第44話 鋼の刹那

 1563年3月某日

 播州鞍掛山城 山名義親


 年明けから騒がせていた三好家との戦が終わり、平穏な日常が戻りました。徴収されていた軍は最前線を除き、日常の訓練へと戻り、もはや以前と変わらない有様です。


 日常は変わりませんが、ボク自身を取り巻く状況は少し変わり掛けました。先の戦で負傷した片目は駄目だったのです。戦傷故に除隊を薦められましたが、性懲りもなく残りました。ボクはまだ何も成してません。

 眼も、視力を失った以外に派幸いにも膿む事も無く、既に鍛錬を再開しています。距離感が巧く掴めない辺りが問題ですが、次の戦がいつになるかわかりません。それまで時間が無いと思うのです。


 「駆けあがれーっ!」


 そして今、少しだけ軍に残った事を後悔しています。

 山城の斜面を模した、目の前にそびえたつ土の壁を前に、駆けあがれと言われてもどうしたらいいのでしょうか、と戸惑い、罰の追加訓練を喰らったのは今は昔。小兵衛教官の強烈なしゃがれた怒鳴り声に圧され、同期の者たちが必死に壁にへばり付きながら昇る様を見て、「今日こそは一番速く駆け上がり、褒美の休息時間を手に入れたいものだ」と気合が入ります。


 この鞍掛山城ではおはようからこんばんわまで鍛錬鍛錬また鍛錬。日が昇る前に起こされたら、身体をほぐす体操をみっちりと行い、その後、汗が水たまりになるほど身体を苛め抜きます。もうこの時点で泣きが入りますが、手を抜いたら追加が待っているので、朝から限界以上の力が必要になります。


 ……何で戻ってきてしまったんでしょうと思った事は一度や二度じゃありません。一度軍に残ると決めたのならば、グズグズ言うなよ、とぶっとい釘を刺されましたので、口にはしませんが。


 ただ、この訓練のいいところは、体調的に食える食えないは別として、メシと水は十分に用意されていることと、体調不良や怪我に対しての休息、治療の申請さえ行えば間違いなく認めてもらえるところだと同僚は言います。この鞍掛山城を評して「贅沢な地獄」とは巧く言ったものだと感心します。


 確かに異様なまでの厚遇ですが、逆に言うとそこまでしなければ負傷者が多過ぎになってしまうという事です。ボクもご飯が喉を通らず、死にかけた事はいい思い出です


 朝の鍛錬からわずかばかりの休息が終わると、班ごとにわけられ、日替わりの課題訓練へと取り掛かります。今日の場合は、攻城戦の訓練。山城の斜面を駆けあがる訓練。梯子の無い櫓を上り詰める訓練。但馬でボク達がやられた事のカラクリはここにあります。


 また、各訓練をする前に、訓練の持つ意味というものを全員にきっちりと叩き込まれます。今日すべき事は~に繋がり、とても重要である、と。事実、今日行っているこの訓練を経たからこそ、但馬の山城の攻略時に一番槍を取った、という教官役の現役馬廻りの方も中にはいます。ボクとしては心境は複雑ですが、考える兵士とはこんなにも強いのかと思わされます。


 「遅ぇ!矢の的にされてぇのか!この野郎!!お前ら班は全員もういっぺんだ!来い!」


 ……だから、歴戦の兵が震え上がる小兵衛教官の喝も甘んじて受けるしかありません。既にボク達世代は、かつて小兵衛教官から兵としての心得や技術――兵としての根本を教えられた者たちばかりです。理不尽にも聞こえる宣告に、それでも該当する者たちが即座に小兵衛教官の前へと並びます。


 「お前らよぉ、手ぇ抜いているのか?」

 「「「「いえ!抜いていません!」」」」

 「お前らは我が黒田家がこのまま大きくなっていけば、いずれ指揮官になっていくだろう。そうなれば、泥まみれになって先頭を進まねぇとでも思ってのか?」

 「「「「いえ!思いません!」」」」

 「馬廻りの予備のつもりでいるんじゃねぇぞ!負けは死だ!甘えは恥だ!躊躇いは弱さだ!今!やれ!」

 「「「「はっ!!」」」」


 指揮官が、そして最高戦力である馬廻りが先頭を切る――他の国から来たボク達にとってはめちゃくちゃな話ですが、それでも一斉に否定の言葉を唱和します。


 他家ならばいざしらず、この黒田家に限って言えば間違いなどではないのだから。


 馬廻りは護衛にあらず。先駆けから工作、偵察―――左少将様の手足として働かなければならない。決して華やかな部隊ではなく、家中随一の精鋭です。そして今ボクが属している直轄軍もまたそれに準じる精鋭であります。


 それだけに、この訓練や馬廻り訓練は家中から色んな注目を浴びます。


 黒田家は譜代の臣が皆無の家だからか、実力で評価されます。つまり、たとえ、馬廻りになれなかったとしても、ここで訓練と薫陶を受けた人材として、雇いたいと言ってくる者が後を絶たないのです。現に、但馬で活躍された赤松下野守様や先の戦いで奮戦した父上の活躍は、この訓練に参加した者を多く雇い、一気に精鋭化の道を目指したことも大きく影響しています。

 なにより、黒田家主流の流儀を隊に取り入れた事で連携が捗る様になったのです。


 「若様や馬廻り共に先陣切らせて、安全地帯になった所を、よいしょよいしょと山登りでもするかぁ?そんな兵はいらねぇんだよ!誰よりも確実に、誰よりも早く昇りきれ。もう一度だ!」

 「「「「はっ!」」」」


 一人の失態は仲間の責任。それでも文句は言いません。なにせ、馬廻り訓練ならばただ駆けあがるだけでなく、上から矢が降ってくるらしいですから。


 さて……いってきます。

 

 ◆ 

  同日 夕刻


 「よう、眼の具合はどうだ?」

 「……えっと、殿?なんでここに?」

 「視察のついでに見かけたから、武兵衛の弟子の様子でも見てやろうと思って」


 今日も何とか生き延びました。さて、一休みしたら自主訓練です――と思ったら、黒田左少将様とその義弟の小一郎君が刀を持って待ち構えていました。

 確かにボクは武兵衛さんに教わる事が多いですが、武兵衛さんは馬廻り筆頭として忙しい身です。そのほとんどは自主的な素振りで済ましているのですが……弟子、と呼べるのでしょうか?


 いやいやいやいや、それより何で今から戦う様に、トントンと軽やかな足取りをしているんです!?


 「小一郎。丁度いいから、お前も山名と手を組んで俺相手に戦ってみな」

 「……えっと、この太刀で、ですか?」

 「安心しろ。どうせ当たらねぇよ」


 ギャーッ!?何という挑発を!?しかも予想通りボクも巻き込まれてますよね!?


 「……山名殿。宜しくお願い致します」

 「う、うん……」


 ムスッとした顔で並び立った小一郎君は一礼すると抱えていた刀をスラリと抜き払い、ボクもなし崩しに槍を構えると左少将様は満足げに一つ頷きました。


 相手は文字通り天衣無縫。武兵衛さんすら軽く超える我らが頂点。本格的に敵ならば死を覚悟しますが、手合わせなんて願っても叶いません。これはまさしく贅沢な地獄。ところで、あの、真剣で向き合っていいのでしょうか?


 「自らの身を守るのに剣術などの技は必要かもしれねぇが、人を斬るのに技を習う必要はねぇ。斬った数、実戦の数、怪我した数、浴びた血の量――その中で身体に染み付いた物が全てだ。空振って、そしてその分だけ太刀筋を研ぎ澄ませ。殺すつもりで――来い」

 「行きますっ!」


 多分日常から行っているのでしょうか?左少将様が刀も抜かずにいるにもかかわらず、小一郎君は宣言と共に鋭く踏み込むと、まだ小さな体にも関わらず刺突から横薙ぎを返し、避けられると大きく後ろに飛んで距離をとりました。


 その身のこなし。馬廻りの人たちには負けますが、既に大人顔負け、という所では無い気がします。えっと……確か、2つか3つは年下だった気がしますが。


 「山名ぁ。お前も来い」

 「殿、刀は……」

 「抜くと手加減ができん。咄嗟に斬るからいらん」


 流石、武兵衛さんの標的。規格が違いました。

 裏を返せば咄嗟に斬ってしまうほど斬ってしまったという事ですか。


 深く息をして、槍を構えると、体勢を整えていた小一郎君が飛び込み、


 「っ!?」


 その斬撃を避けた方向を狙い、鋭く一突きした瞬間、左少将様の姿が視界から消え、左頬に強烈な衝撃が走って吹き飛ばされました。嫌な予感がした瞬間、右に飛ばなければ首が持っていかれる所でした……。


 「拳……ですか?」

 「蹴りだよ。しかし今の死角からの一撃をよく巧くいなしたな……派手に吹っ飛んだわりには効いてねぇだろ」

 「いや、十分痛かったですよ」

 「槍を落とさなかった事も褒めてやる」

 「死んでも手放すな、と教えられましたので」

 「いい事だ――来い」


 突いて斬り上げ、袈裟から返し、一撃一撃が煌めく小一郎君の斬撃を全て至近距離で避け、小一郎君も左少将様の拳を退いて避け――気が付いたらボクも槍を握り返し、薙ぎ払っていました。相変わらず左目が無い事が厳しいですが、そうでなくとも厳しい。早朝からの鍛錬で痛めつけた身体がギシギシと悲鳴を上げます。


 それでも、前に。精神こころが叱咤します。

 負けは死。だけど臆するな。たとえ臆しても隠して、一歩前へ、前へ、前へ!!


 「小一郎、もっと腰入れて撃ってこい。それじゃ当たっても斬れねぇんだよ」

 「はいっ!」

 「山名ぁ。ただでさえ左側は死角になるんだから、もっとうまく立ち回れ」

 「はっ!」


 小柄な体躯を捕えきれないほど俊敏に。見失っては衝撃を喰らい。日が暮れるまでの短い時間ではありましたが、その後もボク達の刃が左少将様に届く事はありませんでした。


 けど、だけど、もっと前に。

 明日も厳しい訓練です。だけど、明日は今日よりもっと強くなるように。


 ボクはこの直轄軍の訓練が終わった後、馬廻り訓練を受けるか、それとも指揮官としての訓練を受けるか選んでいる――あるいは、適性を見極められている所です。


 それでも今は、目の前のこの刹那を。鋼の意志で繰り返し続けた刹那を積み重ね、その先に何かがあると信じて。

 

 日々、愚直の大切さを思わされます。


 ◆

 立ち合い後。他の連中。


「殿、自分も一手ご指南を」

「自分も」

「某も」

「拙者も」

「下克上の好機!」


 半刻後、全員纏めて医務室送りにしたことで、正座して小兵衛から説教を食らう殿様がいたとかいないとか……。

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