再会と別れ

 竜は人の子と別れてからというもの、森の奥で日がな太陽の光を浴びたり、木の実や獣を食べたり、時折大きな湖の中に潜ったりと気ままに過ごしていました。

 彼が居るだけで、森に他の魔物などはやってこようとしません。

 森はいつも通り平穏に包まれていました。


 それから十五年が過ぎた頃でしょうか。

 森と草原の境界の辺りが何やら騒がしくなってきたのです。

 獣たちが森の奥へと逃げ込み、森の木は根こそぎ倒され、草が踏みつけられています。

 居心地の良い空間がどんどん消えていきます。

 竜はこれはおかしいと様子を伺う為に空に飛び立ちました。

 すると、地上から弓矢が飛んでくるではありませんか。


「これは一体何事だ?」


 竜は更に地上へと降りていくと、下には人間の軍勢が居ました。

 随分と兵士を引き連れています。

 彼らはどうやら森へと侵攻しようとしているようです。

 最近は人間の活動が活発になって来たと他の竜から聞いてはいましたが、これほど荒々しい集団は竜は久しぶりに見ました。

 森の外がいくら騒がしくなっても竜は我関せずを貫こうとしていましたが、縄張りを侵すなら話は別です。

 竜は軍勢の前に立ち塞がりました。


「これより先は我が領域だ。それを知っての狼藉だろうな?」


 軍勢の中から首領と思しき人物が前に出ます。


「現れたな、人に仇成す悪しき竜め」


 竜はそれを聞いてきょとんとしてしまいます。


「俺が悪しき竜だと?」


 争いを嫌い、騒がしい所を離れて静かな森の中で暮らしていただけなのに、どこでどう話がねじ曲がって伝わったのでしょうか。

 噂とは恐ろしい物です。

 姿形が恐ろしく見えるだけで邪悪に違いないと妄想を抱いてしまうのは、か弱き者特有の性質なのでしょう。

 竜は大笑いしてしまいました。

 天にも届かんばかりの笑い声は空に響き渡り、大地を震えさせました。

 笑い声だけで人間の兵士たちは恐怖を骨の髄まで感じたのでしょう。

 大半の兵士たちはその場から逃げてしまいました。


「何という臆病者たちばかりめ!!」


 首領は流石に逃げ出しませんでしたが、それでも足が震えています。

 必死で恐怖を抑え込んでいるのだと思うと、竜は微笑ましくなりました。


「か弱き者よ。仲間はほとんど逃げてしまったが、お前はどうするのかな?」

「やかましい!」

「竜を倒そうと目論むならば、もっと胆力のある者を連れてくるのだな」


 首領は腰の剣を抜き、勇ましく竜へと向かっていきます。

 しかし蛮勇にすら程遠い、やぶれかぶれの突撃。

 竜は爪先で首領を足蹴にしました。

 それだけで首領は吹っ飛び、遥か彼方へと消えていきました。


「こけ脅しの集団だったか。それにしても人間もやたらと数を増やしたものよな」


 竜がため息を吐いて森の中へ戻ろうとしたその時、一人の若者が竜の前に立ちふさがります。

 

「おや、まだ居たのか……?」


 竜はその若者を見て目を見開きました。

 若者の装備は長剣に盾、革鎧と言った一般的な兵士の物ですが、彼の瞳の色と首に提げているネックレスに目を奪われたのです。

 純金よりも純粋に光り輝く金色こんじきの瞳。

 森の竜と同じ瞳の色です。

 首に提げられたネックレスは竜の鱗を素材にした風変わりなもの。

 若者は竜に向かって声を上げます。


「森の竜よ! 我が名はヴィーダル! お前を倒す者の名だ!」


 剣の切っ先を竜に向け、若者は勇ましい様を見せます。

 竜は困惑していました。

 目の前にいる若者が、自らの血を与えて育てた人の子であるのは間違いありません。

 二度と会う事はないだろうと思っていた所で、こんな再会をしようとは。

 人の子は成長が速いと聞いていましたが、ここまで大きくなる姿を見れるとは。


「ヴィーダルか。覚えておこう」

「竜よ、お前に名はないのか?」

「我らに名など存在せぬ。名づけが必要なほど数もおらぬし、何処に棲んでいるかだけで大抵は区別がつく」

「そうなのか。しかし、僕に倒される竜として名が無くとも歴史には残るだろう」


 竜は複雑な気持ちを抱きました。

 あれほど小さくか弱き赤子だったのに、ここまで成長して自分の前に姿を現したのはまさに運命の巡り合わせでしょう。

 しかし成長した若者は、自分を倒そうと剣を向けているのです。


「本気で俺を倒すつもりか?」

「無論。そうでなければここまで来ないさ」

「他の人間どもの無様な姿を見てもか?」

「それは彼らが弱かっただけの話だよ。僕は彼らとは違う」

「ほう、言うではないか」


 それならば、と竜は息を大きく吸い込みます。

 胸いっぱいに息を吸い込み、圧力を掛けて吐き出しました。

 台風のように吹き荒れる強烈な竜の吐息です。森の木々を根こそぎ吹き飛ばすような風に抗えるのは同じ竜くらいのものでしょう。

 しかしヴィーダルは突風をものともせず、長剣を一振りします。

 すると剣から同じような突風が発生し、相殺されて吹き荒れる突風は消えました。


「これは……」


 再度、竜は目を見開きます。

 やはりこの若者は、自分の血を飲んだ事によって竜の力を受け継いでいるのです。


「この通り、僕には神から授けられた特別な力がある。竜にだって勝てるさ」


 その力は森の竜に由来するものなのですが、若者は知る由もありません。

 ヴィーダルは意気揚々と剣を構えています。

 若者特有の向こう見ずな、蛮勇と言っても良い態度。

 誰であろうと自分の敵ではない、と言う全能感が彼にはありました。

 本気で竜に勝てると思っています。


「ならば俺を退けてみるがいい。人の子よ」


 縄張りを侵される以上、竜も退くわけにはいきません。

 大きく翼を広げ、上半身を起こして立ち上がります。

 体を大きく見せる事で威圧感を前面に出します。

 ヴィーダルは気づかぬうちに後方に下がっています。


「どうした! 俺を倒すのだろう! 下がるんじゃない!」


 言われて気づいたのか、ヴィーダルは少し顔を歪めて突進します。

 それに合わせて竜は前腕を振り下ろしますが、ヴィーダルは前転で躱し、駆け抜けて後脚に向かって剣を突き立てます。

 普通なら竜の鱗を貫くなど不可能なのですが、彼の持つ力なのか鱗を傷つけます。


「ぬうっ」

 

 竜もそのままやられるわけにはいきません。

 広げた翼を羽ばたかせ、無数の風の刃を発生させます。

 風の刃がヴィーダルに襲い掛かりますが、それが見えているのかジグザグに動いて刃を避けながら向かってきます。

 躱しきれなかった刃が体を斬り裂きますが、彼は意に介しません。

 しかし、竜と人間の体格差は何倍もあります。

 どうやって地面についている下半身以外に攻撃を届かせるのか。

 ヴィーダルは一瞬屈んだかと思うと、ばねを利かせて跳躍してきました。

 驚くべきことに竜の頭付近まで跳んでいます。

 彼は一点のみを狙っていました。

 

「喰らえっ!」


 竜の弱点と言われる逆鱗です。

 勿論竜も弱点は承知しており、即座に咆哮を繰り出してヴィーダルを吹き飛ばします。

 距離を離して一安心かと思いきや、竜の首に痛みが走ります。

 触ってみれば竜の首には深々と長剣が突き刺さっていました。

 剣を投げつけたのです。

 

「どうだい、竜よ」

「見事な力だ。だが武器を手放してその後どうするつもりだ」

「そう思うかい? 周りをよく見て見なよ」


 ヴィーダルの背後には、剣や槍などの武器が無数に転がっているのが見えます。

 先ほど我先にと逃げ出した兵士たちが投げ捨てた武器です。


「お前が剣山のようにトゲだらけになるには十分だろう?」


 その中の一つの槍を拾い上げ、彼は構えます。


「良かろう。俺は一点だけお前に謝罪しようと思う」

「……? 何をだ?」

「俺は昔、人の子を拾った事がある」


 お前の事だ、とは言わずに竜は続けます。


「その時、人とはなんとか弱き存在かと感じた。体を守る毛皮も鱗もなく、立ち上がるまでには一年も時間がかかる。独り立ちするにも十数年は要する。その上、そこらの獣にすら負ける事もある」

「そうだな。僕たちは弱い」

「だがお前は違う。一介の凡人ではない、英雄にふさわしい強さを持っている。人間だと思って舐めた態度で戦っていれば負けるだろう」


 故に竜は叫びました。


「お前を人間だとは思わん。俺たちと同じような強さを持つ者と認め、本気で戦わせてもらう!」


 森の竜の瞳が金色こんじきから更に燃え上がるような緋色に変わりました。


 竜の世界では、ある程度成長した子は親に戦いを挑むと言う風習があります。

 自分がどれだけ成長したかを親に示すための行為であり、親も子も本気で戦います。

 その戦いでどちらかが倒れる事もあると言う、まさに命がけの行為です。

 ヴィーダルは知らず知らずのうちにこの風習をなぞっていたのです。

 そして竜は、彼の事を息子と認めました。

 ヴィーダルが自らを超える器であるかどうかを試すつもりです。


 竜の雰囲気が変わり、ヴィーダルも自然と身構えます。

 竜の戦いは一撃で決まると言います。

 次の一撃がお互いに生死を分けるだろうと、両者とも言葉にせずとも気づいているのです。

 天気が途端に悪くなり、暗雲が立ち込めて雷が鳴って雨が降りはじめました。

 ヴィーダルが槍を天高く掲げると、雷がその刃先に落ちます。

 普通の人間であればひとたまりもない雷の力ですが、ヴィーダルは槍に雷を纏わせたまま立っています。

 

「おあつらえ向きに神様も雷を僕に授けてくれた。行くぞ!」

「来い!!」


 ヴィーダルは言うや否や、疾風をも驚くような速さで駆け抜けます。

 先ほどの突進よりもずっと速く、竜ですらも目で追いかけるのに苦労します。

 竜は前脚を振り上げ風の刃を繰り出しますが、ヴィーダルはそれを躱します。

 一瞬の出来事でした。

 躱しざま、ヴィーダルは雷を帯びた槍を竜の首元に投げ込みます。

 竜の首に同じく打ち込んだ所で、雷による損傷も増大するでしょうがそれでは倒しきれないのではないでしょうか。

 しかしヴィーダルは、長剣が突き刺さった所に槍を投げ込んだのです。

 槍の勢いで剣は更に奥に押し込まれ、更に雷の力が付与された事によって竜の体内には雷の強大な力が駆け巡ります。

 逆鱗以外には弱点が無いと思われがちな竜ですが、もう一つ例外的に弱いのが雷です。

 そして逆鱗と雷撃という二つの弱点による攻撃を喰らった事により、流石の竜もたまらず倒れ伏します。


「……流石俺の血を分けた子だ。俺よりも遥かに強くなっている」

「やった、やったのか? 本当にやれたのか!?」

 

 ヴィーダルは倒れ伏した竜の前に駆け寄ってきます。

 息が上がっており、体中には酷い汗をかいています。

 見開いた目は金色こんじきではなく、緋色に燃えていました。

 向こう見ずな蛮勇を持った若者に見えましたが、彼は彼なりに命を賭して戦っていたのを初めて竜は知りました。

 

「ふふふ……存外に心地良い物だ。負けるのも悪くはない」

「何を言っているんだ。お前は」

「さあ、俺にとどめを刺せ。遠慮はいらん」

「言われるまでもない……」


 地面に転がっていた剣を取って振り上げたその時、竜の首から血が流れ出します。

 青々とした血。

 竜の血の匂いが辺りに広がります。

 その匂いを嗅いだ瞬間、ヴィーダルの脳裏にはある思い出が蘇りました。

 聞かされていた過去とは違う、竜と一緒に過ごしていた日々の事を。

 そして竜が前脚を切って血を出し、薄めたそれを飲んでいた赤子の自分。


「嘘だ。お前は、そんな!」

「どうした。何をしている」

「まさかお前が拾った赤子というのは、もしかして僕の事じゃないのか!?」

「そうか、血の匂いで赤子の頃を思い出したか」

「僕はなんてことを……」


 竜は一息吐くと、そっとヴィーダルを抱き寄せます。

 

「お前は俺の息子だ。文字通り、血を分けた子だ」


 だから胸を張って生きろ。

 竜はそう言って息を引き取りました。


 竜の子の慟哭が、雨の最中に響き渡ります。

 雨は激しさを増していくばかりでした。

 そして、竜の血は雨によって深くその土へと染み込んでいったのです。

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