ふじの湯へようこそ。三助とペンキ絵師の日常。

@yoll

ふじの湯と三助と

 小さな町の駅前のすっかり寂れたアーケード街を抜けた先に、ふじの湯という銭湯がある。昔ながらのその銭湯の番台にはいつでもすっかりと背中が丸くなった割烹着姿の菊さんが気持ちよさそうに寝息を立てながら座っている。多分、ここふじの湯を訪れる客は菊さんが起きている姿を見たことは無いだろう。かく言う俺も菊さんと言葉を交わすのは店を閉める挨拶の時くらいだ。いつの間にか番台に座っていて、いつの間にか帰っている菊さんはこのふじの湯の七不思議のひとつに数えられている。


 まぁそれも俺がこのふじの湯の鍵を受け取ってからだ。まがいなりにも後継者が出来た安心感からくるものだとだと思うのは少し自惚れているだろうか。元気なころの菊さんを知っている身からすると少し老み過ぎな気がするが、お年を考えると仕方ないとも言えるだろう。……詳しいお年は知らないけども、多分後期高齢者枠には入っていそうだよなぁ。


 あぁ、三助という仕事を知っているだろうか?今の俺の職業だ。自慢できることなんて何もない俺が、ただ一つ誇ることが出来る生き方。


 大昔には割とメジャーな職業だったらしいが、今では絶滅寸前だ。いや、もしかすると日本に残っている三助は俺だけなのかもしれない。何処かで三助が残っているかもしれないが、残念なことにその噂を聞いたことは無かった。


 話を戻そう。大まかに言って三助という職業とは銭湯の開店から閉店までの業務全般、つまり釜炊きやその後の湯温の調整や番頭の仕事を行いながら、「流し」を頼んできたお客様の背中を文字通りに「流す」。勿論、女湯にも呼ばれれば行くことになる。


 言葉だけを聞いていれば、女湯に入れるだなんてと羨ましく思う人もいるだろうがなんてことはない。小さな町の小さな銭湯にやって来るのは決まって「ご婦人」と相場が決まっている。それも俺がガキの頃から母親に連れられて女湯に入っていたころからの顔なじみばかりだ。そもそもの話になるが、「あわよくば」なんて気持ちを持っているうちには三助を名乗ることなんて出来ない訳でもあるけれど。


 まぁ、興味が湧いた人は三助という職業を調べてくれたらいいと思う。そして、ふと銭湯って良いな、って思ってくれれば三助冥利に尽きる。


 そんな絶滅寸前の三助が、銭湯の壁専門に絵を描くペンキ絵師というこれまた絶滅寸前な職業に誇りを持った奴との話をしようと思う。

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