3.

「だからぁ、面倒だって言ってるでしょう」

「あんたは本当に馬鹿だな? 世界のどこに無銭飲食を許してる店があんだよ!」

「紛争地域とかよくやってるじゃない」

「救援物資を無銭飲食って言ってんじゃねぇよババア」

「え、麺料理ないんすか。死ぬじゃんそれ」

「……うまぁ。シャオ死ぬんだ、アーメン」


 場所は変わってとある飲食店。奥の奥、一行が通されたのは完全個室の席だった。顔パスよろしく、白ジャケットを羽織った女性を店員が見るや否や扱いが丁重へと変わり、順番もへったくれもなく通されたのだった。

 広さにして十メートル四方、窓の外の広場では投影映像マッピングとそれを囲う興奮した観客たちがいた。どうやら犯罪者の抗争を映し出しているらしい。一室の部屋に備えられた有機液晶パネルを見るに、《時鬼》と名もなき犯罪者によるものらしかった。主戦場となっているアメリカ政府は《時鬼》との条約に従い、不干渉の立場を表明したようだった。散々食い物にされてきたとだけあって、アメリカを領域テリトリーとする《時鬼》のファンは中東地域では多い。この熱気は当分冷めることはないだろう。

 いや、そんなことよりも。


「わかった、ジャッジが奢ればいいんだだだだ」

「今回の飯はお前が奢る番だろ! あ、追加注文? えーとなんか油で炒めてるやつ。ペッパー系は全部抜いてくれ。これ、通じてる?」

「香辛料抜くってまじっすか。じゃあ抜いた分このしゃいあーあるまるく? ってやつに突っ込んでくれっす。麺っぽいんっすよね? じゃあ、それを三人前よろしくっす」

「ケバブ、追加で五」

「あ、私も食べたいぞぞぞぞ」

「だから五。全員分頼んだ。ここ、これだけはうまい……」


 引き攣った笑みで店員が腕に注文を入力していく。正確にはリストバンドより投影された映像を触れることで操っているのだがどうでもいいだろう。音声認識や接触型映像メニューではなく、時代遅れ極まりない人での注文伺いは、無駄なサービス向上やチップ要求などのためでなく、どんな要望にも応えるためらしかった。


「あとは、」


 会話が止み、視線がユムナーへと集中する。


「あっ、大丈夫です、はいっ」


 正直、食事どころではない彼女だった。注文終了と判断したらしい店員が頭を下げてそそくさと立ち去る。


「遠慮せずに食べるのよよよ。ジャッジの奢りだかららら」

 対面でピラフをかきこみながら話しているのは名だたる凶悪犯罪者の一人、《眠姫ねむりひめ》である。画面越しに幾度と見た白ジャケットの下の紺色スーツは思春期さかりの少女には羨ましいほど膨らんでおり、艶やかなこれまた紺色の髪はぐるぐると巻かれたうえで椅子に掛けられていた。


「出さねぇからな! まあ誰が奢るかは置いとくとして金のことは気にしないで喰ってくれ。俺たちは犯罪者だけど無銭飲食だけはしねぇって決めてんだ。だから安心しろ、犯罪者にはならない」

「はぁ」

 《眠姫ねむりひめ》の右隣に座っているのはジャッジという男性だった。横に流した茶髪といい、右手の指にはめられている四つの指輪といい、軟派感が漂っていた。狐のような目が理由かもしれない。ちなみに服装はグレーのアンダーシャツに淡い青のシャツとデニムといたってシンプルである。


「そうっすよ。金は俺たちの誰かが出すっすから。食べないともったいないっす」

「うん、シャオの言う通り」


 前者は坊主のシャオ、後者の静けさを具現化したような人形のような彼女はノイズと言うらしい。灰色のジャージに身を包んでいるシャオだが、その背中には大層立派な刺青いれずみが彫られているとのことだった。背中の装飾があるから着飾る必要がないと胸を張っていたのはついさっきか。ユムナーの隣に座っているパーカー姿のノイズは十四歳の彼女よりも小さく、というよりひどく小さかった。編み込まれた三つ編みが容姿年齢をさらに引き下げていく。

 そして驚くべきことがもうひとつ。


「いや、そうなんですけど、あの、ほ、本物のご飯ってことで驚いてて……っ!」

「「ぶっ」」


 噴き出したのは《眠姫ねむりひめ》とジャッジだった。

 対照的に残りの二人は顔を見合わせて、


「……いつも何を食べてるの? 砂とか?」

「やばい、涙が出てきそうっす」

「ち、違いますっ!」


 反射的に少女は否定する。火照りから察するに顔は真っ赤になっているだろう。


「遺伝子組み換えじゃないってことででしょうううう」


 助け船にユムナーは頷いて肯定を示す。生まれてこの方、遺伝子組み換えGMでない作物を食べたことがなかった。しかも使われている肉は放牧で自然に育てた羊だという。薬品漬けの肉ですら一か月に一回食べられるかどうかの生活をしていた少女からすれば雲の上の食材だった。


「この店はそれが売りだからな。ちょっと高ぇけど」


 ジャッジは銀食器で野菜をどけていた。どうやら苦手らしい。

 彼のどけたものを片っ端から食しているシャオが、


「なるほどっすね。どっすか、本物のご飯とやらの味は」

「すみません、私の舌が馬鹿みたいで」

「……わからない」


 どっ、と各々四人が各々らしく笑う。


「そうなんだよなー、憧れてたはいいけど喰ってみると案外わかんねぇんだよな」

「私も牛肉くらいしかわかんないわわわわ。あと生の魚ねねねね」

「日本で食べた生魚切ったやつ、美味しかった」

「ジャッジと一緒にしたら可愛そうっすよ」

「いがぐりお前外に出ろ」


 やいのやいのと騒ぎながらも四人は確実に食べ進めていた。テーブルの上の名も知らぬ料理がみるみるうちに消えていくさまはちょっとした恐怖だった。

 ユムナーは何のダシかわからないが口当たりの良いスープを口に運ぶ。今更だがいまだに状況は呑み込めていなかった。

 助けられ、連れてこられ、そしてここ。温かいご飯を賑やかに食べている最中である。


「お、やってるねねねね」


 行儀などなんのその、食器で差した液晶では報道番組が放送されており、取り上げているのは《戦争屋》という犯罪者だった。つまり、中東連合諸国MEUのことである。


「物騒な世の中になっちまったな」

「怖い」


 いやいや、と犯罪者集団に突っ込む勇気は少女にはなかった。


「今回はどれくらいっすかね」

「まあ、氷将ひょうしょうと切断屋だからな。エジプトさんも結構出してくれんじゃねぇの」

「ベトナムまで広がれば、雨鬼いる」

「それは考え過ぎぎぎ。北に拡大するほうが最悪でしょう?」

「EU圏には闇姫ももいるからなぁ。結局潰すしかねぇか」


 飛び交う会話が何のことを言っているのかわからなかったが、疑問符を浮かべることは決してしなかった。好奇心よりも遥かに命のほうが惜しい。聞いていないふりをユムナーは通す。

 ただ、それは無駄な努力だった。彼らは犯罪者、それも《眠姫ねむりひめ》の集団である。何十という人間を殺し、財産を盗み、あまつさえ都市さえ不能にする凶悪犯罪者である。そんな彼らがほどこしなどするわけがない。

 そんなわけで、


「じゃあジャッジ、|ことを話してててて」

眠姫ねむりひめ》が言った言葉は思考を停止させるには充分だった。

「……え?」

「一度しか言わねぇから聞き漏らすなよ」

 銀色輝く人差し指がすらり。

「今回のサウジアラビアからアラブ首長国連邦UAEへの侵攻は至っていつも通りだ。石油産出国からうまく切り抜けた後者と、それに嫉妬してる前者の構図は崩れてない。経済的視点でみればUAEに置いている支社を守りたい企業と、治安を乱すことで稼ぎたい企業の争いという風にも見えるかもしれねぇが、正直しょうじき

「私たちは、犯罪者」


 さくっ、と小気味のよい咀嚼音をノイズがたてる。


「そういうことだ。重要なのは犯罪者が関わってるってことだ。世界各国が睨んでいる以上、サウジアラビアはちょっかい程度の侵攻しかできない。ただ、犯罪者の派遣ならいくらでもできる」


 ジャッジはまるで役者のように肩を竦めた。


「んなわけでUAEは困った。同じ中東連合諸国MEUとはいえ、国力と犯罪者に関してはサウジアラビアの方が何倍も上、治安組織だけで太刀打ちできる保証はない。周辺で借りれる力といればイラクとイランの犯罪者輸出立国だが、借りた後が怖い。そこに目をつけたのが戦争屋だ」

こすいっすよね、相変わらず」

「でもちゃんと稼ぐからさすがよねねね。汚いけど」


 さくさく、咀嚼音が連続する。ぼろぼろと《眠姫ねむりひめ》が口端から溢す。


「汚ねぇのはお前だろ! 話を戻すが、これはちと困る。あいつは戦争専門、間違いなく戦火は大きくなる。つまり、サウジとUAEの争いじゃなくなるってわけだ。そうなると色んな奴が止めようと、もしくは油を注ぎに中東に集まってくる。化姫ばけひめ、武器将、サウジお抱えの氷将ひょうしょうと切断屋はもちろん、こぶしおにや情報屋も関わってくる。場合に寄っちゃあの殺人王もありえる」

「さっ……っ?」


 予想外の犯罪者の登場に、ユムナーは金槌で殴られたような衝撃を覚える。

 現代における犯罪者の王。それも、あの《葬王》の意思を継ぎし者。

 そんな彼が中東にやってくる――。


「うわぁ、私のときより嬉しそうで嫉妬するわぁ」


 正面に座る白ジャケットの女性は頬杖をついたまま溜息を零した。咄嗟にユムナーは頬を両手で覆う。


「まあ眠姫ねむりひめっすからね」

「あとで口移しの刑」

「私は、眠姫《ねむりひめ》のほうが好き」

「シャオの今月の給料半分で、カットした分はノイズにあげるわわわ」

「ええええええええええ」

「お前ら黙ってろッ! 話ができねぇだろうがッ!」


 容赦ない怒声にユムナーの肩が跳ねる。何事かと数人の男たちがこちらを覗き込んでいた。


「で、だ。その凶悪犯罪者の集合をエジプトが嫌がると踏んで俺らが先手を打つってわけだ。理解できたか?」


 少女は困惑顔ながら頷く。

 いや、ここで理解できなかったとは言えないって。

 けれども流されて頷いたわけでもなかった。門外漢でも掴みやすいよう専門用語は出てこず、事前知識は説明付き。さらに進む話は論理的で理解すること自体、それほど難しくなかったのだ。おそらくだがジャッジが気を遣ってくれたのだろう。

 ただ、『自身が人質になる』という恐怖のフレーズに繋がる内容はまだ出てきていない。唯一かつ最大の懸念材料が出てこないうちは豪勢な食事も楽しめる気がしなかった。

 そんな心中穏やかではないユムナーとは対照的に、


「お、やっと料理がきたな! 遅ぇじゃねぇか!」


 ジャッジが身を乗り出し、自然と視線を後方へ向ける。

 するとそこには自走棚の群れがいた。三段にも亘る配膳棚には所狭しと大皿が敷き詰められており、さながら皿が料理を背負しょってやってきたというところか。四台一列、規律のある動きは床に描かれた蛍光塗料にでも従っているのだろう。ゆったりゆっくり直進と回転を繰り返して近づいてくるさまはどこか小動物のような愛らしさがあった。


「続きは食ってからで」


 はい、と相槌を返す。正面では《眠姫ねむりひめ》が腕を組んで、


「ここって何で払えばいいののの」

「無難にドルでいいんじゃないっすか」

「スイスフラン……?」

「ユーロ一択だろ。ドルは殺人王のせいで暴落中だ。電子カード出しとけよ」

「はーい」


 四台の自走棚がテーブルを拡張するかのように辺々に密着する。止まるや否や一斉に料理をテーブルの上に並べる一行。ゲリラ兵少女ユムナーは口を開けて茫然ぼうぜんとするばかりだった。


(しかも息ぴったりって……)


 画面越しに見ていた《眠姫ねむりひめ》とそれに付き従う彼らはこうではなかった。


「あー、あはんなんちゃらって春雨《バーミセリ》サラダのことっすか。麺料理じゃねー」

「ケバブで我慢。ふたつ青くる。窓から赤点、水平」

「ペッパー入ってねぇのは俺んだから。ノイズ、皿で片づけとけ」

「左は私、瓶取っててて」

「俺は食ってんぞ。シャオは迎えに行ってこい」

 ここまで家族っぽくなかった。


(いやまあぼうじゃくじんなところは合ってるけど、足りないんだよなぁ。こう――)


 刹那、銃声が鳴り響く。


「ッッ!」


 左右の窓ガラスが割れる。高級店がゆえに狙われたのだと合点し、少女は反射的に伏せる。後ろに三人の人影を見つけ、袋の鼠であることを理解――

 する必要はなかった。

 皿が跳び、瓶が消え、自走機械が壁となり、ケバブを掴む手の反対で拳銃が歌う。


「お、マジでケバブうめぇじゃん」


 視線を向けることなく扉から入ってきた輩三人の頭を砕いたジャッジが呟く。


「料理無事。よかった」

「瓶って案外脆いわねねね」


 皿と瓶で窓からの侵入者を倒した女性陣は左窓の前。自走機械を蹴り上げて弾丸を防いだシャオは右窓から飛び出していた。


「んじゃあノイズ、チクった店長を呼び出しに行くわよよよよ。ひと様の食事の時間を無駄にしてんじゃねぇって」

「カードこれ。支払いも済ませる。無銭飲食しない」


 一瞬で姿を消す二人。轟音とともに壁が大破したのはそれと同時だった。


「馬鹿野郎ッ! 土埃が入るだろうがッ?」


 遠くから謝罪の声が届き、遅れて悲鳴と歓声が同一方向からあがる。窓の外にいたはずの大人たちはすっかり消え去っていた。


「で、何してんだ?」


 屈みかけ、ユムナーはジャッジに見下ろされる。


「……」

「そんなことしてねぇで、飯食っちまおうぜ。このケバブまじでうまいぞ」


 真顔のまま少女は席に戻り、促されるまま食事を再開した。

 足りないと思っていたものを、はたと感じながら。


「そうそう。俺らがやるのはこの逆だな」

「……逆?」


 放心状態の少女にジャッジは笑いながら告げた。


「やってもらうのは料理の役だ」

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