臨死体験トリップ手順奇譚

本陣忠人

終/始

「死」。


 それは絶対的な終局で、人種や言語はおろか、知性の有無や生物の種という絶望的な垣根さえも越えた究極の概念。


 それすら──敢えて文化的な言語を有する人類として翻訳すれば、英語ならデッド、アイヌ語ならライ。そんでもってイタリア語ならば…って、あー知らねぇな。


 てか、何でそもそも色んな言語で言い換えちゃったんだろう? 不必要な見栄を無駄に張っちゃったんだろうか?


 敢えても何も無くて、生まれ育った母国語たる日本語以外は喋れねぇのにな。無意味に格好をつけ過ぎだな。うん。


 まあ、それはそれで。

 それなりにテンパってるっていう確かな証拠かもな。


 いやいや、まあまあ、あらあら。


 そりゃあテンパるさ。

 ああテンパるよ。

 テンパらないはずも無し。


 目前で眼前の、正しく鼻先三寸の目の前で繰り広げられている――何だか勝手に進んで繰り広がっている意味不明で理解不能な風景を見て、盛大に腰を抜かしておったまげない奴なんかいるのかな?


 もし、仮にそんな豪胆な器を持った奴がいるのならきっと…そういう奴が多分物語の主人公足り得る人間ヤツなんだろうよ。


 ほんと羨ましい程に、言語化できないような何者かによる『補正カゴ』があるんだろうよ。ああ、妬ましい。


 だけど、


 有する存在感の質量を体現する様な薄い網膜をく鮮烈な不思議を不思議のまま、すんなり素直に呑み込んだりは出来無いし、つらつらと極めて作業的に言葉を紡ぐ男の事を一切信用出来ない。


 何なら目に映る全ての存在すら――もっと言うと捉えている現在が現実かどうかさえ――小市民的にどこまでも疑っているのが現状である。


 そんな自己嫌悪と自己憐憫を練り込んだ螺旋を主としたデフレスパイラルに巻き込まれて、抜け出せない俺の手元に垂れた蜘蛛の糸は…色家を感じない低い男の声。


「…となりますが、了承と言う事でよろしいでしょうか? よろしいですよね?」

「は?」


 これまでに重ねた、一心不乱を心情にするが如く、下を向き書類の様なものを捉え続けていた双眸そうぼうはしっかりと俺を捉え、今までひたすらに意味不明な文言を垂れ流していた口から更に意味不明な同意を求められた。


 結果として依然意味不明かつ理解不能なままである。


「いや、ちょっと…スンマセン。デンパノセイカナ? 全然聞いていなかったので了承も何も……」

「はぁ…」


 社会人としてどうかと思う口調で発した謝罪に対する返答は大きな溜め息。俺も大概だけど、あんたも大概失礼だな。


 と、普通に憤慨してみる気持ちをグッと抑える事が出来るあたりは流石に俺も一端イッパシの大人の一人であるね、うん。


 男は左の手のひらで自らの顔面を覆う様な仕草で眼鏡を直してから言葉と場を仕切り直した。


「では、また始めから説明致しますので、今度は聞き逃さないでくださいね? メモのご準備はよろしいですか?」

「何処にあるんですか、そんなもん」


 反射的にシャツの胸ポケットを探り、メモやボールペンなんかが入っていないことを確認した後。

 なんとはなしに、あたりをぐるっと見回して見れば、何故だか白く光る四角い空間にはギリシャ彫刻を思わせるレリーフに彩られた――これはなんとも、実に使いづらそうな――大きな机と。

 これまた無駄に壮大で、アレクサンドリアでも座っていたんじゃないかと錯覚する椅子が二脚があるだけ。


 対岸のそれに腰掛けるのはビジネスパーソンのテンプレみたいに黒髪を左右に撫で付けたメガネの男。


 そして、残りの一脚には緊張混じりながらも明らかに一般人とは一線を画する雰囲気を持った尋常ならざる存在感を否応なしに放つ二十代男性。

 威風堂々たる趣で腰掛ける男は、着込んだ服の上からでも分かる筋骨隆々な体躯を持ち、その肩の上には映画俳優かと見紛う程に整った顔立ちがあり、更に分厚い皮と堅い骨をすり抜けたその先にはアインシュタインに匹敵するともっぱら評判の脳みそが入っていると言われている。


 そう、俺だ。

 間違いなく私で、僕で、俺である。


「では改めて…」


 俺の色眼鏡と脚色で偏向されたバイアス満載でアゲアゲな心情について一切を鑑みる事無く、七三分けの男は感情の一切を廃した声でそう始めた。


桜小路サクラコウジ実篤サネアツさん――つまりは貴方の事ですが――と言うか…え? これは本当に本名ですか? 芸名や雅号がごうでは?」

「本名なんで続けてどうぞ」

「え?」

「いや…はい普通に本名なので、話を進めて頂けると助かります」


 慇懃無礼を通り越して、結構普通に無礼で失礼な言葉の応酬を互いに繰り返す。

 名前の事は普通にコンプレックスだし、そっとしておいて欲しい。文豪か芸術家みたいな名前は凡人には重く、願望の外にある先天的なカセに近しい。


 そんな絶望的な感傷も過去の――いや、もうなるのかな?

 そうなればひどく遠いものに感じるけれど。


 最早そんな些細な物思いこそ――それこそ些細な些事であり枝葉ですら無い砂粒の一端である。


 どうして俺がそんな状況になったか…。

 それを一言で言い表すのは大変骨が折れる作業ではあるのだが…同時に凄まじく気恥ずかしい吐露ではあるのだが――まあ、シンプルで着飾らないありのままを申し上げるなら――、


 暴走運転気味のトラックにハネられて、死んだと思ったら真っ白なにいた。


 行き過ぎた自己責任論が横柄にも幅を利かせる現在の世相やトレンドを地で行く死に様である。

 そんでもって全くもっての余談だが、その他のキャッチーなムーブメントとして挙げられるのは地下鉄で電車にかれたりとかがあるけれど現在は置いておく事としよう。


 内外に繋がるそんなこんなに目を背けて本筋のみを語るならば、死んで虚無に帰すのかと思ったら七三メガネが几帳面に座する白い空間にいた。

 道理や辻褄が合っているのかはかなり微妙だが、事実として言葉のままであるので――何というかやっぱり微妙な感じだ。


 そして心のアナログ極まりない時計の針を現在に戻せば、ビジネスマン風の正体不明な男はつらつらと――俺が馬耳東風モードなことを知ってか知らずか――事務的で熱の無い口調で説明を続けている。


「…では桜小路さん。貴方が亡くなって此処ココにいる理由はよろしいですか?」

「えっ?」

「よろしいですか?」


 ええ、ヤバいな。

 自己の事故を回想し、軽く反芻はんすうしていたせいで、まるっとさっぱり聞いていなかったぞ…。

 よろしいどころかよろしくないとも言えない。良否の判断基準がまるでない。流石に二回目は不味いよな? 感じ悪いよな? さてはて、どうしよう?


「そ、それでっ! そもそもの話として…はどこなんですか? あの世って奴?」


 コンマだかセカンドだかの瞬間の間に葛藤し悩み抜いた末の結論は微妙に無関係で、微細びさいに沿わない質問。

 相手が女性の指だか手に並々ならぬ執着を見せる爆弾魔であれば「質問に質問を返すな」と一蹴されて爆殺される所だが、この岩はどう転がるか…。


「ふむ、そう言えばその説明をしていませんでしたね。失敬」


 メガネのレンズに手元の資料が反射するのを確認しながら、心の中で大きくガッツポーズ。内なるプリキュアもこれには拍手喝采の狂喜乱舞である。はっはっは、これこれ…そんなに褒めるでない。


 理由は不明だが、急速に冷めていく部分が頭と心の中で領土を拡大しつつあるのを感じながら流れのままに、場に流される。


「私と貴方がこうして向かい合っているのは『亡我ぼうがの間』。現世ウツシヨ隠世カクリヨの狭間の世界」

「うわなにそれクソみてぇなテンプレ感満載な設定。頭ン中ラノベなの?」

「むっ?」


 おっとぉっ?

 いささか言葉の棘がダイレクトかつストレート過ぎたらしい。目の前の不審な男は眉を潜め――ってそうだ!


「なるほど、ここは『亡我の間』という場所なのですね…。それともう一つお聞きしたいのですが、構いませんでしょうか?」

「勿論です。尤も、お答え出来ない場合があることをご容赦ください」

「それこそ、もちろん」


 直前の失言をバイツァ・ダストすることに成功し、互いに外面ペルソナを被ってから、熱伝導率の悪い平たい声音で言葉を交わす。先程の失言を取り下げる気は無いが、欲しい物はもっと別にある。


「先程から丁寧に説明をして頂いている貴方――そう、貴方の名前をまだお聞きしておりませんので…」


 そう、これこれ。

 だからイチイチ七三メガネとかビジネスマン風の男とか長ったらしい割に個人を特定出来無い代名詞を使う羽目になる。そんな面倒うんざりだ。


 それ故に、武士ならまずは名乗れという結論に達した訳だ。

 義侠を重んじるさぶらいの俺には耐え難い不義の行いを改めよ!


「おっと、これは重ね重ね失礼を」


 全く謝意を感じさせない口調ながらも男は立ち上がり、懐から名刺を取り出して片手で俺に差し出した。

 どうやら黄金の国ジパングでいびつな進化を遂げたビジネスマナーは適応されない環境らしいので、適当な感じで椅子に腰を下ろしたままのルーズな姿勢を崩さず片手で受け取る。


 そのままの流れで、券面の表示を確認した。


【死神天使】


 無機質なフォントで書かれていたのはそんな文字。

 一行で矛盾している様な気がしなくも無いが、どちらも隠世カクリヨとやらの存在と言う意味では大差は無いのかもな。


 つーか、架空の存在ならもっと美形を用意しろよ。常軌を逸した浮世感を持つ美人とは言わねぇ。たださぁ――、


「それでは私の紹介はこれにてという事で今後の――これからのお話を致しましよう」

 

 これから正義の話を絶対にしないであろう男は中肉中背のフツメン。年齢は不詳。幼い少年にはまるで見えないが、青年や壮年とも見える不思議な造作。もっと湖畔こはんたたずむエルフ感か、林檎と歌舞伎が好きそうな感じを出せよ。


 ああ、でも確か天使って性別無かったよな。とは言えこれはあんまりだ。


 なんか意外と現実って平凡でつまんねえな…尤もこれが現実かは結構まだ疑ってる状態だけどさ。


 そんな考察とは無関係なピュアでセンシティブな部分が地獄と天界に軽く失望を覚えたが、取り敢えず死神天使とかいう胡散臭い存在の話を聞こうという気になった。何故かって? ちょっとした超常現象を見たからだ。


 向かい合う死神天使の更に向こうに――プロジェクターもないのに――パワポで作ったような資料が映し出された。

 振り返ってみてもそれらしき投写機は無い。ただ真っ白い壁があるだけ。おいおい、光源は一体ドコにあるんだよ…。


「まず説明させて頂きたいこととして、繰り返しになる様ですが、現世で貴方は死にました」

「っつ…随分ハッキリ言ってくれるね…」

「そして、これからは隠世カクリヨで生きて行く訳ですが、それにあたって幾つか注意事項とアドバイスをと思います」


 皮肉以下の嫌味は軽く難なくスルー。意外にもスルーッッ!!

 って程では無くて、まー普通に想定の範囲内だけど…待て待て、これからって言ったか? 生きていく?? ここが終着じゃないのか?


「ええ、これからです。これからのスタンスを決めて頂きたい。今、この場で」


 沸き立つ疑問の心を寄せた眉間から汲み取った訳では無いだろうけど、彼の続けた言葉はそれを解消するべく動いて行く。


「桜小路さん。貴方もご存知の通り、日本においては少子高齢化が深刻な問題となって久しいかと思います」

「えっ? 何突然…公民の話?」


 駄目だ。急な転換について行けない。ハンドルやらステアリングの切り方が雑で急過ぎる。インド人を右にって言葉がしっくり来る。

 目にする真っ白な部屋の光が網膜から入り込んで、その内に精神を破壊するんじゃないかと思う程だ。


 次は将来の年金の話かなと心を鎮めて、身構える。


「そしてそれはここ、同じなのです」

「どゆこと?」

「考えても見てください」


 ここで死神天使の背後にあるスライドが切り替わる。何かのグラフのようだが、一体全体どうやって切り替えた? どういう仕組みで動いたんだ?


 人類には早過ぎる謎技術に目を白黒させる内に次のスライド。また切り替わる。今度は写真とそれに伴う脚注のようだが…?


隠世ここに来るのは基本的に現世の死者。死んだもの。つまり…」

「老人の死者の割合が増えた?」

「ザッツライト。その通りでございます」


 なんかお前キャラ変わってない?

 そんなどうでもいい感想は脇に置いて、思考する。彼の言葉と目の前のパワポの資料、それらを組み合わせて穴だらけの推論を立てる。


 日本は少子高齢化社会。

 それは、全人口に対して高齢者の割合が高いということ。それは若者の数よりも老人の数が多いということ。

 そして――詳しい人数は知らないけど――日本における年間の死傷者数"X人"に対する割合はどうだろうか?

 恐らくそのまま人口比を当てはめたら、実測値にそこそこ近い数字が出るはずだ。


 要するに日本で死ぬ人は若者よりも断然老人が多いという事。

 それは同時に隠世カクリヨとやらに来る人数の多数派が高齢者であるという事。


 つまり…

 え? どういうことだ?


「そ、それが何か問題なんですか? 元々死者数なんて老人の方が普通に多数派マジョリティでしょう?」


 飢饉や疫病なんかで赤ん坊や子供がバタバタ死んでいった時代や、世界大戦なんかで若者の生命いのちがガンガン消費された時勢はともかく、近代以降――特に現代に入ってから大体そうじゃねぇの? 葬式の主役の大半は様々な理由でこの世を去った高齢者じゃねぇの?


 漠然とした偏見イメージに基づいた意見だったが、一部だけは正鵠せいこくを得ていたらしい。

 七三のメガネ死神は「元来大きく間違ってはいません」と同意してんだかどうか分かりにくい声を首肯と共に吐き出して、その意図を開く。


「確かに桜小路さんの仰る様に、本来の意味として。『亡我の間』は病気や事故、その他の理由を問わず死者の為にひらかれた場所であり、程度の差はあれどユーザーの大多数は老人と呼ばれる世代でした」

「いやいやユーザーって…」


 意味合いとしては正しいのかも知れないけど、ニュアンスとしての違和感が半端ないな。別に選んで好んで利用してる訳でも無いだろうしさ。サブスクじゃねぇんだぞ。


 そんな血の通った心の機微を一切介さないアンドロイドみたいに表情を崩さない死神天使。


 やはり本当に人間では無いのかも。この期に及んでまたまだ疑念を捨てきれない俺ではあるが、旗替えしても良い気になって来た。


「想定以上の高齢者りようしゃで『亡我の間』はパンク寸前なのです。加えてジジババばかりで華がなく、さながら枯れ木だらけの終わりゆく樹海の様相を呈しているのです」

「はは〜ん、察するに本音は後半部だな?」

「誤解です」

「ふ〜ん?」

「と、ともかくですね!」


 先程までとの機械的な声音とは打って変わって誤魔化し方が凄まじく人間臭いね。

 もし俺がチューリングマシンの中の人なら確実に人間と判断する所だけど、態度の変化があんまりにも正反対過ぎて、より一層懐疑は深まる。騙そうとしていないかと疑心は強まる。


「そんなカラカラに乾いた枯山水状態の隠世カクリヨを憂いた上層部――日本支部の代表議会はある決定を下したのはつい先日の事です」

「支部っ? どっかに本部があんのっ!?」


 さっきからちょくちょく制度や仕組みが現れる度に、結構わりかし気になるな。なにこれ会社か何かなの? 隠世カクリヨ公司カンパニーなの?


 降って湧いた素朴な疑問が消えずに燻り続けるが、これまでの傾向と対策からして無視される可能性が大であるので、そのまま心の井戸の底に速攻仕舞う。やがて重量に圧されて、消え行くことを期待しよう。


「その決定とは…」

「とは?」


 一旦ここでCMを挟みそうな重たい間まに、思わず息を止めてツバを飲み込む。一体何拍休んだ末の続きだったか、やがてその政策が明らかになる…。


「題して『いきいきヤングメンキャンペーン』です!!」

「ダッサ!!」

「何とでも仰っるが宜しい」


 なんで若干カタコト風味なんだよ。

 いやまてしばし、まあそれは良い。割と気になるが、今は捨て置け。もっと気になるワードがあったろっ!


「そ、その…ヤング、キャ…ンペーン? ってなんなんですか?」


 震える声で絞り出した疑問。

 字面からなんとなく刹那のヤングメンたる若人わこうど達にに特典があるのは分かるが、詳細がさっぱり分からん。信用できない行政と同じ匂いを感じるぜ…。

 

「結論から言いますと、十五歳から三十四歳までの方を対象に死後、お好きな世界に転生若しくは転移させようという企画なのです」

「なにその区分、ニート撲滅運動かなんかなの…?」

「いえ、現世の言葉の定義は分かりかねますが、これは隠世カクリヨにとって意味のある企画になります」

 

 何故ここまで来て「現世のことは分からないアピール」をする必要があるのか――それについて議会を設置する必要があるようなないような。

 いや、駄目だ。上っ面ばかりに気を取られるな。本質はもっと底の奥の方にあるって誰かが言ってた…って、誰だっけ? 俺のおじいちゃんだったかな?


 いいこと言うぜ! 流石は俺のおじいちゃん!!


「そんな荒唐無稽な企画の意味って?」


 心の中でささやくおじいちゃんだかゴーストだか、或いはプリキュアだかの言に従って、疑問を放つ。まともな回答が返ってくる可能性は…半々かそれ以下かな……。


「はあ…桜小路さん。貴方も人が悪い。気付いているのでは無いですか?」

「えっ? な、何をっ? 何にっ!?」


 何か急にサスペンス感溢れるやり取りになった気がしないでもないが、「お前本当は知ってるんだろ?」と問われれば、不思議と知っている気になって、気付いたつもりになるのが人間の常である。


 降って湧いた様な常に追いつく為に、周回遅れになる前に頭の車輪は内燃機関に負荷を与えて速度を上げる。

 

 ここまでの話をまとめてミキサーに入れてスムージーに変換するイメージ。既出設定に組み込んで新たな道筋を探す。

 動かない前提とそれを変革する意図を足して、そこに誰かの思惑と個人の打算を変数としてブチ込めば…ほら、楽勝だ。


 つまり、撹拌かくはんしたモノの奥に沈んだが企画の趣旨で目的で意味となる――!

 

「いや、普通に分からないんできちんと説明して貰っていいっすか?」


 結論から言えばさっぱりである。

 前提以前の問題として全く情報が無いに等しい状況で推論も何もあったものじゃない。


 キャンペーンって銘打つからには何かしら若者にとって――多分この場にいる俺を含めて――特典や利益のあることだろうな程度。論理と呼ぶには余りにも烏滸おこがましい理屈付けだけ。

 

 この短い間に何度目だろうか?

 眼鏡の死神天使は短い嘆息を挟んで、皮肉な口調で説明を開始した。


「ざっくり説明してしまえば、隠世カクリヨを訪れた若者を優遇しようという趣旨の企画であります」

「いやそれは何となく分かるんで、その内容を…」

「ここで示す『優遇』とは二種類あります。まずはスタンダードに隠世ココでの暮らしのグレードを上げること」

「ベッドがクイーンサイズになったりとかウェルカムドリンクが振る舞われたり的な?」

「ええ。そういった認識で構いません。優待サービスと言い換えても良い」


 なるほど。

 隠世ココでの暮らし――そのランクだかステージが上がるらしい。河原で積む石の数が減ったり難易度がイージーに変更されりなんかもありそうだね。うん、想像に難くない話だ。


 で、残るもう一つは?


「こちらは実に画期的な案なのですが、先程私は述べました。この世界は高齢のユーザーで満杯だと。ならばこそ――」


 が必要だと思いませんか?


「そ、それって…つまり?」


 ギラリと光る眼鏡に気圧されて、言葉に詰まる。人数を増やさない? 死んだ人間を? そんな事が可能なのか?

 それは輪廻のことわりに直接触れるみたいな禁忌の超常現象じゃないのか? 世界の仕組みシステム自体をイジる様な暴挙に見える。


 漫然とした迫りくる恐怖に怯える俺と、満足気な表情でそれを見つめる彼。

 後出しの男は口角を上げて嫌らしい笑みを浮かべる。


「ええ。遂に至った様ですね。核心に。その為の方法論システムは既に完成されており、使用実績にも問題ありません。安全性もそれなりに保障出来ていると言えるでしょう」


 新たに繋がるピース。改めて加算される欠片。

 それでも足りない情報を補完する想像と妄想。

 そこから生まれる一つの答え。


 死んだ人間は隠世に来る。

 だが、既にその皿は多くのものが載っていて、余った椅子は心許なくて、絶対値における残量は少ない。

 にも関わらずそれでも追加は送られ続ける。半永久的に。存在する限り、ずっと。


 ならば?


「何処か…別の場所ところへ追いやれば良い。隠世ココじゃないどこかに転送すれば良い」


 機械的に追加の受け取りを拒否して、これ以上皿に載せなければ良い。それだけの話。


 最悪の場合を予期する数秒先の発想に追従する様に凍る背筋を通り抜ける冷や汗。

 その一筋が再びの「ザッツライト」という肯定の言葉を載せて、尾を引く事なくあっさりと消えて行く。


 無意識の内に手のひらで目元を覆ってスライド。意識的に顎に移動させながら考える。


 いや、問題はその後だ。

 ココから何処に行くのか?

 俺は今から何をさせられるのか?


 それ次第だ。


 手段の種さえ分からず、この世界の平静の為に意味不明な場所へ飛ばされるのか…いや待て。

 眼前の男の言葉を信じるならば、これはあくまで若者達向けの「キャンペーン」。


 ならば、俺にとってそこまで不利益になる可能性は低い…のか?


 慰めの報酬にはちと足りない希望的観測が鎮静剤代わりにじんわりと身体中を巡る頃、死神天使はタブレット端末に酷似した板を取り出して、指を動かした。


 そして、何かの目録リストを表示させて俺に差し出した。


「これは?」

「私共がオススメする予定プランの一例です」

「ん?」


 予想よりも甘くて容易い雰囲気になる感じ?

 ってか、プランってなんだ? ディスティニープランとかそういう胡散臭い奴か?


「なんだこれ…」


 訝しげな気持ち八割で端末を覗いたら、思わず溢れたのはそんな幼稚極まりない感想。

 液晶の上に踊る文字の現実感の無さが招いた事態だと俺は思う。


 箇条書きで並んだそれらは紛れもなくリストであり、読みやすい様に振り仮名まである親切設計。つーか、日本語なんだな。ああ、日本支部だっけ? ココ…。


 しかし、母国語であるにも関わらず意味が頭に入って来ない。原因は明確で、それこそ一見して理解出来る。


 その理由は並ぶタイトルの、吐き気を催すレベルの頭の悪さゆえだと思う。


【酒池肉林? 軍師になって国王と後宮の酒池肉林を維持・管理してみませんか? 目指せ! 理想の酒池肉林】


 おいおい、何回酒池肉林って言うんだよ。言い過ぎだろ。董卓とうたくかよ。

 いかがわしい感じも行き過ぎて、ブラック企業の求人とアダルトビデオのタイトルが合わさった感が凄いわ!


 その他のタイトルも似たりよったり。

 取り敢えず【チート】【ハーレム】【異世界】がところ狭しと並んでいて、それを修飾する為に【冒険者】【ステータス】【レベル】なんかがそこら中に生えているのは確認出来る。なんだこれ本屋のノベルコーナーか?


 ふむ、何だか生きてんだか死んでるんだか分からない気分が最高潮に達したので、調子にノッて尋ねてみる。


「ちょっとした質問なんですけど、今後のプランについて、独自製作オリジナルとかって出来るものなんですか?」

「というと?」

「ここに載ってないものを希望した際は、裁量をもって、俺の主導で今後を作製出来るのかってことです」

「ええ、可能です。ここに表示されているタイトル群達も過去の先駆者達の作品オリジナルですから」


 マジで? くっそ気前良いな!

 これならば、俺も董卓を倣って豪放磊落らいらくを極めて酒池肉林を目指すべきかと血迷ってしまうぜ…!


 じゃあさ、じゃあさ、なんならさ!


「ゲームであって遊びでは無いファンタジー世界とか、幼女になって戦火のやまぬ異世界にとか、美少女ばかりで実態のよくわからない部活に入部したり、辺境の村に生まれた厚顔無恥な最強勇者になったりとかも?」

「よく分かりませんが、可能であると考えます」

「うわっ、スッゲェ…」


 そんなのサービス精神のレベルを超えてないか? こんなの消費者ユーザーが調子に乗ってつけあがるだけで、ホスト側には益無きアクションじゃないか?


 なんて冷静なフリをするのが得意でアイデンティティの自分が『それ』を主張するのが、何というか有する底の浅さを同時に表明しているようで――布団を頭から被って両足をバタバタしたくなる自分もいる。


 そんな絶望的な羞恥に対して現世における――生ある内に獲得した対処法としては酒を飲みながら映画を見て全てを忘却の彼方へ送るか、或いは色欲と性欲に混ぜて共に消費してしまうかのどちらかだ。


 しかし、そんな経験や体験も今は昔、生と死の間とやらに位置する現在の俺にとっては全て過ぎ去りし思い出。


「どんな願い事…じゃなくて。理想の世界なら何でもOKみたいな解釈で良いですか?」


 危ない危ない。剣呑剣呑。

 ついドラゴンボールみたいな使い方をしそうになってしまった自分を内心いさめつつ、更に質問を重ねる。俺は石橋を散々叩いた上で誰かその辺の奴が渡った上で無いと渡らない性格だからね。


「ええ、勿論。可能な限りは使用者ユーザーの希望に沿うつもりです」


 その一言で石橋の安全性はある程度実証されたとするべきだろう。これ以上の実験は望めない。


 ならば――、


「なら、現世ウツシヨに戻してください」

「は?」

「チートもハーレムも要らないから、生命ある状態で俺が元いた世界ばしょへ」

「しょ、正気…ですかっ?」


 身を乗り出した死神天使が初めて見せる人間らしさに顔が綻ぶのを感じる。

 やっぱりこいつも俺同様血も心もあるのかも知れない。


 そんな温かいチューリングマシンは血の通った続きを紡ぐ。


「いや実は来週、恋人かのじょと映画に行くんすよ。好きなアニメの劇場版。それを見ずに死ねないし、ましてや異世界とか行けない」

「ば馬鹿ですかっ桜小路さん! 映画? アニメっ? そんなこのキャンペーンで幾らでもっ…」

「でもそれって俺の意識で作る紛い物オリジナルですよね? 俺が見たいものとは違いますよ」


 机を拳で叩きながら壊れた蓄音機の様に「馬鹿ですか」と声を荒げて繰り返す七三分けに自身の願望――その詳細を語る。


「元の世界に戻るって言っても、戻った瞬間にまた速攻ソッコウ事故死ってのは困るんで。そこは上手いことお願いします」

「い、い良いですかっ? それで? そんなのでっ! 言葉の通り、一生に一度の――空前絶後で前代未聞な機会チャンスをそんな形で消費しても?」


 分け目をなぞる様に説得の言葉を続ける死神天使の底にあるのは俺への哀れみと親切心か、それとも職務を全うしようとする義務感か…。


 まあどちらにせよ、何にしても。

 俺は彼の『それ』を考えなしな考えを根拠に袖にして、拒否して拒絶する。


 都合の良いハーレムも夢の様な酒池肉林も惜しいとは思うが、既にグッズ付きのムビチケを購入済みである新作映画には――いや、訂正。俺の世界に置いてきた愛しき彼女には代えられない。


「誰かが書いた愛なき理想フェイカーやそれに影響を受けた自身の更なる模造品オリジナルなんかよりも、多分…価値のあるものだと俺は思いますよ」

「…決意は確かなようですね。分かりました。」


 鈍く輝くレンズの後ろにある朧な目を閉じて、手元の端末を何やら操作する。

 直後、空気を排出する様な音がして自身の背後に気流を感じた。


 首だけをグルンと後ろに向けて確かめて見れば、真っ白な壁の一部がブラックホールの様に全ての光と存在を吸い込みながら揺らめいている。なんだ冥府への誘いトビラか…。


「タイムスタンプ的には貴方が絶命する直前の時間軸に戻れます。それではお気を付けて」


 厨ニ心を擽られる摩訶不思議に目を奪われていた俺は、そんなぶっきら棒な別れの挨拶で死神天使の方へ向き直って、無表情な男と再び正対する。


 爽やかに握手をしてさようならって間柄でも人柄でも無いので――恐らくはお互いにだけど――席を立ち、椅子を戻してから適当な調子で手を振った。


「それじゃあまあ、色々説明して頂いてありがとうございました。え〜っと、担当とかあるのなら次死んだ時も指名するんで、その時はよろしく」

「そんな制度はごさいませんので悪しからず」

「そっか…ならまあ速やかに帰ります」


 別段これ以上交わす言葉を持たない仲であるので、くるりと踵を返す様に歩を進める。


 一歩ずつそれに近付くにつれて鮮明になる出口の姿。

 とは言え、鮮明になるのはどうやら形が不定形で安定しないと言う事実だけ。うねうねした靄めいた姿は奇妙とも神妙とも見えて、何処か神話めいたものを感じさせるが、多分気のせいだろう。うん。


 そうして何の感慨も無いままその身を投げ入れる。

 その刹那――顔を伏せていたはずの死神天使がぎょろりとコチラを向いて、口の端を大きく歪めている様に見えた。


「ま、まさか、ワナかッ…?」


 そう思い当たった瞬間には既に遅い。

 状況は一瞬を置き去りにして、現在を過去に敢え無く流して。


 俺の全身はブラックホール状の扉の中に吸い込まれて、間もなく意識が途絶えた。

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