『オニ』と呼ばれた母(おんな)

冷門 風之助 

其の一

 落ち着いた朱色のカーペットが敷きつめられたその社長室は、俺の事務所オフィスの倍の広さはあった。


 俺は尻が半分以上埋まるくらいクッションの効いた革張りのソファに腰を下ろす。


『社長は間もなく参ります。もうしばらくお待ちになって下さい』


 眼鏡をかけた女性秘書が事務的な口調でそういうと、俺の前にティーカップを置き、頭を下げて立ち去った。


 ここは丸の内にある、某商事会社ビルの最上階、つまりは社長室である。


 数日前、ある調査で知り合った馴染みの弁護士(探偵って

のは、弁護士に仕事を回して貰うのが一番)から、

『引き受けてやってくれないか。もし無理なら話を聞くだけでも構わないから』と言われてここまでやって来た。


 俺はティーカップを持ち上げ、久しぶりにアールグレイを飲んだ。


 本当ならコーヒーが欲しい所だったが、依頼人の趣味ならば合わせる他はない。


 添えられた砂糖もミルクも無視して、俺は生のままで飲んだ。


 するとまもなく、ドアが開き、一人の青年が入って来た。

 

 髪の毛を七三に分け、紺色の地味なスーツに身を包んだ、背の高い真面目そうな顔だちをしていた。


『お待たせしてしまって、申し訳ございません。』


 当節の若者には珍しく、俺に向かって靴の踵を揃え、深々と頭を下げ、それからこっちが立ち上がるのと同時に、上着の内ポケットから名刺入れを出して、一枚、すっとこちらに差し出した。


『天道商事取締役社長・天道行人』



 名刺にはそう書かれてあった。


 彼は、

『まあ、お楽になさってください』と俺に言い、俺の提示した認可証ライセンスとバッジを確認して、再び入って来た秘書が持ってきたティーカップを皿ごと持ち上げてゆっくりと一口飲んだ。


『持田弁護士から伺っているとは思いますが、先に申し上げておきます。私は業法(私立探偵業法のことだ)で禁止されている条項の他、個人的な主義として、結婚と離婚に関する依頼は原則として引き受けませんので、その点ご承知おき下さい』


 俺の無遠慮な言葉に、青年社長は眉一つ動かさず、穏やかそうに微笑み、


『御心配なく、そのどちらの依頼でもありません。』


 彼はそう言って、ソファから立ち上がると自分のデスクまで歩いてゆき、引き出しを開けて何かを手に持って戻ってくると、それをそっと卓子テーブルの上に置いた。


随分と古びたスクラップブックだった。


『どうぞ』彼は俺にそれを見るように促す。


 表紙にはただ一言、

『母』という文字が書かれているだけだった。


 俺はそれを手に取って開く。

 

 中にあったのは、一人の女性の写真ばかりだった。


 色白で面長、切れ長の目をした、凛々しいという、最近はすっかり絶滅してしまった、典型的な日本美人である。


 大半は黒く地味なスーツ姿だったが、中には和服を着用したものもある。

 

 『お母さまですか?』

  俺の問いに、彼女は黙ってうなずいた。



  しかし、俺は少し疑問に思った。


  この写真はどう見ても40年は前のものだ。

  対してこの青年社長は、ようやく30歳になったばかりにしか見えない。


  つまりは歳が合わないのだ。


 『年齢が合わないと思われたのも無理はありませんが・・・・間違いなく彼女は私の母親なのです』


 青年社長はまた紅茶を一口飲み、小さな声でそう言った。


『貴方への依頼は・・・・母に被せられた汚名を晴らして頂きたい。ただそれだけなんです。』

 

 

 



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