第57話 婚礼

 真夜中近く、ルーナルーナは緊張した面持ちで鏡と向き合っていた。すっかり体内時計がダンクネス仕様に落ち着いているので、眠気はない。


「お綺麗ですわ!」

「正直、見違えたかもしれない」


 レアやコメット達が前日から磨き上げたルーナルーナは、今、この国で最も美しい姫になっている。


 闇の女神への信仰が厚いダンクネス王国では、百回以上も繰り返して染め上げた漆黒のキモノが婚礼の衣装となる。ルーナルーナはその上に施された金や銀の繊細かつ大胆な刺繍を指でなぞった。


(このキモノ一着で、私のお給料何ヶ月……いえ、何年分が飛ぶのかしら)


 根っからの庶民であるルーナルーナには、まだ式が始まってもいないのに体がカチカチになっている。せめて、汚さないようにしなければと心に念じていた。


「肌の色を変えると、こんなに印象が変わるものなのね」


 侍女がルーナルーナの髪を結い上げる仕上げをいている間、レアは惚れ惚れとしながら感嘆のため息をついた。


 今日のルーナルーナは魔法で肌の色を白く変えている。これら、闇の女神ルナと同じ姿。式に集まった国中の貴族達に見せることで、彼女を本物の女神の化身である姫巫女であることを印象付ける手筈となっている。


「さ、できあがったわ! 奴らの驚いた顔を見るのが今から楽しみね!」


 レアの声は弾む。実はルーナルーナ、ダンクネス王国に入って以来、まだ一度も貴族達が集う公の席には出向いていない。サニーが嫌がって止めているためだ。ルーナルーナは心象が悪くなるのではと不安がっていたが、レアからすれば、ルーナルーナの美しさはサニーの社交カードの一枚ともなるので、それで良いと考えている。


 コメットはルーナルーナの顔を覗き込んだ。


「ルナ、花嫁がそんなに硬い表情じゃ、望んていない結婚だと思われちゃうわよ?」

「え……それは、いけないわ!」

「だったら、ちゃんとにっこりしておかないとね。今日のルーナルーナは、誰よりも美しいのだから。ほら、胸張って!」


 ルーナルーナは、ようやく笑うことができた。







 リングは、そわそわしながら与えられた席に座っていた。隣にはジークが座っている。ここは王城敷地内にある庭園。闇の女神は天におわすと言われているので、婚姻の儀式は野外で行われるのだ。


 魔法で制御された白い光の玉がいくつも浮かび上がり、前方の大舞台を照らし出している。ここは、日頃であればダンクネス王国伝統の踊りが披露される舞台でもある。その広くて豪華な高座に座っているのが、王子の正装に見を包んだサニーと、花嫁衣裳を着たルーナルーナだ。


 リングの席からはルーナルーナの表情までもがよく見える。さらには、華美になりすぎない程度の印象を保ちつつ、贅を尽くした会場の手の込み用も。


(彼女は、確かに愛されている)


 リングは、そう自分に言い聞かせることしかできなかった。ジーク以外はシャンデル王家の人間が世界を渡ることができないので、リングはいわゆる国の名代としてここに座している。


 ルーナルーナと出会ってからのことを振り返ると、自然とさまざまな感情が溢れ出てきた。第一印象は最悪だった。主の機嫌を損ねるだけの女。しかし、人は見た目が全てではない。最初こそ心の中で侍女風情がと罵っていたが、ルーナルーナはその知識、内面、心遣い、能力で常にリングを魅了し続け、励まし続けた。そして、他所の国へと嫁いでいく。すぐ手の届くところにあったのに、人生という名の大河に流されて、引き離されてしまった果実。それは、キプルジャムのような甘酸っぱさ。秘めたる味だ。


(もし彼女が姫ではなく侍女のままであれば……)


 リングは、シャンデル王国を発つ前にレイナスと会った時のことをふと思い出した。本来は、王子側近のリングよりも宰相の方が格が上。婚儀への出席を促したのだが、レイナスの答えはすげないものだった。


「フラレた相手の婚儀へ平静な顔して出られる程、私は厚顔ではないのだよ」


 しかしその顔を見れば、本音はしっかりと伝わってくる。レイナスとて、ルーナルーナの勇姿とも呼べる花嫁姿は一目でも見てみたかっただろう。例え、それを許さない人がいたり、隠された想いが実を結ぶことが決して無くとも。リングにはレイナスの気持ちが痛いぐらいに理解することができた。


(そう考えると、この晴れ姿を目にすることができるのは、役得以上の僥倖だな)


 最近のリングの実家には、彼の業績や手腕が高評価をし始めた家々から合い話が殺到している。そろそろ結婚しろと両親も煩く言うのだが、リングの初恋と失恋はまだまだ長く尾を引きそうだ。




 クロノスの言葉の後にダンクネス王国の重鎮からの挨拶、ジークの挨拶が終わると、いよいよライナの登場である。ライナはサニーとルーナルーナの前に進み出ると長い祝詞を唱え、女神の祝福と呼ばれる聖魔法で生み出した金色の玉を二人に授ける。その後は主役二人が盃で祝の酒に口をつけ、いよいよ儀式はクライマックスを迎えた。


 まず、サニーが自分の魔力を掌に集中させて、光る青い玉を作る。続いてルーナルーナも同じように魔力で赤い玉を作ると、お互いに向き合って掌をそっと重ねた。


 魔力がぶつかる。


 二つの光がせめぎ合って螺旋のように互いを絡みとって一つの光になった。それは、王族を象徴する紫。後は、この新たに生まれた光を天に放つことで、結婚の誓いと女神への感謝を示すことになっているのだが、異変が起きた。


「熱いっ」

「ルーナルーナ?!」


 ルーナルーナの胸元が突然白く光り始める。サニーがルーナルーナのキモノ胸元を少し緩めると、なんと姫巫女の証が白い強烈な光を放っていた。その光は徐々に一本の線に集約される。まるで天を貫くレーザービームのよう。


 誰も見たことがない景色。静まり返る儀式の場。


 その時、ルーナルーナから放たれた光に返事をするかのように、白いスポットライトのような柔らかな光と金色のスパークルがサニーとルーナルーナの上に降り注いだ。


「女神の奇跡だ……」

「これこそが、真の祝福だ!」

「姫巫女の力だ……」

「長く生きてきたが、こんなことは見たことも聞いたこともない」


 集まった面々からは驚愕の声が次々とあがって、それに拍手が加わっていく。二人を中心に騒めきが小波のように広がり、ついに、その音は地面が揺れ動かす程の大きさになっていった。


 こうしてダンクネス王国は、サニーとルーナルーナの婚姻を心から祝福した。








 婚姻の儀式の後は、ルーナルーナお披露目の晩餐会である。

 ここでは、先程の奇跡に腰を抜かした貴族達も直々にルーナルーナと口を交わすことが許されていた。だが、再び現れたルーナルーナの肌は黒くなり、女神の祝福を得たための変化だという都合の良い解釈があっという間に広がってしまう。サニーの頑なな防衛も手伝って、ルーナルーナは簡単に声をかけることもできないぐらいの聖なる姫巫女として、ただただ崇め奉られる存在となっていた。






 晩餐会が終わると、すっかり空は白み始めていた。ダンクネス王国における夜の本格的な始まりである。


 ルーナルーナはコメットに無理やり着せられた透けそうな程に薄い生地の夜着を纒い、新しく設けられた二人の寝室でサニーの訪れを待っていた。


 ここからは、コメットやレアに言われずとも、ルーナルーナにとっては勝負の刻である。


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