第54話 調印

「上手く行ったみたいですね」


 貴族会が終了して、自室へ戻ったサニーを待ち受けていたのは、赤い髪の男だった。


「黒いカツラを被っておけとあれ程言っただろ」


 サニーはドスの効いた声色で吐き捨てる。


「カツラって、蒸れるんですよ。まだ禿げていないからでしょうけどね」


 ヘラヘラ笑うこの男は、先日の処刑で亡霊となったはずの者である。が、こうして現に生きている。


「命の恩人に対する態度とは思えないな」

「ですが、もう直接の商売はさせてもらえませんし、少しは殿下とも仲良くなりたいなと思ってるんですよ? これぐらいの軽口は許してください」


 ヒートは、自身が失礼な態度をとっていることを自覚しているのである。サニーは面白くなそうにヒートから目を逸らすと、キモノの襟元を若干緩めて、体操でもするように腕をぐるぐると回した。それを見つめるヒートは、声を出さずにニッと笑った。


(この人も、まだ人の上に立つのが慣れていないんだろうな。ま、王の器はあると思うから、後は慣れと経験だけなのだろうけれど)


 ヒートは今、メテオと同じく泥鼠の一員となっている。この国とシャンデル王国両方の民衆の生活について、あまりに詳しく知っていたため、単純に罪を着せて殺すには勿体ないと判断されたこだ。


 ちなみにヒートの処刑は、サニー達の持ちうる限りの高等魔法を駆使した幻影である。世界の重なりで多大の精神的かつ物理的にも損害を被った国民の怒りを決して王家に向けさせることはできない。となると、生贄が必要となる。そこで、実際に罪とも呼べることを成していたヒートに白羽の矢が立ったのだった。


「死人に口無しと言うではないか。もう少し静かにしていろ」

「殿下、冷たいですね。それで、ルーナルーナ姫との婚姻の日取りはいつに? レア殿ともそろそろ本格的に準備を進めなければなりません」


 ヒートは王家の影に取り込まれると同時に商売を手放したが、営んでいた商会の規模はかなり大きなものになっていた。ヒートの処刑と共に取り潰すには、民衆の生活への影響が大きすぎるとして、アレスの婚約者であるレアの実家に全て引き継がれることになったのだ。レアの実家は元々服飾関係の商売をしているので、その規模や権益を拡大した形だ。その関係で、ヒートはレアとも親交があるのである。


「お前は本当に気が早いな。まだ和平の条約の内容について貴族会の承認を得て、締結することが正式に決まっただけだ」


 とは言え、一仕事終えたサニーは明らかに機嫌が良さそうだった。


 今の時間はちょうど朝。サニーはルーナルーナへ念話で報告するのだと言って、足取り軽くバルコニーへ出ていった。


 仕方なくヒートは、貴族会の詳しい様子についてはアレスとメテオから知らされることとなる。それはかなりの波乱を含んだ内容で、中でも新しい大巫女ライナについては要注意人物だと心得たヒートだった。







 調印式はシャンデル王国で行われた。なぜなら、シャンデル王家の人間は、そろってキプルジャムの効果にあやかることができず、ダンクネス王国へ渡ることができなかったからである。そこで、ダンクネス王国側からは、サニーが王の名代として出席し、これにはアレスやメテオ、オービットも付き従った。


「では、こちらにサインを」


 両国の架け橋となり、ここまで条約内容の均衡を図り、調整を続けてきたリング。それぞれの代表者に書面を差し出し、サインを促している。この署名は、魔法で縛られる契約となり、大変効力の強いものだ。決して互いに反故にできない約束となるが、敢えてそれをすることで、両国は信頼関係を築こうとしている。


 サニーは、改めて条約の内容に目を通した。概ね、ダンクネス王国の思惑通りのものとなっており、サニーたっての希望で捩じ込んだ項目も含まれている。


 まず一つ目は、両国間で定期的な交易を王家主導で行うこと。必要に応じて、技術者や人民の交流も行うこと。


 次に、ルーナルーナをサニーの正室として迎えること。しかし、本人が望めば自由にシャンデル王国へ帰国することを許すこと。


 そして最後に、人々の持ち色、つまりサニーであれば白、ルーナルーナであれば黒だが、これによる偏見や差別を国中から撤廃すべく、両王家は努力を惜しまないこと。


 補足事項として、二つに割れた神具は、それぞれの国の宝物庫で保管し、乱りにこの二つを一つにしようと画策しないことも特記されている。


 今後は、両国間で異なる通貨を扱っているため、交易の際のレート決めや、キプルジャムの取り扱いに関する取締りについても協議されることになっているが、この日はひとまずこの内容で締結されることになった。


 サニーは、自らの名前をサラサラとしたためる。刹那、その文字が仄かに光を放ち、契約の魔法が発動したことを示していた。さらに、王璽を押す。見ると、シャンデル国王も署名を済ませて、文字を金色に光らせ、玉璽を押印していた。


 無事に、締結した。


 すぐに、祝の盃が侍女たちによって運ばれる。サニー達は咄嗟に中身の液体へ軽く魔力を通し、悪しきものが混入していないか検査する。結果、問題は見当たらなかった。


 以前よりもやつれた姿のリングが、シャンデル国王とサニーに目配せをする。


「それでは、今後の両国の繁栄に乾杯!」


 その場にいる全員が、盃を高く上げた。


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