『未来から来た男、を自称する男』その9


 十二日十二日の朝。


 俺が刑事部のデスクに顔を出すと、同僚の坂井が物珍しそうな目を俺に向けた。


「あれ、矢井田じゃん。どうしたんだ?」坂井が言った。「お前、今日は非番じゃなかったっけ?」


「ああ、そうなんだが」俺は言った。「ちょっと捜査中の事件のことが気になってな」


「えっ、マジで?」坂井が言った。「お前にしちゃ随分と珍しいこともあったもんだな」


「村西はどうした?」俺はキョロキョロと周囲を見回すような仕草をしながら言った。「あいつに聞きたいことがあるんだが」


「村西なら」坂井が言った。「あいつも今日は非番だよ」


 俺は“そんなことは知ってるよ”という内心の思いを悟られないようにわざと大げさにリアクションを取りながら「マジかよ、タイミング悪ぃな」とぼやくような口調でいった。


 それから「じゃあ、ちょっと電話してみるか」と言いながら部屋を出て、廊下でスマホを開いた。


 インスタグラムのダイレクトメッセージ着信通知がホーム画面に大量に積み重なっている。


[今日だよ]

[ちゃんと殺してね]

[絶対だよ]

[約束だからね]

[どう?]

[もう殺し終わった?]

[まだ?]

[ねえ、まだ?]

[まだ殺してないの?]



 俺は木谷から送られてきたメッセージの履歴を一旦全て消去し、それから村西の登録電番にコールした。


『あー、もしもし』村西が電話に出た。『矢井田さんじゃないっスか。どうしたんスか?』


「ああ、非番のとこすまないな」俺は言った。「今ちょっと話せるか?」


『ええ、大丈夫っス』村西が言った。『なにか緊急事態っスか?』


「ああいや、全然そんなことじゃないんだが」俺は言った。「実は、例の自称霊能力者殺しの件でちょっと思い当たることがあってな」


『えっ、ほんとっスか?』


「ああ、ただちょっと電話だとちょっと説明しづらい話でな」俺は言った。「できれば直接会って話したいんだが、いいかな?」


『あー、そうっスねぇ……』村西が言った。『午前中はちょっと忙しいんスけど、午後以降なら大丈夫っスよ』


 俺は「じゃあ午後に一度、お前の家に行ってもいいか?」と言い、村西は『ええ、大丈夫っス』と言った。


 俺の計画はこのようなものだった。


 村西の家まで行き、部屋に入った時点で村西を殺す。


 それからすぐ刑事部に連絡を取り、“捜査中の事件について話をするために村西の家に行ってみたんだが、何故か扉が開いていて、中に入ってみたらそこで村西が死んでいた”と告げる。


 ごく単純な手口だが、第三者から見て俺が村西を殺す理由など何一つない。誤魔化しは充分に効く。


「悪いな。それで、お前の家の場所を教えてもらいたいんだが」


『ええとっスね』村西が言った。『最寄り駅は田端なんスけど』


「田端?」


『ええ、山手線の田端駅から徒歩二分くらいっス』村西が言った。『っていうマンションなんスけど』





                 ◆◇◆




 以前、木谷にこう訊ねたことがある。


 ――ターゲットを殺すとき、頭の中でどんなことを考えているんだ?


 木谷はこう答えた。


 ――別になにも考えてないよ。


 ……これは別に木谷に限ったことではない。


 俺も刑事として働いていく中で、幾人もの殺人犯と関わり合ってきたが、そいつらの多くは木谷と同じようなことを話す。


 なにも考えてないのだ、皆。


 当然と言えば当然ではある。


 これから殺そうとする相手のことを深く考えてしまったらどうなる?


 その相手がどんな性格で、何が好きで何が嫌いで、両親からはどのように育てられたとか、どんなことで悩んだり傷ついたりしてきたのかとか、これからの人生の目標はなんなのかとか……


 そんなことに考えを巡らせたら、殺せなくなる。


 殺せるわけがない。


 だから、殺しをやる連中は皆、そういうことを自分の頭の中からどこかに放り捨ててしまっている。


 目の前の相手にも人格があり背負ってきた人生があるという事実からは巧みに焦点をずらす。


 そのせいなのだろうか、殺しをやった人間の眼は、皆どこか寝ぼけたような、眠たげな眼をしていることが多い。


 本来合わせるべき場所に焦点が合ってない……


 そんな眼をしている。


 だから俺も、それに倣った。


 マンションの廊下を一歩一歩進みながら、可能な限り何も考えないよう努めた。


 視界のピントをわざとずらし、意図的に視界をぼやけさせた。


 現実から遊離するような感覚が生じた。


 目の前に映っている世界が、現実ではないように思えてくる。


 そして目的の部屋の前に、到着する。


 スマホを取り出して時刻を確認する。十二月十二日、十四時の表示。


 それと重なるようにして、インスタグラムのダイレクトメッセージ着信履歴が数珠繋ぎで画面を占拠している。


[どう?]

[殺せた?]

[まだ?]

[まだなの?]

[わたしの勤務時間、十七時までなんだけど]

[まだ殺してないの?]

[まだなの?]


 スマホを仕舞い、上着の内ポケットにあるアイスピックを探る。


 ちゃんと入っている。いつでも取り出せる。


 インターホンのチャイムを押す。


 幾呼吸かの間。


 扉が開く音。


「ああ、どうもっス。矢井田さん」


 部屋の中から村西が姿を現す。

 そして村西が……いや、村西ではない。

 これは、障害物だ。

 ただの障害物。

 これからこの障害物を除去する。


「ささ、どうぞ入ってください」


 障害物が手招きをする。

 この障害物の除去には、“首”という部位にアイスピックを突き刺す必要がある。

 今、ここでそれが実行できるだろうか?

 ……いや、今はマズい。

 誰かが廊下を歩いてきたら目撃される可能性がある。


 まず、部屋に入ってからだ。


「いやあ、今朝矢井田さんから電話をもらったときは驚いたっスよ」


 部屋に入る。

 扉が閉められる。

 今ならこの障害物の除去が可能か?

 ……いや、障害物の両目がこちらに向けられている。

 ここでアイスピックを突き出しても防御や回避の可能性がある。


「矢井田さんもようやくやる気が出てきたんスね」


 確実に除去を実行するには、障害物の両目がこちらから外れたタイミングが望ましい。

 どうにかしてそのような状況を作り出せないだろうか。


「それで、なんなんすか? 例の事件のことで思い当たることがあるって言ってたっスけど」


「――その前に、」


 その前に、なにか飲み物をもらってもいいか? 

 今、すごく喉が乾いてるんだ。


「飲み物っスか? わかりました。今用意するっス」


 そう言って、障害物がその場で方向を転換する。


「ああ、そうだ。ちょっと待っててもらってもいいっスかね?」


 障害物がこちらに背後を向ける。

 両腕は下げられ、首は無防備な状態で晒されている。


 ――今だ。



「ちょうど今、子供にミルクをあげる時間なんスよ」



 ……。


 …………。


 ………………。



「子供?」俺は言った。「お前、子供いるのか?」


「ええ、娘がひとり」別の部屋に行きがてら村西が言った。「あれ? 矢井田さんには話してなかったっスかね」


 俺がその場に立ち尽くしていると、村西が戻ってきた。

 左手に湯呑み、そして右手に赤ん坊を抱いて。


「ほうじ茶なんすけど、矢井田さん嫌いじゃないっスか?」


 村西が湯呑みをテーブルに置く。

 俺はチラリとその左手の薬指に視線を走らせた。

 指輪は、付けられていない。


 ――お前、カミさんはどうしたんだ?


 そう言おうとしたところで、俺は部屋の隅に置かれたそれに気づいた。

 仏壇だ。遺影には若い女の写真。


「矢井田さん?」村西が言った。「どうしたんスか? そんなところにずっと突っ立ってて」


「え? あ、ああ、そうだな」


 俺はテーブルの前の椅子に座った。

 差し出されたほうじ茶を口に含み、嚥下する。

 冷えていた体の中を、熱いものが流れていく感覚が胸の内に走った。


まりって言うんスよ、この子」村西が言った。「少し前にちょうど一歳になりまして」


 ほら鞠、矢井田さんに挨拶して。そう村西が言うと、赤ん坊はこちらに顔を向けて、うーとかあーとか、そんなようなことを口にした。


「まだ、意味のある単語はしゃべれないんスよね」村西が言った。「早い子だと、生後10ヶ月くらいでしゃべり出すらしいんスけど」


 それから赤ん坊がぐずり始め、村西がそれを優しくあやし始め、俺は黙ってそれをじっと眺めていた。


 どこかのタイミングで村西が言った。


「ああ、そうだ。今朝言ってた話したいことってのは、なんなんスか?」


 俺は席を立ち上がった。


「村西」俺は言った。「悪いが――」




                 ◆◇◆





[ねえ]

[もう殺した?]

[まだ?]

[まだ殺してないの?]

[いつになったら殺してくれるの?]

[ちょっと]

[返事してよ]

[ねえ]


        [今、やったよ]


[ほんと?]

[えっ、じゃあさ]

[写真撮って送ってよ]

[死体の写真]



        画像を送信しました。


        [ほら]


[すごい!]

[一撃で仕留めたんだ]


        [これでもう安心だ]

        [ちゃんと履歴は削除しておいてくれよ]

        [誰かに見られたりしたらことだからな]


[わかったー]







                 ◆◇◆






 俺は一連のやり取りを終えた後、インスタグラムのメッセージ送受信履歴をすべて削除した。


「ありがとう」俺は言った。「もう起き上がっていい」


 俺の言葉を聞いて、バスルームの床でうつ伏せになっていた村西が起き上がった。


「どうっスか?」村西が言った。「なにかわかったっスか?」


「ああ、それについてなんだが」俺は言った。「どうも、俺の勘違いだったみたいだな」


「えっ、どういうことっスか?」村西が言った。「あの自称霊能力者の死体の倒れか方と、血の飛び散り方が不自然って話じゃなかったんスか?」


「ああ、俺も今朝の時点ではそう思ってたんだが」俺は言った。「今、お前にあの自称霊能力者の死亡時の体勢を再現してもらって、ちょっと考え違いだったことに気づいたんだよ」


「じゃあ血の飛び散り方についてはどうなんスか?」村西が言った。「こうやって、タバスコで再現してみたんスけど」


「これも、現場写真を見たときは不自然に感じたんだが」俺は言った。「こうして実際に状況を再現してみると別に何もおかしくはなかったな」


「ええー、なんなんスかそれ」村西が首についたタバスコを拭き取りながら言った。「矢井田さんが言うから、なにか凄い新事実が見つかったのかと期待してたんスよ」


「いや、ほんと悪かったよ」俺は言った。「バスルームは俺が掃除しておくからさ」



 それから俺は村西のマンションのバスルームを、時間を掛けて隅々まで懇切丁寧に磨き上げた。


 掃除を終えて居間に戻り、そろそろ帰ろうと告げようとしたとき、村西の方が先にこう言ってきた。


「矢井田さん、よかったらウチで夕飯食ってかないっスか?」


「夕飯?」俺が言った。「なんだ? ピザでも取ろうってのか?」


「いや、違うっスよ」村西が言った。「自分が作るんで」


 村西が言うには、自分は実は料理が趣味で、以前はよく凝ったものを作っていたのだが、妻がいなくなり、子供の世話もあるので、最近はあまりそういうことができてなかったらしい。


「矢井田さんに鞠のこと見ててもらえば、その間に旨いもん用意するっスよ」


 俺はどうしようか迷ったが、妙なことに巻き込んだ引け目もあり、村西の誘いに応じた。


 子守なんてやったことがなかったが、村西の赤ん坊は不思議と俺によく懐いた。


 俺は赤ん坊を抱きかかえながら、今後のことについて考えていた。







                 ◆◇◆




 それから俺は、村西と村西の娘の三人で食卓を囲んだ。


 村西の用意した品は、本人が言うだけあって素人離れした出来だった。


 食事中、村西は聞いてもいないのに自分とカミさんの馴れ初めを延々と俺に語って聞かせてきた。


 ――出会ったのは高校時代なんスけどね。


 ――その頃、彼女が変な男に絡まれてて。


 ――で、自分がそれを助けたりしたことがあって。


 ――そっから付き合い始めたんスよね。


 ――自分が警官になろうと思ったのも、そのとき彼女に感謝されたことがきっかけで……


 俺は途中から村西の話を聞くのをやめて、まったく別のことを考えていた。


 俺と、木谷のことを。


 俺と木谷は……何故、こんなことになってしまったのだろうか。


 ……何故?


 そんなの決まっている。


 全部、俺のせいだ。


 木谷の最初の殺人を隠蔽したのも、その殺人を“正しいこと”として木谷に刷り込んだのも、


 全部、俺がやったことだ。


 俺が、木谷を怪物に変えてしまった。


 そしてそれによって幾人もの人間の命が奪われることになった。


「ですからねぇ、矢井田さん」


 どこかのタイミングで村西が言った。


「刑事たるもの、“罪を犯した人間が、その報いを受けずにのうのうとしているなんて許せない”って気持ちは絶対に忘れちゃいけないと、自分は思うんスよ。そういう気持ちがあるから、しんどいことにも耐えられるし、なんとしても犯人を挙げてやろうってエネルギーが湧いてくるんだって、矢井田さんもそう思わないっスか?」



「そうだな」俺は言った。「本当にそうだ」

       







                 ◆◇◆






 それから食事を終えて、帰り支度をした頃にはもう外は真っ暗になっていた。


「ほら、鞠。矢井田さんにバイバイして」


 赤ん坊が俺に「あいあい」と言い、俺は「バイバイ」と返した。


 マンションの廊下を歩きながら、俺はこれからのことについて思いを馳せていた。


 ……俺と木谷は、これからどうするべきなのだろうか?


 俺が村西を殺せなかった以上、今後も木谷へ捜査の矛先は向けられ続ける。


 それをどうやって切り抜ける?


 もういっそ、木谷を連れて海外へでも逃亡するか?


 物価の安い国なら、今ある貯金を切り崩しながらでも何年かは生活できる。


 俺が実際には村西を殺していないことは、遅かれ早かれ木谷に気づかれるだろう。


 それまでに、どうにかして木谷を説き伏せて……


 そんなことを考えながら、村西のマンションのエントランスをくぐった、そのときだった。


「矢井田くん」


 木谷から声を掛けられた。


 …………え?


「木谷?」俺は言った。「なんでここに?」


「あの村西って人が殺されて、ちゃんと死体が警察に見つかったのか気になって見に来たんだ」木谷が言った。「ほら、矢井田くん前に言ってたでしょ。死体の発見が遅れると死亡推定時刻が判別しづらくなるって。そうなると困るじゃん。ちゃんとわたしの勤務時間中に殺されたってわからないと」


「いや、ちょっと待ってくれ」俺は言った。「なんでこの場所を知ってるんだ?」


「そんなの、木谷くんから送られてきた画像についてた位置情報でわかったよ」木谷が言った。「画像データに位置情報がつく設定になってるの、知らなかったの?」


 そう言いながら木谷はキョロキョロとあたりを見回した。


「でもなんか、あれだね。警察の人とか全然出入りしてないね」


「木谷」


「もしかしてまだ死体発見されてないの?」


「なあ、木谷」


「ねえ、どういうことなの? 矢井田くん。説明してよ」


「とりあえずだな、その」俺は言った。「ここで話したら人に聞かれる。場所を移そう」


 そして俺は木谷を連れて、近場にある人目につかなそうな場所へと移った。


 すなわち、村西のマンション、フェニックスタワー田端の地下駐車場に。



 ――――――――――――――――――――――――――――――――



『未来から来た男、を自称する男』その10 に続く。


(次回更新→2020/12/30  21:00)


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