第38話 鳳の野望

 「話にならんな」


 官兵衛がバッサリと切り捨て、俺は思わずクックと笑い声をあげた。


 三好勢を撃退して間もなく、こちらの目論み通り朝廷による仲介が入った。当然、和解条件の話し合いが始まっている。開催場所は姫路だ。


 とはいえ、俺は交渉の席に着いたとしても、表立って意見を述べる訳でもなく、その交渉は官兵衛に丸投げしている。俺達の意見のすり合わせは概ね終わっているからだ。


 ……あと、俺が出張るとロクでもない事になりそうだと、総動員で止められたから。コイツらは人をなんだと……あ、駄目だ。反論できそうにねぇや。


 それはともかく、表向きの交渉役を買って出た官兵衛の普段見せない振る舞いに思わず笑いそうになってしまう。まだ10代の俺達にいいようにやられている三好の奴らの不憫さと合わせると、中々の破壊力だ。


 「お忍びだったとはいえ、公方様直々の遊行。それを当家がかどわかしたと言いがかりをつけ、侵攻。挙句その裏では、公方様の帰還を阻止し、その間に退位を迫ろうなどという不遜な動き。貴様らは当家を舐めているのか?」

 「遊行というが、」

 「年末には、幕臣の細川兵部殿と共に、民と交じり合って相撲にも参加されている。これを遊行と言わずになんと言う?」


 ……もー駄目。お腹痛い。官兵衛、お前役者にでもなれよ。ハムレットとか似合うぜ。


 「面従腹背の輩が――……少し待て」


 お、なんだ官兵衛。決め台詞の途中で俺を睨み付けやがって。あ?やんのかこのハムが。


 「貴様はっ!もう少し!シャンと出来んのか!?」

 「殴んな馬鹿!」


 かく言う俺もまあ、咄嗟に拳を被せたわけだが。嫌な条件反射だ。なんで2人揃って三好の使者と朝廷からの使者である山科卿の前で頬を押さえて蹲らなければならねぇんだ。おかしいだろ!このタイミングで何で殴りかかられるのさ!


 「お前らは揃いも揃ってよそ様の前で何をやってるんだ!このバカ息子共!」


 そこにバカ息子(官兵衛)に業を煮やしたおやっさんによる制裁が、ガツン、ガツンと……うん、まあ俺もだよね。後頭部は響くぜ……。


 それと藤兵衛。「あ。いつもの事なんでお気になさらず」という言葉はフォローじゃない。フォローになって無い。


 「相変わらず型破りというか……清々しいほどに馬鹿じゃ」

 「今回、山科卿は酒が要らないらしい」

 「失礼した。思わず本音が出てしもうたが、今の言葉は撤回しよう」


 呆気にとられる三好勢とは違い、ある程度耐性のあった山科卿が笑い声をあげるが、一瞬で真顔に戻った。そこまで酒が好きか。謝りつつもこちらをしっかりと刺して来やがったが。


 「して、話しを戻そう。黒田羽林はどのような条件で和睦を望むのじゃ?」

 「官兵衛」

 「まず、公方の京への帰還と身の安全の保証」


 話しを強引に本筋に戻され、俺が官兵衛に短く声を掛けると、後頭部を摩りながら官兵衛が短く告げた。


 「それはまあ……そういう話じゃからな」

 「そして摂津。あるいは丹波の譲渡」

 「…………それはちと儂から見ても無理があるぞい」


 当然の事ながら、ふっ掛けてみた所で、それがすんなり通るとは俺達も思ってはいない。だが、嫌が応にでも通して見せる。

 さて、場も暖まった事だろうし、そろそろ真面目に行くとするかね。


 「逆に、三好はどういう条件でウチと手を打とうとしているんだっけか?なあ――松永弾正」


 翻弄されていた使者団の中で、筆頭として座りながらも、未だに言葉を挟まなかった男がピクリと眉を上げた。

 皆大好き爆弾正こと。松永弾正久秀。外様ながら弟共々、三好長慶に見出され、そして史実では長慶死後に公方を殺し、東大寺を焼き払い、織田信長に降り、そして再び反乱して爆死したまさに下剋上の代名詞のような男。


 目の前に居るその男は確かにふてぶてしい感じだが、どことなく官兵衛に似ている。姿形では無く、怜悧で頑固な佇まいと、常に2手先を読まれているような感覚まで似ている。


 つまりだ、通常ならば強敵なんだろうが、コイツは俺にとってカモの気配だ。頭でっかちであればある程、こちらとしては裏をかきやすいので俺にとっては都合がいい。尤も、松永弾正が頭でっかちな訳が無いと思うが。


 「三田の譲渡」

 「ああ、そうだったな……んで、こちらの提案については?」

 「呑む訳無かろう」

 「だろうな……ま、別にいいんだけどよ。今回の戦で確信したが、消耗した摂津なんていつでも獲れる」

 「丹波もこちらの合図一つで大多数が蜂起する。丹波を統括する貴様の弟はさぞや苦労するだろうな」

 「ぬう……」


 絞り出すような声。摂津はともかく、丹波が不利な事はしっかり把握していたらしい。それを見越して官兵衛は丹波の調略に力を注いでいたし、先の戦勝もあって丹波の趨勢は完全にこちらに傾いている。

 またこの状態で一国増やすのか、と言われそうだが、然程労力を使わずに一国手に入るならば積極的に奪っていけとおやっさんも言っている。人材の不足は早急に解決すべき課題だが、ただ単純に収支でみると、対して軍を動かさずに一国が手に入るならば大きなプラスだからだ。軍を動かした時の出費が一番大きい。


 そして、それは三好も同じ事。


 大軍を動かした挙句、戦に負け、更に泥沼化するであろう丹波を抱えて採算が採れるのだろうか?下手を打てば丹波どころか畿内全域を失う恐れがある。ここから持ち直して採算が採れるのならば、その担当官を是非ヘッドハンティングしたい。


 では、丹波は三好がそのまま持っていた方がこちらにとってはプラスじゃないのか?と思うだろう。丹波だけで済ますのは、丹波だけで済まさないと畿内全域で泥沼の戦が始まる。勝算はあるが今はまだ畿内に目を向ける時期ではない。俺たちとしても深入りは避けたいのだ。


 そう考えると丹波一国という三好にとって大きすぎる代償は、実はお互いにとって妥当とも言えるんじゃないか?という結論に達する。損得勘定が巧い三好長慶、松永弾正は感情は別にして、言わずとも気が付くはずだ。

 これが頭の悪い奴が使者だった場合、あるいは三好長逸のように武寄りの人間だった場合、感情論で破談になっていただろう。だから、今回の使者が松永弾正だとわかって安心したのだ。


 「つーことで、丹波で手を打て。俺達が実効支配していない摂津は今回諦めてやるから」

 「……チッ、少し待て。この場では答えられん」


 本願寺との合流も急ぎたいが、摂津には手を出せない。丹波ならばまだ天嶮を利用する事が出来る。ようやく念願の丹波に王手だ。


 「そういえば、三田を寄越すと言ったが、有馬の分家はこちらに。本家はそっちに付いたんだったな。それごと寄越すのか?」

 「いるか?」

 「いらん」「いらねぇな」


 分家の方は俺の数少ない身内だ。それに会ってみた感じ「モノ」になりそうな感じだ。けど、この期に及んで風見鶏を続ける輩など必要無い。


 勿論、付いてくるのであればそれなりの優遇はしたであろうが、どうも実力主義のウチに恐れを成したらしい。優遇、待遇にはそれに見合った責任を求めるからな。



 それにどうしても古くからの名家である程俺たちとは相性が悪い。実際の所、血筋でいえば俺は名家の生まれになるし、名家の配下も一杯いる。有馬家は遡れば赤松の分家。だが、本家である赤松ですらこき使われているのに、分家ならばどんな扱いをされるかわかったもんじゃない、と恐れを成すのも当然だろう。

 その点、分家の分家まで行けば実力で伸し上がれるならば、こき使われようともやってやろう、という気になるのだろう。ましてや、有馬分家は先に報酬と条件を提示されているのだ。


 「奴らにはまだ使い道がある。我らが貰う」

 「はたして、あのテの奴らを本拠から離して使い道があるのかねぇ」


 俺が揶揄するように言うと、松永弾正の眉毛が再びピクリと反応した。コレでも精一杯譲歩しているって感じだな。大勢力としてはそう大っぴらと配下の離脱を容認する訳が無いわな。


 「左少将……少し、訊いてもいいか?」

 「ああ」

 「何故、公方を生かした?」

 「殺して欲しかったか?」

 「否。貴公ならば殺すと踏んでいたからだ。結果としてはそれが一番の誤算だった」


 少しマナー違反ではあるが、別にさらけ出しても構わないような案件か。さりげなく官兵衛に目配せをすると奴も少しだけ頷いて応えた。精々脅しかけるとしよう。


 「公方な……まあ、難しい所ではあるが、いっそ腹を割って話そうか。俺達が殺さなかった理由は、花道ぐらい用意してやろうと思ったからよ」

 「花道、だと?」

 「俺は公方に足利家が将軍位を返上する事を勧めたよ。誰かの意志じゃ無くてテメェの意志で幕を引けと言った。言った以上、花道ぐらいは用意してやろうと思っただけだ」

 「何……!?」


 流石の松永弾正も驚いたように眼を剥いて言葉を詰まらせる。古い権力を利用し、そこに付きまとう連中からすればこれ以上無い鬼手だからだ。


 たとえば、将軍を殺すとする。ただ殺しただけでは足利将軍家は滅びたとは言わないだろう。また誰かがその係累を――今回の場合は足利義秋か、奴を将軍に据えて同じ事を繰り返す。


 では、足利義輝が足利家から将軍位を返上したとする。はたして、足利義秋を次の将軍に据える事はできるだろうか?俺はできないと思う。江戸時代末期の大政奉還を今、室町幕府で行おうとしているのだ。色々と考えたが、実際に足利義輝と会って、実際に幕府の窮状を見て、実際に各地の戦乱を見て、これが最良だと俺は判断した。


 もちろん、これは俺の意見であって他の意見がある事はわかっている。多分、生粋の戦国時代の人間ならば幕府を潰す事は考えても、その後の政権の行く末は思い付かないだろう。


 そして徳川慶喜が(敵前逃亡だ何だかんだあったけど)名君であったように、俺は足利義輝には(コイツも大概だけど)その器があると思う。多少の反発はあったが、実際に話していると、話している間に徐々に多角的に物を見る視点が養われていき、人の話を受け入れる下地が出来てきているのだ。上っ面を覆っていたプライドを砕いてみれば、相当な危機感を持って臨んでいるのだ、という心情がありありと浮かんできた。


 「もっとも、あの馬鹿がすんなり返上するかどうかは知らんけどな」

 「そんな事したら……どうなるかわかっているのか!?」

 「ああ」


 俺の代わりに官兵衛が悠然と頷いて、俺に視線を寄越す。それにしても、いい笑顔だ、官兵衛。実に悪辣で、実に自信に満ち溢れている。多分、俺もそんな顔をしているのだろう。


 「幕府という秩序の消失により、乱世は更に加速する。次代を担おうと更に闘争は激化し、古きに胡坐をかく旧弊は淘汰されていく。局面は『玉を取り合う争い』から『玉になる為に殺し合う』混沌の時代へ」

 「だが、その混沌の先にある物こそ俺達の本願。技術は闘争の中で革新し、誰もがこの時代を変えようともがき始め、時代への反逆は烽火を上げる。混沌の業火の中で、この国は再び蘇る――蘇らせる!テメェらの、権勢がどうだ、見栄がどうだ、領土がどうだ、なんて些細な都合やちっぽけな野心なんて知ったこっちゃねぇ。俺はそういった小悪党を一掃する為に火を掛け焼き尽くす」

 「尚、貴様らが公方を害した時には、なりふり構わず我らは貴様らを潰す。そしてそのまま次代は立てずに簒奪の汚名を被ってでも、我らの道を往かせてもらう」


 「……度し難い。度し難い、実に度し難い!すべてを破壊して蘇ると本気で信じているのかっ!?貴様らの野心!ただそれだけの為に!」


 俺と官兵衛の宣言に驚きつつも、どこか興味を持ったような表情を見せる辺りは流石の松永弾正か。


 「松永弾正。肝に銘じておけ――そして三好長慶にも伝えよ。半端な野心は身を焦がすだけだ、と」

 「……ま、そういうことだ。官兵衛も言ったが、テメェらも精々焼き尽くされないように用心するんだな」


 ◆

 「また随分と煽ったもんだな、官兵衛」

 「少し考えればわかる事だが、将軍家が無くなった所でこれ以上時勢が悪化する訳ではない。今と変わらんか、悪くなったとしても、多少小競り合いが増える程度だろう」

 「気が付くかな……?」

 「さあな。どちらにしても俺達がやる事は変わる訳でも無い。一番厄介なのは飛び火して三好長慶が吹っ切れる事だが……見る限り、それは無さそうだがな」


 今までの三好長慶の動向ならばそうかもしれない。安定を求め、翻弄されないように組織の引き締めに掛かると思うだろう。だが、晩年の三好長慶は精神を病んだと聞いている。理性のタガが外れて長年蓄積した物が急浮上したらどうなるか……。

 ちと、悪手を打ったかもしれない。


 「……いや。一応警戒しておこう。畿内の権力闘争の中、深い底から操ってきた三好長慶が本格的に浮上すると、畿内の混乱が凄まじくなる」

 「……確かに。俺たちがすべき事を先にされては困るからな。でもまあ、ひと段落か。今回は割と穏便に済んで良かった」

 「ああ。またおやっさんにドヤされる日々が続くかと思うと、本当にな」


 松永弾正ら三好氏の使者たちとの会見も終わり、俺達は姫路城内に新たに設けた茶室で茶を囲んでいた。千宗易にコーディネートを依頼し、建てた小さな茶室には、俺、官兵衛そして茶頭に任じた千宗易のみだ。


 ……何で茶室かっつーと、山科卿とおやっさんらの酒宴から逃げてきたっていうのが一番の理由なんだが。


 それで天下の茶人が点てる茶を呑めるのだから、下剋上万々歳だ。


 「……三好長逸と松永弾正。おそらく手を組む。三好の結束は固くなるな」

 「貴様が描いた図面だぞ?」


 今、俺達は本腰を入れて三好と事を荒立てるつもりはない。むしろ、畿内の泥沼化だけはどうしても避けたいのだ。本願寺、公方と縁を繋いでしまった以上、どうしても俺たちが出張らないといけなくなる。

 そう考えると三好にはある程度安定していて貰いたいのだ。


 正確な年号は覚えていないが、五右衛門らが三好長慶の息子が重病により、とある神社に祈願をしたという情報を拾ってきた。そろそろ三好家の内部分裂が始まる。だが、今回の件で俺に対して強烈な印象を持たせる事により、三好長慶が死んだとしても、即座に分裂は始まらないであろうと思ったのだ。


 少なくとも、今回の件で当事者であった松永弾正と三好長逸――犬猿と思われていたこの二人の距離は近くなるはずだ。それこそが今回の最大の収穫だろうと俺は思う。


 「敵家中の勢力争いさえ手のひらに載せるか……」

 「敵の誰がどういう立場で、どういう状況なのか――それさえ把握していれば、どのような事態に陥っても搦め手から操作する事が出来る。そうだろう?官兵衛」

 「そうだな」


 まだ見ぬ三好長慶。そして三好長逸と松永弾正。今俺が接している中で最大の敵だ。特に松永弾正と三好長逸を組ませたらいずれ最強の敵になるかもしれない。


 ほんの少し刃と言葉を交わしただけでもわかる三好長慶への圧倒的な忠誠心。そしてその心を貫く実力と、我の強さ。どれもこれも、前世の知識と言う色眼鏡で見ていたら痛い目を見そうなものばかりだ。


 「ともあれ、これで東はいったん目途が立ったな、隆鳳」

 「まだ丹波の接収があるけどな。それが終わったら次は西、か。本願寺の件と三好と朝廷と幕府と――東進しなかったのは心底正解だ」


 しみじみと考え込む俺の前にコトリ、と茶が置かれた。


 「すまんな、宗易」

 「いえ。さ、どうぞ」


 最近だが、激務が続く合間に俺も多少は茶を嗜むようになった。千宗易、今井宗久、津田宗及ら茶人が集まっていてそれを利用しないのはもったいないと思ったからだ。もっとも、茶器に金をかける茶には相変わらず興味が湧いてこない。それでも、不思議な事に宗易らは姫路に好印象を持っているらしかった。


 「そういえば、宗易殿は最近は市井でも茶を教えているそうだな」

 「ええ。楽しいものですよ。官兵衛殿」

 「茶が楽しめる程余裕が出てきたか……いい傾向だな」

 「ええ。まさに」


 恐ろしく高い背にヒョロっとした体格。細い目を更ににっこりと細くさせると、本当に朗らかな印象になる。彼に促されて茶を一服。ほろ苦い味わいが口の中に広がる。


 最終的に旨みはあったが、今回の件はこの茶の様に本当にほろ苦い。そう思えばこれが今回の勝利の味だろうか。


 だが、多分、このほろ苦さは悪くない苦さのはずだ。


休夢から一言あるそうです。


「茶を呑むなら俺も呼べ!!」


茶室で乱闘しそうな展開しか思いつかなかったのでカット。


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