第17話 ご褒美

 後宮に向かうと、入口に人気はなかった。隣接する騎士の詰め所や待避所ももぬけの殻。主であるミルキーナが留守だということは周知の事実ではあるが、ここまで無防備なのはさすがに問題があると唸るレイナスだった。


 勝手知ったる道を行く。レイナスは誰の許可も得ずに、後宮の奥へ奥へと進んでいった。


 キュリーとの付き合いは長い。シャンデル美人とも呼ばれるこの国の女の多くによくある、色白の肌と金色の髪。レイナスが気まぐれに優しくすると、たちまち媚びたような視線を送ってくる姪に、レイナスは諜報員以上の価値は見出していない。むしろ、そんなキュリーの一喜一憂など、全て視界の背景と同化していて、全く気にも留めていなかった。


 キュリーと同じぐらいの働きをする者はごまんといる。しかし、後宮という閉ざされた空間に忍び込み、その情報をごく自然な形でレイナスにもたらすことができるのが、たまたまキュリーだったというだけだ。使えるものは使う。それがレイナスの信条だ。


(大人しく情報を渡せばいいものを。私の足を引っ張ってどうするつもりだ)


 キュリーがレイナスに嫌がらせをしたところで、彼女自身に何の政治的メリットが無いことははっきりしていた。それだけに、目的が見えないことに薄気味悪さを感じるのである。


 レイナスは、つい先程見たルーナルーナの笑顔を思い出していた。レイナス自身、彼女から笑顔をもらったことは何度もある。だが、あの見知らぬ男に向けたような心からの喜びを弾けさせたようなものは見たことがない。


 許せなかった。何よりも、ルーナルーナには自分しかいないと高を括っていた馬鹿な自分に。レイナスはその職業柄、非常に競争心も高い。この憤りは、このまま己の心に沈めておくことなどできるはずもない。


 レイナスは、後宮のミルキーナの私室近くにある侍女の詰め所を見つけた。ノックすることもなく、乱暴に扉を開く。


「お前、良くも……!」

「あ、レイナス様。いかがなされましたか? 今宵は夜会ですのに」


 そこには、殺風景な部屋とあまりに不釣り合いな様相の女がいた。キュリーだ。金色の髪をくるくると巻いてサイドに垂らし、丁寧な化粧も施されている。しかし、レイナスの神経をさらに逆撫でした原因は、その豪奢なドレスにあった。


「なぜそれをお前が着ている?!」


 レモンイエローのドレス。それは、レイナスがルーナルーナのために準備したものだった。侍女の給料などたかが知れている。夜会に参加しようにも、きっと着ていくものに困ってキュリー達へ相談すると踏んでいたレイナスは、彼女へ渡すようにとの手紙と共に、今朝方キュリーの元へ届けたものだ。


「ルナはドレスに困っている様子がありませんでしたので。もったいないので私がいただきました」


 ルーナルーナとキュリーの背格好はよく似ている。若干ルーナルーナの方が胸が大きく、腰が細いのだが、そこは生地の伸縮性でどうとでもなる誤差だった。


「は? 今すぐ返せ、泥棒娘が! これは私が手自ら選んだ最高級の物なんだぞ!」

「確かにクラシカルで美しいドレスですが、あんな風呂にも入っていないかのように薄汚れた色の娘にこれが似合うでしょうか? それにお言葉ですが、これは流行のものではありません」


 レイナスの心を踏みにじったばかりか、そのセンスまでを完全に否定した言葉。レイナスの怒りはもはや最頂点へと達していた。


「つべこべ言わず、すぐに脱ぐんだ!」

「嫌です。レイナス様がお選びになったドレスなんて、手放したくありません」

「たわけが! ならばこうしてやる。手間をかけさせやがって!」


 レイナスは強引にキュリーを床に押し倒すと、ドレスの腰のリボンを解き、背中の布地を無理やり引っ張った。金のボタンが弾き飛ぶ。無我夢中でドレスを奪い取った時、レイナスは初めて冷静さを取り戻した。


「お前……こんなことをされてなぜ笑っている。恥ずかしくないのか?」


 キュリーは、ドレスの下に下着を身に着けてはいなかった。未だ乙女であるキュリーの白い肌はほんのりと赤く色づいている。キュリーは胸元も覆わずに、上目遣いにレイナスを眺めた。


「レイナス様。あなたに話しかけられること、触れられこと、こうして視姦されること。その全てが、私にとってはご褒美となるのです」






 夜会が終わり、それぞれが家路についた頃。侍女寮の三階では、ルーナルーナがベッドの上で死んだように横たわっていた。既にドレスはクローゼットの中に仕舞われて、化粧も拭い去った今、夜会など無かったのように静かだった。


(サニー……)


 ルーナルーナは心の中で想い人の名を呟く。あの時、サニーは何を伝えようとしていたのだろう。そしてあのキスの意味を考え続けていた。


(でも大丈夫。もう約束も用事も無いけれど、いざとなれば私からダンクネス王国へ行けばいいんだわ。もう方法だって分かっているんだから)


 しかし翌朝、ルーナルーナは再びどん底を味わうことになる。キプルの木から、実がほとんど無くなっていたのだ。


 その頃、サニーも窮地に陥っていた。


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