第11話 ◆ 罠 


◆ 罠 


 集団心理というものは恐ろしいもので、例えば津波がもう背後まで迫っていても、そこにいる10人中の9人が「仕込み」で、まったく動じずにのんびりと過ごしていれば、例え気づいたとしても、その災害の危険を周囲に訴え、避難に走るという行動を1人だけがとる事は難しくなる。


 安心している人間の顔が周囲に配置されれば、警戒心は薄れてしまう。


(今日…… 平日なんだけどな)


 学校をさぼってしまった舜が思うのもなんだけれど、この人たち、学校や会社はどうしたんだろう? 子ども連れの父親や、若いカップル、ポップコーンを持つ外国人客に女友だち同士で座る3人など、国籍も年齢層も幅広い観客が腰かけていた。ところが人が多くなっているにも関わらず、エアコンのせいなのか? 気のせいか? 舜にはさっきから時々感じていた寒気がますます止まずに、まるでなにかが「警戒しろ」と、舜に絶えず教えようとしているかのように鳥肌が立っておさまらなかった。


 人の肌は、五感に次ぐ第6の感覚器だと言う人もいる。


 遠足で山道を歩いていた時に、突然ざわざわっと鳥肌が立って、なんだ? と思ったら前方にマムシが身を潜めていた事があった。


 祖母に連れられ知らない街を歩いていて、高い塀に囲まれた路地から十字路に出た瞬間、急に鳥肌が立った事があり、なんだろう? とあたりを見回すと、通りの向かいにお寺とお墓を見つけた事もあった。


 舜にはちょくちょく、そんな感応力というのか、なにかのアンテナが立っているような気がする事があった。

 この観客たちは、そんな舜の警戒心をゆるめようとレイアウトされたエキストラのようにも感じられたのだけれど、素人の中学生にそんな「どっきり」を? 誰が仕掛けるというのか。舜はせっかく感じとったアラートや違和感を、自分の中で沈めてしまった。


(うぬぅ……)

 マグレが唸っていた。


(なんだ? あの1匹は……)

 赤髭の雑技団の新入りかと思っていたが、どうもおかしい。


 マグレ団長が最初に目をつけたのは舜だった。


(こいつは、すぐに喰える)


 そう思ったが意外と心の中は頑固で、見せ物で心を惹きつける必要があると感じ、猫儿たちを変じさせ雑技団として見せ、少年の心につけいるスキを作っていった。


 それなのに、生気を奪うため生け贄にするつもりだった少年の胸を引っ掻き、麻痺させていた少年の感覚を取り戻させて、感情も麻痺させトランス状態に落としさらおうとしていたのに「笑い」を与え、少年に感情を戻そうとする。


(なにか、この少年とつながりのあるモノか?)


 マグレは訝しんだ。


「あれは、きさまのところの団員ではないのか?」

 マグレが赤髭に尋ねた。

「フギャギャオッッ!」

「そうか。来たばかりか…」

「フギャァアウ、ウオウ! ウォウ!」

「なに? 助けられた事がある? あの少年にか?」

「フ二ャァアゴ!」

 赤髭はヒト語をあきらめたようだ。

「ふうむ、なるほどの… それで盾になろうとはけなげなヤツじゃが、今は不都合じゃ」


 広場のアクロバットに目を惹きつけておいて、舜から生気を抜こうと忍び寄らせた紫の影が、すべりおりる象の鼻の前でそれ以上進めなくなった。


「ぬ?」


 マオルがさっき砂に描いていた落書きだ。


「魔法陣……」


 マオルがずっと落書きのように描いていたそれは、舜を守護するための魔法陣だった。少年の胸につけた引っかき傷から血を爪の先に頂いて描かれていた強固なモノだった。


(なぜ? こんな仔猫にそんなものが??)


 マグレは『反魂法』を成す人身御供の生け贄を得るためには、まずこの仔猫を、どうやら始末しなくてはならぬようだと自覚した。 


 そしてもう1人、想定外の客がこのニセモノの夜に侵入している事に、マグレは気づいていなかった。 


       †


「なあ、なんだあれ?」

 大粒の雨に叩かれ、商店街のアーケードにいったん逃げ込んだ真司たちは、路地から見える石垣を見上げた。


「なんか、ガスコンロみたいだな?」


 ぐしょ濡れでペダルを漕いできた京市にも、城址の鉱石公園に渦巻く青い炎のようなテントが見えた。

「やってんのか? あれ?」

 テント内の照明なのか? 青く光って見える。

 深海でアンコウがおとりに灯す誘導灯にも似た光だ。


 そういえば、いつのまに受け取っていたのか? おぼえも無いのに持っていたサーカスのビラをふたりは思い出した。


 どうぞ どなたも

 ごらんください


 きっと なんでも

 ミツカリマス


 それは、色褪せたのか? 狙いなのかもわからない水浸しになって渇いた風の青い紙に、「魔暮幻想遊戯団」と白抜きされたビラだった。


 ガガーーーーーーーン!!

 ゴロゴロロ……ォン


 と、その時目の前で雷が落ちた。

 轟音とともにテントから巨大な青い光柱が立ち昇るのが見えた。

「うっわ! あれ、燃えるんじゃねえか?!」

 舜を探していた少年たちは、城址の鉱石公園へ落ちた(立ち昇ったようにも見えた?)稲光に心が騒ぎ、せっかく雨宿りに逃れたアーケード下から、また暴風雨のただ中へペダルを漕ぎ出した。

「もー! 下までみんな、ぐっしょりだよ!」

 荷台で嘆く偲の声に、京市が誰知られる事なくまっ赤になっていた。


       †


「どこへ向かってるんですか?!!」

 エンジン音にかき消されるので、沙羅は声を張り上げた。

「え? メガネですか? ネクタイですか?」

 士朗には、「どこで買ってるんですか?」と聞こえていた。


「は?? そうじゃなくて、ど・こ・へ! む・かっ・て・い・る・ん・で・す・か??! って、もお! 気にしないでしょ! 来栖先生がどこでメガネを買ってるかなんて! 今! この状況で!」


「あぁ、上京は16才の時、高校生の頃だけ…」


「ち、がぁーーーーーーう!!!」


 まるで話が噛み合わないまま、士朗はひとり焦り、ある場所へ突っ走っていた。消えた篠月真魚は院内を探しても見つからなかった。

(もしかして、またあそこか?)

 士朗は河童の隠ヶ淵(こもりがふち)に、もう一度寄ってみようと愛車を走らせていた。


「女の子が行くところなんて、わかんねえ…」


 聞こえないと思って吐き出した士朗の声が、ふいに沙羅の耳へ届いていた。


「女の子は時々、想いを切り捨てに秘密の場所に行ったりするもんですよ」


 しかし返した言葉は士朗には届かなかった。


【隠ヶ淵(こもりがふち)】コモリガフチ

 子守、古森、小守。元は古い祭祀場のあった自然沼沢で「河童のカタリ岩」という半畳ほどの座布団みたいな平たい岩がその祭壇にされたとも伝わる。ペトログリフと呼ばれる解読不明の古代文字が刻まれていて、混濁した沼の底は、水晶も採掘される狭井山の鍾乳洞と海へも通じていると考えられている。

 古代にはここで、幼児の魂を遊離させ、神託を授かったという言い伝えもあった。沼の瘴気に、そういうトランスをさせる症状も疑われた場所でもある。


 雨の中、濡れた野草を踏んで士朗が、真魚の倒れていた岩のところまでもう一度来てみると、女の子がしゃがんでいた。


「おい、なにしてんだ?」


 なんで? こんなところで?

 こんな雨の中、浴衣姿の5才ほどの女の子が、傘もなく水面を見つめていた。


 くぷくぷ……


 水面の泡と、なにか会話しているようにも見える。


「あぶないから、こっちおいで」


「子守り」の字をあてられるほど、不思議と水難事故の聞かない沼だけれど、保護者の姿も見えないし、こんな台風の日にどうしてこんな小さな子どもが? 近所の団地の子だろうか? と士朗が心配して手をのばすと……


 しゃがんでいた女の子は、ぱっと立ち振り返り、士朗へにぱっ、と一瞬笑顔を見せると、ひょーーーい! と、つかむ間もないまま沼へ飛び込んでしまった。


「うわわ! おい!!」


 のばした腕もそのままにかたまった士朗だったが、


(あれ? ……水音がしない)


 女の子は水面に立っていた。沈まない。


「どう、なってる?」


       †


 機関銃のようにフロントガラスを叩く土砂降りに向かって、士朗は知らず知らずアクセルを深く踏み込んでいた。せまい助手席で、沙羅がひざにおかっぱの女の子を抱きかかえている。さっきの子だ。

「誘拐になっちゃいますよ!」

「迷子札も、近くに保護者も見えない台風の日に、水辺にいた女の子を放っとくわけにもいかないでしょ」

 士朗は真魚の母親が待つ病院へ戻るつもりで走っていた。


「シュンちゃん、おいてきてん…」

 女の子は泣いていた。

「警察に保護してもらいましょうよ!」

 沙羅は女の子の心配もともかく、教職にある自分たちが、幼児略取誘拐に問われる事態にあとでされてしまわないかが恐くて身をちぢめていた。エンジン音を上回る暴風雨に声がかき消される車内で、沙羅が叫んだ。


 士朗は、水面に立つ女の子に差し出した手をのばしたまま、名前を聞いたのだ。するとその子は、差し出した士朗の指をとってちゃんと名乗った。


「沙羅先生、この子に名前を聞いてみて下さい」

「え?!」

 聞き取れなかったようで、士朗はもう一度言った。

「名前ですか? お名前、言える?」

 沙羅は、抱きかかえた女の子の耳に口を寄せて尋ねた。女の子は雨の匂いがした。


「シュンちゃん、ほっといてしもてん…」

 子どもの扱いが苦手なようで、ただ両手で顔を覆って泣く女の子に沙羅は困った。

「シュンちゃんはおともだち?」

 仕方なくそう話しかけると、

「うん。マナなぁ、雨んなかで、おいかけられてんの、わかっててん」

「うん」

 沙羅が女の子の髪をなでた。

「やのにな、もう…… マナナもう、そこにはおれへんくなるから、もうもどったらあかんておもって」

「…うん」

 沙羅は女の子の言っている内容はわからなかったけれど、気持はなにか伝わってきて、その声に、胸がきゅうっとしめつけられた。

「あんなにぬれたシュンちゃんほって、見ないふりしてしもてん」

 こんなに小さな子が、自分のした事? しなかった事? そのなにかを悔やんで、こんなにも泣いている。それだけで、沙羅も女の子と同じ後悔を抱きしめているような気持になって泣けてきた。


「マナちゃんて言うんだ?」

「うん…… シニョチュキマナ」


「え?」

「シー・ノォ・チュウ・キィ、マァ・ナ!」

「は?」

 沙羅は頭が混乱した。

「どういう事ですか?」

 運転する士朗の横顔に向き直って聞く沙羅に、

「わからん!」

 士朗もそう答えるしかなかった。二人がさがす女生徒と同じ名前を名乗る幼女が、水面に沈みもせず士朗に歩みよって来てその指をとり、もう1人の行方不明の少年の名を口にしたのだ。わかるわけがない。暴風雨の中心へ向かっているかのような豪雨の中、士朗の頭に、ふいに青いテントが燃え上がる記憶が蘇った。

(どうして? 今、こんな事思い出してんだ?)

 ずっと思い出したくもなく、避けていた場所でもある「あの公園」へ行けという事か? 士朗は病院へ向かっていたハンドルを切り直し、アクセルを深く踏みこんだ。知らず知らず運転がむきになり、片っ端から追い越し、追い抜き、とにかく一刻も早く、前へ! 前へ! と、そういう運転モードについなっていた。


 ウ、ウゥウ〜〜〜ウウウウウ!!!


 後方で狼の遠吠えにも似たサイレンがなり、赤い回転灯の光が追いかけて来た。

「えーーーっっっ!!」

 沙羅が助手席で悲鳴を上げる。

「うわぁ、現役教師が! 現役教師が! 幼女誘拐で! 交通違反で!」

 職員会議にかけられる光景を思い浮かべ、沙羅がパニくり頭を抱えた。

「この土砂降りに、勤勉なヤロウだ」

 振り切る自信はあったものの、しかし沙羅の手前逃げ切るわけにもいかず、士朗は憤慨しながらも大人しく車を寄せ停車させた。

 白バイ警官がバイクから降り近づいて来た時、頭上がふいに明るくなった。


「お? 目、か?」


 車ごと吹き飛ばしそうだった大荒れの台風が、ふいにぽっかりと晴れた。驚いた士朗と沙羅に、車を停めさせた白バイ警官も、思わず青空に昇る太陽を眩しく仰いだ。

 太陽は、端が欠け始めていた。

 台風で観測をあきらめていた皆既日蝕が始まろうとしている。

「うっわ! ちっきしょう……」

 士朗が心底悔しくなって歯噛みした。みんなと観測したかった。


「はい、追い越し禁止と、20kmスピード違反ね♪ こんな見通しの悪い中、そんな飛ばしてどこ行きたかったの? さ、免許出して」

 リズミカルに言い慣れた口調で話しかけられた通り、士朗はジャケットのポケットを探り免許証を渡した。

「ううーーー大問題だわ。教頭先生と指導主任にしぼられる……」

 ドライバーより凹む沙羅に士朗は、

「平気ですよ、乗ってただけなんですから」

 タバコでも吸いますか? と、一本すすめた。気持ちはとても焦っているのに、沙羅の前ではクールでいたい士朗だ。


「……」

 免許証を受けとった警官が動きを止めていた。そして腰をかがめ運転席の士朗の顔をじぃっっっ… と見つめている。


「あ? なんだよ?」


「来栖先生、余罪でもあるんじゃ…」

「ありませんよ!」

 くわえタバコで見返す士朗と、ヘルメットをとった中腰の警官が互いに眉間にしわを寄せにらみ合った。

「な、なんなの??」

 沙羅は、ひざの上の女の子を抱き寄せ、一触即発なの? なんなの? と、ひやひやしながら身を引くばかりだった。が、やがて……


「ヘッド……」

 白バイ警官が目を細め、ぼそっとそうつぶやくのを聞いた。


「あ? どこダレだ?」

 士朗が相変わらずカチンと来ている表情で睨み返すと、

「十児(じゅうじ)だよ」

「なに?!」

 ウソだろ?! と思わず窓枠から身を乗り出し、士朗は改めて、サングラスもはずした白バイ警官の素顔をまじまじと見直した。

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