いたずら

 いつもより客の少ない店内で、千紘はのんびりとカウンターに肘をついていた。

「やることないからって店内でだらけ過ぎじゃないの?店長」

 暇なのは晋平も同じで、千紘の隣にじっと立っていたものの、少ないながらも客はいるのだからきちんと背筋はのばして、いつでも応対できるよう店内に目を配っている。

「いつもだったら中でのんびりしてるくせに」

 みっともないよとたしなめたのだけれど、千紘にはこの場を離れるつもりはないらしい。店長は千紘なのだから、本人がそれでいいと思うならいいのだろう。

 金の亡者である彼が店のマイナスになるようなことは普段絶対しないのだが、それよりもなによりも気になることがあるようだ。

「だってよ、あれ、おもしれえじゃん」

 二人が見つめる視線の先には、柄にもなくガッチガチに緊張しながらとあるテーブルで仕事をする諒太郎の姿があった。

「なにあれ。なにあの面白い生き物。ゼンマイ仕掛けか?」

 何度目かのこらえきれない笑いをこぼした千紘に、晋平は小さくため息をついた。

「そりゃ確かにね、貴重な光景だと思うけど、笑っちゃかわいそうだよ」

「あいつでも緊張することあんのな」

「普段、コミュニケーション能力には長けた子だからね」

「あれ、仲良しの友達なんだろ?」

「らしいね」

 諒太郎が緊張しながら応対している男女各二人の四人グループ客は、彼の学校の友人たちらしい。彼らが店に顔を出したとたん、諒太郎は引きつった愛想笑いを晋平に見せてそう呟いていた。

「身内にこられると緊張する、みたいなとこってあるじゃん。俺だって親とか来たら調子狂うと思うよ」

「まあな。でも普段が普段なだけにギャップがね」

 千紘はまたしてもこらえきれず、くっくっとのどの奥で笑う。

「あとで絶対怒られるよ?」

「べつにそんなの、かわいいもんだよ」

「かわいそうに」

 むしろわざと怒らせて楽しんでいる節がある。きっと、可愛くて仕方がないのだ。

「でさあ、さっきから俺すんごい見られてるんだけど、お友達に」

 露骨にじっと見ることはしないのだけれど、ちらちらと代わる代わるに4人のチラ見が飛んでくるのが隣にいる晋平にもわかる。チラ見なだけに余計気になる部分もある。

「多分、俺じゃなくて店長だよね。俺的には何となく視線外れてるわ」

「だよな。ったく、お子様はまっすぐすぎるな」

「諒ちゃんが普段店長の噂でもしてんじゃないの?鬼がいる、みたいなさ」

 本当はもっと甘酸っぱい話なのだろうけれど、そこは大人の会話ではぐらかす。千紘もきっと晋平の言わんとすることに気付いていると思うのだけれど。

「なあなあ、ちょっとからかってきてもいいかな」

 晋平の言葉は完全にスルーして、千紘は目を輝かせた。そうしてわざと核心に触れさせないようにしているのか、あるいは本当に興味がないのか、長年つき合ってきた晋平でもその判断はつけられない。それぐらい千紘は巧みだ。

「やめといたら?」

 その嬉々とした顔を見て、晋平の制止の言葉が何の意味もなさないことなんてわかりきっていたけれど、それでも一応諒太郎のためにそう言ってみる。

(ごめんね、諒ちゃん)

 残念ながら予想通りに晋平の言葉なんて耳にさえ入れず、諒太郎のいるお友達のテーブルに向かって歩いていく千紘の背中を見送りながら、晋平は心の中でこっそりと諒太郎に謝った。





 仕事場に友達が来るというのはなんて気恥ずかしいものなんだろう。

 その相手が親しければ親しいほど、よそ行きの自分を見られるのが恥ずかしい。

 そりゃ確かに、来ればいいと言ったのは俺自身だ。

 けれど、本当に来てしまうとは。

 ドアの開く音で反射的にいらっしゃいませとそちらを見た俺は、そこからのぞいた顔を見た瞬間、うわぁと頭を抱えた。

 目が合うと向こうも何となく申し訳ないみたいな顔をしたものだから、余計にぎくしゃくしてしまう。

「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 固まっている俺の横から晋平がにこやかに彼らを席に案内していく。

「どうしたの?」

 戻ってきてこっそり耳打ちする晋平に「友達なんだ」と告げると、「じゃあ後は諒ちゃんよろしくね」とさわやかに肩を叩かれ、やっぱりそうなるのかと力ない愛想笑いを返した。

 タイミングがいいのか悪いのか、店内の客は普段よりもかなりまばらで、この状況で俺があいつらの相手をしないというのはありえない。仕方がない、客は客だと自分に言い聞かせてみるものの、全く普段通りには動けなくて、自分の手足が自分のものじゃないみたいだった。

 ガチガチに緊張しながらテーブルにおしぼりと水を運びにいくと、「ねえねえ」と早速ヒロが俺の袖を引っ張る。その拍子に、テーブルに置こうとしていたグラスから水がちょっとだけこぼれて隣にいたキョウヤの腕にかかる。

「ちょ、こぼすなよ、リョウ~」

「だっ…ヒロが引っ張るから」

 失礼しましたといつものように手際よく拭き取ればいいだけなのに、すっかり動揺した俺は拭いている最中に違うグラスを引っ掛けて倒してしまう始末。

「わ、ごめん」

 とっさにタオルで防いでマキの膝の上に水が滴る状況だけは避けられたけれど、みっともない。あまりにも無様だ。

「まあ、落ち着け、リョウ。別にお前を取って食おうというわけじゃないんだからさ」

 ミソノはそこにある四人分のおしぼりを片手でガッと掴んでこぼれた水を豪快に拭き、水の滴るそれを俺の持っていたお盆の上に戻した。

「あ、ありがとう。おしぼり、新しいの持ってくるよ」

「ちょっと待って。リョウ、どっちなの?」

「え?」

 何の話かと思えば、四人の視線は俺の後方に向けられている。

 つられるように俺も振り返ってみると、千紘と晋平二人の姿がある。

 そうだった、俺の仕事をしている様を見るのが目的なわけではなかった。こいつらは俺が惚れたその相手を見たかったのだ。

 後でこっそり聞こうとか、そんな殊勝さは男前ミソノにはあるわけもなく、単刀直入に聞かれてしまったわけだ。

(つーか、千紘さん、笑い過ぎ!)

 俺の様子がおかしいのだろうということは自分でも想像がつく。だけど、いつもは中に引っ込んでいるくせにわざわざ出てきて笑わなくたっていいじゃないか。

 怒りと恥ずかしさとで顔が熱くなる。

「ああ、白い服の人の方ね」

 まだ俺は何にも答えていないのに、ヒロが的確に当ててみせる。俺はそんなにわかりやすいだろうか。

「うん、まあ、ね」

 どうせなら晋平みたいに格好良くしていてくれればいいのにと心の中で恨み言を並べながらおしぼりを替えにいこうと踵を返すと「待って、リョウくん」とまた呼び止められる。

「今度は何?」

 心なしかきつくなってしまった俺の返事に肩をすくめたマキは、申し訳なさそうに中身のなくなってしまったグラスを差し出した。

「お水も入れてきてくれる?」

「あ、はい。ごめんね」

 マキのほんわか具合に巻き込まれつつ、またしても自分の失態にへこむ。全然気が回らない。




 新しいおしぼりと水を持ってテーブルに戻り、注文を取っていると、耳元でいらっしゃいませといい声が響いて俺は驚いて振り返る。いつの間にか俺の背後に千紘が最高の営業スマイルで立っていた。

「な、にしてんの…?」

「お客様にご挨拶」

 すました顔で当然のように言ったけれど、そんなこと今までしたことはないじゃないか。高級レストランでもないんだから、料理長の挨拶みたいな形式があるわけもない。絶対に俺をからかいにきたに違いないんだ。

「だって、お前の友達なんだろう?」

 内緒話をするみたいに潜めたその声は意図的に艶っぽく、俺の耳から体の奥に入り込んでくるみたいに低く響く。

 耳元に口を寄せる時に何気なく手を腰に回したりなんかして、いったいどういうつもりなんだ。

 完全に遊ばれている。

 遊ばれているとわかっていながらも、俺の心臓は破れそうに飛び跳ねるし、体中の血が沸騰してしまいそうだ。

 友4人の視線はそんな俺たちの明らかに不自然な様子に釘付けになっているし。

(勘弁してください、千紘さん)

「ああああのね、俺今からかわれてるだけだからねっ」

そんなわけのわからないいいわけをしてみたけれど、そのことに何の効果があるのかはわからない。

「せっかくだから諒太郎、お前の好きなケーキをお勧めしてみたらどうだ?」

 人の良さそうなにこやかな笑顔を振りまいてヒロたちにもそれでどうですか?なんて訊ねているけれど。

 俺は甘いものが嫌いで、自分が働いていながら商品を口にしたことはないのだ。それをわかっていて言うのだからひどい。

「ほら、言ってみな。俺の、何が好き?」

 わざとそんな言い方で俺を挑発する。

 絶対に、俺が千紘を好きだとわかってやっているんだ、この人は。

 だいっ嫌いだと言ってしまいたいけれど、それが許される状況でもない。

「俺のおすすめはぁ、ダージリンティーかな。店長の入れる紅茶は最高だよ。ね?」

 悔しいので俺もにっこりと笑ってそう答えてやった。この店で俺の口に合うものはそれしかない。

「えぇー、それケーキじゃないじゃん」

 キョウヤの素直な突っ込みにヒロがぶっと吹き出した。

「リョータロちゃん、甘いもの嫌いだものね。じゃあ、アタシはそのおすすめの紅茶と、それからお兄さんのおすすめのケーキを一つお願いします」

 さすがヒロはこの状況のなんたるかを把握できているみたいだ。ほかの連中はどうか知らないが、右へならえで注文を済ます。

 注文を受けてかしこまりましたと千紘はようやく戻っていく。

 大きくため息。

 心臓がいくつあっても足りない。

「なんか、わかった気がするわ」

 ぽつりとヒロが呟いた。




 店を出て行く諒太郎の友人たちに、またおいでねと千紘はご機嫌で手を振っていた。

 彼らが出て行ったことで店の中に客は誰もいなくなった。珍しいけれど、たまにはこういう空白の時間があるものだ。

「もう、千紘さん~」

 諒太郎はその場でしゃがみ込む。

 彼の嘆きはもっともだ。

 一部始終を見ていた晋平は、かわいそうにと思いながらも千紘の暴走を止めることができなかった。

 そもそもこの人が何かをするのを止められたことなんて一度もないのだ。

 見守って、後で慰めるぐらいしか、晋平にできることはない。

 当の千紘はと言えば、満足げに大爆笑をかましていた。

「だっておまえ、挙動不審過ぎんだもん、おかしくってさぁ」

「笑い過ぎ!」

「誰とでも親しいんだなと思ってたけど、やっぱ特別な連中ってのはいるわけだ」

「そりゃあ、俺だって…」

「なんかちょっと安心したわ。あんな顔もするんだなと思って」

 膝に顔を埋める諒太郎にはきっと見えていないだろうけれど、千紘はずいぶん優しい表情で諒太郎を見下ろしていた。

(ああ、そうか)

 あんなふうにいじめていたが、きっと千紘は嬉しかったのだ。諒太郎にとってはとんでもなく厄介なのだろうけれど、あれは千紘にとって喜びの表現だったのだ。

(難しいわ、ちーさん)

 それをまだ年端も行かない諒太郎が理解するのは無理だろう。

「良いダチを持ってんな、諒」

 くしゃくしゃと、千紘は膝元にある諒太郎の頭をかき混ぜる。

「びっくりするぐらいキャラ濃いけどな。まあ、なんか、おまえっぽいわ」

 何を思い出したのか千紘は声を立てて笑う。

 近年稀に見るご機嫌っぷりなのではないだろうか。

 諒太郎が気の毒であることには変わりないけれど。

(でもねえ、相当気に入られてるよ、キミ)

 あくまで傍観者の立ち位置を崩さず、晋平は新たに来店した客を出迎えにいった。




<終>


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