第31話 告白

 ボーデンとヘンドリーナが連行されて行く後ろ姿を呆然と見送っていたカトリーンは、訳がわからないままフリージの方を振り返った。


「あの……、これは一体?」

「ああ。前にも言った通り、カトリーンが宮廷薬師として働き始めるのに必要な身元保証の証明書を送るようにきみのご実家に書簡を送ったんだ。だけど、何を思ったのかカトリーンを連れ帰りに来たみたいだから、お引き取り頂いたよ。変態ジジイへの嫁入りはきみの妹さんが引き受けてくれるみたいだし、よかったね」


 フリージは肘当てに肘を預け、なんでもないことのようににこりと微笑む。


 いや、あの様子は明らかに引き受ける気はなかったでしょうに、という台詞は口に出さずに唇を引き結ぶ。フリージの様子から、穏やかに見える彼がこれまでにないほどに怒っていることを感じたから。


「私の家族がご迷惑をおかけしました。それに、まさかヘンドリーナが薬師を希望するなんて思ってもいなくて。あの子は一度も調薬なんてしたことがないのに、本当に何を考えているのか……」


 カトリーンは眉尻を下げて謝罪した。

 身元保証の証明書を書かないことは覚悟していたものの、こんな暴挙に出るとは想像だにしていなかった。ヘンドリーナは確かに魔法は使えるかもしれないが、魔法薬の調薬はできないはずだ。つまり、カトリーンの代わりなど務められるはずがない。


「調薬?」


 フリージは怪訝な表情をしたが、すぐに何かに気が付いたように表情を和らげた。


「ああ、そう言えば話してなかったね。実はね、カトリーンのご実家に証明書を依頼するのと同時に、サジャール国の王太子殿下にもリリアナ妃から手紙を書いてもらったんだ。もしもきみのご実家が証明書を用意しなかった場合に、サジャール国のきみのご実家のある地域を治める領主名義で身元保証の証明書を出してもらえないかって。魔法薬を扱える薬師が宮廷薬師にいるのはリリアナ妃のためにもなるからね。もう、それは届いている。だから、カトリーンはこちらの事務手続きが済めば、正式に宮廷薬師だよ」


 カトリーンは驚きで目を見開いた。そんなふうに裏で手を回していてくれたなんて、夢にも思っていなかった。


「ありがとうございます……」


 感激で言葉が詰まり、それ以上は出てこなかった。


「いいよ。ハイランド帝国でも魔法薬を扱える薬師が欲しいというのは事実だから。これは国のためでもあるんだ。それと、もう一つ」


 フリージは言葉を切ってカトリーンを見つめる。


「俺がカトリーンのご実家に書簡を出すときに、手紙を添えたって話は覚えている?」

「はい」


 カトリーンは頷いた。その話は、以前一緒に薬草を摘んだときに聞いている。内容までは知らないが、フリージがおかしなことを書くわけがないとカトリーンは信じていた。

 フリージは座っていた肘掛け付きの重厚な椅子から立ち上がると、カトリーンの前に歩み寄る。そして、こちらを見下ろした。


「俺、最近顔色がいいって言われるんだ」

「? ええ、そうね」

「それに、機嫌がいいって」

「そうなの? よかったわね」


 なぜこんな話が始まったのかがわからず面を食らったが、カトリーンは無難に相づちを返した。

 初めて会ったとき、フリージの目の下には酷いくまができていた。けれど、今は血色がいい。機嫌のよさは以前を知らないのでなんとも言いがたいが。


「なんでだと思う?」

「さあ? ……お薬が効いているからかしら?」


 フリージは定期的に疲労回復のお薬をカトリーンの元に取りに来る。カトリーンに意味ありげに聞く位だからそれが効いているということだろうかと思い、カトリーンはそう言った。


「うん。それもそうなんだけど、最近はそんなに飲んでいないんだ。そこまで必要ないから」

「必要ないから飲んでいない?」


 カトリーンは戸惑ってフリージを見つめ返した。フリージはカトリーンの片手を取った。

 目に入った袖口には、彼の身分の高さを如実に表すかのようにぐるりと豪華な刺繍が施されていた。先程迎えに来たパオロの上質な文官服よりもさらに華やかなものだ。それに見入っているとフリージの声がして、カトリーンは顔を上げた。


「カトリーンと話して、カトリーンが笑ってくれると疲れが吹き飛ぶ」


 その発言の意図が摑めずに無言でいると、淡い緑の瞳でまっすぐに見つめ返された。


「つまり、俺はきみが好きだ。だから、これから先、ずっと俺のそばにいてほしいと思っている」


 驚きのあまり、言葉が出てこなかった。目を見開いてただただ見返すと、フリージは少しだけ困ったように微笑んだ。


「俺の自惚れじゃなければカトリーンは同じ気持ちだと信じていたのだけど……。違ったかな?」


 カトリーンはふるふると首を振る。


「好きだわ。ずっと、好きだったわ。でも、私は身分もないし、異国人だし……。フリージさんとじゃ釣り合わないわ」

「リリアナ妃や、カールと今度結婚するナエラ嬢もサジャール国出身だよ。──カトリーンは結婚するとき、相手を国籍や身分で選ぶ?」

「……選ばないわ」


 けれど、リリアナ妃はサジャール国の元王女で、ナエラは高位貴族の娘だ。平民で庶子のカトリーンとは根本的に全く立場が違う。

 カトリーンが考えていることを悟ったフリージは、カトリーンを見つめたまま両肩に手を置き、視線の高さを合わせるように少しだけ屈んだ。


「俺も選ばない。カトリーン、俺はこの国では確かに身分が高い。自分で言うのもなんだけど、名家の嫡男だし、皇帝陛下の幼馴染で側近だし、外交分野ではトップだしね」

「…………」

「だから、政略結婚なんてしなくても、自分の力でこれから先も道を切り開いていける自信はある。カトリーンが毎日近くで笑っていてくれたら、疲れが癒える。俺はその笑顔を自分の手で作ってあげたい。それだけじゃ、駄目かな?」

「──駄目じゃないわ」


 嬉しくて、本当に嬉しくて、涙がぽろりと頬を伝う。

 絶対に手が届かない人だと思っていたから、この気持ちは決して口には出さずに永遠に蓋をしておこうと思っていた。


 フリージはその涙を拭うように、カトリーンの頬に親指を走らせた。


「物事には順番があると思って、君の父上に結婚申し込みの許可を貰おうと思ったんだ。善かれと思ってしたんだけど、結果的にカトリーンを傷つけてしまったね」


 カトリーンは否定するように首を左右に振った。

 ヘンドリーナが『私が代役を務める』と言ったのは、このことだったのだと今更ながらに理解した。 


「これから先、カトリーンを泣かせるときは嬉し泣きだけだって誓うよ」


 優しく体を抱き寄せられて、憧れていた人の温もりに包まれる。頭上からは、囁くような声が聞こえた。 

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