第52話
まさか、と口にしたムニンは驚愕の表情でシバラの首から手を離し、防御するようにこちらへ向き直った。
だが光が収束した魔法の刃は、彼の大きく無骨な手を素通りし、その体へ吸い込まれる。
「合意剣よ、製作者のもとへ!」
俺はシバラの命令で手元に剣が現れた時と、逆のことを叫んだ。
それは、俺の意を受けたアスリによって、さっきとは少し違う動きをする。手の中の合意剣は消えず、ただ前に向けた刃がそのまま、シバラの方へと飛んだ。……つまり、俺と彼女の間にいる、ムニンの腹を貫いて。
俺の手を離れる瞬間には、アスリがご丁寧にも、邪魔になる鍔も柄も無くすように剣を変形させていた。
ムニンの向こうでは、起き上がったシバラが、刃のみになった剣を指で挟んで受け止めた。アスリから何をするつもりか伝わっていたとはいえ、エルフの眼ってのはどうなってるんだ。
シバラは柄のない剣を器用にくるりと回して血振るいする。彼女の簡素な長衣を赤い飛沫が汚した。それでも光沢のない黒い刀身は落としきれぬ血で濡れ光っている。
「シバラの合意剣『処刑』の使用手順が達成されました。これより魔法を発動します」
アスリが擬似人格の口調で、厳かに宣言した。
「なんだと……なぜ合意なく剣の魔法が発動する!」
腹を押さえ、ムニンが吼える。
「エルフ一人の命を断つ代償は、エルフ一人分の魂。合意剣はそれを執行者と対象者で分け合う機構……機能制限を解除してある今、合意剣はそれを一人に賄わせることもできる、そういうことじゃ」
戻れ、とつぶやいたシバラの表情は苦い。俺の手に再び現れた合意剣は、またはじめと同じ鍔と柄を備えた形状になっている。
シバラの端的な説明に衝撃を受けたのはトールはじめ人族たちも同様だった。
「な、なんだよそれ?!」
トールがこちらを振り向いて、掴んでいた腕を揺さぶったが、俺の方はそれどころではなかった。魔法の使用条件が達成されても、ムニンはまだ生きている。
魔法の刃は、本来の想定通り相手の合意を得ていれば、あるいは原資となったのがエルフ一人分の魂であれば、おそらくやすやすと彼の命を奪っていた。
しかし今、俺一人の魂で作られた魔法では足りず、ムニンの頑強な抵抗によって阻まれている。
「ふ、はは、そうか。所詮は人族、全て差し出したところで賄いきれぬというわけだ」
今にも押し返されそうになっているのが俺にもわかった。剣を地面に突き立て、柄を握りしめて、折れそうになる膝に力を入れる。
「ああ、危惧していたとおりだ。ジャスレイ、君の魂はバーラの時にすでに結構使われてる。やはり足りない。耐えるんだ、気合いだよ!」
アスリのほとんど悲鳴に近い声が頭の中に響く。ていうか気合いでどうにかなる問題なのか?
「何もしないよりは全然マシだろう?!」
一切合切削り取っておいてまだ根性を出せとは、なんて奴だ。
仕方ない、もう少し頑張らねえと……
アスリとの脳内会話で遠くなっていた外の状況に意識を向けようとした時、何かが無理矢理入って来ようとしているのを感じ取った。
それはあっという間に質量を増したが、慣れ親しんだ気配だと気付いて、俺はつい侵入を許してしまった。
「わっ……え、なにこれ?」
転がり落ちてきたのは、トールだった。
「何やってるんだ、おまえ?!」
慌てて現実の方の自分の手元を見ると、横から腕を伸ばしたトールが剣の刀身を素手で握りしめていた。手のひらから血が滴り、トールは唇を噛み締めて俺を睨みつける。
「あんたがバカなことしようとしてるからだろ!」
その声は、耳からと脳内との両方で聞こえた。
「アスリ!これでオレの魂も使えるようにならねえの?!」
「……なるよ。そうかこの手があったね」
何言ってる、バカはおまえだ、これで削れちまった記憶はどうなると思ってる!
「剣に保管された記憶を引き出せるのは、魂と紐付けが済んでいるジャスレイだけだ。残念だけど、その分は諦めるしかないね」
アスリは残酷な事実を告げるが、俺は脳内での会話が三人になった混乱に加えて頭に血が上っているせいで、一瞬何も言えなくなる。
「だって、足りないんだろ。ムニンをどうにかするのに。じゃあ使えるものは使うしかないじゃん。アスリ、オレの記憶のことは気にしないでいい。でもできたら、こっちに来てからの分は手をつけないで」
それから、ジャス。
脳内会話では割り込んできたトールの姿が鮮明に見えるわけではない。しかしそう言ったトールがどんな顔をしてるのか、俺には容易に想像できた。
「あんた、死んでもいいって思ってやったろ?!やめろよ、黙ってそういうことするの!」
だって、おまえ、どっちが死んでも悪いとか思わないでいいって言ったじゃないか。
「言ったけどあれはこういう意味じゃねーから!相棒ってそんなもんじゃないだろ!一緒に背負って、分け合うもんだろ?!」
……それでもだ。
それでも、俺はおまえを生かしたいと思ったんだから、仕方ない。
「くそ、バカだ。そんなことされても嬉しいわけないじゃん、こんなんなっちまって……」
トールは今、剣を通して俺と繋がった状態にある。こいつから今の俺はどうなって見えるのだろう。
「アスリ……足りないだけオレから使っていいから、ジャスからそんなに取らないでくれよ!」
「君の魂は不思議な色をしているね。人族に近いけれど、ちょっと違う。跳躍者有馬徹。君の刃がもうすぐできるよ。でも、彼から削り取った分は戻せない」
「そんな……」
なあ、トール。
俺はこれで後悔はしねえよ。おまえのこの先を見れないのだけは残念だけどな。
「さあ、宣言して。どうなるにせよ、これで全てが決まる」
トールは、ひどく小さな声でムニンに死を与えるための言葉を告げた。
ムニンは抵抗を続けたが二つ目の魔法を受け、やがて声もなく倒れる。俺たちを囲んでいた有害な大気は元に戻り、ほとんど同時にミゴーの防衛魔法の効果も終わった。
そして俺の意識は、そこでぷつりと途切れた。
◇◇◇
糸車の回る音がする。
からから、からから。
赤々と燃えるかまどの前で、女性が糸を紡いでいる。それを彼女の足元から見上げている。
羊毛や燃える薪のにおい。
扉が開き、ひやりとした風が吹き込む。大きな男性が入ってくる。
二人は何か話しているが、内容はわからない。
これは記憶だ。
……誰の?
◇◇◇
森の中を走っている。
前を行く少女の髪が弾む。
家の裏庭に飛び込むと、香草を摘んでいた女性が顔を上げて微笑む。少女が女性に抱きついて、興奮した様子で何か話し始める。
遅れて森から戻った男性が狩の獲物を持ち上げて、喜びを分かち合う。
■■■と■■■が上手くやってくれたんだ、今日はご馳走だぞ!
そんなことを話している……
◇◇◇
雪深い街道を震えながら歩いている。
脛まで埋まる雪をかき分け、風除けになるように、大柄な男が前を進む。
見えたぞ、もうすぐだ。
顔半分振り返る男の顎髭には小さな氷柱がいくつもできている。それでも彼は明るく言う。
強風で雪が舞い、天も地も白く境目がわからない。
剣帯が、外套が、背負い慣れぬ背嚢が重い。
男がまた叫ぶ。
もう少しだ、がんばれ、がんばれ……
◇◇◇
轟音とともに天から光が突き立つ。
剣を抜き、走りながら魔法をいくつも練り上げる。
稲妻を受けて痙攣している一つ目の怪物の尾から背を駆け上がり、頭の天辺まで辿り着く。
振り下ろした刃は大きな眼玉に抵抗なくするりと刺さり、怪物はゆっくりと倒れる。
やったな、■■■!
駆け寄ってきた男と拳を打ち合わせ、快哉を叫ぶ。
おれたちは最高の……
◇◇◇
酒場の喧騒のなか、薄汚れた格好の小男が鼻の下の細髭を捻りながら唸る。
旦那、どうも近頃あんたの評判は芳しくないよ。
杯を傾けてぐびりと一口やってから、男は首を振る。
そうじゃあねえ。わかってるんだろ、冒険者は験を担ぐのも多いから……
やまない喧騒。
男は気まずい様子でまた髭を捻る……
◇◇◇
日暮れ前のまだ閑散とした酒場。
求む、洞穴の怪物退治
村近くに怪物の巣穴
家畜に被害あり、作物、人族は無事
腐頭狼と思われる……
依頼書は樹皮を薄く剥いだものに墨書きしてある。
少し迷った末、それを壁から剥がして懐に入れる。
やあ、そいつを受けるんですかい?……で臨時で神官か魔法使いを探したい、と。
おやじ、こちらと俺に麦酒だ!
◇◇◇
穏やかな風の吹く水辺。
強い魔法の匂いとともに頭上に影がさす。
柔らかくて重いものが地面にぶつかる音。
土煙がおさまると、おかしな格好の男が一人、手足を投げ出して倒れている……
◇◇◇
階段を駆け上がっている。
突き当たりの扉を開け放つと、目の前には空、林立する見たこともないような高い塔。
そのまま駆けて金属の柵に手をかける、よじ登る、乗り越える。
そして、宙に身を躍らせる。
地面ははるか遠く、眼下にはびっしりと、背の高い建造物が並ぶ……
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