第17話

 木片が謁見の間へと飛び散る。その光景を呆然と見ていた部屋の人間は、しかしやってきた人物を見て目を見開いた。集められた者はどこか安堵した表情で、そして集めた連中は驚愕の表情で。


「てめぇら何やっとんじゃぁぁぁ!」


 聖剣を肩に担いでのっしのっしと歩くその姿は、聖女と言うよりチンピラである。人相くらいしか情報を持ち合わせていない聖騎士達はそのあまりにもな彼女の姿を見て呆然と固まっていた。

 一方、証言者として集められた城の面々、宰相を筆頭とした貴族達や一部の兵士や警備騎士、メイドなどの使用人は既に見慣れたその姿を見て思わずよしと拳を握る。そうしながら、聖騎士が取り囲んでいる被告人、断罪されるべきだと吊るし上げられている少女と交互に彼女を見た。ついでに横にいる婚約者の王太子も見る。


「フルーエ」

「王子。説明プリーズ」

「この連中がいきなり押し掛けてきた。カサンドラを裁くとか言い出してな」

「ドラ様は無事?」

「当たり前だ」


 確かに彼の言う通り、カサンドラは何かされた様子は見当たらない。とりあえずそのことに安堵したエミリーは、しかしまだこれからなのだと気を引き締め更に歩みを進めた。聖騎士達が取り囲んでいるその中心部へと自ら歩いていく。


「……これはこれは、聖女様。どうされたのです?」

「それは、こっちのセリフだと思うんだけど。どういうことですかね神官長」

「どういうことも何も。この国を蝕む魔物の刺客をようやく見付けたのですよ」


 そこに取り繕いは微塵もない。どうやら本心からそう思っているらしく、そしてそこに後ろめたさもない。カサンドラを、今まで顔を合わせていた王太子の婚約者である令嬢を殺すことは正しいのだと疑っていないようであった。


「……どっちだ、これ?」


 本物の魔物の刺客に捻じ曲げられたのか、はたまた最初からこういう思想だったのか。それがエミリーには判断できない。ゲーム中の王宮にいる神官は名前もないので二次創作ではキャラはブレブレ、オリキャラだったりオリ主だったりも日常茶飯事であった。勿論設定資料集にもビジュアルファンブックにもキャラ設定はない。

 まあいいや、とりあえず後で考えよう。そう結論付け、今のところはぶっ倒す敵だという認識で固定させる。

 次は聖騎士だ。彼らの場合はもう少し単純だ。そういう思想の連中を選んだのは間違いないだろうが、それを差っ引いても他国の令嬢に思い入れはない。魔物が化けていると言われれば躊躇うことなく動くだろう。


「あー、一応聞いとくけど」

「何でしょう、聖女様」

「あたしがやめろって言ったら?」

「聖女様。お辛いでしょうが、世界を救うためには決断が必要なのです。魔物に慈悲を見せてはなりません。何より、聖女様のご友人だと取り入った悪令嬢ですぞ」

「うわー、今すぐぶっとばしてぇ……」


 まだ中心に入っておらず様子を窺っていたトルデリーゼが吹き出す。ジゼルは非常に冷めた目で王宮にいたくせに聖女の性格把握してないのですかあのポンコツとぼやいていた。

 ふう、とエミリーは息を吐く。視線を神官長から後ろ、自分とクリストハルトが庇っている少女へと向けた。


「……」

「あー、っと」


 びくりと肩を震わせる。それに一瞬大ダメージを受けた様子を見せたエミリーは、いや違うと気合を入れ直した。そうしながら、今度は体ごと彼女へと向き直ると思いき頭を下げる。ごめんなさい、と謁見の間に響くくらい盛大に謝った。


「……え?」

「あたし、カサンドラ様のことをしっかりと知ろうとしてなかった。自分の、聖女の記録頼りで、本当のカサンドラ様を見てなかった」

「聖女、様」

「だから、ドラ様があたしのこと嫌うのも当然だって思って……でも、でもぉ……あたし、嫌われたく、なくて……」


 涙声になっていく。あっちゃぁとトルデリーゼが額を押さえるのを横目で見ながら、ジゼルはケラケラと笑っていた。表情はほぼ変わっていないので若干不気味である。


「だから、あたし、ごめんなさい、ごめんなざぃ……やだよぉ、ドラ様離れちゃやだぁ……あだしのこど、ぎらいにならないでぇぇぇ」

「え? え? ……え?」


 泣きながら縋り付かられた。傍から見ると別れ話を切り出された恋人同士のようにも見える。クリストハルトは実際に何だお前という目でエミリーを見ていた。

 一方のカサンドラは完全に困惑顔である。一体何がどうなってこうなったのか、全くついていけていない。そもそも、自分が彼女から逃げたのはあの一件で聖女はやはり魔物を殺す存在だと感じたからだ。自分の末路を幻視したからだ。とうに覚悟は出来ていたのに、いざその時になるとみっともなく命を惜しんだだけなのだ。愛する人や友人に魔物だと侮蔑され殺されるのがたまらなく嫌になっただけなのだ。

 だから。


「謝るのは、わたしの方です」

「え?」

「わたしは、皆さんを騙していました。本当は、こんな場所で、こんな立場で、笑顔を向けられる資格なんかないんです」

「カサンドラ……」


 お前は何を言う気だ。クリストハルトが口を挟もうとしたが、彼女は悲しそうに彼を見る。あなたのことも騙していました、そう言って視線を落とした。

 そうした後、カサンドラは真っ直ぐに神官長を、聖騎士を、そしてこの空間にいる皆を見る。何かの覚悟を決めたように、否、覚悟を決めて見渡した。


「神官長。あなたの言う通りです。わたしは、この国を蝕むために用意された魔物です。殿下に、聖女様に、城の皆に取り入った、紛れもない悪令嬢です」

「それを告白してどうする気です? まさか命乞いでもするのですか? 汚らわしい魔物風情が」

「はい」

「は?」


 迷いなくそう言ったカサンドラに、神官長が一瞬呆気にとられる。それは周りにいる面々も同じようで、小さいざわめきが起こっていた。


「わたしは、死にたくありません。ただ――」


 ぐ、と拳を握りしめた。横にいるクリストハルトを見て、どこか泣きそうな顔をした。


「殿下が、わたしを」

「あー、そのだな」


 悲壮な決意を込めて言おうとした言葉が遮られる。どこか気まずそうな顔をしながら、クリストハルトが頭を掻いていた。その横でエミリーは肝心なとこ言ってなかったと涙を流しっぱなしである。


「カサンドラ、実はな――とっくに知っていた」

「……え、と。え?」

「いや、だからな……。俺はお前が魔物だと、とうの昔に知っていたんだ」

「え? で、でも、なら」

「お前が別の魔物に監視をされている可能性もあるし、それを伝えることでもし俺の前からいなくなってしまったら……そう考えると、どうしても言えなかった」


 すまない、と彼は頭を下げる。その姿を見て、理解が追いついていかないカサンドラは、とりあえず謝らないでくださいと手をワタワタさせた。それが何とも可愛らしく、城の面々は思わず苦笑する。


「……あ、じゃあ、ひょっとして」


 そうしているうちにふと気付いた。クリストハルトが知っているということは、つまり。そう思ってその横を見ると、涙を拭いたエミリーが物凄く申し訳ない表情で立っているのが見える。


「あ、はい。あたし最初から知ってました……」

「……知っていて、仲良くしてくれていたんですか?」

「うん。だってあたしカサンドラ様のこと好きだから。魔物とか人とか関係なく、カサンドラ様が好き。王子とラブラブしてるドラ様が大好きだったんで、こう」


 あはははー、とわざとらしい乾いた笑いを上げながら、エミリーは視線を逸らす。その拍子に向こうで呆れているトルデリーゼが見えたので、丁度いいからカモンと手招きした。

 はいはい、と溜息を吐いたトルデリーゼは状況についていけていない聖騎士をかき分けて合流する。カサンドラを見ると、そのまま彼女のほっぺたをぐいと摘んだ。


「私は教えられなかったわ。だから、自分で辿り着いた。エミリーさんに答え合わせもしてもらったわ」

「とるふぇりーふぇ……」

「それを踏まえて言わせてもらうわよ。それがどうしたの? その程度のこと、何の問題にもなりはしないわ」


 ぱ、と手を離す。痛い、と頬をさすっているカサンドラに向かって、トルデリーゼは笑みを見せた。たかがそれだけで、親友を裏切るわけがないだろうと笑った。

 クリストハルトが、エミリーが、そしてトルデリーゼが。皆がそう言ってくれたことで、カサンドラの中に何かが満ちていく。先程の宣言が、神官長に向かって切った啖呵が。確固たる意志へと変わっていく。

 もう一度真っ直ぐに神官長と聖騎士達を見た。震えはない、迷いもない。逃げることも、もう無い。


「わたしは、死にたくありません」

「戯言を……! 魔物が、人に擬態した化け物が、世迷い言を!」


 聖騎士へと手で合図をする。四人を取り囲むように立ち位置を変えさせると、神官長は懐に持っていたそれを掲げた。星の夜空が映っている手鏡を、カサンドラへと向けた。

 今の茶番で証人役として呼んだ城の面々も向こう側へと傾いている。ならば決定的なそれを見せ、魔物は所詮魔物であるということを知らしめようではないか。そんなことを考えながら、神官長はそこに込められた力を開放しようとした。


「聖女様、殿下、ならば現実を見せてあげましょう。そこにいるのが、どれだけ醜い化け物かを!」

「ん? あ、ホントに持ってやがった!? まずっ」

「どうした? あれは?」

「しまった。間に合わない!?」


 慌てたようにエミリーとトルデリーゼが動くが、もう遅い。神官長の持っていたその手鏡が光り輝くと、まるで意思あるかのようにカサンドラを照らし、そして。


「きゃぁぁぁぁぁぁ!』


 それに焦がされた彼女の体が崩れていく。美しい少女の肌が、まるで殻が剥がれるようにひび割れ落ちていく。そうして見えてくるのは、節くれだった異形の体。人とは似つかぬ、魔物の姿。


「は、ははははは! どうです、これこそあの魔物の正体! こんな化け物を、王国に野放しするなど許されるわけがない」


 蟲を思わせるその姿は、確かに見るものが見れば恐怖の対象であろう。蜘蛛のような下半身に、カマキリを思わせる上半身がくっついたような体、細長く節のある腕、そして蜘蛛とカマキリを綯い交ぜにしたような頭部。カサンドラの人としての姿からは想像も出来ない、異形の姿だ。


『……でん、か。わたしは……』

「大丈夫かカサンドラ!? 体に異常は!? 弱体化を受けていないか!?」

「あ、瞬時に理解した。こういう時の王子すげー」

「ここまでは予想済みなのね……。何だか仲間はずれにされたみたいで、少し悔しいわ」

『……あ、れ?』


 が、ことこの三人にとってはだから何だ、である。エミリーからすれば《剣聖の乙女アルカンシェル》で何度も見た姿だ。クリストハルトも英美里との作戦会議で見知った姿な上、終いにはこの状態でも抱けると言い始める末期。唯一トルデリーゼだけは初見だったが、魔物の知識をある程度持ち合わせている彼女がこの程度で揺らぐはずもなく。


「はははは――は?」

「とんだピエロですね。ジゼルはもう可笑しくてたまりません」


 神官長の呆気に取られた表情を見て笑うジゼルの声が、やたら大きく響いた。






「さて、と」


 ひとしきり笑ったジゼルは、人の輪の外から声を掛ける。終わったのならば、こちらの用事を済ませてしまおう。そんなことを思いながら聖騎士達の前に立った。


「ジゼル・ラ・トゥール執政官? 何故ここに?」

「おや、名前を知っていてくださったのですね、光栄です。ですが一つだけ訂正を。今のジゼルは執政官兼、エミリーさん達のお仲間です」

「……は?」


 何だと、とエミリーを見る。いぇい、とサムズアップをしている彼女が見えて、もういいとクリストハルトは肩を落とした。

 そうしながら、彼は彼女に問い掛けた。この状態でも、こちらの味方なのか、と。


「敵対する理由が見当たりませんし。そもそもジゼルはこいつらをぶち転がしにきましたから」


 ジャリ、と件の《双操杖》メリュジーヌを構える。それを聞いて少しだけ警戒を解いたクリストハルトは、魔物の姿のカサンドラを庇うように武器を取り出し盾を構えた。それに合わせるように、エミリーもトルデリーゼも自身の得物を構え立つ。


「魔物を滅するのは聖女の意思! それに逆らうと言うのですか!」

「いや今の聖女あたしだし」

「そっちが反していますね。ぷーくすくすというやつです」


 神官長の言葉にエミリーがジト目で返し、ジゼルが煽る。それを聞いてぐ、と呻いた神官長であったが、しかし懐の書類を眺めるとすぐに目が据わる。聖騎士に指示を出すと、彼らを支援するように呪文を唱え始めた。


「何とでも言いなさい。理はこちらにあり、証拠となる書類もある。逆らうのならば、捕縛させていただきましょう」

「時代劇の悪役かよ……」


 戦闘が今にも始まりそうになったことで、謁見の間に緊張した空気が流れる。そんな中、ただ一人別の方向を向いていたものがいた。


『皆さん、避難を! 後はこちらで何とかしますから!』


 え、とカサンドラの声を聞いた城の面々は我に返る。そうだ、ここにいては巻き込まれる危険性があった。そのことに気付いた使用人達は壊れた扉から外へと逃れ、兵士と警備騎士も貴族について離れていく。


『そうは言いつつ……今のわたしでは足手まといなんですけど』


 その途中で異形となった彼女のそんな言葉を耳にして、思わず吹き出してしまった。ああ成程、今までのあの姿は、決して演技などではなかったのだな。そのことを理解した彼ら彼女らは、あの魔物に対する警戒心を大幅に下げた。何より、聖女が横に立っているのだ。今更疑ってもしょうがない。


「カサンドラ様」

『はぃ!?』


 宰相が、トルデリーゼの父親が声を掛けた。が、いかんせん急だったので返事が上ずる。それを聞いて思わず笑ってしまったベーレント公爵は、そこにいるお転婆を頼みますと伝え部屋から出ていった。


『どちらかというとわたしが頼る方なんですが……』

「何言ってるのよ。私はカサンドラを頼りにしているわ」


 宰相が出ていくのを合図にするように、エミリー達は聖騎士へと突っ込んでいく。トルデリーゼはその支援とカサンドラの護衛だ。《星見の手鏡》の効果で大幅に弱体化しているらしいという話を聞いているので、今回は戦力に数えない。それを差っ引いても、この状況では恐らくカサンドラは手を出さないだろう。そんな気がした。

 クリストハルトは愛しい婚約者を傷付けられた怒りで完全に頭に血が上っていた。聖騎士の攻撃など物ともせず、その鎧を剣で斬り砕く。殺していないのが不思議なくらいの勢いであったが、一応一線を引いているのかもしれない。

 一方の聖女と執政官であるが。


「……ジゼルさん」

「どうしました?」

「……死んでない?」

「さあ? 処理はこちらでするのでいざという時も安心安全です」

「聞きたくない! そういうの聞きたくない!」


 そうですか、とジゼルはジャラリと分割されたモーニングスターを振り回す。中に仕込んでいる鎖によって、その先端は棘付き鎖鉄球へと早変わりだ。ぐしゃりと鎧を凹ませ、そして絡め取り引き寄せると容赦なく戦斧の一撃を叩き込む。倒れた聖騎士がピクリとも動いていないのでエミリーはドン引きしていた。

 とはいえ、こちらからすれば情けをかける理由もない。大事な友人を傷付けた連中だ、こいつらを生かした結果カサンドラが命の危険に陥るならば死ねばいいとも思う。まあいいか、と結論付け、エミリーは自身の聖剣を構え直した。


「さて、と」


 バタバタと倒れていく聖騎士を見て顔を青くさせているのは神官長だ。彼自身にはそれほど戦闘能力があるわけでもない。周りがいなくなれば、待っている結末は想像に難くないだろう。

 彼女はそんな神官長に近付いていく。こいつは直接やらかしたので、聖騎士と違って同情もしない。正直真っ二つにしてもいい程度に考えていた。


「何故です。何故聖女様があんな汚らわしい魔物の側に!」

「あ? ……あんさぁ、この際だから改めて言うけど」


 聖剣を突き付ける。その切っ先が眼前に来たことで悲鳴を上げる神官長など気にもせず、彼女は高らかに宣言した。聞こえているのか分からない状態の聖騎士と降参した聖騎士にも、避難した割には野次馬になっている面々にも届くように。


「あたしは、自分の大好きな人たちが最優先。世界なんか知ったこっちゃねぇっつの!」

「な、な……」

「だからドラ様や、王子やトルゼさん、ジゼルさんとかそこで野次馬してる城の人たちとか。そういうみんなを犠牲にして世界を救えなんつって言われたら、嫌だね勝手に滅べよって返すねあたし」

「それが、聖女の言うことですか!?」


 目を見開き、口泡を飛ばしながら神官長は叫ぶ。だが、エミリーはそんな彼を気にせず、勿論だと言い切った。世界なんかより、もっとずっと優先するものがあると言ってのけた。

 だから。


「あんたは、絶対にぶっ飛ばす!」


 一足飛びで距離を詰めると、聖剣の柄をみぞおちにねじ込んだ。かふ、と空気を吐き出した神官長の顎を、そのままアッパーカットでかち上げる。見事な放物線を描いた神官長は、そのままどさりと床に倒れ動かなくなった。

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