第45話
翌日、宿の仕事を終えて午後から調査に出かけた。
まず向かったのは、以前イアストレと一緒に隣村までの護衛を請け負った、この村の商人のところだ。
幸い主人は店にいて、二年前に依頼を受けた冒険者としての俺を覚えていた。
しかし村の中の事情には通じてるはずの商店主からも、特に新しい情報は出てこなかった。
「なにしろ、前回そいつを見たと言ったのは旅人だったからな。今から話を聞くこともできないし……そうだ、村長のところにも行ってみてはどうだ?」
村長に顔を繋いでくれると言うので、連れ立って向かう。
しかし村に住んでいた頃と村長が変わっていなければ、さすがに俺のことを覚えているのではないだろうか?
「そういうわけでな、こちらの冒険者さんが例の怪物のことを調べていて」
村で最も規模の大きい牧場の主でもある村長は、農具を手にしたまま俺の顔をしげしげ見て首を傾げた。
「冒険者さんって言うがおめえ、こいつはテルミちゃんのとこの坊主じゃねえか」
やっぱり覚えてたか。
「どうも、お久しぶりです」
「ええ?宿屋の?こんな顔していたっけか?」
「水臭えやつよ、フィンちゃんの旦那も、おめえの紹介だって話だろが」
「ええまあ。叔母さんの宿屋の評判に響くかと思って黙ってたんですけど」
俺が肩をすくめると、確かに色々言うやつもあるかもしれねえが、と頭を掻き掻き、村長は俺と商店主を母屋に招き入れた。
「とは言っても、せっかく来たのに悪ぃんだが何の情報もありゃせんのよ」
「大体、村の者は誰も直には見ていないのでなあ」
村長と商店主は、俺に穀物茶を出す
「確かに今のところこの村では被害はありません。しかし、もし襲われたのが旅人なら、死んでいたとしても、村では知りようがない」
「確かになあ?」
「そこは隣村も同じですね。向こうで被害が出てないか、知っていそうな者はいませんか」
前回も今回も、怪物が目撃されたのはこの村と隣村の間の街道である。
「なんだかんだ、あっちとは結構行き来がある。隣のやつを見かけたら知らせるのはどうだい」
「助かります。あと、誰か街道を通るなら護衛として着いていければ」
「それっくらいなら、お安い御用だぜ」
そういった約束を取り付け、村長宅を後にした。
夕刻、村長宅の他に何件か成果の上がらない聞き込みを終えて宿に戻ると、どうやら新しい客が来たようで、イアストレが湯の用意をしていた。
「いいところに帰って来たな、ジャス。宿泊三人だ、飯の用意を増やして欲しい」
「ああ。どこから来たのか聞いたか?」
台所には俺たちだけだが、一応声を潜めて尋ねる。
「いや、まだだ。なんかすぐ客室に篭っちまって。まず休みてえんだと」
さすがにそう都合よくはいかないか。
俺の方も、食事の支度に取り掛かりながら今日の調査について話して聞かせる。
「隣村に出かける村人がいれば、ついて行こうと思うんだが……客が増えたとあっちゃ、おまえは宿に残る方が良さそうだな」
「だなあ。商人さんの一家だけなら、なんとか一日くらい出かけられねえかと思っていたんだが」
今日来た客は中年の男三人で、見た感じでは農民風、滞在は数日を予定しているということだった。
こうなると、フィンルーイが万全ならまだしも、産後で動けない彼女と赤ん坊にテルミエルだけ残して、俺とイアストレが出かけてしまうのはまずい。
「大きな町だと客が強盗に早変わりなんてなァ珍しくもねえからな。前に雇ってた爺さんはだいぶ耄碌しちまってるし」
テルミエルの夫の死後なんとか頼み込んで働いてもらっていた村の隠居は、イアストレと入れ替わりで、ついに引退してしまったらしい。
「まずは調査だな。俺一人で手に負えないような怪物だったら、宿の方は誰か村人を雇おう。村長あたりに頼めば紹介はしてくれるだろう」
事態は翌朝、思わぬ形で動いた。
「……じゃあ、街道で怪物を見たと?」
「ああ、間違いない、あんな恐ろしいもの、初めて見た」
そう言うのは、前日にやってきた客のうちの一人だ。
前夜の夕食の際に、村に来るまでの道のりで何かなかったか尋ねようと思っていたのだが、彼らは部屋で食べると言って器を持っていってしまったので、機会がなかったのだ。
それが朝になって食堂に姿を現したと思ったら、向こうから俺に話しかけてきた。この宿に冒険者がいると聞いたのだが、と問われて事情を尋ねると、街道で怪物に遭遇したという話だったわけだ。
「どんな見た目でしたか?大きさは?」
「とにかくでけえよ、見た目は、その……よくわからない、よく見えなかった」
男は恐ろしかった、大きかった、とまた繰り返した。
「襲われたわけではないんですよね?」
「あ、ああ、そうだ。遠目に見ただけなんだ。見つからずにやりすごした」
こうして無事でここにいるのだから、そんなところだろう。襲われていたとしたら、商人のように馬でもなければ逃げ切れるものではない。大概の怪物は人族よりも足が速いか、持久力で勝るものなのだ。
「あなたがたは?そいつの姿は見ていませんか?」
他の二人に尋ねても、最初の男と同じようなことを言うばかりで全く要領を得ない。
「場所はどのあたり?」
これにはかなりはっきりした答えが返ってきた。彼らがその怪物らしきものと遭遇したのは、なんと村から歩いて四半刻も離れていない場所だと言うではないか。
そんなに近くにいるのなら、今後、村の外縁に出没する可能性も出てくるかもしれない。
「それで、とりあえず様子だけ見に行ってくるって?」
裏庭で客用の敷布を洗っていたイアストレがかがみ込んでいた
「ああ。相手によって倒すか撤退か、まあその時の状況次第だな」
「本当はあんた一人で行かせるのは気が進まないんだがなァ。大体あのオッサンたち、本当に見たのかね?デカいって以外何もわからないのが気に食わねぇ」
そこは同感だが、よくあることでもある。
「相棒がいないときに好んで無茶はしねえよ。それにな、商人さんが見た時よりも近い場所だってのが気になる。ボヤボヤしてて手遅れになるのも馬鹿らしいからな。ここのことはおまえに任せるぞ」
「あいよ、気をつけて行ってこい」
裏庭の柵越しに振り向くと、立ち上がったイアストレが笑って手を振っていた。
俺は後になって、この時やつが難色を示した点をもっときちんと考えるべきだったと後悔することになる。
街道はルーランスンの森の縁に沿って隣村に向かう。一刻ばかり歩けば、隣村と、別の大きな街にそれぞれ続く道の分かれ目に辿り着くが、客の男たちが言っていた場所は、それよりもずっと手前だ。
場所がやけにはっきりしていたのは、この辺りの村人なら誰でも知っている、大きな岩の転がる岩場と古い大木のある地点だったからだ。
この辺りまでは村人が薪や資材として木を伐採するのにやって来る範囲だ。そのため周囲の見通しはさほど悪くなかった。
遠目に様子を伺うが、少なくとも昼日中から街道のど真ん中を怪物がうろついている様子はない。
まずやるべきなのは、怪物の痕跡がないか調べてみることだ。
怪物が残す痕跡には色々ある。例えば爪痕や足跡、毛束、相手によっては粘液、そして匂いだ。
地面を調べながら歩き回ってみても、不審なものは特になかった。次に大木に近寄ってみる。
「……なんだ?」
ふと違和感を覚えて、立ち止まる。
大木の根元まで来たところで、何かおかしいと勘に訴えるものがあるのだが、その正体を掴めない。
一つずつ考えることにする。
見えているものにおかしなところはないか。
音はどうか。何か聞こえないか、あるいは聞こえるはずの音が無いことは?
または匂い。
「……」
木の周辺だけ、なんの匂いもしない。無臭だ。
鼻が慣れて匂いを感じなくなることはよくあるが、それでも数歩違いで枯れ草を踏んだ時の匂いすらしないのは不自然だ。
と、気付いたのと同時に、頭上から何かがばさりと降って来た。
反射的にその場を飛び退きつつ樹上を見上げた動作で、何か茶色っぽい粉のようなものが舞った。それを浴びせられたのだと理解するとともに、大木の中ほどの高さの枝にしがみついている人影を発見する。
さらに数歩距離を取りながら、がさがさと音をたてて上に登っていく人影に誰何する声をあげようとして、唐突につんとした刺激臭が鼻をついた。
それらのことから、一気に理解が押し寄せる。
相手は消臭の魔法を使って木の上に隠れていて、そいつが俺に何か強い匂いを発する粉末を浴びせたのだ。
となれば、次に起きることも大体想像がつく。
はじめは遠くから、枝の折れる音や藪をかき分ける音が聞こえた。そしてそれはあっという間に距離を詰めてくる。
地を踏みしめる忙しくも重たい足音に、人族ではありえない、尋常の動物にもいないであろう、甲高い異質な咆哮が混じった。
一般的に、怪物を飼い慣らすことは不可能だと言われている。
意思の疎通も調教もできず、それどころかそもそも飼育が不可能だ。怪物を捕らえても、なぜか生かしたまま手元に置くことはできない。人族に捕らえられた怪物は、餌を与えようが、広い場所で囲おうが、早晩死んでしまう。
人族と怪物の関係は、殺すか殺されるか。それにつきる。
ただし、ごく一部の怪物に限り、人為的におびき出すことだけは可能だと知られている。怪物の種類によって異なるが、ある種の木の枝を火に
記憶を必死で手繰って、その手合いの怪物を思い出したのとほとんど同時に、俺は前方に身を投げた。ごろごろと転がりながら、今さっきまで自分が立っていた場所に、何か巨大なものが突っ込んできたのを見る。
地面をえぐる鈍い音とともに、その大きなものは止まった。
それは、ゆっくりと頭を持ち上げ、首を巡らせた。そうすると、頭までの高さは人族の背丈の倍もある。
全体はおおむね真っ黒で、ぎらぎらした光沢の羽毛に覆われている。顔の前方にはこれも漆黒の大きなクチバシがあり、その左右の丸い目玉は毒々しい赤色だ。
目の周りからクチバシの下、頭頂にわたるとさかと肉質の部分は体と同じく黒色、鱗に覆われた足も爪も黒い。
「毒爪鶏……」
見た目は巨大な黒い鶏。クチバシと爪に毒を持つが、頑丈で鋭いそれに突かれ蹴られれば、下手すると毒がまわる前に死ぬこともある。そして、特定の種類のキノコに強く誘引され、その匂いでより凶暴になる。
知識として知っていたがはじめて見る怪物がそこにいた。
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