第34話

 シバラは一同を案内して歩き始めた。広場を抜けて木立の中を進むと、やがて白い敷石が点々と配置された小道に踏み込んだ。そこからいくらも歩かないうちに、白い霞に覆われて果ての見えない広大な水場と、そのほとりに建つ四阿あずまやに着く。

 石造りの土台の上に、これまた優美な彫刻の施された木造の柱と屋根、(エルフ基準の)腰高までの壁があり、中には壁に沿って居心地の良さそうな長椅子がぐるりと置かれている。

「適当に座るがよい。今、力鎧が茶を用意しておる」

 朝食が終わったと思ったら、軽い散歩ののちに優雅にお茶を飲みながら休憩……まるで、かつて依頼で垣間見た貴族の生活のようだ。

 まあエルフもあくせく働かなくて良いらしいという点では、人族でいう庶民よりも貴族に近い生活をしている。そもそも彼らには、人族の社会にあるような貧富や身分の差はないようなのだ。もともと人口が極端に少ないのもあるが、長い歴史の中で、それらの問題も解決したということなのだろう。

 運ばれてきた茶が行き渡るのを待って、シバラが話し始めた。

「さて、人族の流儀に合わせて、本題のみ話すとしようかの。まずは、合意剣の管理魔法の復旧についてじゃ。バーラは思いのほか上手く手を加えていたようでの、たいした時はかからぬ。だいたい二十日程度で出来上がるじゃろう」

「本当か!それはありがたい!」

 昨日、年は越さないだろうとの予測を聞いて覚悟していたよりもずっと早い。

「そなたがほとんど合意剣を使っておらぬことはつくづく僥倖じゃった。本来の機能を発揮したのは、バーラの件だけじゃ。里のエルフたちは話さなかったようだが、エルフを死に至らしめる魔法を使うと、少々魂を削り取られる……」

「……は?」

 さらりととんでもない単語が聞こえたんだが。

「えっなにそれ、どういうこと?」

 絶句する俺の隣で、トールが尋ねた。

「考えてみろ、儂らエルフには寿命も自然死もない、尋常の手段では同族同士ですら殺すのに苦労するのだぞ。それを魔法ひとつでどうにかするのに、なにも対価を必要としないとでも思うたか?」

 至極もっともな理屈だが、そんなことバーラも擬似人格も全く言わなかったではないか。それを思わず口にすると、シバラはさすがに気が咎めたのか、バツの悪そうな顔になった。

「バーラはともかく、擬似人格は尋ねれば答えただろうが……あれは取扱説明書としての機能でしか働かぬようにしてある。聞けばなんでも教えるが、勝手に話し出したりはせぬし、聞き方がまずいと知りたいことに辿り着かぬ可能性もある」

 もともと本来の用途で剣を使うなんて、試みるつもりすらなかった。しかしこれは本当に人族が持っていて何の得もない。これでもバンフレッフは、主人のために剣を持ち帰りたいというのだろうか。

 大体、魂って言葉は知っているが、そもそも一体どういうものだ?それがってのはどんな影響があるんだ?

「いや……てかさあ!それじゃあ、もうジャスの魂は、ちょっと削れちゃってるってことだろ!大丈夫なのかよ?!」

 俺が状況を受け止め切れていないのを見てとったわけでもないだろうが、トールだけがシバラに食いついている。

「一回きりならば、今すぐに何か影響が出ることはないはずじゃ。魂とは、人族とエルフの間で総量の差こそあれ、魔法の糧として使えるだけの力を秘めたものなのだ。そなたらも魔法物質を練り上げて魔法を使うであろう?これは世界にあまねく存在するものを拝借して行っておる。対して合意剣は、魔法の原資を、使用登録者と、剣の魔法を行使する相手の身の内から半分ずつ得る仕組みになっておる。だから、相手の合意を必要とするわけじゃが」

 その効率たるや、魔法物質の比ではないのだ、とシバラは続けた。

「儂のもともとの研究議題はな、エルフと、そして人族の魂についてなのだ。魂とは極端に簡略化して表現するなら、情報と力の合わさったもの……とでも言おうか。合意剣は、この力の部分を原資として動作する」

 つまり俺の魂とやらは、バーラの件の際に、魔法の原資として一部使われてしまったというわけだ。

「それって、どうにかして返してもらう方法あるの?ジャスが使用登録者からはずれたとして」

「魂には、ある程度の復元力が備わっておる。時間が経てば、剣に使われた回復するのだ。エルフであれば、数千年のうちに十回、百回と使っても、消費と回復の帳尻が合うので何も変わらぬ。人族ならばどうか……これも何度も使えば生命の維持に関わるが、最初の一回であれば、生きるのに影響が出るほどではない。回復に年単位の時がかかるとは思うがな」

 ということは意外と大丈夫なのか?何か引っかかる点があった気もするが……

「えと、待って。ってことは、ええと、えーと……そうだ情報!さっき、魂とは情報と力の合わさったもの、って言った、よね?情報の方は無くなっちゃうの?」

 ここへきて俺はトールの方を振り向き、目を見張った。

 こいつ本当、よく話を聞いてるし、この荒唐無稽なシバラの講義についていっている。しかも、他の二人も当事者の俺と違って冷静な分、きちんと理解はしているのかもしれないが、シバラの話に追求を挟むまではしていないのにだ。

「そなた、なかなか鋭いところがあるのう。察しの通り、放っておいて回復するのは力の部分のみで、情報は含まれぬ。だがこれにもからくりがあってな……合意剣によって、魂は情報も力も、一緒くたに削り取られる。だが魔法の原資として消費されるのは力のみ。では情報はどうなるのか?」

 そこでシバラは、長椅子にゆったりと掛けたまま、優雅に手を振った。

「現れよ、合意剣」

 製作者特権なのか、合意剣はシバラの命令に応え、彼女の手の中に現れた。ただし、俺が持つのに合わせた大きさのままであるため、剣はやけに小さく、華奢で頼りなげに見えた。

「答えはここじゃ。削り取られた情報は、剣の中に保存されておる」

 今のところ、俺から削れた情報(中身が何だかは知らないが)は、まだ失われずにあるということか。

「本来の運用であれば、使用登録者から削り取った情報は剣に保管され、その立場を解除した時に返還される」

「なんだ、なら大丈夫なのか?」

 焦らすわりに、大きな問題はないのか。しかし、ホッとして見上げたシバラは、明るい表情ではなかった。

「本来の運用であれば……じゃ。エルフであれば、魂の回復と消費の帳尻が合い、返還される頃には情報の受け皿もある。だが今回の場合、二十日後に管理魔法の復旧が成り、そなたを使用登録者から解放したとして、魂の回復が追いついておらぬ」

「その場合どうなるの?」

 トールが尋ねる。

「今は使用登録者であるために、そなたは失われた情報に、剣を通じて接触できる。だから日常に何も不都合は来しておらぬであろう?しかし、魂の回復が追いつかぬままに剣との紐付けが解消されると、剣に保存された情報の受け皿が無い状態に陥る。つまり、情報はそなたの元に戻らぬ」

「戻らない……」

「今日から取り掛かり、二十日ほどのちに管理魔法の復旧が終わったとしても、すぐに使用者登録を解除せぬという方法もある。そなたの魂の回復を待つわけじゃ。だが、それにどのくらいの年月がかかるのかは、正確には予想できぬ。十年か、二十年か。はたまたそなたが老境にさしかかるまでかかるのか」

 つまりその間、合意剣を持ち続ける羽目になる、という意味だ。

「あるいは、その削り取られた魂の情報を、諦めるか……だな?」

 シバラが言わない続きを俺が引き取ると、彼女は複雑な顔でうなずいた。

「そもそも、剣を使ったことで俺から失われた情報というのは何だ?それを特定することは可能なのか」

「一応、人格形成や生活に重要な役割を果たしている記憶や情報は、一度の使用くらいでは失われぬようになっておる。無論、回数を重ねれば、それだけ重要なものが削り取られる可能性は上がってゆくわけだが……擬似人格よ、前回の使用で削り取った情報を開示せよ」

「はい、シバラ。一覧にして表示いたしますか?」

 久しぶりに聞く擬似人格の声だ。

「ああ、それでよいぞ」

 シバラが言うと、一同の座る長椅子に囲まれた四阿の中央の空間に、薄く発光する文字がするすると浮かび上がった。目の高さよりも上から始まり、膝の辺りまで。

 それは、次のような内容だ。


ファルンジの街及び周辺の地理

リンヤの村及び周辺の地理

クルンヤ高原地方の地理

ムルフニ王国の地理

習得途中で放棄された魔法(十二種、別表あり)

聖なる航路教会の戒律及び大船長の導きの言葉

……


「あー……ほんとに割とどうでもいいようなもんばっかだな、今のところ」

 俺が提示された一覧を読み込むのを、一同は固唾を飲んで見守っていたのだが、思わず漏れた感想に、場の空気は一気にゆるんだ。

「そ、そーなの?」

「地理に関しては、この国の東部地域と隣国みたいですね。本当にいいんですか?」

 尋ねたのはヴァンネーネンだ。

「ムルフニは一度依頼で行ったきりだから、たいした範囲じゃないと思う。東部に行ったのも、もう十五年近く前だ。正直、街の地理なんかある程度変わってるだろうし、今後また行くなら調べ直したっていい」

「この新興の教団の戒律だのはどうなのだ、ジャスレイどのは信徒だったのか?」

「まさか。これも依頼で、ある街の教団支部に潜入した時に一夜漬けで覚えたもんだよ。少なくとも十年は経つ話だ」

 バンフレッフの質問に、自分がうんざりした顔になったのを自覚する。正直あの教団に関することなど、いっそ忘れてしまったほうがせいせいするかもしれない。

「とまあ……儂が僥倖と言ったわけがわかったであろう?はじめの一度ならば、本人もきっかけがなければ思い出さないような情報だけですむ」

「なるほどな。これが二度目三度目になれば、忘れては困るような内容に手をつけられる可能性もでてくるのか」

「そうじゃ。あとは、今は含まれておらぬが、記憶以外にも、無意識で行われている日常動作なんかも失われるぞ。例えば……つまらぬところなら、湯浴みの際にどこから洗うかなどで済むが、最終的には習得した刃物の扱いなんかも対象になりかねん」

 剣はもちろんだが、食事にも野営にも狩りにも、普段の生活では様々な場面で刃物を使う。そんなものを覚え直すことになるなど、さすがに不便極まりない。

「いずれにしても、管理魔法の復旧が終わるまでは、どうするか考える時間がある。儂は今日から作業に入るが、先にそなたらがその間、どう過ごすかを決めておかねばな」

 一覧を指先の一振りで消したシバラがこちらに向き直った。

 確かに言われてみれば、この後ここで二十日ばかりを過ごすことになるのだ。バンフレッフの問題に、俺の身の振り方など、色々考えなければならない。

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