第一章 ラーン王国編

第一話「僕は美容師であり勇者ではありません」

「そなたは勇者ではないと申すか」

「はい。僕は美容師であり勇者ではありません」


 薄暗い円形の部屋。天井は見えない程高い。

 壁や床は冷たさを感じさせる灰色の石造り。

 光源は魔法陣を囲むように置かれた蝋燭。


 腰の曲がった青色のローブを纏った老人が四度目となる質問を投げかける。


「本当にそなたは勇者ではないと申すか?」

「何度も申し上げてますが、僕は勇者ではありません。美容師です」


 赤い線で描かれた魔法陣の真ん中に立っている男は四度目の返事をした。


 半径10メートルはある大きな魔法陣。

 老人は魔法陣の外から大声で話す。


「そのぉ――ゴホ、ゴホッ――カー……ペッ! 儂は見ての通り歳での。大声を出すのは辛いのじゃが」


 男は目の下に隈が出来ていて半眼で辺りを見渡す。

 そしてボーラーハットの鍔を軽く触りながら老人に視線を戻す。


「動いてもよろしいですか?」

「うむ」


 男は魔法陣の上を進む。ふらふらとした足取りで老人の前で止まり、片膝をついて目線の高さを合わせた。


「異世界の若者は優しいのぉ。しかし嘘はいかん! しっかりと腰に武器を携えておるではないか」


 老人は男の腰に巻かれている革製のシザーケースに指をさす。


「おじいさん。これはハサミですよ」


 男はシザーケースから一本取り出してハサミを開閉させる。


「ほら。ハサミでしょ? 僕は美容師ですからハサミを持っていて当たり前です」

「ほー。異世界のハサミはそのような形をしておるのか。こちらのハサミはこれなんじゃが――」


 老人はローブのポケットを漁ってハサミを取り出した。

 そのハサミはU字型の握り鋏であった。


「ほれ、あったぞい。これがこの世界のハサミじゃ。おぬしの物は輝きも素晴らしくまるで鏡のようじゃ。それで魔物を屠ってきたのだな?」

「おじいさんしっかりしてください。この世界には魔物なんていませんし、ハサミをそんな物騒なことに使ってはいけません」


 男は子どもをあやすように老人に説く。


「僕は忙しいんです。この後もカットの予約が入っているので帰ってもいいですか?」

「だめじゃだめじゃ! 魔王が復活してしまうぞ! もうこの世に召喚術師は儂しかおらんのだ。おぬしの召喚で魔力も使い切ってしまった。新たに召喚することはできん!」


 男は笑顔で立ち上がる。そして両手を広げた。


「素晴らしいです! これなら町内会の演劇で賞を頂けるかもしれませんね。……では僕はこのへんで失礼します」

「こら、待たんか!」


 男は老人を無視して扉の方へ向かう。

 アーチ型の扉は木を縦に組んであり、金属によって留めてある。2メートル程の両開き式。


 男はこの重厚な扉を力一杯に押し開けた。


 雲一つない真っ青な空。

 陽の光が薄暗い室内を一気に明るくする。


 そして男を襲うリラックス効果満点な草木の香り。

 リラックス効果満点な小鳥の囀り。

 リラックス効果満点なそよ風。 

 リラックス効果満点の仁王立ちしている大きな紫色の熊。ちなみにオレンジ色のモヒカンが生えている。


 男は無言で重厚な扉を閉めた。


「あのー。おじいさん。ここはどこです?」

「ラーン王国の外れ、パプア領の森じゃ。この場所は勇者召喚を任された儂のアトリエじゃ」


「ちょっとなに言ってるか分かんないですね」

「一番初めに言ったであろうが! おぬしは魔王を倒すために召喚された勇者であると。そのために儂はどれほどの時間を研究に費やしたと思っておる。25年じゃ! 気付けばひ孫が三十路になっとって子どもも産んだわい! ひ孫の子じゃぞ! ひひ孫じゃぞ!」


「やっぱりなに言ってるか分からないし、ひ孫の子は玄孫やしゃごですね」


 老人はむっすりとし、魔法陣を見ながら歩き回る。


「しかし何が間違っておったのじゃ。言語の陣は会話できておるから問題ないじゃろう。形もヒトであるし……やはり空間を繋ぐ陣の部分か……この部分は文献も少なく苦労した。とりあえず先代の勇者を召喚したとされる世界を繋ぐ陣を丸パクリしたのじゃがな。ふーむ。魔型まがた付与の陣はどうじゃろか」


 男は魔法陣の周りをぐるぐると回る老人をぼーっと見ながら黙っていた。


 男は先ほどまで美容室で仕事をしていた。

 やっと客足が落ち着きバックルームで軽く休憩をした後サロン側へ出た。

 そうしたらこの場所、魔法陣の上に立っていたのだ。


 男は感覚がマヒしていた。

 というのも、今は春のシーズンで新年会や新人歓迎会など飲み会が続き、さらにこのシーズンは新規客も多く忙しさと寝不足に二日酔いで疲労はピーク状態。

 バックルームから出て石造りの部屋で魔法陣の上に立っていたとしてもなんてこともないのだ。


「おぬしこちらへ来い。儂の魔法陣が正しければおぬしは魔法が使えるようになっているはずじゃ」

「へー。そうなんですかー」


 男はふらふらとしながら老人の元へ歩み寄る。目もうつらうつらと白目をちらつかせる。

 老人は男の手を取り両手で確かめるように握る。


「ふむ。魔素まそはきちんと蓄積されておるな。では手のひらに風をイメージしてみるのじゃ」

「風ですかー。わかりましたー」


 男は言われた通り、風をイメージした。

 すると吐息程度の弱々しい風が手のひらの上で生成された。

 しかし男は貧血の初期症状が出始めていた。手が痺れてきていて風が出たことに気付かない。


「よし。次は光の玉をイメージしてみるのじゃ」

「ひかりーですねー。ひかりのーたまー」


 すると薄暗い部屋にフラッシュを焚いたようなまばゆい閃光が走った。


 と同時に男はそのまま棒を倒したように気絶した。


「おぬし!? どうしたのじゃ!?」


 声かけも虚しく男は反応しない。老人はすかさず男の手首に指を当てて脈を計る。


「ふむ、死んではおらんようじゃな。――アルガス! アルガスはおるか!」


 老人がそう叫ぶと重厚な扉が開かれた。

 薄暗い室内に陽の光と大きな影が共に入る。


「お呼びですかい?」


 そう言ったのは先ほど外で仁王立ちしていた紫色の熊。

 正確には、アルガスは老人に召喚された獣人。熊ではない。縞のある紫の体毛に背中まであるオレンジ色のたてがみ。

 胸から腹部にかけて白い体毛。逆三角形の上半身。腰には布の衣服が巻かれている。


「こやつを家まで運ぶぞい」

「へい」


 2メートルを優に超えるアルガスは片手でつまむようにして男を肩に担ぐ。

 老人はただでさえ腰が曲がっていてちんまりとしているが、男が勇者ではない可能性があると思いさらに小さくなる。


「大丈夫ですかい?」

「さすがにキツイわい。25年の集大成がこやつじゃ。体も細いし色白。どう考えても戦いには向いておらん。こやつの世界には魔物もいないようだしの。それに儂はもう歳じゃ。魔力の回復力も衰えておる。死ぬまでにもう一度召喚することは叶わんじゃろうな」


 アルガスは老人に掛ける言葉が出てこなかった。

 アルガスが老人に召喚されてから17年間老人の手伝いをしてきた。だからこそ苦労も知っている。悔しさも同じ。


 石造りの建物を後にして森の道を進む二人。

 気まずい空気を変えようとアルガスは話を切り出す。


「……魔物のいない世界など存在するんですかい?」

「知らん。こやつは自分の世界のことをそう言っておった」


「…………」


 木々の葉が擦れる音。

 二人の土を踏む音。

 遥か上空を飛ぶ鳥の声。


 二人の会話は気絶した男が目を覚ますまで無かった。

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