第2話 北風

 学校が終わると、4人はランドセルを背負い、田んぼへ向かって歩いた。幹太にとってはいつもの帰り道でも、ほかの3人にはいつもと反対の道。12月の日暮れは早く、あたりは暗くなり始めていた。


 元々の田舎町が田んぼ道はなおさらで、近くにお店はないし、街灯も少ないし、人影もほとんどない。遮るものがないせいで吹き付ける風は強く、寒さと耳元に鳴る風音で自然と口数が少なくなる。とっくに収穫を終えた辺り一面の田んぼは枯れ木のように生気を失くし、刈り取られた稲が茶色く沈んでいた。


「ほら、あれだよ。見てみろよ」

 幹太が指差した。

「言った通りだろ」


 薄暗い田んぼの先に、人間を模したものが見えた。両手を水平に伸ばして、俯きがちにぽつんと一つだけ立っている。その佇まいはまるではりつけにされているみたいで、なんだか薄気味悪い。季節はずれの案山子は子供たちの目にはお化けのように映った。

 途端に肝試しみたいな気分になったが、後には引けず、そのまま案山子の方へ足を進める。一番後ろを歩いていた靖は足を速めて一歩前を歩いていた吉男の横に並んだ。腕にしがみつきたいぐらいだったけれど、さすがにそれは格好悪いし恥ずかしい。


「鼻出てるぞ」

 吉男に指摘され、靖はジャンパーの袖で鼻水を拭った。そういう吉男も耳が赤かった。


 舗装された道路を外れ、田んぼの中の砂利道を歩くと、風音に砂利の音が交じって耳に届いた。先頭を歩く幹太は冷たい風に体を縮めて、かじかむ手に息を吹きかけていた。


 砂利道から少しだけ下に降りたところに案山子はぼんやり立っていた。片づけ忘れたのか。気づいてはいるけど、田んぼの端っこだからほったらかしにしているのかもしれない。

 案山子は木材を十字に組み合わせてできたもので、白い布を丸めた顔にはおざなりな目鼻口が黒で描かれている。間近で見ると愛嬌があって、恐怖心は薄らいだ。

 体の線は細いものの、身長は4人の中で一番背の高い清太郎より少し大きい。年の暮れだというのに、半袖の甚兵衛と手ぬぐいを首にぶら下げただけの軽装だった。


「ずっと立ちっ放しなのかよ?」

 全身を一瞥して吉男が訊いた。


「たぶん。今日まで全然気にしてなかったんだけど。忘れられてんのかなあ」

 幹太は首を傾げた。


 田んぼを見回しても他に案山子の姿は見えない。どうしてこれだけ残っているのか不思議で、不思議なことが起きても不思議でない気がした。


 そこへ突風が吹きつけた。冷たい風が顔にかかり、靖は毛糸の帽子を耳まで下げた。幹太はまた手に息を吹きかけてすり合わせた。

 風にさらされた薄着の案山子は今にも凍えてしまいそうだった。


「寒そうだな」

 清太郎はぽつりとつぶやいた。

「こんな格好じゃあ風邪ひくから、これやるよ」

 そう言って自分のマフラーを解き、案山子の首に巻いてあげた。


「いいんか?」


「まあな」

 吉男の問いに、清太郎が下を向いて答えたのは、気恥ずかしさがあるからだ。


「まだ新しいやつだろ?親に怒られねえか?」

 また鼻水を浮かべて靖が訊いた。


「どっかに忘れたっつって誤魔化すよ」

 足元の砂利を1つ蹴飛ばした。


「そんじゃあ俺も」

 吉男ははめていた水色の手袋をとって案山子の両手の先っぽに付けてあげた。

「使い古しだけど、ないよりましだろ」


「じゃあ俺も」

 靖はベージュ色の帽子を脱いだ。被せてあげようとしたけれど背伸びしても届かなくて、清太郎が代わりに被せてあげた。顔が隠れないように、でも風で飛ばされないようにしっかりと。


「俺は・・・」

 幹太は自分の身なりを確かめた。

「これじゃ駄目だよな?」

 ランドセルの肩紐を引っ張る。


「当たり前だろ。そんなもん役に立たねえし。これからどうやって学校通うんだよ」

 吉男が苦笑する。


「じゃあこれかなぁ」

 幹太が上着のすそを捲り上げると白い腹巻が現れた。


「そんなのあげたらまた腹壊すだろ。お前のために母ちゃんが編んでくれたんだからそれはやめとけ」

 吉男が唾を飛ばして制止する。


「あ。じゃあちょっと待っててくれ」

 何かを思いついた幹太はランドセルを置くと背中を向け、砂利の音を響かせて走って行った。足音は遠ざかり、やがて静寂が戻った。

 冬の田んぼに吹く風は強く、首に巻かれた紺色のマフラーが風に揺れている。飛ばされてしまわないよう、清太郎はもう一度きつく巻き直してあげた。


「案山子も大変だなぁ」

 ひと際小柄な靖が案山子の顔を見上げて言った。

「クリスマスも、大晦日も、正月も、一人ぼっちかぁ」


 辺りは人通りが乏しく、時折側を自動車が通り過ぎるだけ。


「じゃあさ、正月会いに来てやろうぜ」

 吉男が手袋を外した手を打った。


「明けましておめでとうって言いに?」

 靖の問いに吉男が頷く。

「どうせ出かける予定ないんだろ?」


「家族と初詣行くけど、そのあとはなんもない。家でテレビ見るだけ」


「そうだな。1月1日、みんなで来ようぜ」

 清太郎はあげたマフラーをぎゅっと握りしめた。


 砂利を踏む音が戻り、幹太が息を切らして走ってきた。

「これうちのじいちゃんが着てたやつ。洗濯したら縮んでつんつるてんになっちゃったから捨てるって言ってたんだ。そんで、もらってきた」

 グレーのカーディガンを手にしていた。両手を伸ばした案山子にカーディガンを着せるのは一苦労で、4人がかり。案山子の体を支えてもらいながら幹太はまず右手に袖を通し、それから目いっぱい、破れそうなぐらい左半分を引っ張って羽織らせ、前のボタンを留めてやった。


 さっきまで凍えそうだった案山子が、今は毛糸の帽子にマフラー、カーディガンに手袋と冬の装い。こころなし顔にも熱が灯った気がした。


「ちょっと寒いかもしれないけど、これでだいぶ暖かくなったな。もうくしゃみしなくてすむだろ」

 案山子を前にして、幹太は満足げに頷いた。


「嘘がバレずにすんだな」

 吉男が横目で見た。


「嘘じゃないって」と言ってから「あれ?いま、あくびしなかったか?」と目を見開いて案山子を見た。


「あったかくなったから眠くなったって?そんなわけねえだろ」

 吉男が幹太の肩をぽんっと叩いた。


「いまのは嘘」

 幹太の言葉に4人は笑いあって田んぼを後にした。


 約束通り、4人は元日、田んぼに集合した。お日様の下で見る、冬の格好をした案山子はまるでこれから初詣へ行くみたいに見えた。


 どうしてなのか理由は分からず、でも何の躊躇いもなく、4人は案山子の前に並んで柏手を打った。


「今年も1年いい年でありますように」


 手を合わせたまま靖が薄目を開けて横を見ると、幹太と目が合った。悪戯っぽく微笑みあってからまた目を閉じた。


 それからしばらくは話題にも上がったが、移り気な子供たちは次第に興味を失くし、1週間たち、2週間もたつと、案山子に見向きもしなくなった。


つづく

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