第3話 ◆ 第1接触 初虧(しょき)

◆ 第1接触 初虧 


「それで黙って見てたのかよ!」

 翌日。始業前の朝の教室で、陽に灼けた赤毛の少年の声が響いていた。

「だって俺らあいつの事知らんし、真司だって知らんやつが急にそんな飛び出してきたって見送っちまうべ?」

「ちっ」

 真司と呼ばれた赤毛の少年は、前のイスを軽く蹴りつけ腰掛けていた机からひょい、と立ち上がると、朝のHRも待たずに、ふい、と教室を出ていってしまった。


「なんだよ。真司とあいつ、って、そんな仲良かったの?」


 イスを蹴りつけられた男子が(なんで俺が?)と不満げにぼやくと、別のひとりが

「一年ん時、同じクラスだったんだよ。橘ぁ、絵とか描けるやつ好きだからな」

 と、自身も去年、彼らと同じクラスだったひとりが、蹴られた男子を慰めるようにそう言った。


 赤い髪はもともとが茶っぽい家系で、それが潮につかったり陽に灼けたりしてますます褪せて赤っぽくなっているだけで、橘(たちばな)真司(しんじ)本人は、決して自分から誇示しているわけではなかった。


 多少短気なところもあるが、真司は体を動かす事が好きなまっすぐな性格で、サーフィン、サッカー、拳法など、体を使って発散できる事にはなんにでも挑戦し、ことごとく楽しくて仕方がないほど自分のものにしていた。校内外に知られる人気者の彼は、しかし見た目に関しての周りの注目から、真司本人が望んでいないイメージを着せられ不満にイラつく事も多かった。


       †


 その朝、士朗のクラスではふたつの席が空いていた。

 教壇前の篠月真魚の席。そして、窓際の柚葉(ゆずは)舜(しゅん)の席。担任である士朗は、授業の終業はきっちり終えるくせに、じつは朝がいちばんの苦手で、HR前の教室では、遅れている担任を待ちざわついていた。


 がらっ、教室の引き戸が開いた。

 注目を集めたそこに立っていたのは、しかし士朗ではなかった。


「あれ? シンくん…」


 去年同じクラスだった麻衣が、真司の姿を見つけ声をかけた。


「またぁ♥ 朝っぱらから麻衣やん会いたさに来ちゃったの?」


 と、すかさず真司とは幼馴染みの偲がからかいの一声をかけ笑いをとった。

「そんなんじゃねぇよ…」

 開けた引き戸の間で中を覗き込んだ真司と、教室にいた麻衣の顔が赤くなって下を向いた。しかしそれから、真司は改めて厳しい目で教室を見回すと、麻衣の手前怒りの声が露にならないように、できるだけ普通のトーンを装って、


「舜、休んだの、ダレか知ってる?」


 と、池に針を落すような気持ちで投げ込んでみた。


「舜くん、どうしたの?」


 麻衣もほんとうに何も知らないらしく、だいたいの生徒が麻衣と同じような反応だった中で、幾人かがちらっ、と振り返った。予習をする者、雑誌を開く者、無関係に友人同士で投稿用の画像や動画を撮っている者など、何十人もの教室の中で、鋭角に切れ上がった真司の視線は、その先に小さく緊張する数人を見逃さずマークした。


       ‡


 職員室では教師数人が校長を囲んで緊急ミーティングを開いていた。ノンスリーブの白いサマーセーターを着た沙羅先生に、珍しく早い時間に来ていた士朗も深刻な面持ちで立っていた。


「…じゃあ、篠月は転校がイヤで?」


「発見された沼というのは? 他の生徒たちもよく足を運ぶ場所なんでしょうか?」


「事故ですか? それとも変質者に連れ去られたとか…」


「天然ガスという可能性も」


「まさか、自殺…」


 情報の統一がされぬまま、職員室はパニック状態だった。士朗は黙ったまま、真っ白くなるほどに拳を握りしめていた。


「みなさん落ち着いて! 落ち着きましょう!」


 一見落語家? 噺家のように見える紋服袴姿の校長が頬を火照らせ、耳の上にだけ残った雲のような白髪の間の築山に汗をいっぱい浮かべながら、囲んだ先生達を制した。

「同じ事が起こらないようにする事が先決です。いいですか? まず生徒達には、あの沼に行かないよう呼び掛ける事。それから、登下校時ひとりで行動はしない事。この2点をまず徹底させましょう」

「はいっ」

 詳細の対応は後のミーティングで、と、とりあえずめいめいの教室へ各先生は散っていった。


       ‡


 高く石垣の積まれた城址(しろあと)の上にある「鉱石公園」に、舜はいた。

 龍神川が湾に流れ込んでゆく町の景色が一望できる。中学の校庭もここからよく見えた。


 すべり台に上がり舜は円形広場の灼かれた白砂に目を落していた。

 花崗岩の砕かれたそれは、昨日の雨の湿り気をいくぶんかまだ含み、いく粒かはすべり台へのぼる舜のかかとに付着し階段の途中までついて来ていた。濡れたステップに、雲母やガラス質の石英などがつき、キラキラ反射している。


 朝、家を出たものの…… なんだかいつもの通学路は通りたくな

くて、いつもは曲がらない角をいくつか折れて、まだシャッターも上がらない商店街を抜け、なんとなく隠れるような気持ちで、舜はこの公園にたどり着いてしまった。

 白い子象の姿をしたすべり台をとり囲む、水晶を模したオブジェをなんとなしに眺め、舜は昨日追いかけたうしろ姿を、ふり返った黒い瞳を、思い返していた。昨日の夜から今まで、ずっと頭からそれが離れない。


 幼稚園から小学生の頃はいつも、祖母に連れられ舜と真魚でよく遊んでいた公園がここだった。

(紫水晶、薔薇水晶、煙水晶… あのレモン水晶んとこに、よく腰掛けていたな)

 硫黄を含んだ黄色い人造水晶が、ブランコのある方向に斜めに生えている。

(…だまって、転校しちゃうなんて)

 リノリウムの廊下は、急な雷雨で灯された蛍光灯にところどころでこぼこと光り、ゆるく波打つミドリの沼のようだった。職員室の灯りがこぼれる廊下で、舜は昨日、真魚の母親があいさつに来ているところを見かけたのだ。それで通りがかりに、真魚たちが遠くへ引っ越す事、もう、この学校には来られなくなる事を聞き……

(それで真魚、昨日先生にあんな事言ったのかも)

 気がつくと、舜は駆け出していた。

 先に帰った真魚に追いつけるかどうか? なんて、考える事もなく、追いついてそれでどうするのか? それも何の考えもなく、ただ駆け出し止まれず走り出していた。

 昇降口で、急な雨に置き傘がなく、舜のものを勝手に持っていこうとしていたクラスメイトの気まずさなんて、その時の舜にとってはどうでも良い事だった。だからそれを隠すために立ちふさがった彼らをはねのけ、傘も気にせず外へ飛び出したのだ。はねのけられ

た彼らが怒りをおぼえて追って来るなんて思ってもみなかった。

 その眼中の無さが、ますます彼らの自意識を害し、普段からまったく話さない舜を衝動的にどうにかしたくなったのか、彼らも追いかけて来たのだった。

 過(よぎ)った彗星に巻き込まれた、宇宙塵のようなものだ。

 でもそれは、その眼中の無さは今日に至っても舜にとってはやっぱりなにも変わらず、彼らになんの興味も感じてはいなかった。


 ただ今朝の舜は、あの時あのまま行ってしまった真魚の顔を見る

事に怖じけてしまって心の中心軸が狂い、自転がズレてしまったかのように、いつもの通学路である軌道を逸れここに辿り着いてしま

っていた。


 白い子象のカタチをしたすべり台の上で「王冠」みたいな鉄柵に舜は腕を組んだひじをのせ、重ねた手の甲にあごをのっけて、柵の間から足を投げ出している。

 こうしている間にも…… 真魚といられる時間はますますなくなっていくのに… 

 夏休みまでは登校すると、真魚の母親から聞かされた。

(なにを今さら避けてんだ…)

 自己嫌悪に苛まれるのだけれど、どうにも動き出す事ができない。

 まさか今朝、舜と同じように真魚も教室にいないなんて事は、思ってもいない。


 そうして、なにをするのでもないのだけれど… ただ、家にはいられず、かと言って、ここをすべり下りて学校へ行く気にもなれなかった。


(ふぅ…)

 ため息をついて、舜は胸ポケットへ手をやった。カラフルな柄の紙製の円筒をとり出すと、キュポッ、と上ブタを抜き、薄桃色の唇にあてがい上を向いた。ななめになった円筒から、色とりどりにコーティングされた粒状のチョコレートが2、3粒、口の中へすべり

こむ。小さな円盤状の粒を舌で数えると、ななめにしていた筒を戻しフタをしめた。

 カリッ、軽く噛んで、中の甘い粘液が溶け出して来るのを、舌を転がして待っている時、上を向いたはずみか? 太陽の陽射しが目に入り、ふっ と 辺り一面が、真っ白い光の中に見えなくなった。

 

 たちくらみ?


 まぶしく、目も開けていられないように感じたスグあと、今度はクラッとして辺りが真っ暗になったように思い、舜はあわてて子象の王冠型の鉄柵にしがみついた。


 口に入れたばかりのチョコレートの味も舌が麻痺したように感じない。握っているはずの鉄柵の冷たさも皮膚感覚を失い、意識も? 起きている? 寝ている? どっちか自覚もかすれかけた頃… ほんの一瞬の事だったのか? 実は長い時間が経っているのか? なんとか左手一本で柵をつかんでいた舜は、体をななめにしたまま子象の頭からすべり落ちないですんだ事を知った。


 口の中のチョコレートが、カタチなく舌の上一帯にねっとりひろがっているのがわかり、一瞬というほどではなく、これが溶ける間の時間だけ意識が飛んでいたのかな? と、思った。


(こんな、影もできないようなところに座っているからだ…)


 溶けたチョコレートの甘さも、つかんだ鉄の感触も戻ってきた舜は、だんだん意識を取り戻してきたと思い、ました?

(…ました?)

 そう真下… あ、イや、ホんトはうえ。

「上?」

 そう!

 舜はどこからか聞こえてきたのか? それとも気絶の続きで頭の中だけで響いていた声なのかわからぬアナウンス? に思わず声を出し、問い返していた。そして、今までいなかったもの! 


「……は?」


 大空に、ヘルメットをかぶった大きな男が現れたのを見上げていた。

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