第14話

「あ、聖女様。おはようございます」

「やほー……」


 王宮の廊下を歩いていた近衛の新人騎士は、対面からやってきたエミリーへと声を掛ける。が、普段の彼女からは考えられないほどぐったりとした返事を聞き、一体どうしたのだと首を傾げた。


「あー、いや、ちょっとね」

「この間の討伐依頼の関係ですか?」

「あ、先輩」


 新人騎士の背後から声。彼の先輩騎士である青年は、エミリーに挨拶をしながら先程の言葉をもう一度投げ掛けた。この間の討伐とは、ゴブリン退治の時のことだ。今から十日ほど前になる。心当たりといえばそれくらいであったが、流石にだとすると尾を引き過ぎていると思わないでもないが。


「あー……そだねぇ。関係あるっちゃあるけど」


 そう言うと彼女は盛大な溜息を零す。がくりと項垂れながら、実はその日からカサンドラが自分を避けているのだと続けた。

 それを聞いて怪訝な表情を浮かべたのは近衛の二人である。近衛とされてはいるが、彼らは王宮の警備騎士のような扱いだ。そのためにこの間の討伐に同行は出来ず、だからその時の顛末も伝聞のみ。それでも、別になにか問題があったという報告は受けていない。


「そもそも、聖女様とカサンドラ様って仲良くなかったですか?」

「自分ではそう思ってたんだけど、ねぇ……。一方通行だったのかも」


 世知辛ぇ、とエミリーは更に肩を落とす。一体自分の何が悪かったのか、考えても答えは出ず、むしろ悪いところしかないという結論に達してしまったりもして。そんな思考をグルグルと回しながら生活しているうちに、すっかりと腐ってしまったというわけだ。


「ふーむ。聖女様、カサンドラ様とお話は?」

「出来てないよぉ……。そもそもまともに顔を合わせてない」

「それはそれは」


 先輩騎士が苦笑する。これは相当こじれているな、と頭を掻きどんよりとした空気の彼女を見た。この調子では時間が解決するという悠長な案を出しているうちにカビでも生えかねない。そう結論付け、彼は小さく息を吐いた。


「一度話し合ってみてはどうです?」

「それが出来たら苦労しねーっつの……」

「聖女様一人で直接が無理なら、他の方の助力を頼んでは?」

「他の人ぉ?」


 顔を上げる。青年の顔を見て、ふーむとエミリーは考え込んだ。そういえばここ最近カサンドラを追い掛けてばかりであった。そのことに気付き、王宮の友人二人の顔を思い浮かべる。片方は自分と同じくカサンドラ馬鹿なのでこういう相談ではあてに出来ない気がしないでもない。そうなると、頼れるのはもう一人。


「……トルデリーゼさんに、相談してみるか」

「それがいいんじゃないですか」

「あー、うし。あんがと二人共」


 じゃあちょっと行ってみる。そう言って気合を入れ直したエミリーは、手をブンブンと振りながら駆け出していった。そんな背中を微笑ましそうに見送っていた二人は、さて見回りを再開しますかと向き直る。

 それにしても、と新人騎士は呟く。


「出会った頃に比べると、聖女様、なんていうか」


 物凄く騒がしくなりましたね。そう続け、しまったと口を押さえた。勿論時既に遅し、が、先輩騎士も苦笑するだけで咎めることはしない。


「まあ、慣れてきたんだろう。この国に、この世界に」


 聖女は相応しい魂をどこからか喚び出し、儀式で作り出した記録の器に押し込めて出来上がる。そんな方法で生み出された存在なのだから、そればかりは仕方ないだろう。そんなことを思いながら、彼はエミリーが走っていった廊下を振り返った。


「出来ればあの勢いで、世界も平和にしてもらいたいもんだ」

「聖女様なら案外出来そうですけどね」

「そうだな……あの人の場合、世界より友人のためにやるって感じだが」

「いいじゃないですか。その方が昔話の剣の聖女よりずっと『聖女』って感じしますよ」

「ははは、違いないや」


 そう言って二人は笑っていた。が、彼らは知らない。その軽口が割と真実であることを。

 そこへ、どうしたのですかと数人の男性がやってくる。あの時のゴブリン退治に同行した兵士達だ。何やら盛り上がっていたので気になったらしく、近衛の二人も別段隠すことはないのでそのまま語る。エミリーとカサンドラがすれ違っているという話を聞いて、そうなんですかと不思議そうな顔をした。


「そういえば確かにカサンドラ様は討伐後少し顔色が悪かったようでしたが」


 兵士が思い出しながらそう述べ、しかし色々と無茶をしたからだと思っていたと続けた。無茶、という言葉に怪訝な表情を浮かべた先輩騎士は、何かあったのかと彼に尋ねる。

 その問いに、彼はカサンドラが合流した時のことを語った。アイレンベルク領から魔法を使ってこちらに移動してきたことを述べた。


「見たこともない呪文でしたし、やっぱりかなりの負担があったのでは、と」

「そんなに殿下や聖女様のこと思ってたってことですね」


 うんうんと新人騎士が頷いているが、先輩騎士は少し難しい表情のままだ。そんな魔法あっただろうか。そんなことを思いながら記憶を辿り。


「それは《移動魔法陣》でしょうな」

「あ、神官長。おはようございます」


 背後から声。振り返ると、聖女召喚の儀や記憶の継承時に立ち会っていた神官の男性の姿が。どうやら話を聞いていたようで、つい聞こえてしまいましたと謝罪しながらそこに混ざる。


「それで神官長、《移動魔法陣》ですか? 聞き覚えのない呪文ですが」

「そうでしょうとも。かつては存在した魔法、という分類ですから」


 それはつまり、今は存在していない魔法ということである。それに気付いた先輩騎士は、では何故と疑問を述べた。兵士達や新人騎士は失われた魔法を再現させたカサンドラ様は素晴らしいという意見になっていたようではあるが。


「かつて、とは言いましたが。完全に失われたわけではありません」

「なら、カサンドラ様が使用しても不思議ではないと」

「……そうでしょうね。不思議ではないといえます。ただ」

「ただ?」


 そこで神官長は言葉を止める。そうしながら、ゆっくりと口を開いた。正確には、今は人が使う魔法ではないのだ、と。人間以外が扱うものなのだと。


「ん? それはどういう」

「簡単な話です。《移動魔法陣》を使えるものは、今この世界で――」


 目を閉じる。その後開いたその瞳には、隠しきれない憎悪があった。憎むべき敵を見るような、そんな表情があった。


「魔王に与するもの。人の敵である、汚らわしい『魔物』だけなのですよ」






 公爵令嬢といえども、王宮に常駐しているわけではない。気合を入れた割にトルデリーゼがいないことを知って肩を落としたエミリーは、ならばと彼女へ連絡を取る。相談したいことがある、という手紙を受け取ったトルデリーゼは、一体何があったのかと受け取った翌日には来城してきた。


「トルデリーゼさぁぁん」

「……本当にどうしたのよ」


 最近誂えられた聖女専用執務室に招待したエミリーは、とりあえず初っ端から泣きついた。その表情とオーラに、トルデリーゼも少々怪訝な顔を浮かべる。

 そんな彼女へと事の経緯を話したエミリーは、そんなわけなのでどうしようかと再度泣きついた。やれやれと肩を竦めると、トルデリーゼは少しだけ考える素振りを見せる。


「とりあえず、カサンドラがあなたを避ける原因を突き止めないことには話し合いも出来ないでしょうね」

「んなこと言われても……」

「心当たりはないの?」

「あったら腐ってねーですよ……」


 はぁぁ、と地面につくような溜息を吐いたエミリーは、むしろそっちはどうなのかと逆に問い返した。自分は避けられている、ならばお前はどうなのだ。カウンターでも放ったつもりのその質問は、トルデリーゼがそうねと短く返したことで不発に終わった。


「はえ?」

「ここのところ彼女とは会っていないわ」

「……何で?」

「少し立て込んでいたのよ。ほら、これ」


 カバンから一枚の書類を取り出す。そこに書かれているのは聖女補佐の任命書であるという文言。この間の討伐でそういうことになったらしいと彼女は微笑んだ。これらの手続きを済ませていたのだと言葉を続けた。


「恐らくカサンドラにもきているはずだけれど」

「え? ドラ様もあたしのパーティーメンバーに!?」

「言っている単語自体はよく分からないけれど、まあ概ねそういう意味でいいと思うわ」


 だから、もし最近出会えていないというだけだったのならばその可能性がある。そんなことを言いながら彼女は書類をカバンに仕舞った。それで解決ならそれでもいいと言わんばかりの表情を浮かべた。

 が、しかし。エミリーの顔は浮かないままだ。そういうのじゃないんだよ、とべしゃりとした表情のまま言葉を紡ぐ。


「何ていうか、避けるっていうか逃げるって感じ。ホラー映画の怪物から逃げるみたいな」

「映画? 演劇を記録しておいて別の場所で見せる魔道具の手段の一つだったかしらね。ふむ、ホラー……。成程、何となく状況は掴めたわ」


 出会った途端目を逸らし、真っ青になってエミリーから逃げ出すカサンドラの図が脳内で展開される。助けて、殺される、と必死で悲鳴を上げながら逃げ惑う彼女を、エミリーがケケケケと笑いながら追いかけるシーンが追加上映された。


「トルデリーゼさん、何か変なこと考えてない?」

「あらごめんなさい。ちょっと面白くなったものだから」

「あたしは面白くないんですぅ!」


 泣くぞコノヤロー、とジト目でこちらを見やるエミリーに再度謝罪をしたトルデリーゼは、しかしそうなるとそれは明らかに怯えているだろうと述べる。エミリーとしてもそのことは薄々感じてはいたが、認めたくない一言であった。

 エミリーに、正確には聖女に怯えている。それはつまり、聖女が恐怖の対象であるということに他ならない。そして聖女が恐怖の対象になる存在は、この世界では限られている。国や世界の和を乱すようなレベルの重犯罪者か、あるいは。


「エミリーさん、心当たりは?」


 先程とほぼ同じ質問。だが、今度はそこに込められている情報量に違いがあった。それらを、今までの会話を加味したことで違う答えを導き出せるようになったその質問は、エミリーにとってはある意味鬼門だ。

 何故かは決まっている。そうなる理由を、彼女は最初から知っていたのだから。


「……あたしは」

「どうしたの?」

「あたしは……カサンドラ様を、ドラ様を傷付ける気なんかない」

「ええ、そうね。いつも言っているし、それが本心なのは知っているわ」

「でも、聖女の存在そのものが、ドラ様にとって恐怖の対象なのも、知ってる……」

「……そう」


 トルデリーゼはそこで彼女の言葉を待つ。自分が言ってもいいが、とりあえずまだ何か言いたいことがあったのなら言わせておこうと思ったのだ。このまま何も言わなければ、その時はこちらから口を開くつもりである。


「王子。王子はどうなんだろ……」

「殿下には流石に会っているのではなくて?」

「あー……やっぱそうかな」

「気になるのならば聞きに行ってみればどう?」

「う。でも、あたしだけ避けられてただとダメージでかいし」


 クリストハルトもカサンドラのことを知っている。そういう前提でエミリーは言葉を発している。それが周知の事実だと思って、話している。それはついうっかりであり、今の状況で余裕がなくなっていたということでもある。

 どちらにせよ、その発言は、その行動は。トルデリーゼが持っていた予想を確信に変える材料になり得るわけで。


「あら、殿下はご存知なのね」

「……まあねぇ……」


 はぁ、と溜息混じりにそう返す。そうした後、エミリーはやっと自分の失言に気が付いた。がばりと顔を上げると、対面にいるトルデリーゼの顔を見る。変わらず、飄々とした笑みを浮かべている彼女を見る。


「トルデリーゼさん……」

「どうしたのかしら」

「今、何を……?」

「何、とは?」

「それは、その」


 口には出来ない。向こうはこちらが口を滑らせるのを待っているだけかもしれないからだ。トルデリーゼだからこそ、こちらからそれを口にすることは出来ない。

 それを相手も察したのだろう。随分と警戒されているわねと微笑むと、その笑みを少しだけ潜めた。そうしながら、真っ直ぐに目の前のエミリーを見る。


「魔物なのでしょう? カサンドラは」

「――っ!?」

「さっきからボロを出し過ぎよ。おかげで完全に確信を持ったもの」


 そうは言っているものの、その口ぶりは既にそこには辿り着いていた者の発言だ。それに気が付いたエミリーは、警戒するように彼女を見た。そうしながら、聞きたいことがあると述べた。


「凄く失礼なことかもしれないけど、いいかな?」

「ええ」

「……ドラ様を、殺すの?」

「馬鹿にしないで」


 笑みを消した。その質問が来ると分かってはいたのだろう。だが、それでも。彼女は流すような否定ではなく、本気の、怒気を込めた否定をした。それは同じような気持ちを持っていたはずのエミリーが思わず引いてしまうほどで。


「私は、人だろうと魔物だろうと、自分の信頼する相手を切り捨てるような愚かなことはしないわ。……相手が、裏切らない限り」

「……王国にいる魔物は、魔王のスパイも同然だと思うけど」


 血反吐を吐きそうになるのを堪えながら、エミリーはその可能性を告げた。裏切り者に該当しないのか、と問い掛けた。今の言葉をそのまま受け止めれば、カサンドラはトルデリーゼにとって、切り捨てる対象だ。


「ええ、そうね。王国に侵食しているであろう魔物の間者は、どうにかしなくてはいけないわね」

「……」


 だから彼女がそう述べた時、ああやっぱりと思ってしまった。先程の返答とそれは矛盾しているのではないか、などという至極当然の疑問が浮かぶこともなく、目の前の答えに飛び付いてしまった。

 だから。


「それで、それとカサンドラに何の関係があるのかしら?」

「は?」

「この間の襲撃に関わる魔物を片付けることと、カサンドラが魔物であることに関連性を見出だせないわ」

「え? だって、トルデリーゼさん、今」

「エミリーさん」


 にっこり、と。先程とはまた違う笑みを浮かべた。例えるならば、地獄の釜の蓋を開けたような、何か得体のしれない毒が溢れているような。

 腐っテルゼさんの異名を存分に発揮するような、そんな笑みで。


「あなたまさか、私の親友を、というだけで疑ったのでは、ないわよね?」

「え? あ、いや、その」


 エミリーにとって、聖女の記録は魂に刻み込まれたものである。英美里であった証ともいえるデータベースである。だからカサンドラがこの世界で一番大好きであるという感情と、《剣聖の乙女アルカンシェル》でカサンドラが魔王から送り込まれた刺客であるという情報は、そのまま両立しているのだ。

 こちらでは、絶対にそんなはずはない。そういう答えが、前面には出てこなかったのだ。


「――あ、そ、か」

「? エミリーさん?」

「あ、ははははぁ……そっかー……そりゃ、逃げるわ……」


 魔物の自分を魔王の刺客だと思っている聖女の、一体何を信用すればいいと思うのか。ゲーム知識に引っ張られて無意識にないがしろにしてしまった部分を自覚し、エミリーは茫然となった。なんのことはない、至極当たり前のことだった。

 無言で聖剣を取り出す。え、とトルデリーゼが目を瞬かせるその目の前で、彼女はその刃を躊躇いなく首筋に当てた。


「エミリーさん!?」

「死にます。あたしもう生きる価値ないわ」

「落ち着きなさい! そこに至った思考は理解出来たから少し待ちなさい! 早まらないで!」

「いーやーだー! 死なせてよー! あたしがドラ様のストレスの原因なんだよー! あたしが死ねば全て解決なんだよー!」

「そんなわけないでしょう! あなたがいないとこれからの作戦もカサンドラのことも解決しないわよ! いいから落ち着きなさい!」

「うわーん! やぁだぁ! しぃぬぅ! しぃなぁせぇろぉ!」

「死ぬなぁぁ!」


 恐らくトルデリーゼがこの世に生を受けて初の必死の絶叫であった。クリストハルトや彼女の父親など、トルデリーゼを知る者がいたら自分の目かあるいは頭を疑うほどの、そんな光景であった。

 聖女の痴態はどうでもいい。

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