第40話 離宮へ

 二人で離宮を見に行くことになり、フレデリック王子は一階の応接室でソニアが着替えを済ませるのを待つことになった。ラムジーもネリーも恐縮してしまい何を話していいかわからず、無言で傍に控えている。


「そんなに緊張なさらないで。普段通りになさってください」


 そう言われても、二人には無理なことだった。我が家で一番広い応接間でさえ王子の部屋の十分の一ぐらいの広さなのだろうと思うと気が引けてしまう。よく、我が娘ソニアと結婚したいなどと思ったものだと、理由がわからないままだ。ソニアは大勢の女性たちの中では、それほど目立つほどの美人というわけではない。しかし、他の娘とはどこか変わったところがあるのだろうと思っていた。二人が緊張のあまり固くなっていると、ソニアが階段を下りて音がしてほっとした。


「支度が出来ました、フレデリック様」


 ソニアは、華やかな気持ちになり深紅のばら色のドレスを着ている。王子がどんな反応をするか気がかりではあったが、晴れやかな気持ちを表すような色を選んだ。


「おお、明るい色だね。明るい肌の色にあっている」


「ああ、良かった。少し派手かと思いました」


「いや、薄い色だけでなく赤もよく似合う。今日は情熱的なんだな」


「気持ちも晴れましたので……」


 離宮を見に行くと言ったので、お洒落をしてきたのだろう、と王子は思ってた。


「さて、行きましょう」


「はい」


 ソニアは、王子の腕に手を添えた。あまりに自然にそんなことができたことが、自分でも意外だった。もう人に見られてもいい。馬車は、家の前に止められていた。王子が手を取ってソニアを馬車に乗せ、一路離宮を目指した。場所は国王陛下に聞いてきた。王妃もあまり訪れることがなく、最近あまり使われていなかった別邸だ。石畳の街並みをまっすぐ通り過ぎ、次第に家がまばらになってくる。ソニアは街の少し外までは歩いてでも行ったことがあったが、馬車ではあっという間に見慣れた街は通り越してしまった。街の外へ出ると広大な畑や牧場が広がっていた。


「うわあ。広いですねえ」


「……そうだなあ」


 さらに馬車は、勢いよく進んでいった。まばらに家があるのは、そのあたりで農作業をしている人々の住居だ。


「本当に広々して……素晴らしい」


「……そう?」


 窓を開けると馬車の中にも草の匂いが入ってくる。それとともに、ヒツジや牛などの家畜が発する臭いも混ざってきた。


「動物もたくさんいるし……いいですねえ」


「……そう思う?」


「……まあ」


「どう?」


 景色が農場に変わってから、随分走っている。本当にこの道でよかったのだろうか、と王子は気になってきて、御者に声を掛けた。御者は、馬を止めると何事かと王子の方を振り向いた。


「どうかなさいましたか?」


「本当にこの道で合っているの?」


「ご心配なく。私、国中の全ての道を知り尽くしておりますので」


「……そう。まだだいぶかかるのか?」


「あと少しですよ、丁度いい。馬も休憩したがっていたようだから、水を飲ませてから行きましょう。殿下も降りて休憩なさるといい」


「ああ、ソニアにも伝える」


 王子は、馬車の入り口を開け、ソニアに外へ出るように言った。


「あ――、気持ちがいいですねえ。見渡す限り緑ですね。着いたのですか?」


「……いや、まだだ。馬を休憩させてからまた出発だ」


「私もう心配しないことにしましたから。フレデリック様と一緒だから、何とかなるような気がしてきました」


「やっとその言葉が聞けた」


 しかし、ここまで来てフレデリックの方が心配している。どこまで行けば離宮にたどり着くのだろうか。人里離れたところだとは聞いていたが、誰もいない山奥だったらどうしよう。二人で暮らしていけるのだろうか。一方ソニアはゆったりと深呼吸し、田舎の空気に浸りきって機嫌がいい。


「さて、そろそろ出発だ! お二人ともお乗りください!」


 御者の掛け声とともに、出発した。街からほとんど出たことのないソニアは、旅行に出かけているような気分で馬車の中で、身を乗り出したり王子の手を取って指さしたり楽しげだ。


「ほらほらあそこにもたくさん羊が! 牛もいますよ」


 王子は逆に同じような光景の繰り返しに、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。馬車は静かに止まり、御者が二人に降りるように言った。彼は、先に降りドアを開け二人に手を差し伸べてた。ソニアは彼の手にしっかりとつかまりそっと地面に降りた。周りの景色を見回す。どこに離宮があるのだろうか。


「ソニア、あそこが離宮ではないか?」


「……え、あれがですか? おとぎ話に出てくるような建物ですが……」


 御者は、にっこりとうなずいて、はいさようでございますと答えた。石造りの塀に囲まれてはいたが、王宮とは比べようもないほど小さな建物だった。明るい麦の穂のような色の石でできた離宮は二階建てで、上には小さな尖塔がそびえていた。白い窓枠に縁どられた窓の向こうには、白いカーテンがかかっていた。


「私はここでお待ちしていますの。中をご覧になってきてください」


「では、行ってみましょうか」


「足元に御気をつけください。何がいるかわかりませんからな」


「いや、脅かさないでください!」


 ソニアはドレスのすそを持ち上げ、離宮の方へと一歩また一歩踏み出した。王子は、ソニアの手を取りしっかり握っていた。


「転ばないように」


「転んだら、起こしてください! こんなに逞しい手をしていらっしゃるんですから」


 入り口には警備の兵士が控えていた。兵士は、離宮の横にある兵舎で寝泊まりしているが滅多に来客などは来ないので、いつもはのんびりしている。思わぬ来客の姿を見て、慌てふためいている。


「フ、フレデリック様っ!」 


「結婚したらここに住むことになった。中を見せてもらう」


「はいっ!」


 王子は鍵を差し出し兵士に扉を開けさせた。軋むような音がして、扉は静かに開いた。


「わあ、凄いです! 広い家ですねえ」


 扉を開けると玄関ホールがあり、テーブルやソファがあった。廊下を進むと執務室や食堂が見える。階段を昇っていくと、寝室がいくつかあった。ソニアの家から比べればはるかに大きかったのだが、王宮から比べれば、ほんのわずかのスペースしかなかった。だから二人の反応はは、全く異なっていた。


「狭いな。でも、仕方ない」


 一階へ戻り、帰ろうとしたその時、テーブルの上に何かが置かれていることに気がついた。王子は、傍へ寄りそれを手に取った。一通の書置きだった。


『フレデリック、お前に好きな女性が出来て結婚したいと言い出した時から、ここの離宮で暮らせるように準備してきた。台所などは何年も使っていなかったのだが、すべて設備を新しくしてある。安心して住むがよい。ソニアさんも、周囲の目を気にせず自分のやり方で住めるだろうから。父より』


「父上……随分しゃれたことをするなあ」


フレデリック王子は、手紙をそっとポケットにしまった。

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