#3 クラスメイト

 杉谷景子に対する警戒心と敵愾心はさて置くとして、わたしが探偵絡みの質問を避けたのはそれだけが理由ではなかった。別に杉谷に質問しなくても適切な回答を得られるアテがあったから、質問する必要がなかったのである。

 そのアテとは師匠のことではない。無論、師匠に聞くのも手ではあるけど、柳場のことが気にかかって、今は師匠に聞くべきではないと思った。杉谷に聞かなかったのと同様の直感だ。今、師匠にわたしが持っている手駒を晒すべきではない気がする。杉谷と違って師匠とは敵対するわけではないけど、例え師弟だろうが親子だろうが、安易に手駒を公開するのは避けるべきだ。

 四年だ。四年暮らしてきて、師匠は探偵という存在をまるでわたしには教えなかった。推理小説をわたしに勧めるくらいにはそっちの方向に明るいだろう師匠が、雑談にさえ実存する探偵の存在を口に出さないなどあり得るだろうか。意図的にわたしは、探偵という存在に触れさせてもらえていない可能性もあった。師匠が将棋業界から干されたらしいという話、師匠の弟子が探偵としての技術を生徒会に教えているという話。柳場から引きずり出すべき情報も多い。師匠を盤上に出してしまうと、柳場が委縮してそれらの話を聞き出せなくなるだろうし、師匠もその手の情報をわたしから遮断させかねない。

 そういうわけで、わたしは生徒会でもなく師匠でもない第三者に話を聞く必要があった。放課後、わたしは額縁中学の運動場の隅に建てられたプレハブに向かう。二階建ての小さな、工事関係者でも詰めていそうな建物である。そこの一階の一室がボードゲーム部の部室になっていて、わたしはその部に所属していることになっている。

 なんでも、部活動には何かしら加入しなければならないらしい。わたしには運動は無理だし、音楽の経験もない。科学や文学には明るくないときていて、師匠がわたしに仕込んだのはゲームだけなのでここしか入れる所がなかったのだ。

 部室の扉を開ける。部室は一般的な教室を半分に割ったような広さで、中央にボロボロの机が四つ、くっつけて置かれている。椅子も四脚ある。部屋の隅にはスチールラックが置かれ、そこには様々なボードゲームが置かれているがそれらはどれも傷だらけの汚れだらけである。オマケに埃を被っているものも多い。

 机には既に一人いた。ボサボサの長い髪を背中まで垂らして、前髪は目元を完全に隠している。わたしが扉を開けた音に反応したのか、こちらを向いた。頬はどこか引きつっていて、わたしの顔を見てなのか肩にこめていた力が抜けた。彼女はわたしが部室に入るのを見ると、大抵どこか弛緩したような、そんな体の動きをする。

 彼女はクラスメイトで、同じ部に所属する檜山純ひやまじゅんである。そして例のアテである。

「檜山……聞きたいことがあるんだけど」

「え? な、なにかな……黒鵜さん」

 本来ならしばらく雑談でもしてから本題に入るべきなのだろうけど、それができるほど器用ではない。わたしは机を挟んで檜山の正面に座った。

「探偵基本法って知っている、よね? わたし、ついこの前どこかで聞いたんだけど、どんなものか忘れちゃって」

 それでも一応、どうしてそれを聞きたいのか、その部分だけでもカモフラージュしておく。まあ、檜山はそもそもわたしの言動に疑義を挟むタイプではない気がする。

「探偵基本法? 二年前に制定されたんだよね。発端は警察の不祥事が相次いだからとか、政治家が万が一のとき動かせる捜査官が欲しかったからとかいろいろ言われているけど、一応は警察の捜査に対するセカンドオピニオンとしての役割が重視されているんだよ」

「へえ……ううん、よくわかんない。それがあるから、探偵があるってこと?」

「うん。探偵基本法によって、探偵が国家資格になったからね。でも、法律ができる前から探偵って呼ばれていた人はそれなりにいたんだよ。一番有名なのは『警視庁黙認の名探偵』と名高かった宇津木博士さんかな。つい先日、殉死したんだけどね」

 また新しい探偵の名前が出てきた。もう訳が分からない。

「えーっと、それじゃあDスクールっていうのは?」

「教育機関だよ、探偵の。もともと、政府非認可だったころから探偵としての技術を教える機関として存在はしていたんだけどね。法律が整備されて国家資格化したから、探偵になるための知識と技術を教えるための機関として政府に認可されたんだよ」

「東京にでもあるの?」

「名古屋だよ。でもすぐに東京や大阪にもできるんじゃないかな。そのDスクールは一般科と、高校卒業程度の資格も得られる高等学科があって、早ければ来年にも一期生を募集するって」

「ああ、なるほど」

 ようやく柳場の言葉を理解できた。元は私塾だったDスクールが政府の認可を受けて探偵育成学校になる。その際の高等学科設置計画。高校を兼ねる探偵育成機関か。

「早くても来年ってことは……わたしたちの代が一期生?」

「ううん。来年度じゃなくて来年だから、わたしたちの先輩が一期生になるんだって。一般科はもう認可されているけど、高等学科の認可がまだなんだよね。でも順当に進めば認可されるはずだから、もう入試の要綱とかもあって……」

「詳しいね」

「う、うん。まあね」

 そう言う檜山の顔は、一層こわばった気がした。

「……実はわたし、Dスクール目指してるんだ。だから、いろいろ詳しくなって」

「ふうん」

 それは初耳だった

 檜山をわたしがアテにした理由は当然、彼女が探偵という職業、業界に詳しいだろうことが予測されたからだ。だがそれは、あくまで視聴者目線の読者目線、いわば探偵のタレント性を享受する側としての彼女だ。まさか業界に当事者として関わろうとしていたとは思わなかった。

 彼女はよく部室で、わたし相手に探偵の話をする。クラスでは一言すら喋っているところを見たことがないのに。わたしはそれに相槌を打つことも稀なのだけど、それでも彼女はお構いなしである。そもそも、彼女の会話内容が探偵絡みであったことさえ、今日の授業中に柳場の話を総合していて気付いたくらいだ。檜山純に対するわたしのイメージはミーハーなアイドルオタクくらいの認識だったのだ。それが急に、探偵を知るための情報源としての価値が上がってきた。

 情報源は大切に。そう思っていても、いきなり態度を軟化させられない。だから初耳の、けっこうな驚きの新事実を前にしてもわたしはどうにもぼんやりした返事しか返せなかった。

「Dスクールってどれくらい難しいの?」

 とりあえずそんなことを聞いてみた。学校自体に縁の無かったわたしに入試の難易度なんて想像もつかないが。

「学科試験……普段わたしたちが勉強しているような五教科の試験はないみたい。でも、探偵としての基礎技能を測る実技試験と筆記試験はあるらしいよ」

「一応高校だよね。五教科の学科試験なくていいの?」

「探偵は人気の職業で、だからDスクールの試験にも大勢が押し寄せるだろうって。だから一校でDスクールの試験を受けられる人数を制限しちゃうの。それで、たぶん五教科の成績は試験しなくてもそれなりの人が各校から選ばれるんじゃないかな?」

 学校で普段勉強する、あのよく分からない学科は探偵としての技能の内なのか。それとも学科が学校では、何をするにも判断基準に組み込まれているのか。学校の価値観はイマイチ理解できない。

「その制限っていうのは何人?」

「それは分からない。資料にはなかったけど、たぶん学校にはもう通達されているはず。黒鵜さんも受けるの?」

「いや、受けはしないけど……」

 思い返すのは柳場の言葉。

 白刃流は探偵に応用できる。

 学校教育をろくに受けておらず、囲碁将棋チェスに限らずボードゲームのプロになるにも始めた時期が遅すぎる。こういうときの資本であろう体は健常者と比べるのも悲惨なくらい弱い。そんなわたしの手元にあるのは、師匠に教えられた白刃流の技だけ。

 探偵という職業が、わたしにとって唯一身を立てることのできる仕事である可能性は否めない。第一、将来をどうするとか、今までまるで考えてこなかった。将来どころか、明日まで命が持つかという毎日だったから。

 一考の価値はある、のか? まあ他に、今のところ可能性のある道はない。それに、わたしの性分としては社会に出るより師匠と一緒に引きこもっていた方が楽そうだ。

 檜山は壁に掛かっている時計をちらりと見る。そしてそそくさと自分の鞄を取り上げた。

「じゃ、じゃあわたし、二者面談あるからもう行くね」

「あ、うん。じゃあね」

 彼女がわたしの横を通り過ぎる、そのとき、わたしの心の中に燻っていた火が大きく揺らめいた気がした。

「……………………」

 振り返ったとき、檜山はもう部室を後にしていた。

「今のは」

 直感。またしても直感か。頼り過ぎな気もする。しかし、どうも穏やかじゃない生活をしていたせいで、そういうものへの直感は鋭くなっている。

 檜山に感じたのは、命の揺らぎだった気がする。

 かつて、自分の中に感じたもの。あるいは、あのとき死んだあいつから感じたもの。自分の命と誰かの命、そのどちらかあるいは両方が消えようとするときの揺らぎ。

「それにしても、人数制限ね」

 気になる。Dスクールの受験に際する人数制限は、いったいどれくらいか。もしこの学校でDスクールを受験する人がいるとして、わたしや檜山と同学年なら杉谷をはじめとする探偵生徒会がその筆頭だろう。それ以外に何人かいるかもしれないが、下手をすると生徒会五人でリミットということもありうる?

 それともうひとつ、檜山について気になることがある。彼女のクラスでの様子だ。扱いといってもいい。わたしはもとより誰かに話しかけたりするタイプではないからクラスでも檜山に話しかけることは稀なのだけど、檜山はあれで喋るタイプだ。無口ではない。それなのに、彼女がクラスで話しているところを見たことがないというのはどうも不自然だ。猫を被っているのだろうか。

「あー、そうだ。二者面談」

 思い出した。昨日から担任教師と差し向かいの面談が行われている。わたしの番は明日だ。進学先のことなどを話すらしいが、わたしは高校進学のことなど何も知らない。当たり障りのない返答ができるよう、師匠とも相談した方がいいかもしれない。

 わたしもすぐに、檜山に続いて部室を後にした。

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