第5話

 わたしは芽生え、育っていく。月に二回、イリャーナが家に来るのをこころ待ちにする。イリャーナは小学校の教師で、首府の反対側に住んでいる。結婚していて、三人子どもがいるが、みな成人して家を出ている。

 中等学校に進む。わたしは汎知性共同体についてもっと知りたいと思う。カリンがなんでも教えてくれるけれど、熱帯キューブに行って実際の菌糸を見てみたいと思う。休みの日に、かれと一緒に熱帯キューブに行く。かれの同僚たちがわたしを歓迎する。わたしが一質問すると、百くらいの答えが返ってくる。汎知性共同体は世界中にネットワークを持っていること、それを人間の情報のやりとりに利用することをわたしは知る。オアイエの景色も、火山諸島のいまの荒涼とした状況も、菌糸が伝えてくれる。それを木が匂いに変換して、さらにそれを人間が機械で分析し、金属のディスプレイに映し出す。キューブの「口」――ほかのキューブにつながる管――に詰まった菌糸の束を見せてもらう。菌糸と植物の根のつながりを、顕微鏡で確かめる。

 わたしがそうして得た知識を、イリャーナはにこにこして聞いてくれる。パウンドケーキを焼いて持ってきて、一緒に食べる。着古した服の肘が破れてしまったと言うと、きれいな刺繍をして繕う方法を教えてくれる。わたしは裁縫が苦手だと気づく。老眼鏡をして針を動かすイリャーナを見るのが好きだと気づく。

 友だちをつくって話をするのも苦手だ。授業で必要なら話をするけれど、自分がなにに興味を持っているのか伝えたり、相手がなにを好きなのか聞いたりするのが苦手だ。勉強と、カリンとイリャーナ以外のことはどうでもよいと思ってしまう。同級生がほかのドームに出かけたり、自分の暮らすバイオームとはちがう環境で、スケートをしたり、馬に乗ったりするのには興味が持てない。

 ヴァスィーレがやってくる。カリンのもうひとりの子どもで、火山帯にちかい場所に立つ観測所に勤めている、火山学者だ。いつもご機嫌で、地球が元気だとうれしそうに言う。それを、カリンがたしなめる。わたしは気にしていない、と言う。けれど、夜ベッドに入ると涙が出てくる。ヴァスィーレが観測所に戻るために旅立つと、わたしは家から出られなくなる。学校へはカリンが連絡し、通信教育を受けないかと確認されるけれど、わたしは首を振る。なにも聞きたくなくなっている。イリャーナが心配してやってくる。カリンももうヴァスィーレを家に呼ばないと言う。わたしは、自分の行動がカリンやイリャーナに与えた影響にうろたえる。ベッドから出たくない。カリンは仕事に出かける。部屋に鍵はかからないので、イリャーナが入ってきて、ベッドの掛け布に手を置く。

 わたしは彼女を見上げる。オアイエのスカーフで頭を覆い、わずかに白髪がそこから出ていて、カリンと同じ青い目でわたしを見つめる。

 わたしはむくりと上体を起こす。掛け布に置かれた彼女の手を両手でつつむ。わたしが差し出した手は、いつも彼女が握ってくれた。

 もう精霊がわたしを見ていないんだ。

 わたしはつぶやく。

 池の水をすくっても、モミの枝を揺らしても、精霊は笑わない。お祈りをしなくなったせいかな。

 レット――……

 カイに帰れば、また精霊に会えるかな。それとも、精霊はどこにもいなくなっているのかな……

 ぽたぽたと、自分の手やイリャーナの手にわたしの涙が落ちる。

 科学があれば、精霊と一緒じゃなくても生きていける?

 わたしはイリャーナを見つめる。

 イリャーナは無言のまま、わたしを抱きしめる。

 このひとが欲しいと、わたしは思う。

 ずっと前から気づいていたことだ。

 わたしはイリャーナを自分の身からはがして、そっと、口づけしてもいいか聞く。

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