング的には0点だ。基本的にはシャンプー台に移動したあたりで片しておくのがベスト」

「うーん。美容師のお仕事は難しいです」


「でも、自発的に掃除しようとしたのは高得点だ!」


 にぱあと口角が上がるキュリ。


「モリオさん。食器はどちらでしょう? 調理器具もお借りしたいのですが」

「あ……」


 この家にはヘナの実験で使用した鍋とそれを混ぜる際に使用した庭に落ちていた木の枝以外なにもない。

 外食のみで家で食事をした事はなかった。


「すいません。食器は一切持ってないです」


 ミルは呆気に取られるが、手をパンと叩いてにこりとする。


「いえ、確認しなかった私もいけなかったです。外食しかしていないとおっしゃっていましたもんね」

「ははは……良ければ一緒に買いに行きましょうか。いずれ使うこともあるでしょうし」

「あー! キュリも一緒に買い物行くです!」


 三人は貧困区にあるオアール族が営業する雑貨屋へ買い出しに向かった。


 この雑貨屋『バウミー』に来るのは初めてではない。

 ヘナの入っている瓶や棚。タンスなどの家具はここで購入している。

 豊富な品揃えで中心部と比べて安価なためお気に入りの店となっている。

 安価だが品質は悪くない。

 オアール族は獣人と近い種族でアルガスのような獣全開ではなく、ヒトに動物の尾と耳を持つ種族。

 店主はネズミ種のオアール族で丸眼鏡を掛けた老男。普段は奥で本を読んでいる。

 そして最近入ってきたウサギ種のオアール族女性店員。つり目でそばかすが目立つ顔。一見きつそうなイメージを感じさせるが愛嬌があって接客態度も良い看板娘となっている。

 エプロンには『ビーラ』と書かれた名札。


 そんなビーラがモリオを見つけると跳ねるように寄ってきた。


「今日は彼女連れなんですかー? てっきり幼女趣味だと思ってたのに」


 ビーラはミルを見ながらからかう。

 彼女と勘違いされたミルはモジモジしながらモリオを見る。


「いえ、こちらはただの知り合いです」


 ミルの脳内でのみ鳴り響く『ガーン』という擬音。


「そう。やっぱり幼女趣味なのね」


「いえ、キュリはただのアシスタントです」

「そう。じゃーウサ耳趣味? ウチを買いにきたんですか?」


「いえ。食器を買いにきただけです」


 慣れた様子でビーラをシッシて手で払う。モリオはビーラが苦手であった。昔先輩に連れていかれたオカマバーにいたキャストに声や話し方が似ていて被って見えるめだ。


「もう、つれないですね。食器は向こうの棚ですよ」

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