十一着目 とある腐女子の仮装演者(コスプレイヤー)

 そうして俺達は遂にやってきた。

 夏のコミックマーケット最終日。

 今日、ここ東京国際展示場で、コスネーム・ドドミンこと、土留彩羽がコスプレイヤーとして華々しいデビューを飾れると信じて。

 電車を乗り継ぎ国際展示場駅に降り立つと辺りからざわめき声が上がる。


「あの人なんか見たことある」

「黒裂華音だ……」

「え? なに? 有名人? かわいい」

「華音様だ……」


 遠巻きにではあるが黒裂さんに気が付いた人達がヒソヒソと話しているのだ。

 まあ気が付いたっても、こんなゴスロリ衣装を着ていたらそりゃわかるよね。

 それにしても流石だ。まあ、りんかい線の中からずっとこんな調子ではあったけれど、流石の知名度。

 ここや秋葉原の様な特殊条件下の場所であれば最早芸能人レベルである。

 そんな人と一緒に歩いているなんて、なんだか得意げな気分になってしまうのだが。


「あの男はなんだ?」

「……なんだあいつ、なんで華音様と」

「奴隷かなんかなんじゃないの?」

「あいつ、昨日アキバで華音様にご褒美貰ってた奴じゃね?」

「死ね、爆発しろ」


 羨望の眼差しを集める黒裂さんとは対照的に、なぜか俺にはものすごいヘイトが集まっている。

 この人混みで刺されないか心配になってきた。……マジで大丈夫だよな?


「す……すごい人気ですね華音さん」

「当たり前だろ、コミケ七巨頭の一人なんだぞ」

「あれって先輩の作り話じゃなかったんですね」


 そんなことを話す俺と土留の横で、笑顔でギャラリーに手を振る黒裂さん。

 二日酔いは治ったのだろうか? すごいプロ根性だな! ほんと、この人のこういうところは感心するわ。


 さてさて、そんなこんなでソワソワしながら入場口まで進み、改札から出てそのまま流れに乗って、やぐら橋方面へ行こうとすると、黒裂さんに一階タクシー乗り場の方へ行くと言われたのでそのままついて行った。

 サークル参加者と書いてある看板の前まで行くと黒裂さんは振り返り笑顔になる。


「ありがとう送ってくれて」

「いやいや、送るもなにもついてきただけですけど」

「それでも一人だったら、あっと言う間に囲まれて辿りつくのも困難だったわよ」

「俺は露払いの為にあんなにヘイトを集めたってわけですね。知らない人から死ねなんて言われたの初めてです」


 黒裂さんはそんな俺の言葉に苦笑しながらも、本当に感謝している様なので良しとする。


「さてと……それじゃあ土留ちゃん、ここからは」


 言いかけたところで黒裂さんは黙り込む。

 なんだ? また吐くのか? いや……違う……。

 身構えるのだが、黒裂さんの視線は俺と土留ではなくその先、俺達の後方へと向けられていた。

 咄嗟に振り返るとそこに居たのは……。


「ま……ままま……まさか……」

「? 誰ですか? 先輩、お知り合いですか?」

 その姿を見て黒裂さんは小さく舌打ちをする。


 まるでそれはこの地上に降り立った真っ白な羽。

 その白く美しい素肌とは対照的に、艶やかな黒髪が風に靡く。

 端正な顔立ちではあるが幼さを残したようでもある。しかしながらどこか憂いを帯びたその瞳は妖艶な光を放っていた。

 そしてモデルのようなすらっとした体型から延びる長い手足……。

 天使だ……天使がここビッグサイトに舞い降りてきた! 

 そう形容するしかなかった。陽の当たらないこの一階ロータリーで後光がさしているように見えるのはなぜなんだ?


「久しぶりですね華音さん」


 天使から発せられる言葉。

 なんだ? これは福音か? なんて心地よい響きなんだ。


「え、ええ、そうね麗奈(れいな)、冬コミ以来かしら」


 黒裂さんは引き攣った笑顔で返事をした。


「だから誰ですか先輩? いつも自分達だけで話を進めないでください」

「ど、土留……あの人は……あの人は、コミケ七巨頭の一人……。いや! 七巨頭のトップ、光のエレメント、天の守護者(ガーディアン)・大天使ガヴリィル麗奈さんだ」

「相変わらずごちゃごちゃしていてわけわからないです」


 まさか、こんな超人気レイヤーにこんな所で会えるなんて思いもしなかった。

 トップレイヤーと言ったが、その言葉に誇張はない。

 この人は紛れもなく現状、最も人気のあるコスプレイヤーだろう。

 芸能事務所などに所属してはいないが、雑誌の巻頭グラビアなんかを飾ったこともあるほどだ。

 フォロワーは裕に200000人を超える。黒裂さんが35000人くらい、まあそれでも十分にすごいのだが、そう考えると化け物クラスの人気である。

 心臓が飛び出しそうなほどに鼓動がうるさい。

 やばい、マジで緊張してきたどうしよう。それにしても麗奈さん、すごい綺麗だけどなんだろう。コス写真とは全然印象が違うな。写真では愛くるしい笑顔を見せたり妖艶な表情を見せたり悲しげな表情をしたり、色んな感情を表現しているのだが、なんと言うか、今はまるで氷の様な……そんな印象を受ける。


「華音さん、その方達は?」

「あ、ああ、この子はドドメちゃん、そしてこっちが例のフラッシュ・ゴードンくんよ」


 あ、その呼び方、麗奈さんにも浸透してるのね。マジやめて。


「この子が……華音さんお気に入りの……」

「わーっ! わーっ! れいなちゃ~んっ! ちょっとこっちおいでええええっ!」


 麗奈さんの首根っこを掴み連れて行く黒裂さん。

 なんだかヒソヒソ話をしている。なんなんだ一体……あ、戻って来た。

 戻って来ると麗奈さんは頭を下げて自己紹介をする。


「初めまして、麗奈です。カメラマンさんとコスプレイヤーさんだったのですね。私もコスプレをするんですけど、会場内でお会いすることがあったらよろしくお願いしますね」

「いえいえこちらこそ。コスプレは初心者ですけど、まあコミケにはよく来るからトイレの場所とかは詳しいので困ったらなんでも聞いてくださいね」


 手を差し出し握手を求めてくる麗奈に、土留はなにやら不敵な笑みでその手を握り返す。

 いやいや土留。その人はおまえなんか比べものにもならないくらいの超人気レイヤーなんだからな。トイレとか行かないから、だって天使なんだよ? どっかの駄目天使みたいにダークマターを精製したりしないんだからねっ!


「はい。ありがとうございます。それじゃあ私はこの辺で、華音さんも今日は一日よろしくお願いしますね」


 そう言うと麗奈さんは足早に会場内へと入って行った。

 流石トップレイヤー、当然チケット持ってますよね。

 その姿を忌々しいものでも見るかの様な表情で、黒裂さんは見つめていた。


「ちっ、相変わらずいけ好かない奴ね」

「えー、めちゃめちゃいい人じゃないですか。黒裂さんの10倍くらい」

「あんた。私の撮影会出禁にするわよ」

「すいません」


 そんなやりとりをしている俺達の横で土留は黙り込んでいた。


「どうしたんだ土留?」

「先輩……」

「なんだよ?」


 麗奈の去った先を鋭い視線で見つめながら土留が呟く。


「あの人……笑ってました……」

「え?」

「目の奥で、わたしのことを見て笑ってました。あれはっ! あの笑顔は挑発ですっ! わたしみたいなのがコスプレなんて笑わせるなって目でしたっ!」

「いやいや、土留。そりゃあおまえ勘繰りすぎ……」


 土留の眼は真剣だった。この二日間、学校では見せてこなかった土留の素顔をいくつも見てきた。 

 それがこんなにも怒りに燃え、闘争心を剥き出しにしている土留は初めてだった。


「わたしっ! 負けたくありませんっ!」


 その台詞は、土留が初めて発したコスプレイヤーとしての決意のような気がした。

 俺にはその言葉がそう聞こえたんだ。


 入場待機列に並び俺達が会場内に入れたのは10時半頃であった。

 開場から30分で中に入れたのだから早い方だろう。

 土留は受付を終えて更衣室へと向かう間もその顔に笑顔はなかった。

 じっと黙り込み険しい表情をするその姿に、俺は一抹の不安を覚えたがここまで来たらやるしかない。

 そう思いながらエントランスホールの緑玉の前で土留が来るのを待っていた。


 黒裂さんの一言が土留の表情を変えた。

 トップレイヤー麗奈に負けたくないと言った土留であるがこいつも馬鹿ではない。

 いきなり超人気レイヤー、コミケ七巨頭のトップに勝負を挑んで勝てるなんて、そんな身の程知らずなことを言うわけはない。

 負けたくないと言うのは麗奈にと言う意味ではなく、彼女に馬鹿にされたままでは終わらないと言う彼女なりの決意表明だ。

 それは俺も黒裂さんもわかっている。むしろ土留がここ土壇場にきて、これほどコスプレに対して前向きになってくれたのは僥倖だと思った。

 しかし、そんな土留の決意の後に出た黒裂さんの言葉は、俺にとっても想定外だった。


「そう……それならもう大丈夫ね。ここからはあなた一人でがんばりなさい」


 その言葉に土留は呆けた表情になる。

 俺も一瞬意味がわからなかったが、みるみる内に土留の表情が不安に染まった。


「え? どういう意味ですか?」

「そのままの意味よ。ここから先、会場内に入ればあなたと私はもう師匠と弟子ではなくて、個人(レイヤー)と個人(レイヤー)ってこと。あなたがトップレイヤーを目指すと言うのであれば、それは私のライバルでもあるってことだからね」

「そ、そんな……わたしが華音さんのライバルだなんてこと……」


 土留は動揺を隠せない。


「あら違うの? じゃあ今日はここでコスプレをして遊んで帰るのね。前にも言ったでしょ。それならそれで構わないわ、コスプレの楽しみ方なんて人それぞれなんだから。でもね……」


 黒裂さんは少し溜めて大きく息を吸うと言い放つ。


「あなたが私達と同じステージに立つと言うのなら私はそれを全力で迎え撃つわっ! 私の方がより多くのファンをっ! より多くのカメコ達を魅了して見せる! 皆で仲良くファンを分け合うなんてことはできないんだから……突き詰めればコスプレイヤーってのはね。孤独なものなのよ……じゃあね。健闘を祈るわ」


 黒裂さんは背中を向けて振り向きもせずにその場を去って行った。


 土留を待つこと約30分、時刻は11時22分であった。

 まだ昼前だし余裕はあるな。

 そうこうしているとエスカレーターに見えたあの衣装は、土留だ。待っている間に何人か同じ衣装を着た子が前を通ったが今降りてくるのが土留だとすぐにわかった。

 ぎこちない。とにかくぎこちない。この表現が一番ぴったりだろう。コミケの人混みに慣れているはずの土留が人の波を上手く避けて歩けていない。

 ようやく俺の前まで来るとやっぱりその表情は緊張して強張っていた。


「お……お待たせしました先輩」

「おうっ、準備はいいか?」

「は……はい」

「それじゃあ行くか……の前に、移動中は眼帯を外せ危ないぞ、あと帽子も、被り物ではないけど、それはつばが広いから抱えて行った方が周りの迷惑にならないだろう」


 コミケマナーには厳しい感じだった土留がそんなことにも気が回らないくらいにテンパっているのだろうか? それともやはり黒裂さんの言葉を気にしているのだろうか?

 恐らくそうだ。やはりあの言葉はショックだったのだろう。

 初対面の時には人見知りよろしく激しく拒絶してはいたものの、指導を受ける内にすっかり黒裂さんに懐き頼りにしていた様子だった。

 このコミケの間も何かあれば頼ろうと思っていたのだろうが、黒裂さんのあの言葉はその甘えきった気持ちに冷や水を浴びせるようなものであった。


「土留……大丈夫か?」


 俺は心配になり土留の顔を覗き込み問いかけた。


「は、はい。大丈夫です。ここまで来たらやりますよ。やってみせますよっ! わたしはこう見えてやる時はやる女なんですからね」


 胸を張り手の平でばんっと叩いて見せる土留であるが、どう見ても虚勢を張っているようにしか見えない。


「もうっ! 早く行きますよ先輩、時間は限られているんですからね」


 そう言いながら歩き出す土留であるが。


「そっちは一方通行だ土留。とりあえず落ち着け」

「わ、わかってますよっ! ちょっと先輩を試してみたんです。わたしのコス姿に舞い上がってないか確認したんです」


 やれやれ、完全に動揺していますねこの子は、まあしょうがないこうなったらショック療法だ。とりあえずエリアに立たせて、やらせてみるしかない。

 こんな時、黒裂さんならなんて言ってアドバイスするんだろう……。

 土留を人気レイヤーにしてみせると言いながら、俺も黒裂さんに頼り切りだったってことだな。

 でも黒裂さんは今ここにはいない。助言を仰いでもおそらくは突き返されるだろう。

 ここからは俺と土留二人きりなのだ。二人きりで乗り越えなければならないのだ。

 そう決意を固めると俺と土留は一階西ホールを抜けて、西屋上コスプレエリアに向かう。

 いざっ! ドドミンのコスプレ姿のお披露目だ。

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