第3話

 エミリーを見た第一印象は、思ったよりも活発な人なのだな、ということである。聖女というくらいなのでもっと大人しい雰囲気の少女を予想していたカサンドラは、満面の笑みでこちらに挨拶をする彼女を見て少しだけ気圧された。


「カサンドラ・アイレンベルクと申します。こちらこそ。よろしくお願いします、聖女様」

「はい! あ、えっと、その……で、出来れば、出来ればでいいので、聖女様っていうのは、やめていただけないでしょうか」

「え?」

「あー、いや! ダメならいいんです! ド、じゃない、カサンドラ様のお好きなように呼んでくださって結構なんです! ただ、その、聖女ってのは所詮肩書なんで、あたし自身の呼び名じゃないっていうか……。い、いや違いますよ!? そんな下心とかあるわけないじゃないですかーあはは」


 元気な人だ、とカサンドラは思う。何も飾ることのない真っ直ぐな心、そんなものを感じ取り、聖女たる所以に納得をした。眩しい、と少しだけ目を細めた。

 勿論欲望に忠実なだけである。エミリーの中ではどうにかしてカサンドラに名前で呼んでもらえるように必死で説得するため文言を考える、ただそれだけしか脳を使っていない。


「聖女殿」

「は、はぃ!?」


 ぽん、と肩に手が置かれる。それによって我に返ったエミリーは、背後でクリストハルトが殺気を撒き散らしているのにようやく気付いた。お前何してくれてんだ、愛しい愛しい婚約者怖がらせてんじゃねぇぞ。大体そんな感じの殺気である。

 こほん、と咳払いを一つ。今更取り繕ってももう遅いんじゃないかと思わないでもなかったが、とりあえず欲望全開は引かれるので自重することにした。


「殿下に頼んだんです。カサンドラ様と、お話がしたいって」

「わたしと、ですか?」

「はいっ! 召喚されてからずっと、ずーっと話したかったんです!」


 自重とはなんだったのか。完全にただのファンである。クリストハルトがここに同席していなかったら、そのままの勢いで間違いなく握手とサインを求めていた。やったらエミリーの死亡フラグが立つ。


「そんな、わたしと話しても、そんなに楽しいことはありませんよ?」

「そんなことないです!」


 食い気味に否定する。カサンドラと一緒の空間にいて楽しくなければ、エミリーにとってこの世界で楽しいことなど存在しない。同率一位がカサンドラとクリストハルトがラブラブしているのを見ることであるので、結局この空間が楽しくなければ彼女の楽しみはゼロだ。


「……まあ、とりあえず紅茶でも飲んだらどうだ?」


 現在の場所はクリストハルトの執務室。ここへ二人を呼んだ張本人である彼は、メイドに飲み物と菓子を用意させると下がらせた。出来るだけ部屋にいる人間を減らしておかないと、エミリーが暴走した時に誤魔化せないからだ。庭園やサロンのような人が出入りする場所を選ばず自身の部屋を選んだのもそのためだ。

 大丈夫なんだろうな、とエミリーを睨む。その視線に気付いたのか、任せろと言わんばかりに口角を上げた。


「……」


 遠慮のない関係というのだろうか。そんな感想をカサンドラは抱く。別に鈍いわけでもない彼女は、二人のそのやり取りに気付いたのだ。そして、自分ではそんなことは出来ない、と一人心を沈ませた。


「お二人は、仲がよろしいのですか?」

「へ?」


 そうして暫し談笑をしていた最中、カサンドラはそんな言葉を零した。召喚されてから彼女と一番長く接しているのはクリストハルトだろう。だが、そんな短時間でそこまでの信頼関係を築けているのは少し不自然で。もしそうならば、それは信頼というより。

 そんなことを考えての、思わず呟いてしまった一言だったのだが。


「私はカサンドラ以上に親密な女性などいない」

「――っ!?」


 突如クリストハルトが愛をぶっちゃけた。え、と思わず彼を見るが、ふざけた様子は欠片もなく、真っ直ぐにカサンドラを見詰めている。その瞳に彼女は吸い込まれるようで、目を逸らすことは出来ない。そのまま二人の距離は段々と近付いていって、そして。

 そんなわけなので、リアルクリドラを拝見したエミリーが彼女の視界の外で昇天しかかっているのには気付けなかった。


「それで。どうしてそんなことを?」

「……い、いえ。その。お二人のやり取りに遠慮をあまり感じなかったので」

「…………あー」


 一通り済ませ、距離を離した彼の問いかけに真っ赤になったカサンドラが返す。そしてそれを聞いたクリストハルトは何とも言いづらい、しかし非常に嫌そうな顔をした。が、それも一瞬。彼女の疑問は彼の思っているそれは違うと気付いたのだ。そうなると今度は満面の笑みである。

 つまり、カサンドラは。先程の言葉と合わせ、エミリーに。


「妬いてくれていた、ということでいいのかな?」

「え? あ……その、それは、ええと……」


 彼の言葉を聞いて、カサンドラの顔が更に赤くなる。ぼん、と音がせんばかりのそれを見て、クリストハルトは可愛いと熱を帯びた頬に手を伸ばした。


「そうだな……最近元気がなかった理由の一つがそれだとするならば……」

「それは」


 違う。そう言いたいが、言えない。ならばどんな理由なのか、を口に出来ないのが一つ。違わない、というのがもう一つ。ああそうだ、自身の正体だとか、とうに捨てている使命だとか。勿論それは常に纏わり付いてはいるが、そんなものは今更で。

 ただ単に、彼が最近聖女にかかりきりだったことが、寂しかった。普段よりも気にかけてくれているのはご機嫌取りで本命は違うのだろう。なんて町娘のような邪推をしてしまう程度には、カサンドラも嫉妬していたのだ。


「断言しよう。私は君を――いや、俺はお前を、カサンドラを世界で一番、愛している」

「でんか!?」

「寂しい思いをさせてすまなかった。これからは、今まで以上に最優先をカサンドラにするから、だから」

「で、でんか……その、聖女様が、いる、のに……」


 既にクリストハルトは彼女の腰に手を添え抱き寄せている。これからどうするのか、といえば勿論、場合によっては行き着くところまで行くやつなわけで。王族が真っ昼間から何やってんだと言われれば正論過ぎて反論出来ない。

 暴走したのはクリストハルトの方であった。が、王宮の面々としては彼がカサンドラにべた惚れなのは割と周知の事実なので今更といえば今更である。


「見せ付けてやればいいだろう?」

「よ、よくないです……駄目、です……」


 真っ赤な顔で、少し涙目でそんなことを言われた、それで冷静になれるか、いや、ない。というわけでクリストハルトは更に強く彼女を抱きしめ、その唇に自身の唇をそっと重ねる。小鳥のついばみのようなそれを幾度となく繰り返し、たっぷり時間を掛けて味わってからようやく彼は彼女を開放した。


「駄目、って……言った、のに……」

「すまないな。カサンドラがあまりにも可愛くて、つい」

「つい、じゃ、ありませんよぉ……」


 真っ赤になった顔を両手で覆いながら、蚊の鳴くような声でカサンドラがそう述べる。その仕草に再度クリストハルトの中で何が浮き上がってきたが、いかんいかんと振って散らした。


「そ、それに……聖女様もいるのに、あんな」

「聖女? あ」

「――え?」


 ちらりと視線をエミリーに移す。そして二人揃って言葉を止めた。


「てぇてぇよぉ……クリドラ、てぇてぇ……」


 そこには、謎のうめき声を上げながら鼻血をダラダラと流す聖女の姿があった。とてもいい笑顔であり、物凄く満足そうであったのは言うまでもない。






 ファーストコンタクトは大失敗と言っても過言ではなかっただろう。が、クリストハルトの暴走のおかげで向こうも大分恥ずかしい思いをしていた。これは五分五分、引き分けではないだろうか。とりあえず前向きに考えてそこまで持ち直したエミリーは、まだ行けるとカサンドラとの交流を続けた。当たり前のようにその場にはクリストハルトがついてきており、余計な真似したらぶっ殺すという目で常に彼女を監視している。

 エミリーとしては、クリストハルトとカサンドラが一緒にいてくれればそれだけでご飯が三杯いけるので、その状況には何の文句も抱かなかった。


「……どうしても」

「はい?」

「殿下と聖女様の仲を、疑ってしまうわたしがいます」


 眉尻を下げ、はぁ、と切なげに溜息を零す。嫌な女だ、とカサンドラは自嘲気味に呟いた。違うと何度を言われているのに、信じているはずなのに、そんな黒い感情が湧き上がってくる。それは自分が魔物だからなのか、それとも。どちらにせよ、王太子の婚約者としては不適格ではないのか。そんな思いが頭をもたげる。


「わたしと殿下の間には、そこまであけすけにお互いのことを言えません。それは紛れもない信頼の証ではないでしょうか」

「絶対に違う」


 クリストハルトが思わず口を出す。それを聞いていたエミリーは、うんうんと頷きながら口角を上げた。今のは違うの? と彼女に問うた。


「気遣いとかじゃなかったですよ今の王子の言葉って。あたし的には二人の方がよっぽど信頼しきってる感じしますけどね」

「そうでしょうか……?」

「そうですそうです。……あ、じゃあこの際だから一歩踏み出しましょう」


 一歩踏み出すとはどういうことか。エミリーの言葉を聞いて首を傾げたカサンドラは、その仕草を視界に入れたことで鼻を押さえて深呼吸している彼女の次の言葉を待った。危ない危ないと鼻の下を擦っているエミリーの発言を待ち構えた。


「殿下呼びを変えましょう」

「……え?」

「カサンドラ様って王子を呼ぶ時殿下じゃないですか。一歩踏み出して、名前で、名前で! 呼びましょうよー」


 ずずいと迫る。そんな彼女に少し引き気味になったカサンドラであったが、しかしその提案を咀嚼し終えた途端に顔を真っ赤にして俯いた。そんな恥ずかしいことは無理だ、と手をわたわたさせた。


「恥ずかしがってるドラ様可愛いなぁ……じゃなくて。大丈夫ですよカサンドラ様、いっそ愛称とかそういう系でも全然問題ないです」

「わたしが、大丈夫ではありません……」

「うーむ……。あ、ちなみに王子はどうなんです? カサンドラ様から、名前呼びとか愛称で呼んでもらいたいですか?」


 ちらりと視線を動かす。そこには何故か天井を見上げながら何かを考え込むクリストハルトの姿があった。エミリーには見覚えがある。小学校の頃授業中に鼻血出した男子生徒がやっていたやつだ。


「滅茶苦茶呼んで欲しそうですね」

「……私が強要するものではない」

「その格好で言っても何も締まらないですから」


 やれやれ、と呆れたように肩を竦める。間違いなくお前が言うなというやつであったが、生憎それを指摘出来る者がこの空間にいない。クリストハルトにしろ、エミリーにしろ、結局は同じ穴のムジナなのである。

 それはさておき。とりあえず彼は嫌ではない、というかばっちこいだということが分かった。ニシシと口角を上げたエミリーは、カサンドラへと視線を向け、さあどうぞと言わんばかりに手を掲げる。


「え? あ、そ、その……」


 おずおずと隣にいるクリストハルトを見た。何かを取り繕おうとしているのか、しきりに深呼吸をしている彼の姿は正直間抜けであったが、カサンドラにはそう映らない。というよりも、急なその提案であまり細かいところに気が付かなくなっていた。顔は赤いまま、漫画か何かならば目がグルグルになっていたことであろう。

 それでも何かを決めたのか、彼女も同じように深呼吸を一つ。しっかりと隣を見詰め、そして、ゆっくりと口を開いた。


「く、く……クリス、ト、ハルト、さま」

「……」

「だ、駄目です。やはりわたしはそんな」


 無反応なクリストハルトを見たのとは関係なく、やっぱり恥ずかしいと両手で顔を覆うカサンドラであったが、そこにちょっと待ったと声がかかる。一部始終を見ていた少女が彼女の名を呼ぶ。


「聖女様? 何か、あったのですか?」

「いや、何かというかですねー……その、王子が」

「殿下が?」


 何とも言えない表情で、しかしどことなくほっこりした顔でエミリーがクリストハルトを指差した。それに導かれるように視線を動かしていくと、何か宝物でも噛み締めたような、財宝を前にしたような。そんな、満足げな表情で動かなくなっている王太子が。


「で、殿下!?」

「いい感じにクリティカルしたんだろうなぁ……。あ、カサンドラ様、殿下呼びに戻ってますよー。ほらほら」

「え!? つ、続けるのですか!?」

「そりゃ、その方が王子も満足しますし」

「う、ううぅ……」


 先程からカサンドラの顔の火照りが取れたタイミングが無い。このまま羞恥で死ぬのではないか、そんなことを割と真面目に考え始めるほどである。

 だがまあどうせそのうち死ぬのだ、これで散った方が納得出来るかもしれない。この空間に当てられたのか、彼女もおかしな結論を出し、分かりましたと息を吸った。先程と同じように気合を入れた。


「クリストハルトさま、大丈夫ですか?」

「――っ!?」

「あ、なんかすっごい悶えてる」


 連続クリティカルが発生した。持ち直す前に追加を食らったことで、クリストハルトは何かがぷつりと切れたらしい。そのままカサンドラ抱きしめると、好きだ、愛していると壊れた音声機械のように繰り返し、そして。


「――世継ぎの準備に熱心なのはいいのだけれど、もう少し時間を考えたらどうかしらね?」


 現れた乱入者のそんな言葉を聞いて、ピシリと氷の彫像のように固まった。


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