へたれ怪談

尾八原ジュージ

第1話 あめふりやっこ

「やっこって、『奴』って書くんですかね? うちの地方じゃ、子供の頃からよく聞かされる話で、私も聞いたのが小さい頃だったからなぁ。どうしても『あめふりやっこ』って、全部ひらがなのイメージなんですよ」

 千夏さんの地元には、そういう名前のものが出るらしい。妖怪のようなものかな、と彼女は言う。

 曰く、雨の日に傘をさして、自分の足元だけを見ながら歩いていると、ふと視界の端っこに誰かの足が見える。誰かな、と思って見上げると、そこには誰もいない。そういうものだそうだ。

「私が小学校二年生くらいの時かな」

 ある雨の日、千夏さんは小学校指定の黄色い傘をさして、雨の中を一人で下校していた。いつもは友達と一緒だったはずなのに、どうしてその日は一人だったのかよく覚えていない。ともかく、一人だったことは確かだという。

 雨の強い日だった。足元の水溜りにできる波紋が面白くて、自然とうつむきがちに歩いていた。

 そのうち千夏さんは、自分の右前方に誰かの足があることに気づいた。体は自分の黄色い傘に隠れて見えないが、何かがおかしかった。

 顔を上げてそちらを見ると、誰もいない。

 ただ雨の降る住宅街が続いているばかりだった。

「ああ、これがあめふりやっこなんだなって思いました」

 怖くなり、ずぶ濡れになりながら走って家まで帰った。

 走りながら、どうしてあの足を見たときに「おかしい」と感じたのかを思い出した。

 その足は、彼女が通っていた小学校の上履きを履いていた。

「普通は靴履いて帰りますから……」


「で、僕はちなっちゃんにその話を聞いたんです」

 そう言って、信也くんが話し始めた。当時二人はクラスメイトで、家も近所だったため仲が良かったのだという。

「スゲー! と思って。小学生男子ですからね。俺も妖怪見てぇ! みたいな」

 その話を聞いてから、雨が降るのを心待ちにするようになった。しかし彼の期待に反して、なかなか「あめふりやっこ」は姿を現さなかった。

「やっぱり友達と一緒に、騒ぎながら帰ってたからですかねぇ」

 妖怪の話もそろそろ忘れかけた、ある雨の日のことだった。友達の家から帰る途中で、日は沈み、辺りは夜になりかけていた。

 一人で歩くうちに、自然とうつむき加減になっていたという。

 ふと気がつくと、前方に足があった。千夏さんの話していた通り、傘でぎりぎり隠れないくらいのところに見える。

 出た、と思った。

 思わず顔を上げそうになって、信也くんは踏みとどまった。顔を上げたら消えてしまう。「これ」がどんなものなのか、もう少し見ていたい。

 そう思って、視界の端っこに見える足だけに注意して歩き始めた。

 素足に運動靴を履いているようだったが、左右の大きさが違っていた。

「右の方がかなり大きくて、大人の足と子供の足くらい差がありました。靴自体はまるきり同じデザインだったんで、なんか、余計にちぐはぐに見えて」

 これが人間であるわけがない、と確信して、夢中で追いかけた。

 そのままどれくらい歩いたか、よくわからない。

 ただ、周囲はどんどん暗くなっていくのに、前を行く足だけは妙にはっきり見えていたことを覚えているという。

 これはいよいよ妖怪に違いない、と思って歩いていくと、突然後ろから肩を掴まれた。

「信也じゃん。何してるの? 危ないよ」

 近所に住んでいた、当時高校生のお姉さんだった。

「何ぼーっとしてたの。ここ、事故が多いんだよ」

 信也くんが前を振り返ると、不揃いな足はもう消えていた。

 代わりに警報機がけたたましく鳴っていて、まさに遮断機が降りてくるところだった。

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