爽やかな朝、そしてサドンデス

 樽宮たるみや公園はこの樽宮市に戦前から存在する、広い都市公園だ。朝は近くの高校に通う学生が通学路として横切るし、それからしばらく経つと犬の散歩をする地域住民をちらほら見かけるようになる。夕方頃になると健康を気にする年代の社会人がジョギングしていたりもするらしい。


 今も早朝ながら人通りはそれなりにあった。園内には地下鉄の出入り口もあり、多くの人間が生活基盤として利用する憩いの場であると言える。


「絶好の入学日和だよな。しかも桜が咲いている」

 適当な事を言いながら公園の桜を楽しみつつゆっくりと歩く。春だから桜が咲いているのは当たり前だし、なんなら昨日も咲いていた。だけど今日の俺達にとっては、やはり満開の桜は特別な意味を持っていただろう。


「桜を見るのもいいが、少し早く来過ぎたな」

 隣を歩く礼沢塔哉が公園を見渡しながら言った。俺達と同じ制服の学生はたった数人しか歩いていない。樽宮高校の入学式は少し早めの時間に開催されるのでこちらも早めに支度をして出向いたのだが、それにしたって早過ぎたらしい。


 俺達は徒歩10分ほどで登校できる地域に住んでおり、逆を言えば10分遅れただけですぐに取り返しが付かなくなる。だから今のこの万全過ぎる状況もあながち間違いとは言い切れないものだが、それでもこのまま高校に行けば流石に時間を持て余してしまいそうであった。


「せっかくだから光汰と合流しようぜ」

 返事を聞かず地下鉄の出口へと歩き出すと、後ろから塔哉の足音がついてくる。速山光汰の家はここから少し遠く、地下鉄を利用して通学すると聞いていた。


「上手い事、三人とも似たような学力に収まったものだよな」

 他人事のようにそう思う。俺達三人は中学では何事も一緒になって行動していたが、かといって示し合わせて同じ高校に入るほど絆を重んじるタイプでもない。俺は自分自身の学力に見合った手頃な高校を受験しただけだし、それは二人も同じ事だろう。俺達は明日誰がいなくなっても多分あまり気にしないだろうし、だからこそ共に入学式に行きもした。


 歩いていると、地下鉄の出口が見えてきた。ついでにその向こう側から早朝ランニングのおじさんがこちらへと走ってくるのが見える。


「お、新高校生か! おめでとう!」


 声が届くまで距離を詰めた彼は、そう話し掛けるなり笑顔で走り去っていった。なんとなく話し掛けてくるタイプだろうなと予想していたので、こちらも適当な愛想笑いを浮かべて「おはようございます」と返す。


 こういう突発的な知らない人間との交流は悪くない。何が悪くないかというと、後に何も続かずに一瞬で溶けて消えていく所が良い。

 今日のこの場の絆が完全なる使い切りであるという前提があるからこそ、ああいう明らかにノリが合わなそうな人間の相手も「まあいいか」で済ませてしまう事ができる。


 爽やかさとはそういう事だ。そういう互いの関係性に一切依存しない、何の熱も無い交流が俺は嫌いじゃなかった。穏やかな風も知らない他人の好意もただ横を通り過ぎていく。


 俺達は人のいない地下鉄の出口に陣取ると、階段を見下ろしながら二人で雑談をした。すると数分もしない内に階下から光汰が現れ、こちらに気付き声を掛けてくる。


「おいおい、早いなお前ら。教師の評価通り、本当に真面目なんじゃないか?」

 にやりと笑って軽口を叩いた光汰は、そのまま軽い足取りで階段をこちらまで上ってくる。一見重そうに見えるスクールバッグも、入学式時点ではそこまで中身が詰まっておらず、脇に抱えられた姿はくしゃりと潰れている。


 そして光汰が最後の段を越えて俺達と同じ高さまで辿り着いた瞬間、その顔はあからさまに強張った。たった今見せた気の置けなさは苦々しげな表情で塗り潰され、隠し切れない不機嫌さが露わになる。こちらに明確に非難がましい視線を向けているようですらあった。


 何がなんだか解らず横目で隣の塔哉を見るが、それで答えが得られるわけもない。向こうもこちらを横目で見返すのみだ。発端の光汰もただこちらが事を匂わすのみで、状況の説明をしてくれる人間は誰もいない。


「よーっす! 久しぶりだなお前ら!」

 予期しない方向から突然大声が響く。鼓膜を痛めつけんばかりの声量に何事かと後ろを振り返ると、声の主はすぐに見つかる。そこにいたのはがっしりとした体格の学生服の男だった。


「サドン崎……」

 サドン崎デス男は俺達の様子を見て快活に笑っていた。


 爽やかな朝にはいくつかの条件がある。その一つが、爽やかでない知り合いとは出会わないという事だ。今日を彩る繊細な美しさは、ここに響く無遠慮な笑い声が全て散らして消し去っていく。


 かつて横を通り過ぎた爽やかな桜も風も挨拶も朝陽も、もはやこの世界には存在しない。そして一度消えればそれを思い出す事すらできない。できるのは、ただ荼毘に伏して忘れる事だけであった。








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