第7話

 アイレンベルク公爵領は王都から馬車で二日ほど掛かる。カサンドラは普段王都にある公爵の別邸で生活しているため自領へ赴くことはあまりないが、だからこそ突然の呼び出しに何か不穏なものを感じ取っていた。

 養父であるアイレンベルク公爵と公爵夫人は年齢こそ初老に差し掛かっているが未だ健在で、表舞台には殆ど顔を出さないものの、歴史ある公爵家ということで発言力も衰えてはいない。あの二人がどうにかなるということは考えにくく、正直に言ってしまえば自分が正体を現し襲いかかっても撃退されるのではないかと思えるほどだ。

 だからカサンドラ姉妹も公爵家の娘となったのは彼らをどうにかする方向ではなく、搦手ではあったものの養女として迎え入れられたという傍から見てもまっとうな手段だ。その手のやり方に弱いのが魔物側としては幸いした。


「……呼び出したのは、父さま達ではないのでしょうね」


 久しぶりの屋敷へ足を踏み入れる。おかえりなさいませと頭を下げる使用人達に、今回のことは聞いているのかと問い掛けた。それを聞いた執事が詳しいことは存じていませんと返し、ただ、と言葉を続けた。


「バーデン様がお見えになっております」

「……分かりました」


 どうやら当たりのようだ。そんなことを思いつつ、カサンドラは件の人物がいる公爵の執務室へと足を進める。ドアをノックし、声を掛け、そうして扉を開け中へと入った。

 そこにいたのは白髪が目立ち始めた初老の男性と、その対面にいる四十代程度の片眼鏡の男。初老の男性の方へ只今戻りました父さまと挨拶を述べたカサンドラは、次いで片眼鏡の男へと目を向けた。


「バーデン様も、お変わりなく」

「いえいえ。カサンドラ様は変わらずお美しい」


 そう言って小さく笑った男――バーデンは、そこで視線を男性へと向けた。それを頷きで返した男性――カサンドラの父であるアイレンベルク公爵マティアスは、顎髭を撫でながら苦笑する。


「すまんな、わざわざ。実はそこのバーデン殿の事業についての相談を受けたのだが」


 これがまたさっぱり分からん。そう言って盛大に笑ったマティアスは、笑い事ではないなと頭を下げた。こうして娘の大事な時間を奪っているのだ、ふざけてはいけない。そんなことを続けながら頭を掻いた。


「いえ、他ならぬ父さまの頼みですもの、わたしは構いません」

「そうか。ははは、立派な娘を持つと親としては誇らしいな」

「……えっと。ちなみに、母さまは」

「ザビーネか? 儂と同じでさっぱりだと笑っておったぞ」


 そうですか、とカサンドラは苦笑する。こんな調子で、領地の管理以外で政治に手を付けるなどという面倒事はしたくないと王宮から一線を退いており、公爵が表舞台に顔を出さない理由だ。もったいぶった理由など何もなく、かえってそれが国王には好意的に映っている。

 だからこそ、娘が王太子の婚約者として選ばれた。だからこそ、魔物はここに『娘』を用意した。


「ふむ。ではカサンドラ様、暫しお知恵を拝借出来ますかな?」

「……はい。わたしでよろしければ」


 事業内容そのものは公爵領を繁栄させるものだ。適当にしているようでマティアスとザビーネの公爵夫妻が領民に負担を強いるものを見逃すはずもない以上、それそのものは問題ないのだろう。

 詳しいことは自身の商会で。そう述べるバーデンに頷いたカサンドラは、マティアスに断りを入れると部屋を後にする。そのまま屋敷を出、用意されていた馬車へと乗り込んだ。

 その道中、バーデンはその口元を三日月に歪める。随分と信用されていますね、と彼女に述べる。


「……何か問題が?」

「いいえ? そうでなくては、我々があなたを公爵へと潜り込ませた意味がない」


 そう言いながら、しかし、と彼は馬車の中にあった書類を手に取った。そこに書いているのは何かしらの報告書のようであるが、そこに大した意味を見出だせない。それも当然、それはあくまで形だけだからだ。実際に見るのは、それを介した魔法。魔物の連絡手段だ。


「随分と、仲が良いのですね」

「何の話です?」

「聖女ですよ。何でも稽古をつけているとか」


 ジロリと目だけを彼女に向ける。その視線を受けてもカサンドラは表情を変えず、特に問題はないでしょうと言葉を紡いだ。別段反論することなく、バーデンはふんと鼻を鳴らす。


「余程の自信が? それとも」

「どちらも違います。剣の聖女は、魔王様が思っているような強大な存在ではありません」

「ほう。魔王様が間違っていると?」

「かつての聖女は驚異だったのでしょう。ですが、今の聖女は」


 言葉を止める。彼女の脳裏に浮かぶのは、笑顔でこちらに話しかけてくるエミリーの姿。純粋に慕ってくれている彼女の姿。名前で呼んでくださいよ、と魔物の自分相手に友人であるかのように接してくる聖女の姿。


「聖女としては、失格でしょう」

「成程。近くで接したからこそ、此度の聖女は失敗作だと、そう結論付けたわけですか」


 ふむ、と頷くバーデンとは別の場所。そこから、突如笑い声が響いた。楽しいから出る笑いとは違う、嘲るような、馬鹿にするような笑いが馬車内に響く。


「何だ何だ? 同じ失敗作同士、共感でもしたか?」


 いつのまにかバーデンの横に一人のメイドが座っていた。その服装をした者らしからぬ下卑た笑みを浮かべたその女性は、おかしくてたまらないとカサンドラを見やる。


「知ってるかバーデン? こいつ、聖女にオトモダチ認定とかされてるんだぜ?」

「ええ。そもそもあなたが送ってきた情報でしょうに」

「そうだったな。まあでも情報と実際に見るのだと滑稽さが大違い! 人に化けた魔物が、よりにもよって聖女に! あーはっはっはー! ほんっと、こいつの従者のフリして監視してるけど、笑いこらえるの大変なんだぜ!」


 そう言ってバンバンとメイドは自身の膝を叩く。そんなメイドを見て苦笑したバーデンは、続きはこちらで話しましょうかと視線を外に向けた。馬車は目的地である商会へと辿り着いており、彼は馬車を降りそちらへ向かう。メイドもそれに続き、最後にカサンドラも外に出た。

 商会の建物の中には人払いがしてあるのか、一人のメイドが立っているのみ。馬車の御者を行っていたもう一人と、先程のメイド、計三人がそこに並んだ。


「さて、では。『事業』の相談を、始めましょう」


 そう言ってバーデンが席につく。机に乗っていた書類をカサンドラに手渡すと、それに目を通すよう述べた。怪訝な表情を浮かべながらそれを見た彼女は、しかし見終わっても別段何か変わることもない。


「これが、何か?」

「おや、知らないのですか? 聖女達が今向かっている依頼ですよ」

「え?」


 もう一度書類に目を通す。そういえばこちらに向かう直前の日に、クリストハルトがそんな話をしていたような。呼び出しに気を取られて、魔物の監視員達からの招集を気にしてしっかりと聞いていなかったことを今更に悔やんだ。

 が、とりえあえずは後だ。それを踏まえ、彼女はもう一度問い掛けた。これは一体何なのか、と。


「実はですね。そこに《シャドウ・サーヴァント》を送り込んでいるのですよ」

「――っ!?」


 《シャドウ・サーヴァント》、ゲーム内では魔物が使役する召喚獣のような扱いで、時にはザコ敵として、時には中ボスとして、そして時にはボスの取り巻きとして中盤から後半にかけてわらわらと出てくる敵モンスターの種別である。設定資料集などの用語解説では、ある程度の能力を持った魔物ならば持っていて当然のスキルの一つで、通常は命令に従うだけの影のみだが高位の魔物になれば自我を持った存在を生み出すことも可能であるとされていた。作り出せる数も魔物の実力によるらしい。

 それを踏まえるとカサンドラが目を見開いた理由も自ずと分かる。目の前の男、バーデンの正体は当然魔物で、当然ながら下位の存在ではない。それが生み出した《シャドウ・サーヴァント》となれば。


「ああ、ご心配なく。私の専用の《シャドウ・サーヴァント》はここにいる二体のみです。送ったのは影と」

「私のだ! ちょっとサプライズな工夫を加えてあるがな」


 そう言って笑うのは馬車に乱入してきたメイド。おかしくてたまらないとばかりに腹を抱えて嗤っていた彼女は、聞きたいかとカサンドラに問い掛ける。別に聞きたくもないし、こんな話をしている暇があればすぐさま向こうに合流したい。そんな本心を口にすれば即座に目の前の連中は自身を始末しようとするだろう。同じ形の、別の存在を代わりに据えて、仕事を再開するだろう。


「……何をしたんです?」

「そーかそーか聞きたいか。見た目と戦闘スタイルをいじったんだ。ボディは女性タイプ、武器はハルバード、髪型は――ツーサイドアップだったか?」


 まるで誰かさんみたいだな。そう言ってメイドは楽しそうに笑う。思わず握り込んだ拳をゆっくりと解きながら、彼女はそれでと続きを促した。

 ここまで聞いても分からないのか、とメイドが彼女を見下す。それに対し、バーデンはそうではないでしょうと苦笑した。


「直接聞きたい、ということですかな」

「……はい」

「だったら最初からそう言えっての。お前がダラダラダラダラやってるから、ちょっと小石を投げてやったのさ。ひょっとして、って連中が思うようにな」

「それに何の意味が? わたしの任務に支障が出るだけでしょう」

「きまぁってんだろぉ? い、や、が、ら、せ」


 明らかな嫌悪を浮かべたカサンドラを、メイドは実に楽しそうに眺めた。お前みたいなやつが何か任務を任されているのが気に入らない、お前みたいなやつの監視役なんかにされているのが気に入らない。だから、邪魔をしてやろう。そう言って笑った。


「あの失敗作の聖女サマなら、きっちり勘違いしてくれるだろうなぁ。王宮戻ったら空気変わってるかもよぉ? 何なら捕まって処刑されちゃったりしてな」

「…………」

「アルメ、言葉が過ぎますよ」

「あ? 何だバーデン、失敗作の味方するのか?」

「そういうことではありません。話が進まないと」

「話なんざもう終わってんだろ? だからこいつは動くなって、これで終わりだろ?」


 やれやれとバーデンが頭を振る。まあそういうわけなので、とカサンドラに述べると、彼は机の上にある別の書類を手に取った。『事業』の相談はここまでだ、ということなのだろう。

 アルメは不満そうな顔を暫しバーデンに向けていたが、まあいいと鼻を鳴らすと再度カサンドラに向き直った。まあ精々怯えていてくれ、と口角を上げた。


「ああ、でも。あれだな。私とバーデンの《シャドウ・サーヴァント》がいるとなると、そんな心配する前にやられて死んじまうかもな」

「……そうだと、いいですね」

「あ?」


 一周回って冷静になった、とでも言えばいいのだろうか。あるいは、アルメのその言葉になにか思うことがあったのか。無表情のカサンドラは、彼女にそれだけをいうと歩みを進めた。バーデンへと距離を詰めた。


「『事業』の相談は、終わっていません」

「……ほう?」

「何故なら、今のままならば、その『事業』は失敗に終わるからです」

「はぁ? 何だぁ、てめぇ――」

「ですから。……わたしが、改善案を提示します」


 アルメの方を一切見ることなく。カサンドラはバーデンを真っ直ぐ見て、そう言い切った。それが気に食わないのか、約一名は大声でまくし立てているが、バーデンもカサンドラも反応しない。彼は視線で話の続きを促し、彼女はそれに頷くのみだ。


「自作自演をします」

「と、いうと?」

「件の《シャドウ・サーヴァント》の撃退をわたしが手助けして、向こうの信頼を得る」

「はっ! 却下だ却下。くだらねぇ」

「アルメ」

「なんだバーデン、まさかこの提案飲むつもりじゃないだろうな。こいつは私らの《シャドウ・サーヴァント》に聖女サマや王子サマがぶっ殺されるのを嫌がってるだけだぞ?」

「まさか」


 アルメの言葉にカサンドラはクスクスと笑う。そうしながら、監視役のくせにそんな事も知らないのかと言葉を続けた。


「わたしの監視役も変更した方がいいのかもしれませんね」

「言うに事欠いてそれか。あんまり調子に乗るなよ失敗作」

「……確かにわたしは魔物として失敗作でしょう。けれど」


 ひゅん、と手刀をのアルメ喉元へ突き付ける。反応出来ずに動きを止めてしまった彼女に向かい、カサンドラは小さく笑みを浮かべた。普段の彼女では決してしないような、どこか見下すような微笑みを浮かべた。


「少なくとも階位レベルは、わたしの方が上ですよ?」

「ふ、っざけ――」

「そこまでにしなさい」


 パンパンと手を叩き空気を霧散させる。バーデンは小さく溜息を吐きながら、分かりましたと頷いた。


「おいバーデン!」

「彼女の言葉も一理ある。そう思っただけです。私としても、その策を自ら進んでやってくれるのならば文句もありませんし」


 例え方便だとしても、このやり取りは彼女の中に確実に残る。向こうへ靡くのを踏みとどまらせる重しとなる。アルメには悪いが、嫌がらせとしては恐らくこちらの方が効果的だ。

 後でそう宥めておくかと思いながら、彼は彼女の提案を飲んだ。分かりましたと頷いた。


「ただし、言うからにはきちんと信頼を勝ち取ってもらわないと困りますよ。偽りの、信頼を」

「……分かっています」


 そう言うとカサンドラは踵を返す。今から馬車なりなんなりで移動しては間に合わない。外の庭を使いますと告げ、彼女はそのまま建物から出ていった。


「移動魔法陣か? は、やっぱりただ助けたいだけだろ」

「でしょうね。……まあ、それでもいいんですよ」

「おいおい、お前ひょっとして絆されたのか?」

「まさか。私はあくまで、効果的にこの国を混乱させる手段を考えているだけです」


 さしあたっては、これだ。先程手にしていた書類を再度掴むと、そこの署名部分に己のサインを書き加えた。例の件の準備が整った、という書類を完成させた。


「どちらにせよ。彼女は……処分するべきでしょうね」

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