宮仕えの女 - 3

 空腹を満たす事は簡単だ。数時間かけて稼いだ小銭をはたいて闇市でパンを買えばいい。けれど私はそうせずねぐらとしているマンホールの中に潜った。

 仕掛けておいた罠を確認すると、丸々と太ったドブネズミが引っかかって圧死していた。今夜はこれがディナーだ。マッチで火を熾し、肉を焼いている間、溝に隠していた空き缶を引き抜いた。


 中に入れていた小銭を取り出し、今日稼いだ分と合わせて数える。


「197ドカスと……71シャルル」


 厳しい生活の中でも倹約し、ドラッグに溺れないよう努めていた理由はこれだった。


「まだまだ遠いけど……」


 東の山脈を超えた先にある、イルメン国へのビザを申請するための資金。オワテル国なんかよりもずっと平和な、自給自足のユートピアがイルメン国だ。安全に眠れる日々を求め、脱国を企てるオワテル国民はあとを絶たない。

 だが違法な手段をとればたちまち国境警備隊の手で鴨撃ちにされ、仮にそれを逃れたとて山脈に棲むバァハ族という蛮族や、森に棲むエルフ族の餌食となる。


 安全な方法でイルメン国に渡るには、正式なビザを発行し、もう暫く予約で埋まっているという航空券を取る必要があった。その為の資金は生半可な額ではないが、着実に目標へ近づいている。ドラッグに溺れる者は日銭を繋ぐのがやっとのことだろう。

 この国に留まり続けるのなら、いつか必ず惨い死に方をする。アスピリのように。誰にも弔われず、使えるところだけ捌かれてゴミ捨て場へ送られる。


「私はアスピリ達とは違う」


 他の誰が死のうと、私だけは助かる。平和で幸せな生活を送る。その為なら臭いネズミの肉だって食べよう。全ては、明るい未来のために。



 翌朝は日が昇るより早く活動を開始した。空腹でろくに眠れなかったということもあるが、人死にが出るとすれば深夜が多い。

 まだ誰も起きていない時間帯に動き始めれば、あまり手が付けられていない新鮮な死体を得られる可能性が高かった。


「昨夜はあんまり稼げなかったからここで頑張らないとな」

「俺の金歯はもう売ったのか?」


 アスピリが話しかけてきた。私は気にせずボロボロのコートを羽織る。


「まだ。来週クリメリア公国からの隊商が来るからそっちに流す」

「えらいぞ。闇市に流すと足元見られるからな」


 ぼろぼろに腐り落ちた彼の亡骸が顎の骨を鳴らしている。それが幻覚幻聴である事は分かりきっていた。この腐臭もすぐそばを流れる下水から漂うものであるということも。


「なあ、昨日の事なんだが」

「なんだよ。死んだ途端饒舌になりやがって。恨み言か?」

「いや、俺を捌いた事は別にいいんだけど」


 アスピリは大事な時に言いよどむ癖があった。急かす様に睨みつけてやる。


「あのおっさんの言う通りだぜ。あの綺麗な宮仕えには関わらない方が良い」

「関わりたくてもそうそうお目にかかれないだろ」

「あんな所にほっつき歩いていた意味を考えろ、ロキソ」


 名前で呼ばれるのは久しぶりの事だった。生前のアスピリからもしばらく呼ばれていなかった。


「目を見たおまえなら分かるはずだ。あいつは歩き慣れているし、必ずまた来る。俺の声が聞こえてる時点でおまえはもう狩られる側だ。目をつけられたら終わるぞ」

「終わった奴が言うと説得力があるな」


 準備を済ませマンホールから出る。ここからは独り言を控える必要があった。


「なあロキソ。何も二人そろっておしまいになることはない」

「……」

「焦らずおしまいになった奴の死体を漁ればいいんだ」

「……」

「おまえが近道だと思っているのは破滅への一本道だ。わかるだろ、なあ」


 アスピリはしばらく付きまとっていたが、貯めておいた雨水を飲む頃には消えていた。



 表通りはまだ誰も居なかったが、闇市は既に何人か店を広げ始めていた。クリメリア公国から隊商が訪れる日が近くなると、開店時間は早くなる傾向があった。月に一度のかき入れ時。おこぼれを与るチャンスを逃したくないという、乞食根性からなる独特の緊張感がそこにはあった。

 私もそうだった。アスピリの金歯だけではいくらぼったくっても二束三文にしかならない。できるだけ多く死体を漁って、売れるようなものを揃える必要があった。


「ん」


 そのチャンスは予想よりも早く訪れた。昨日見た宮仕えがひとりでまた歩いていたのだ。端正で優しそうな顔立ち。血の通った健康的な肌。私のぼさぼさな髪とは違って、彼女のそれは絹糸のようだ。着ている服も、履いている靴も、自分のそれとは比べ物にならない。


「……うらやましいな」


 うらやましい。うらやましい。きっと私と違って、暖かな家で生まれ、十分な食事と衣服を与えられ、親に愛されて生きてきたのだろう。身の危険なんて感じた事もなく、飢えも凍えもせず安心して眠りについてきたのだろう。


 その繊細なガラス細工のような彼女を。あれらを全部捌いたら、いったいいくらになるのだろうか。


「おい止せよ、何考えてるんだ」


 アスピリの声が制止する。けれど私は構わず彼女のあとをつけ始めた。


「こんな時間に来てるなんておかしいだろ」


 だからなんだ。むしろ好都合だ。今なら誰にも見られずにやれる。


「あの足取りを見ろ。暗い裏路地もスイスイだ。奴は慣れている」


 それがどうした。この街の道は私の方がより詳しい。それに、何より。


「私だって幸せを享受する権利があるはずだ……あの女は十分そうしてきた。

アスピリだって言ってきたじゃないか。"俺達に未来はない。だから奪うしかない"って」

「そうだけど!相手を間違えたらおしまいだぞロキソ!」

「おまえみたいに誰からも悼まれずに死ぬなんてまっぴらごめんだ。

私は幸せになる。イルメン国に脱国して……あの女が過ごしてきたような、幸せな──」


 言いかけたところで、彼女が小道を曲がった。気づかれない事を第一に尾行していたが、見失っては本末転倒だ。懐に忍ばせていたナイフを抜き、音を立てないように走り追いつこうとした。


「その先は開けた袋小路だ。逃げ場はない」

「考えろロキソ!なんで"そんな場所"にあいつが行ったのか──」


ふわりと。


 花の香りに紛れて、むせかえるような血臭が漂ってきた。

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