第3話 通知

 家族はまだ誰も帰って来ていなかった。

 父さんと莉久はまだそれぞれ仕事と学校だろう。母さんは確か友達と食事に行くって言ってたな。今は誰とも会話する気分じゃなかったから都合がいい。

 俺は着替えを済ませて、自室のベッドに腰かけた。

 

 さて。どうやってあいつを殺そう。


 当然だが今まで人を殺したことなんてない。殺したいと思ったことすらもない。

 『何があっても人を傷つけてはいけない』。親からはずっとそう教えられてきた。

 人が人を傷つけるようなニュースを見ると、それだけで心が痛んだ。

 ……でも、あいつはそんな俺に本気で「殺したい」と思わせた。

 人間の心って、傷つけられ続けると逆に相手を傷つけたくなるようにできてるんだな。

 自分が壊れてしまう前に相手を壊すための防衛本能。俺はその本能に従って、あいつを殺す。


『殺人サブスクリプション』


 目を閉じて、ずっと頭の片隅に浮かべていたその言葉をすくい上げる。

 当てにしているわけじゃない。これは、そう、ただの興味本位。

 面白いことを考える奴がいるもんだ。ちょっとその遊びに付き合ってやろう。ただ、それだけ。

 俺はスマホを手に取り、昨日削除してゴミ箱送りにしたあのメールを復元し、開いた。


『おめでとうございます。貴方は殺人サブスクリプションサービス、【コロホ】のベータ版に当選されました。以下のURLより専用のアプリをダウンロードして初期設定を完了させてください』

 

 俺は唾を飲み込んで、そのURLへアクセスした。

 表示されたのは、殺人という物騒な言葉には似つかわしくない、白を基調とした格調高いデザインのページだった。サービスのベータ版参加への礼を述べる文の下に、アプリをダウンロードするためのアイコンがある。

 俺はそのアイコンをタップして、コロホアプリをインストールした。スマホのホーム画面に洒落た書体の「コロホ」の文字が追加される。

 アプリを起動すると、再びベータ版参加への礼のメッセージが表示され、続けてコロホのサービス概要説明のページが現れた。そこにはコロホの利用方法や注意点などが列挙されている。


 コロホを利用すれば、殺人を犯しても決して罪に問われない。

 殺人を行う際は、アプリから殺したい人物の情報を事務局に送信する。すると数日以内にその人物は身柄が確保されて専用の施設に収容されるため、後はそこで自由な殺し方ができる。

 殺しのための道具は施設に多数用意されていて自由にレンタルできるほか、持ち込みやアプリからのリクエストを行うことも可能。

 ただし、一度に収容できるターゲットの数は各ユーザー一度に一人まで。収容されている人物を殺害するまでは、他の人物をターゲットにすることはできない。

 そして、このサービスの事は決して他人に口外してはならない。ユーザーは初めて施設を訪れた際に、誓約書の記入をしなければならない。

 利用料金については、ベータ版では発生しない。正式サービス開始後の料金は現在検討中。


 ざっくりまとめるとこんな内容だった。ページ下部には利用規約へのリンクが貼られている。

 そのリンクの下の『次へ』アイコンをタップすると、続けてユーザー情報の入力画面が表示された。

 ユーザーネーム、年齢、性別。こういう時によく求められそうな住所の入力欄は見当たらなかった。

「イタズラもここまで手が込んでると笑えるな……」

 このアプリを真に受けかけている自分を諭すように呟く。

 いくらUIやデザインが本格的だからといって、こんなものを信じるのは馬鹿げてる。いつまでイタズラに付き合うんだ。そろそろアンインストールしよう。

 そう思ったところで、今日の出来事がフラッシュバックした。


『後にしろと言ってるだろ!』

『では、お前の怠慢ということだな?』

『蛙の子は蛙、無能の子は無能なんだろう。さぞかし親もロクな人間じゃないんだろうな。お前に似たマヌケ面が容易に想像できるよ、ハッハッ!』

 

「……………………試しに。これは、冷やかしだ」

 そう自分に言い聞かせて、ユーザー情報を入力する。そして入力欄の下の『確認』アイコンをタップした。


『この内容で登録してもよろしいですか?』


 俺は一瞬だけ躊躇って『はい』をタップした。

 少し読み込みを挟んだ後、画面に『登録完了! コロホのご利用誠にありがとうございます。素敵な殺人ライフをご堪能ください』というメッセージが表示される。

 ほんと、何やってんだ俺。

 自分に呆れながら、アプリのマイページを開く。ここも白を基調にした落ち着いた印象のレイアウトだ。そのページの中央に、『ターゲット情報送信』というアイコンがある。

 アイコンをタップすると、ターゲットの氏名や勤め先、その他細かな情報を入力するための欄が現れた。

 運営が誤った人物を捕えてしまわないようにできるだけ多くの情報を入力してくれ、といったニュアンスの文が書いてある。

 俺は黙々とあのクソ上司の情報を入力し、送信した。


 ◇


 ターゲット情報の送信から数分後、コロホアプリに通知があった。

『ターゲット情報を確認しました。ターゲットの確保・収容が完了次第、改めてご連絡致します』とのこと。

 俺は一つ息を吐きだした後、ベッドに背を投げ出した。

 これがガチだったらな。

 そんな訳ないけど。こういう他力本願なところも俺の弱さなんだろうな。

 自分では現状を打破できないから、周りに頼る。何か自分を救ってくれそうなものに頼る。

 実家暮らしを選んだのも、社会人として自立する勇気が無かったから。きっと、まだ家族に甘えていたかったんだ。


 俺はスマホから手を離し、頭を切り替えた。

 さあ、ここからは真剣に考えよう。どうやってこの手で課長を殺すのか。

 俺は食事も取らずに、夜中まで課長の殺害方法を模索した。


 ◇


 翌朝。

 俺はいつもの時間に起床したが、前日に続きあまり深い睡眠が取れなかったこともあって、体が重い。窓の外ではパラパラと雨粒の音がしている。

 ふとスマホに目を向けた。何か通知が来ているようだ。


『コロホ運営事務局よりターゲット確保・収容完了のお知らせ』


 眠気や体の重さが一気に消え去り、全身を巡る血流が瞬く間に加速し始めた。

「いや……まさかな……」

 恐る恐るコロホアプリを開く。すると、『ターゲット確保・収容完了のお知らせ』というポップアップに続き、一枚の写真が表示された。

 白色はくしょくで統一された10帖ほどの空間の中央で、男が椅子に縛り付けにされている。

 写真を拡大するまでもなく、俺はその男が課長であることを察した。

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