「海の上で」 (3)

「判明したのは鎮守府や艦艇で違法薬物を所持する将兵が確認されたからだ。その出所が鎮守府で港湾業務を担う部署だった。連中を尋問すると宇品の陸軍船舶部隊から買ったと言うのだ。そこで高田中尉に船舶部隊と接触して証拠になる違法な物品を受け取るように私が命じた」

坂堂は顛末について語り始めた。

「その高田中尉は誰と接触していましたか?」

冴子は尋ねる。

「岡田少尉だ。報告によれば高田中尉は岡田少尉と連絡して受け取りの段取りを付けたそうだ」

岡田は連絡役だったのだろうかと冴子は思う。

「その岡田少尉と高田中尉は小黒神島の沖で待ち合わせていた」

小黒神島は宮島と江田島の間にある無人島である。

「だが高田中尉が捜査で来ていると知っていたのか、それとも揉め事でも起こしたか銃撃が起きた。この辺りが分からない」

「無事であった兵の証言は無いのですか?」

無傷の合田兵曹長について冴子は訊く。

「合田兵曹長は事件の時は内火艇の操舵をしていた。待ち合わせ場所で高田中尉と岡田少尉が合流した時に異変が起きた様子は無く、いきなり撃ち合ったと言っている」

「つまり、唯一の証言者は直に何が起きたか分からなかったと」

「うむ、すぐに艇を出せるように操舵室から離れられなかったのだ。そのおかげで撃たれてすぐに離脱できたようだが」

事件の概要は分かったが分からない部分が依然としてある。

「ところで大尉、そちらの知っている事をお教え願おうか」

坂堂が冴子へ要請する。ここまで情報を出してくれた坂堂に冴子は快く応える。

岡田少尉が乗った連絡艇が使用できるように船舶司令部業務隊の白井少佐が許可した事

甲田組へ白井が密輸品を売りに出していた事

岡田少尉らは最初から武装して高田中尉との待ち合わせに出発した事

これらを坂堂へ語った。

「軍内のみならず反社会勢力にも手を広げていたのか」

坂堂は甲田組との繋がりを聞いてやはりと呆れた。

「ところで、こうして大尉が来た事は上官へ伝えているのか?」

坂堂は冴子が事前の許可や相談をした上でこうして面会に来たのか尋ねた。

「いいえ、独断です。事によっては陸軍と海軍の問題になりますので」

冴子の答えに「そう、その通り」と坂堂は頷く。

「高田中尉達が陸軍の兵に撃たれたと聞いた時には陸軍の誰に確認を取れば良いかと困っていたのだ。下手に伝えればすぐに大事になる。大尉の判断は正しい」

「坂堂大尉は事件をどこまで伝えているんです?」

「直属の上官である呉鎮守府警務隊捜査部長の永瀬中佐には伝えている。そこから呉鎮守府警務隊隊長の矢内少将にまで届いているよ。でもそこまで、警務隊だけで止めている」

「こっちは船舶兵が撃たれた事は東京の中央憲兵隊司令部に届いていると思います。ですが海軍が事件に関係している事は報告していません」

冴子と坂堂のやり取りを黙って見ている末松はどこか不健全さを感じて来た。

死者が出た事件であるのに情報を止めているのだ。

まさか自分の上官は海軍と組んで隠蔽をしようとしているのでは?と思えて来た。

「坂堂大尉は事件をどう始末するつもりですか?陸軍の不祥事として告発しますか?」

冴子が切り出す。

「そうするのは容易い。現状の知りうる情報だけでも海軍大臣にまで上げれば殉職した多井少尉の無念を晴らせる。だが、その時にはとても面倒な事になる」

「そうです。東京から色んな人達がやって来ますし面倒になります」

末松は二人がどうこの事件を始末したいのか見えて来ない。

「神楽坂大尉は腹案があるかな?」

冴子は逆に坂堂から意見を求められる。

「個人的な考えですが、中国管区憲兵隊と呉鎮守府警務隊の間で決着させます。事件の当事者は表面上はテロの犠牲者と言う事にして処分は内部で」

冴子の提案に坂堂は「私も同じ考えだ」と言った。

末松は冴子は言わされたのだと理解できた。

「では手筈をお互いで整えると言う事で」

「はい。ですが上官や司令がどう判断するかは分かりかねます」

「そこは懸念している。でもここで収めようと憲兵隊の司令官も鎮守府長官も考えると、期待しています」

「期待は小官も同じです。ではこれにて」

冴子と末松は退出しようとする。

「ここで会ったのも何かの縁です。連絡先を交換しませんか?」

「そうですね。では携帯電話の番号を」

こうして冴子と坂堂はお互いの連絡できる電話番号を交換して面会は終わった。



「大尉、どうも海軍に上手く誘導された気がしてなりません」

七三式に乗り鎮守府と海軍の区域から離れると末松が言い出した。

「そうね。けどそれで良いのよ」

冴子は何も気にならないと言うふうだ。

「どういう事です?」

「この事件は我が陸軍にとって立場が悪い。だからこそ海軍の要望を聞かねばならない。分かる?」

「確かに船舶兵の犯罪を知り捜査していて、犠牲になったのは海軍です。しかし」

「海軍に頭を下げているような気がしたか?なあに、土下座している訳ではない。この程度で面子を潰されたと思ったらやってられないわよ」

冴子は飄々と答える。

「さて、広島に戻って海軍の事を報告しないとね」

冴子にとってちらの方が憂鬱だった。



「あの陸軍をどう思う?」

冴子が去ってすぐに坂堂は倉田に尋ねる。

倉田は末松と同じく冴子と坂堂のやり取りを黙って見ていた。

「話の分かる人でないかと」

「同感ね。同じ警務の仕事をする陸軍軍人として仲良くしておきたいものね」

「しかし、陸軍はどう出ますか」

倉田は懸念を言う。

「私の考えは変わらない。面倒が小さくて済むならそれを選ぶ筈だから」

そう坂堂は言うが倉田はどこか納得しかねるようだった。

「大尉、小官は多井少尉が陸軍に撃たれて亡くなったのに事態を小さく収めて良いのかと思います」

倉田は正直な気持ちを述べた。

倉田からすれば多井少尉は同じ呉鎮守府捜査隊の戦友だ。それが陸軍将兵の手によって殺害されて気が収まらないのだ。

これは坂堂と倉田だけしかこの部屋に居るからこそ言える本音だった。

「陸軍の責任を追及して多井少尉の仇を討つ。それが正義でしょう。でも事態が大きくなればそうした正義は忘れられて政治の話になるわ。そして本来は何を問題にしていたのか分からなくなる。呉や広島の海軍と陸軍を掻き回した上でね。私はそうなるのが嫌だから小さく収める事にしたのよ」

「罪がある陸軍の将兵を裁くためにですか?」

「それを目に見える範囲で確認する為にね。事態が大きくなれば我々は事件の担当は東京の中央警務隊から派遣された捜査班に替えられるでしょう。そうなれば何がどう解決したのか分からなくなる。我々が追いかけていた事件なのにだ」

「つまり、多井少尉の無念は我々で晴らすと」

「その通り。我々がこの事件の始末までやる。または見届ける。それが多井少尉へ出来る無念の晴らし方だ」

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