第3章 御座席でのウェブの使用はご遠慮下さい

第7話:御座席でのウェブの使用はご遠慮下さい・1

「おはようございます。お姉さん」


 聞き慣れない舌足らずな声で白花は目を覚ました。

 今は朝、自宅でベッドの上。いつも締め切っている遮光カーテンが開け放たれている。初夏の朝らしい強い日差しが眩しい。

 声の主を探して白花は枕の上で首を転がした。


「おはようございます。お姉さん」


 同じ言葉がもう一度頭の上から降ってくる。白花の頭のすぐ隣に、小さな女の子がちょこんと座っていた。

 野球帽を被って短い髪を後ろで一つに括っている。上は巨人ジャイアンツのTシャツ、下はジーパン生地のホットパンツ。そして肩に担ぐは金属バット、背中に担ぐはリュックサック。

 凛とした目つきに小さく整った鼻や口。一見すると少年のようにも見えるが、ほんの少しだけ胸に膨らみがあり、背中から腰にかけて曲線的でしなやかな身体つきをしている。

 野球少年ならぬ野球少女だ。少女は立ち上がり、礼儀正しく一礼した。


「僕は遊希と申します。宜しくお願いします」

「えーと、ブラウ管理局の人?」

「違います」

「だよね。ちなみにおいくつ?」

「先月で十一歳なのです」


 こんな幼い子供が公務員として働いているとは思えない。かといって、昨日の黒華の殺害依頼を聞いて白花の命を狙いに来たアサシンにも見えない。

 この家を訪ねてくる小学生には思い当たる節がなく、白花は首を傾げるしかない。


「人権団体の類? 私のファン? パパ活的なやつ? 親が新興宗教の信者?」

「違います、違います、違います、違います」

「黒華の友達?」

「違いません」

「それって私を殺しに来たってことかな」

「違います。むしろ逆で、お姉さんを守るために来たのです。そもそも、黒華のやり方は強引すぎます。あんな依頼を出すのであれば、誰かがお姉さんを護衛する側に付かなければバランスが悪すぎます。使われるのは癪ですが、この世は持ちつ持たれつなのです」

「よくわからないけど、遊希ちゃんは私を守ってくれる騎士様ってことでいいのかな」

「そういうわけでもないのです。適度に守りますが、死守するわけではありません。これは生きるか死ぬかという問題ではないのです。正確に言えば死に方の問題、もしくは生き方の問題なのです。お姉さんは安穏と生きるべきではないですが、無為に死ぬべきでもないのです」

「なんだか回りくどいね。ポエティックな託宣を並べていないで直截に目的を話してほしいな」


 RPGで最初の村にいるNPCと喋っているような感覚だ。

 漠然とした目標を提示する割には、フワフワした意味深な御託を並べるばかり。相手に解釈の責任を転嫁しているような、上から目線で伏線だけ張っているような感じがやや気に入らない。

 ただ、相手が可愛い小学生でなければもう部屋を追い出しているかもしれないが、可愛い小学生なので少し話を聞いてあげようという気持ちになる。


「お姉さんに危害を加えるつもりは無いというだけで満足しておいてほしいのです。ここにいるのが僕じゃなければ、お姉さんは寝込みを襲われてもう死んでます」

「とは言いつつも、本気で守る気はないっていうのをもうちょっと具体的に言ってみてよ」

「そうですね、例えばお姉さんが安置に避難したりすると少し困るのです。もしそんなものがあるならの話ですが」

「まあ、言われなくても普段通りに生活してるけどね。昨日も普通に家に帰って普通に寝たし」

「良い心掛けなのです」

「ご褒美にもっとわかりやすいヒントちょうだい」

「生死のどちらか一方ではなく、その境界を歩こうと心掛けることです。一見すると隙の無い二項対立の唯一の綻びとは、その区切りそのものなのです」

「そっか。全然意味わかんないから一分後には忘れるけど、とりあえず遊希ちゃんは私の味方ってことでいっか」


 不毛な会話を一旦諦めて、白花はベッドから上半身を起こした。


「喉乾いたからそこからなんか取ってくれるかな。そっちのビニール袋の山、そう、その辺、なんか飲めるものが入ってるはずだから」


 遊希は素直に言われた通り部屋を探索する。しかし、一つ目のビニール袋の中身を覗くと思い切り顔をしかめてこちらを振り返った。


「どう見ても蛆の湧いたゴミなのです。お姉さん、ひょっとしてダメな大人ですか?」

「私よりダメな大人はそんなに多くないだろうね。遊希ちゃんの周りの大人はもっとまともかな」

「お姉さんと似たり寄ったりなのです」


 ゴチャゴチャ言いながらも、遊希は手頃なビニール袋を三つほどベッドまで持ってきてくれた。どれが適切かわからなければいくつか持ってくるあたり気が利いていて、袋を差し出して白花のリアクションを待っている姿からはなんとなく忠犬っぽさを感じる。

 手を伸ばして撫でるぞという素振りを取ると、意外にも動こうとしない。そのまま撫でた。野球帽のゴワゴワした感触を通じて、小学生の高い体温が手の平に伝わる。

 袋の中から潰れて中身が漏れているコーヒーの牛乳パックを取り出し、ストローを突き刺して啜る。蛆虫と一緒に、やや酸っぱ苦い、二週間前までは乳製品だった何かが喉に流れ込んでくる。


「目的については喋らないみたいだから、手段について聞こうかな。私はこれからどうすればいいんだろうね」

「いい質問なのです。まずは現状認識から入りましょう」


 遊希は背中に背負ったリュックから大きめのタブレット端末を取り出した。


「これを見てください」


 見せてきた画面には、昨日の管理局衛生管理室を俯瞰で撮った動画が映っていた。音声は無い。

 白花と椿が部屋に入ってきてヴァルタルの治療をするところから始まる。三人が喋っているとやがて黒華が侵入してきて、蚊柱がヴァルタルを殺す。

 モザイクはかかっていないので惨状がはっきりと見える。不思議なことに、昨日目の前で見たときよりも、俯瞰視点で冷静に見ている今の方が生々しくグロテスクに感じた。

 時折、「キラーン」とか「デデッ」とか異様に安っぽいSEが挿入される。画面に映っている凄惨な状況と全く雰囲気が合わない。白花の蛆虫がヴァルタルを白骨死体に変えたところで、また「イエーイ」という歓声のSEが鳴った。

 黒華が扉を開けて部屋を出ていったところで動画が終わり、遊希が全画面再生モードを解除した。シークバーや関連動画一覧が表示される。今の動画は端末に保存されているものではなく、動画投稿サイト上にアップロードされていたものだったらしい。

 インターフェイスからYoutubeかと思ったが、左上を見ると微妙にロゴが違う。DarkTubeと書いてあり、その色も赤ではなく紫だ。


「ダークウェブ版YouTubeことDarkTubeに黒華が投稿した『管理局の監視カメラをハックしてみた 皇白花の蛆虫が凄すぎる!?』なのです。再生数がグングン伸びている人気急上昇動画で、これで一万円の広告収入が発生したので昨日スイパラを奢ってもらいました」

「私のプライバシーは?」

「殺人依頼が通った時点で公人も同然なのです。この動画によってお姉さんの存在はいよいよアンダーグラウンドに周知され、お姉さんを巡る抗争が起ころうとしている、というより、もう既に起きています。あまり自覚していないでしょうが、お姉さんの『蛆憑き』としての治癒能力または死体処理能力はアンダーグラウンド広しと言えどかなりの注目に値します。黙っていても向こうから干渉してくるのが基本的なゲーム展開と考えて良いでしょう」

「昨日黒華が言ってたみたいに、皆が私を殺しに向かってくるってことかな」

「そうとも限らないのです。実際、昨日のアナウンスから約二十時間経った今でも、お姉さんはこうして元気に生きています。そもそも放送を聞いて動画を見た人々が取る選択肢は殺害だけではありません。素直に殺害依頼に従って代替命と交換するのもいいですが、お姉さんを引き入れて利用したい派閥もあるでしょう」

「へー、なんかモテモテだね」

「いずれにせよ、昨日帰ってから能天気にぐっすり寝ていたのが奇跡的なくらいなのです。いい具合に牽制し合ったか、よほど慎重に動いているか、あるいはその両方でしょう。今いるのは谷底の安定点ではなく尾根の先端の安定点と心得てください。もうそろそろ均衡が崩れて誰かがアクションを起こす頃です。実際、もう殺し屋が来ているからこそ、スヤスヤ安眠しているお姉さんをわざわざ起こしたわけですが」

「え? 来てるの?」

「気付いていなかったのですか? さっきから、玄関でカチャカチャカチャカチャ一生懸命ピッキングしているのが耳障りで仕方ないのです」


 遊希は自分の耳を指さしてクルクル回した。

 確かに言われてみれば、玄関の方から数秒おきに何か音がしないでもない。しかし、それは「チ」という音の最小単位でしかなかった。時計の分針が動くような、ごく僅かな音に過ぎない。


「ピッキングってことは開けて入ってくるつもりだよね。放っておいて大丈夫なのかな」

「大丈夫に決まっているのです。こんなに手際の悪いやつはワンチャン狙いのチンピラか何かです。この家の鍵なんて旧式のディスクシリンダーですから、僕でも三十秒かかりません。そもそも、本当の手練れなら一夜明けた段階で中に誰がいるかわからないのにピッキングなんてリスクの高い手段は取りません」

「大丈夫ではなくないかな、女子小学生と成人女性しかいない部屋にチンピラが入ってくるっていうのはさ」

「最初に言いませんでしたか? 僕はお姉さんの身辺警護に来たのですよ。未来からシュワちゃんが来たと思ってくれて結構なのです」

「それは安心できるかどうか微妙なラインだね」


 ようやく鍵が開き、侵入者が玄関を開けて飛び込んできた。

 それは一人の男性警官だった。両手で構えた拳銃をこちらに向けている。その腕はガクガク震え、息は切れ、目は血走っている。初夏の早朝はまだそこまで暑くないというのに、顔中から冷や汗がダラダラ垂れていた。

 銃口は既に白花を捉えていた。殺し屋じゃないじゃんと遊希に文句を言う暇もなく、部屋に発砲音が響き渡った。


「あ、死んだ」


 確実に撃たれた、流石に死んだ、走馬灯は別に流れない。

 というか、何故警官が撃ってくるのか、警官のコスプレをした殺し屋か、それなら何であんなに焦っているのか。もし仮に警官だったとしても、こうして殺してくるならそれは広義の殺し屋かもしれない。

 いや、そんなことはひとまずどうでもいい。今考えるべき疑問は、銃を向けられた人間が発砲音を聞いてからしばらく色々考えているのは時間の流れがおかしいということだ。

 非常事態に時間が濃縮されて知覚されている的なやつだろうか。しかし、壁にかけてある時計を見ると、平時の感覚通りに秒針が進んでいる。チクタクチクタクと、今四秒も進んだ。


 もう一度銃口に目を向けたとき、まだ自分が死んでいない理由がわかった。

 単に弾丸が届いていないのだ。弾速が遅い。弾丸は銃口と白花を結ぶ直線軌道上をノロノロと進んでおり、こちらまで一向に到達する様子がない。

 銃弾は回り込んで観察できるほどの遅さで空中を漂っていた。太った円錐状の形や鈍い金色まで細かく見てとれ、減速した末に今はもうほとんど止まりかけている。床に落ちずに宙に浮いているのが不思議なくらいだ。


「銃弾の周りをよく見てみてください」


 遊希の言葉に従ってよく観察すると、銃弾は白くて細かい網の目に絡まっていた。網は中心から放射状に広がる縦糸と、その間を繋ぐ横糸の二つでできている。直線で区分けされた網の模様は窓を割ったときの罅にも似ている。

 蜘蛛の巣だ。銃弾は、いつの間にか部屋に張り巡らされていた蜘蛛の巣に引っかかっているのだ。まるで獲物の蝶のように。

 ただの蜘蛛の巣にそんな強度があるとは思えないが、これは遊希が持つ何らかのスキルだろうか。白花の蛆虫が持つ超再生能力や、黒華の蚊が持つ疫病媒介能力と同じような。


「これは正当防衛なのです。念のため、彼が先に撃ってきたという証拠写真も撮っておきましょう」


 パシャリと音がした。遊希がタブレットを構えて警官の男を撮影している。

 見れば、警官も蜘蛛の巣の中に突っ込んでおり、全身に白く細い糸が巻き付いていた。男も銃弾と同じく完全に静止している。こちらに大きく踏み出し、必死の形相でそのまま空中に固定された男は、異様な気迫も相まってまるで彫刻のようだった。


「ボールにしては貧相ですが、まあ良いでしょう」


 遊希は金属バットを右肩に振り被る。左足を上げ、振り子のようにゆっくりとリズムを取った。王貞治の一本足打法である。

 無防備な男の脳天に向かって、思い切りフルスイング!

 カキーンという爽やかな青春の音……ではなく、重いゴムの塊をボクサーが殴りつけたような鈍く伸びない音が響いた。男の頭が大きく陥没し、重力に身を任せて地面に倒れ伏した。蜘蛛の巣からの支えを失ったのだ。

 頭から流れる血がフローリングに到達するよりも早く、ビニール袋の山から這い出てきた蛆虫の群れが猛烈な勢いで集まってくる。集まってくるといっても素早く移動するわけではない。次々に増殖して爆発的に数を増しながら、群れで覆う表面積を増やしていく。早回しで成長する粘菌のようだ。

 蛆の大群は血の川を遡上し、割れた頭部をすっかりくるんでしまうと、今度は身体に向かって更なる勢力圏を広げていく。蛆はあっという間に男の全身を覆いつくし、白い膜に覆われた男は即席のミイラのようになった。


「蛆虫の死体処理能力、実際に見ると思ったより凄いのです」

「死体ってことは殺したんだね」

「仕方なかったのです、殺さなければ殺されていたのです」

「嘘でしょ。本当は?」

「放っておいても無害でしたが、ノーリスクで人を殺そうとするのはフェアじゃないのです。殺していいのは殺される覚悟があるやつだけなのです」

「それは……言えてるかも」


 そのとき、ピッキングによって解錠された扉が再び開いた。


「先輩、まだ生きてます?」


 玄関から聞き覚えのある声がする。

 遊希は立ち上がると、片腕で持ったバットをホームラン予告のように玄関に向けてピンと伸ばした。そしてそのまま後ろに大きく腰を反らす。

 これは何打法かと考え、すぐに答えが出た。そもそもこれはボールを打つためのスイングではないし、最初にしたのはホームラン予告ではない。

 バッターが乱闘を開幕させるときのピッチャーへの宣戦布告だ。遊希は今部屋に入ってこようとしている新たな侵入者目がけて、バットを全力投擲しようとしているのだ。


「遊希ちゃんストップ!」


 白花は叫ぶが、動き出した遊希のモーションは止まらない。

 もう実力行使しかない。白花は足元の蛆を一匹拾って指で摘まんだ。そして人差し指と親指の間に挟み、コインのようにピンと弾いて打ち出す。

 蛆虫は直線軌道で空中を進み、遊希の頬に貼りついた。蛆はただちに増殖して遊希の顔を上っていく。目玉に到達し、そのまま眼窩に入り込む。


「ごめん!」


 白花は先に謝った。

 次の瞬間、遊希の目から大量の蛆があふれ出た。眼窩と眼球の間にある隙間を使って爆発的に増殖したのだ。

 突然視線が遮られ、バランスを崩した遊希の投げバットは当初のコースを逸れて壁に穴を空けた。


「うああああ!」


 遊希が絶叫するのも無理はなかった。遊希の目から床に向かって大量の蛆虫がボタボタと落ちていく。まるで目から流れる白い滝のようだ。号泣しているようにも見える。

 遊希は犬のように呻きながら目を覆って床を転げ回る。突如湧いた蛆虫に視線が遮られるだけでなく、目の中で小さな虫が湧いて蠢く感覚がどれほどの嫌悪感を催すのか、白花にさえも想像が付かない。

 白花は哀れな遊希を抱きしめて耳元でもう一度謝った。


「ごめんね。たぶん人体的には安全だし、しばらく待ってれば治まるから」

「うわー、先輩ってロリコンの虫姦趣味だったんですか?」


 頭の上から椿の能天気な声がする。

 蛆に死肉を食いつくされて白骨と化した男の死体が崩れ、傍らでカランと乾いた音を立てた。

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