第9話:「アントワネット」を再度護衛せよ


***



 ──1月9日。

 日本。東京都港区。


 鳴り響くサイレンの中、カルロヌ・ゴーンの娘キャロル・ジャネットが滞在するホテルを目指す、セキュリティー・プリンス社の車両があった。

 彼らは昼の首都高のド真ん中で、激しいカーチェイスを繰り広げていたのだった。


 先頭で追跡している警視庁の覆面緊急車両には、中島と長谷川が乗り込んでいた。


「何でこうなっちゃったんですかね……っ!」

「カーチェイスは見る方が楽しいよな……ッ」


 ぼやく2人を余所に、運転席の巡査が急ハンドルを切った。


「もう少し安全運転ってものを……」


 長谷川は不平を漏らした。


「──そんなこと言われたって……」


 巡査が身を屈めるのを見て、助手席の中島と後部座席の長谷川も頭を下げた。

 緊急車両のすぐ脇で、激しい爆音と煙が上がった。後方車両が1台、黒焦げになって吹き飛んだ


「対戦車ロケット弾……?!」


 長谷川は青ざめた顔で後ろに振り返った。


「昭和の刑事ドラマかよ!!」


 中島は揺れる車内で吐き気を堪えながら、不快なタイヤの摩耗音に堪えながら、逃走車両を睨み付けた。


 開け放たれた後部扉から、ロケット砲の先端が覗いていた。


「ちっ……仕方ねぇ……!!」


 中島は緊急車両の横から上体を乗り出すと、拳銃を構えた。


「中島さん、正気ですか!?」

「俺はいつだって正気だ!!」


 中島は拳銃を連射した。

 そのうち1発がロケット弾の射手に、2発が逃走車両の後輪を潰した。


「よし……、このまま真横について、押し潰せっ!」

「馬鹿言わないでくださいよ、そんな危険行為……」


「馬鹿はお前だ! もしここで止められなかったら、先のバリケードであいつらは蜂の巣にされるんだぞ! そしたら検挙できなくなっちまうだろうがっ!」

「はぃ……!」


 巡査は腹を括ると、アクセルを踏み込んだ。

 後輪がひしゃげた逃走車両は左右に蛇行し、速度が落ちていた。緊急車両は左端に寄ってから、一気に車間を詰めた。


 激しい火花と金属音を立てた末、逃走車両は緊急車両と高速道路の側壁に挟まれ、動きを止めた。後続車両が回り込み、警視庁のSAT他、銃火器を構えた警官隊によって逃走車両は包囲された。


 長谷川と巡査は、緊急車両から降りようとした。


「中島さん、危ないですよ!」

「……俺はここに残る。あいつらを説得して、逮捕する義務がある」


「はっ!? それは、外にいる人達の仕事ですよ。早く離れないと危険です!」

「うるせえ。珍しく、俺が警官らしい仕事をしようとしてるんだ。止めるなよ」


 中島は二枚の割れた窓越しに、逃走車両の搭乗者と向かい合った。

 中東系の男は、手榴弾のピンを抜いて握り締めていた。彼が指を離したら、仲間や中島を巻き込んで爆発、大炎上する危機的な状況だった。


「馬鹿な真似はよせ。……日本語は……分からないか。英語ならどうだ。……Freeze.」


「……長谷川さん。中島さんってああ言う人なんですか?」


 巡査が聞いた。


「まぁ、変人揃いの公安で変人呼ばわりされている人ですから……そりゃ変人なんでしょうけど……。妙にエリートっぽくないところはありますよ」


 長谷川は、拳銃に指をかけながら答えた。


「──良いか、落ち着け……relaxだ……。俺は、お前達を殺しはしない。……ほらな」


 中島は男の前に自分の拳銃を掲げると、弾倉を抜いて見せた。

 実際のところ、そもそも中島の拳銃に弾は残っていなかった。

 弾倉を抜いて見せるのは、相手を安心させる演技だったのだ。


「さぁ、馬鹿な真似はよしてくれ。今、爆処理を呼ぶ……ぁー……」


 中島は、脳内の薄い単語帳を必死で探した。

 何か、彼らをなだめる言葉はないか。懸命に考えた。


 長谷川と巡査は車を離れると、包囲しているSATに手榴弾の存在を報告した。速やかに爆弾処理班が呼び出された。


「──……ry」

「? 何だ」


 手榴弾を握り締めた男は、ゆっくりと口を動かした。


「Sorry……!」

「ちっ……!」


 男は指を緩めた。

 中島は緊急車両から飛び出すと、頭を庇い、なるべく遠くの地面に転がった。


 3秒後。

 2台の車は諸共吹き飛んだ。火炎を吹き上げ、タイヤと破片、ガソリンの匂いを撒き散らしながら、高速道路の側壁を粉砕した。


「……っ」


 中島は自分の無事を確認すると、骨組みだけになった車両の方を見た。


「……中島さん」

「……」


 長谷川に付き添われ、中島はその場を離れた。





 同日。

 関西国際空港で逮捕された武装集団の1人──レバノン国籍、ベッカー・ファランジ容疑者──の取り調べが行なわれた。


 ベッカーの証言によると、日本に残っていた武装集団や、ゴーンの脱出に関わったパイロットの多くは、セキュリティー・プリンス社に脅迫されていたということだった。

 彼らは親類や恋人を人質に取られ、嫌々ダグラス・テイラーの指示に従っていたというのだ。監視役として、ダグラス・テイラーの息子ピクシス・テイラーが彼らに張り付いていた。彼も、今回のカーチェイスで爆死したという。

 今のところ、ベッカーの証言を確かめる術はないが、彼自身、セキュリティー・プリンス社から、祖父母の殺害をほのめかされているということだった。


 もし証言が事実であれば、司法取引で減刑の上、日本での執行を見送って国外退去処分にする。取調官からそう聞かされたとき、ベッカーは涙を流した。

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