[5] 帝都陥落

 総統地下壕の状況は混乱を極めていた。女性秘書らスタッフは出発準備をして集まるよう通告された。ボルマンとモーンケは小人数のグループに分散して、ベルリンからの脱出を試みようとしていた。ヴァイトリンクはソ連軍の包囲を突破してベルリンから北西に脱出するよう命令を出したが、「夜半に停戦が発効するだろう」と言った。

 終末がごく身近に迫ったと感じた者たちはヒトラーの後を追った。停戦に失敗して絶望したクレープスは拳銃で自害した。ゲッベルスが家族と共に服毒自殺した。ヒトラー夫妻の遺体が埋められた炸裂孔から数メートル離れた場所に遺体が安置された。ゲッベルスの副官が遺体に缶のガソリンを振り撒いて、第三帝国最後の火葬の燃料に火を付けた。

 午後9時30分、ハンブルク放送局が「まもなく重大発表がある」とドイツ国民に布告した。ワーグナーとブルックナーの楽曲が流れた後、デーニッツ海軍元帥が国民に呼びかけた。ヒトラーが「全軍の先頭に立って」戦いつつ斃れたと述べ、自分が後継者になったと発表した。ベルリンでは電力が不足していたため、このニュースを聞いた人はほとんどいなかった。

 予定よりも2時間も遅れた午後11時頃、モーンケ率いる最初のグループが総統官邸を出発した。突破隊はヴァイデンダマー橋でシュプレー河を渡る予定だった。脱出の噂が広まって数百人のSS、国防軍兵士、一般市民が集まった。第1白ロシア正面軍がこの群衆を見逃すはずもなかった。夜半を回った直後、Ⅵ号戦車「ティーガー」1両に先導されて集団突破の試みが行われた。「ティーガー」は橋の北側の阻止線を何とか突破したが、その先で激しい砲火にさらされた。多くの民間人と兵士が脱出を阻止するソ連軍になぎ倒され、その中にナチ党最高幹部の1人だったボルマンも含まれる。

 5月2日を迎えた夜半、チュイコフは叩き起こされた。赤軍通信隊が停戦を求めて繰り返し発信されている第56装甲軍団からの電文を傍受した。軍使が白旗を掲げてポツダマー橋に向かうという。第56装甲軍団参謀長ドウフィンク大佐が第8親衛軍司令部に出向き、改めてベルリン守備隊の降伏を申し出た。ヴァイトリンクと幕僚たちは午前6時に降伏し、第8親衛軍の前線指揮所でベルリン市内に立てこもる兵士に向けた命令書を起草した。

「1945年4月30日、総統は自殺を遂げ、彼に忠誠を誓ったその全ての者は、今やその誓から解放された。ドイツ将兵諸君は、総統の命令を忠実に守り、弾薬尽き果てて、これ以上の抵抗は無意味とすら思える状況の中で、なおも勇敢に戦いを続けてきた。私はここに、全ての抵抗を即時放棄することを命令する」

 ヴァイトリンクは自らこの声明を読み上げてテープに吹き込んだ。ラウドスピーカーを搭載したソ連軍の街宣車がこのテープを流しながら市内を巡回して、生き残った兵士に投降を呼びかけた。民間人は死んだ兵士たちの顔に新聞紙や軍服を被せた。負傷者は毛布に包んで路上に寝かされて、ドイツ赤十字の看護婦や女子青年団員らが看護に当たった。どの方角を見ても、廃墟から立ち昇る煙が相変わらず空を覆っていた。まもなくあちこちの家屋や地下室、地下鉄トンネルから白旗を掲げた国防軍兵士、SS、ヒトラー・ユーゲント、国民突撃隊が煤煙や髭で真っ黒な顔で現れた。ソ連兵が「手を挙げろヘンデ・ホッホ!」と怒鳴ると、武器を投げ捨て両手を上に挙げた。

 捕虜収容所送りにならぬように、部下全員の復員証明書にサインしたドイツ軍将校の努力は虚しかった。消防士や鉄道員を含めてあらゆる種類の制服を着ている者は一網打尽にされ、捕虜として東方に向かう最初の縦列に加えられた。従軍記者のグロスマンはベルリンを訪れ、辺り一面の破壊について次のように記している。

「感慨は尽きない。火と煙、煙、煙。膨大な戦時捕虜の群れ。悲劇に満ちた顔。そして多くの顔に見られる悲哀は個人の苦しみのみならず、破壊された国の市民の苦しみをも語る」

 この日遅くなって砲撃が止んだ時、グロスマンは初めて「この勝利の絶大な意義」を感じることができるようになった。赤軍兵士が「のっぽの女」と綽名を付けていたティーアガルテンの戦勝記念柱ジーゲスゾイレの周りに集まった。

「戦車は本来の形が見えない程たくさんの花や赤旗で飾られ、大砲の砲口も花がいっぱいで、春の樹木のよう。誰もが踊り、歌い、笑っている。色とりどりの信号弾が何百発も空中に打ち上げられ、皆が短機関銃や小銃、ピストルを一斉にぶっ放す」

 ベルリンの戦いは終わった。

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