第5話
有力者たちが会した会議が行われた翌日――全てが、白日の下にさらされた。
クロッツェ商会の行ったことが大々的に公開され、それに伴い、痛んだ野菜を食べないように各組合から連絡が回された。
大規模検診は一週間で、患者の数も落ち着いていく。
徐々に、ハイムの街は平穏を取り戻しつつあった。
だが、ローゼハイムの屋敷では、また書類仕事が山積みだった。
「――なるほどね、カナが前に行っていた、領民を疑っている、というのは、こういうことだったのね……気づかなかったわ。カナ」
書類を確認、手際よく判子を押していきながら、シャルロットは告げる。
彼女が処理した書類をカナは取りまとめながら、一つ頷いた。
「はい、できれば、ないに越したことはない事案です――なので、お嬢様の耳に入れたくなかったらですし、お嬢様には民を信じていて欲しかったですから」
「なるほどね、しかし、クロッツェ商会のやり方はよくできているわ」
彼女は騎士団が提出した事件の報告書を手に取り、目を通した。
クロッツェ商会は、上手いやり方で脱税を働いていた。まず、関所を超える際に、塩や香辛料、宝石などを使ったのは、価値が高いものでかさばらないものだ。
それで、関税の支払いを極力抑えた上で、物々交換で価値を増やしていったのだ。
脱税をしなかったら、その上で、まっとうな取引をしていれば、きっとクロッツェ商会はもっと堅実に規模を増やして行けただろう。
欲をかいた結果の、破滅だった。
「健康被害を及ぼした、ということで、大規模検診の半分の資金を負担させたし――まあ、クロッツェ商会は立ち直れないわね。気の毒だけど」
「まあ、立ち直るにしても、この街では絶対に無理です。信頼を失いましたから」
クロッツェ商会は店を畳んで、すでにどこかへ消えたらしい。
彼女はため息をこぼして確認印を押すと、ふと、微かに首を傾げた。
「ねえ、カナ、少し疑問に思ったのだけど――脱税って、要するに犯罪よね?」
「ええ、そうですね」
「じゃあ、なんで刑罰に処さないの? 処刑まではいかなくても、懲役とかでも構わないような気がするのだけど――罰金だけなのね」
「ああ、まあ……すごく、不謹慎な目的で、こういう法律になったのです」
カナは少し申し訳ない気持ちになりながら、頬を掻いて言葉を続ける。
「要するに、より多くの金を徴収するために、三倍罰金が定められたのです――たとえば、懲役だと、それを科した領主としてはあまり利益にならないのです」
懲役は、読んで字のごとく、懲らしめるために労役を科すのだ。
ローゼハイム領の場合だと、鉱山の発掘の懲役に科させる。だが、それで仮に一年働かせても、金貨五枚程度の利益しか生まないだろう。
「ですけど、このまま泳がせて一年商売させれば、クロッツェ商会の規模なら一年で金貨五十枚は稼ぎを出せるでしょう。それを徴収した方が、よほど、利益になるのです」
「――なんだか、世知辛いわね」
少し前なら、理不尽に憤然としただろう、シャルロットだったが、今は財政の苦しさを知っているためか、むしろ共感するように頷いている。
(――大分、領主様としての、覚悟が身についてきたみたいだな……)
心なしか、書類を分ける手つきも迷いがない。判子を押しながら、さらりと髪の毛を払う。
「――これで、経費の決済は問題ないわね。財政も、余裕ができたし……」
「はい、お疲れ様です。お嬢様」
書類をまとめていく。ん、とシャルロットは喉を鳴らし、目を細めて言う。
「一つ一つ、考えてみると――本当に政治って大変なのね」
「それはもう、大変ですよ」
政治は、バランスゲームだ。
どちらに不都合がないようにバランスを取りながら、誰もが幸せになる形を探っていく。だけど、それで少しでも偏りが生まれればすぐに不満が噴き出る。
謂れのないことも言われるし、些細なことで揚げ足も取られることもある。
「たとえば、今までお世話になった人に、慰労のために宴会を催す――それだけで、公費の無駄遣いと言われることもあります」
「ま、公費で本当にやれば、無駄遣いよね」
「……正直、考え方次第だと思います」
たとえば、商人たちが商売の儲けで、商会の仲間たちと慰労会を催すことはある。それと同じと考えることだってできるのだ。
「だからこそ、はっきりと慰労会とは称さず『お花を見る会』とか、名前を濁したりしますね。それで、いろんな人を労う――これもある意味、立派な公務です」
「まあ、確かに……しっかり働いている人たちを労うのは、大事よね」
「それはしてもいいとは思います……ただ、出所は、住民たちの血税です」
だから、無駄遣いは許されない。慰労を行うにしても、贅沢は過ぎてはいけない。
だが、貴族として、治世者としても見栄もある。
仮に、ここで安っぽい宴会を開いてしまえば――出資者たちの心が遠のくからだ。さらに、人も多くなければ、豪華とも言えない。
金を出し惜しめば、出資者や協力者の心が遠のき、政治が難しくなり。
逆に金を出し、人を呼び過ぎれば、税金の無駄遣いと叩かれることになる。
そこのさじ加減も、本当に絶妙なバランスゲームなのだ。
「王国は、実はまだ楽な方ではありますね。絶対王政であり、憲章をひっくり返す手段があるのですから」
「――え? そうなの?」
「はい、憲章の上に位置する法令があります――勅令、です」
それは、王族が下す絶対的な命令だ。
ウェルネス建国以来、下されたのは数えるほどしかない。それが下されることがあれば、一時的に憲章も無視――言い方を変えれば、民の権利も無視されるのだ。
「ただ、王族もバカではありません。それは、国が揺らぐ事態にならなければ、発令しません。要は、非常手段がある、ぐらいの認識でいて下さい」
その言葉に、シャルロットはほっと一息をついた。
その彼女を見つめ、カナは言葉を続ける。
「ですが、隣国のハルバート帝国は立憲君主制――完全な、憲章に基づいた国家です。そのために、国民の顔色を窺わなければならず、ウェルネス王国よりもシビアなバランスゲームが繰り広げられているのです。その点、独裁政治の不安はないのですが」
「でも、それだと――国民感情を慮って、政治方針が変わることも?」
「あると思います。過去、そのようなことになった国もあります」
大陸の外の国家だが、その国家は今でも国民に忖度した政治を行い、情治国家と呼ばれている。それでは大局を逃した判断をしてしまうのでは、とカナは少し心配している。
こほん、と一つ咳払いをし、カナは真っ直ぐにシャルロットを見つめる。
「ですから――領主として覚えておいてください。国民の感情を判断材料にするのは、正しいことです。ですが、それに翻弄されないで下さい。時には、非情の判断が必要になってくる場合もあります」
「……たとえば?」
「そうですね。極端な例になりますが、致死性の伝染病が流行った場合です」
治療法が確立せず、人から人に移ることが確認されていた場合。
速やかな隔離。場合によっては、処分も必要になってしまう。
それを人的配慮でためらえば――もっと被害が広がってしまうのだ。
シャルロットはわずかに視線を伏せさせ――小さく、吐息をつく。
「……うん、覚悟ができるとは思えないけど。覚えては、おく」
「それで構いません……そうならないように、僕たちも全力でお支えするだけですから」
カナは微笑んでそう励ますと、空気を切り替えるように笑いかける。
「じゃあ、シャル様、紅茶にしませんか? もう、仕事は一段落しましたよね」
「ええ、そうね。カナ。お願い。その後は……もし、よかったらだけど」
カナは控えめに微笑んで、少しだけ頬を染めて訊ねる。
「二人きりで――ゆっくり、しない?」
「……はい、仰せのままに。シャル様」
ひっそりと二人で笑い合う。視線を交わし合い、甘酸っぱい気持ちを、お互いに交換し合った。
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