3.

 時刻は遡り、満月の二日前。


「なぜ人身売買を野放しにする」


 絢爛けんらん豪華ごうか、権力の象徴のような一室で彼は珍しくいきどおっていた。

 頭髪は整っておらず口周りには無精ぶしょうひげ。くたびれきった皺だらけのスーツは、とうの昔に使用期限が終了したことを滔々とうとうと垂れ流しているようであった。容姿だけを材料に考えれば推定年齢は三十代前半だろう。ただ、首の半分が金属であることを踏まえると見た目だけで判断するのは不適当なのかもしれない。


「砂漠ちゃん、そんな怒んないでよ」


 眼前、机を挟んで革張りの椅子に腰かけている青年がをにじり上げて笑う。


「どうしたのさ、適当さが売りの砂漠ちゃんはどこに行っちゃったの」

「人身売買の組織を野放しにしている理由を訊いている」


 鋭い視線を伴う追求に青年は肩を竦める。ジャケットからネクタイ、ワイシャツ、スラックスにベルト、ボタンまで。頭から墨汁を被ったかのような黒染まりの格好はそれだけでも目を惹くが、駄目押しはその雪のような白い毛髪だった。


「野放しになんてしてないよ。やってるやってる。三つでしょ、ちゃんと数の把握だってしてる」

「違う、お前はやっていない」

「というと?」

「殺人王を誘き出すつもりだろう」


 無精ぶしょうひげの彼の鋭い視線に、白髪青年はにこやかに微笑むのみだった。


 有力な犯罪者は声明を出すことにより己の信念や行動原理を大衆に示す。日本に入国したとの噂がある《化姫》であれば『自立社会における弱者的立場の女性保護』、実力が未知数な《時鬼》であれば『完全不干渉による相互利益の追求』など犯罪者によりけりである。

 の《殺人王》は声明こそ出していないものの、人身売買を明らかに嫌っていた。過去の膨大な犯罪歴や被害者を分析せずとも、《殺人王》に対して多少なりとも興味と知識があれば感じとることができるだろう。事実、彼の領域テリトリーである日本に人身売買の組織はひとつも存在して


「なるほどね。アメリカから戻ってくるであろう殺人王の行動を掌握したい。そのために人身売買の横行を野放しにしていると、砂漠ちゃんはそう考えたわけだ」


 目的は不明だが《殺人王》は一か月前にアメリカへ向かっており、現在日本にいなかった。その機を他の犯罪者が見逃すはずもなく、中でも競合相手がいない人身売買に関しては活発に行われていた。と言っても日本にやって来るのは特定の領域テリトリーをもたない中堅未満の犯罪者だけであり、容易に対処することができるレベルだった。

 にもかかわらず、野放し。

 普段であれば疲労に染まっていたはずの彼の瞳は、まったく別の――攻撃的な色を帯びていた。


「そうだ、そう考えている」

「やっぱり砂漠ちゃんは優秀だね。筆頭捜査官なだけあるよ」

「話を逸らすな、譲歩」


《譲歩》と呼ばれた彼は背もたれに身体を預けると、


「わかったよ、わかった。その通りだ。殺人王の行動を操りたくて野放しにしてるよ。こうやって認めれば満足?」

「なわけないだろう。今すぐに潰させろ」

「無理。色々と計画あるし」

「お前――」


 高らかに鳴ったのは綺麗な指音だった。


、砂漠ちゃん」


 ぎしり、と革張りの椅子が音をたてる。白髪青年が足を組んだのだ。

 陶器のような人差し指を立てて、


「確かに今、誰かが攫われて誰かが売られてる。殺されてるだろうし、人工メイドに改造されてる人もいるだろうね。で、?」


 日本の治安組織の最上位に君臨する彼の話振りは、唄をんでいるかのように滑らかだった。


「前から言ってるよねぇ、俺たちの役目は日本を守ることだって。守るのは日本国であって、日本国民じゃない。別に一人や二人、十人や二十人が死のうと関係ないよ。適当に他の人生を修正すればあれまびっくり元通り。ちょっと世間とお茶の間が賑わうだけだ。そんな些末さまつなことより替えの利かない殺人王の掌握のほうが何倍も重要だと思うけど、間違ってるかな」


 無表情のまま、《砂漠》は頷いて肯定を示す。


「いや、合っている」

「よかった。まだ砂漠ちゃんには働いてもらえそうだね」


 嬉々として話す《譲歩》の死角、無精ぶしょうひげの彼は背後で拳をきつく握りしめていた。力のあまり拳は小刻みに震え、黒革の手袋をつけていなければ流血していたであろう。

 目の前の白髪青年が言っていることは的を射ている。現代における犯罪者の王、《殺人王》の掌握はこれ以上ない利益を生み出し、そして日本を守ることに直結する。影響は自国の自治だけではない。外交戦略すらも、世界における日本の立ち位置すらも変えてしまう。

 そのための犠牲。


「……」


 救う立場になったはずの彼が最も頻繁に行うことは、誰を救わないかという選択だった。


「というわけでを動かすから」


 途端、《砂漠》の眼が見開かれる。


「聞いていないぞ」

「今初めて言ったからね。というわけで砂漠ちゃんの主導でよろしく。『祭り』も六日後に迫ってるしね、急がないと」


 そうそう、と《譲歩》はわざとらしく手を叩いた。


「例の候補者たちは既に覚醒申請しといたから。昨日の今日で呼び出しはさすがに無理だと思うから、そうだね、明後日とかに面談してよ。それで誰が一番監督者に相応しいか選んで」

「ああ」

「ただ、ちょっと周囲状況が色々と不穏なんだよねぇ。というわけで計画自体がご破算するかもしれないけどそのときはそのときで」


 じゃあね、と手が振られる。親しげな態度とは裏腹に示していることは極めて冷徹で、「用はないからさっさと出ていけ」であった。無精ぶしょうひげの彼としてもここに居座る理由はない。部屋から出ようと翻り、扉へと向かう。


「――忘れてた」


 ぴたり、と無精ぶしょうひげの彼の動きが止まる。


「こないだみたいな馬鹿なことはやめてね。さすがの俺もかばえなくなっちゃうよ」


「……そうだな、善処する」

 ドアノブを捻り、無駄に広い廊下へ出る。


 こうして彼は最も自身を糾弾した上司の部屋を後にした。

 溜息が零れる。やることは多く、状況は理想と現実の板挟み。さらには追い打ちをかけるように世界規模の行事が六日後に予定されていた。他国で開催される、つまり参加する側ならまだしも今回は日本が主催である。嘆息ひとつに背負わせるには重すぎる事情たちだった。

 とはいえ仕事はやらねば減らず、溜まっていく一方である。煮え切らない諸々の事柄には目を瞑り、動き出さねばならなかった。


「監督者の選定、か」


 呟きが霧散する。

 唯一無二の凶悪犯罪者、《殺人王》の監督任務。

 それは婉曲的な死刑宣告といっても過言ではない。

 つまり彼の仕事は、『国のために死んでくれ』と三人の候補者に頼むことだった。


「あ、先輩っ!」


 短く切り揃えられた蒼髪を揺らして走り寄ってきたのは、後輩である一人の女性だった。皺ひとつないスーツにすらりとした長身は、飾り気がないにもかかわらず十二分に映えていた。


「室長との会議ですか? お疲れ様です」

「そうだ、今終わったところだ」

「よければご飯行きませんか? 私も今から休憩なんです」

「そうしよう」


 無精ぶしょうひげの彼は蒼髪の女性と並んで歩き出した。

 間が空くことなく、


「会議の内容って聞けたりしますか?」

「殺人王に対する討伐作戦だ。多くの捜査官が参加する。決行時期は未定だがな」

「その指揮を先輩が取るってことですか?」

「そうだ、そうなるな」


 無表情の《砂漠》とは対照的に、蒼髪の彼女は晴れやかな表情を浮かべていた。漫画《cartoon》的に表すのであれば、浮かべていたのは音符とでも言うべきか。


「その作戦にはぜひとも私も参加したいです!」

「気が早い。が、優秀な捜査官は何人いても困らない。検討しておこう」

「ありがとうございますっ! これでようやく殺人王を消すことができますね。作戦決行が待ち遠しいです」

「殺人王が憎いか」


 問いに対して蒼髪の彼女は唸ると、


「直接の憎悪は抱いていませんが、なぜか消さなければいけないという義務感を抱いています。凶悪犯罪者なので当然といえば当然なのですが。もしかすると奴が声明を出していないことが理由かもしれません。単純に不気味です。奴はあと何人殺せば気が済むんでしょうか」

「そうだな、何人殺せば気が済むんだろうな」


 横を歩く彼はただ問い返すのみだった。

 こつこつと、揃っていない二人の足音は廊下によく響いていた。

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