目撃談

 土曜日の朝、俺は珍しく暗い表情で店に入った。

 何があっても明るさだけが取り柄だと思っていたのだが、今日はどうにも浮かび上がれない。

 ここへ来たくないとか、仕事をしたくないとか、そういうわけではないのだけれど。

 スタッフルームで着替えを済ませた俺は、そのまま休憩用の椅子に腰を落とした。

 一応、まだ仕事開始時間までは、まだ少しある。

 俯いて、昨日の夜からもう何度目になるかわからないため息をついた。

 隣接する厨房からは既に仕事を始めている音が聞こえているのに、俺はまだ、千紘に挨拶もしていない。いつもならどんなに邪魔だといわれても真っ先に千紘の元にとんでいくのに。


「おはよう」

 しばらくすると、いつも通りのほんわかテンションで晋平がやってくる。

「うーっす」

 これではいけないと自分を奮い立たせていつも通りを演じてみたのだが、すぐに気付かれてしまったようで、心配げな目でじっと見つめられてしまった。

 晋平は人の感情を読み取るのが巧い。俺みたいなバカ正直なガキの気持ちなんて、手にとるようにわかってしまうのかもしれない。

「あいつと、何かあった?」

 厨房を指差した晋平に、俺は隠し事をするのをあっさりと諦めた。

 無理をしたってしょうがない。吐き出してしまえばおさまるものもあるかもしれない。

「千紘さんの女嫌いって、本当だったんだね」

「ああ、うん、まあそうだね。冗談だと思ってた?」

「昨日さ、男の人とラブホから出てくるとこ見ちゃった」

 あの人は、千紘の恋人なのだろうか。俺よりずっと大人で、美人な人だった。

 美人といっても、男には間違いない。千紘はただ女嫌いだと言っていたが、男が好きな人種だったのだ。

 女が好きでも男が好きでも、俺がその対象にならないことにかわりはないけれど。

 自分が相手にされていないことはわかりきっていることだとしても、実際、恋人の姿を目にしてしまうのはかなりへこむ。

 そして相手が女性であるより俺と同じ男性である方が尚更辛い。そこにはどうしても複雑な感情が生ずるのだ。

「あー、そっか」

 晋平は苦笑いをして俺の頭を撫でた。

 俺が千紘を好きだということなんて、きっと晋平にはわかっている。

 同じような恋愛をしてきただろうこの人は、たった一言で俺の気持ちのほとんどを理解してしまったのかもしれない。

 なんとなく、救われるような気がする。

 頭を撫でる手のひらの温かさが、俺の心の傷を癒してくれる。

 これならいつも通りに仕事ができるかも、と、そう思っていた時だった。

「ちょっと待って!」

 不意に晋平は俺の両肩を掴む。

「諒ちゃん、なんでそんなところにいたの!?」

 いつもやわらかい物腰の晋平が、あまり目にしたことがない激しさで俺を問いつめる。

「な、なに?」

「あのね、俺らみたいのが行くホテルなんて、普通の人の目に止まるような場所にはないの。そんなところで何してた?店長をつけて行ったわけじゃないよね?」

「違う違う」

 俺は晋平の勢いに圧されるように慌ててかぶりを振る。

 確かに俺から見たら千紘は謎だらけで、解明したいと思うこともあるけれど、こっそり後をつけるなんてことはしたくない。土足で踏み入るようなことはしたくないし、第一怖すぎる。今回のことだって、見たくなかったからこうして落ち込んでいるのだ。

「あの辺を通りかかったのは本当に偶然で、まあ、その、奥の方まではちょっとたちの悪いのに捕まって連れ込まれたというか、ね…」

「ええっ!」

 大きな声を上げた晋平は、そのまま厨房へ向かって駆け出して、激しい勢いで扉を開けた。

「ちょっと、ちーさん!」

 突然の出来事にびくりと身を震わせて、千紘が厨房からこちらを振り返る。

「何だよ、晋平。店では店長と呼べっつーの」

「それどころじゃないよ。諒ちゃん、昨日ホテルに連れ込まれそうになったんだって」

「ふーん」

 準備は一段落ついたのか、千紘は帽子をとってこちらへやってきたが、晋平との温度差はとても激しい。あまりにも無関心で悲しくなってくる。

「あのね、店長昨日どこにいた?諒ちゃん、ニアミスしたんだって」

 しばし、自分の昨日の行動を思い返していた千紘は、やがて一つの結論に辿り着いたらしく、先程晋平がしたのと同じようにがばっと俺の両肩を掴んだ。

「男か!?」

「うん」

 そういう場所なのだから、もちろんそういことになる。

「うんって、さも当たり前のようにお前…」

「まあ、よくあることだから」

 なぜだか俺はそういう人にもとても好かれるらしい。女性にきゃーきゃー言われるのと同じように、同じような割合で男性にも目を付けられる。

 それはもう俺の宿命みたいなもので、「何で男が?」みたいな当たり前の反応が生まれてこなくなってしまっていた。

 男女の垣根というものが、多分俺の中にはほとんどない。

「大丈夫だよ、対処法は身についてるから」

 お陰様でそんな輩を退けるのもお手のもの、ちゃんと身は潔白だ。

 連れ込まれそうになっただけで、実際中には入っていない。

 そんなことよりも、今の俺には、目撃してしまった事実とか、千紘が少しは心配してくれているみたいなこととか、そっちのほうがずっと重大なことだ。

「お前なあ…」

 大きくため息をついた千紘は、俺の両頬をつねってぐいんと両側に引っ張った。

「そんな風にこっちの世界に足を踏み入れるんじゃないぞ」

 いつになく真剣な眼差しで、俺の目をじっとみつめる。

 そんなこと言われても、俺はもう千紘が好きで、男に惚れられることも日常で、何より両親が男という環境で育っていて、足どころかもう腰ぐらいまで浸かっているような気もする。

 もちろん、まだ俺の知らない部分もたくさんあるのだろうけれど。

「もしかして、心配してくれてるの?」

「真っ当に生きろよ、青少年」

 引っ張った頬をサラッと撫でて、千紘は厨房へと帰っていく。

 その背中に、俺は疑問を投げかけた。今なら、何気なく聞けそうな気がする。

「千紘さん、昨日の人は恋人?」

「ん?」

 途中で足を止め、千紘が振り返る。

 目が合い、一瞬言葉に詰まるけれど、今更後には退けない。

「昨日、一緒にホテルから出てきた人」

「ニアミスっておまえ、そんなところ目撃したわけ?」

 さすがにバツが悪そうに千紘は苦笑いを浮かべる。

「あれは、そんなんじゃないよ。なんていうか、まあ、その…」

 言いにくそうに頭を掻くその様が、なんとなく可愛らしく見える。

「ほら、あれだ、お友達だな」

 最終的にそんな言葉を選んだ千紘は、そのまま逃げるように厨房の奥へと入っていってしまった。

 要するに、体だけの関係ということなのだろう。ともすれば行きずりの人かもしれない。

「大人の世界を垣間見たよ、晋平さん」

 俺の呟きに晋平は少し狼狽えて、深く追求されるのを避けるためかそそくさとフロアに出ていった。

「そっか、恋人ってわけじゃないんだ」

 一人になったスタッフルームで、俺は噛み締めるようにそう口に出した。

 その事実は俺の心を晴れさせる。

 他に恋人がいる可能性もないわけじゃないが、知っているのと知らないのとでは気の持ちようも変わってくる。

(好きでいてもいいのかな)

 こっちにくるなというあれは、俺の思いを牽制したものだったのかもしれないけれど、それでも密かに思っているぐらいは良いだろう。

 多分、俺が好きだとか告げてしまわない限り、今の関係は保たれる。

 たとえばれていようとも、それを言葉にしない限りは。

「さあ、仕事仕事」

 俄然湧いてきたやる気を胸に、俺は立ち上がり、制服の襟を正した。




<終>

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