暗殺者の指

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エリアーシュの手紙 1


我が師匠であり友、親愛なるヴェンツェル


 最後にあなたへの手紙を書いてから随分経ってしまいました。私の旅も終わろうとしています。私はいま、東方の最後の巡礼地にたどり着いたところです。あなたもご存知の通り、私の故郷もこの地方にあります…… 北と東には山々がそびえ、西には平野が広がり、南には川の流れる美しい土地です。しかし、郷愁を覚えこそすれ、私は寄り道をするつもりはありません。

 ここには寂れた小さな村がありますが、住人たちは私の目的である石の神殿について、ほとんど何も知らないでしょう──私がこの地方にいた頃は、一度も耳にしなかったくらいですから。彼らの関心事といえばもっぱら作物が育っているか、家畜が病気になっていないか、うっかり《暗殺者の指》を踏みつけないか、その程度です。

 あなたはご存じではないかもしれません──このあたりには、《暗殺者の指》と呼ばれる珍しい毒草があるのです。この地方の子どもは真っ先にその危険性を教えられます。この草は曲がった指のような形をした緑色の葉っぱに、毒々しい赤色の葉脈が走っており、子どもならその葉に触れただけで炎症を起こし、何週間も苦しむことになります。葉の汁が体内に入れば、大人の男でも間違いなく命はありません。

 むろん、今ではよく岩陰を探さなければそう簡単にお目にかからない代物です。私の父の時代には丘でよく見かけていたようですが、三十年ほど前から見つけしだい焼き払われるようになったのです──そう、この毒草は燃やすと金色の炎を上げます。幼い頃、遠くから野焼きを眺めたことを思い出しました。

 実物は二、三度しか見たことはありません。気の弱い子どもだったので突いてみようなどとはゆめにも思いませんでした。


 石の神殿を訪れるのは明日にします。ここに来るまでに三つの川を渡り二つの森を抜け、三つの山を越えなければなりませんでしたから。少し休息が必要です。



 村に入ってすぐ、私は一人の少女に出会いました。名前はイレーンといい、年は十四で、気難しそうな顔立ちをしていますが、赤みがかった美しい金髪を持っています。

 私がちょうど村界を通りかかった時、イレーンは誰もいない丘に一人で座り、空を眺めていました。ひどく憂いに沈んだ表情でした。私に気づいた時は驚いたようですが、私の巡礼者の装束を見て微笑みかけてくれました。

 私は彼女の隣に座り、ここで何をしていたのかと尋ねました。すると彼女は奇妙な話を聞かせてくれました。

 私が村を訪れる数日前、彼女は夕食のスープの皿を落としてしまいました。そして、床にこぼれたスープを舐めた彼女の犬が痙攣を起こし、数時間苦しんだ末に息を引き取ったのだそうです。彼女は村境に愛犬の墓を作り、毎日そこに通っているのだと語りました。


「本当はわたしを殺そうとしたのよ、」と少女は言いました。

「確信が持てなかったけれど、あなたが来たから、間違いないわ。わたしは死ぬんだわ──近いうちに」


「どういう意味だい、」と私は問いかけます。

「なぜ君は殺されなければならないんだい?」


「そういう家系なのよ」


 私には彼女の言うことが分かりませんでした。それ以上私が尋ねる前に、彼女は話を変えてしまいました。


「ところで、今日泊まるところは決まっているの、エリアーシュ?」


「いいや、まだ村境に入ったばかりだからね」


「それならトドールのところに行くといいわ」


「トドール?」


「ええ、水車小屋があるからすぐに分かるわ」


 言い終わると、彼女は走ってそこから去ってしまったので、私はお礼を言いそびれてしまいました。



 彼女の助言通り、私は水車小屋を持つ家の扉を叩きました。トドールと彼の妻は快く私を迎え入れてくれました。

 彼らは煮込みスープでもてなそうとしましたが、私は黒パンとチーズと井戸水で十分だと答えました。スープの香りは私が故郷で嗅いだものに近く、懐かしい気持ちになりましたが、巡礼者に贅沢は無用です。

 食事をしながら、私は彼らとの会話を楽しみました。


「近ごろじゃ巡礼者も減ってしまってね、」トドールは言いました。

「あんた、長い旅をしてきたんだろう?遠くの町の話を聞かせてくれよ」


「あんたの故郷はどこだい?」彼の妻のアンナが言いました。


「実を言うと、故郷はここから山を一つ越えたところにある町です」


 トドールが言いました。


「その町なら知ってるよ、大昔の神官の墓があるだろう」


「ええ、とても信心深い町です」


「それなのに、わざわざこの村へ?」


「実は、友人が望んでいた旅路なのです。しかし彼は身体が弱いので、私が代わりに来ました」


「でも総本山っていうと、遥か遠くの大都会じゃないか」アンナは感心しているようでした。

「あんたの町じゃ、総本山へ行く人も多いのかい」


「いいえ──やはり、とても遠いですから」


「そんな都会まで行ったってのに、こんな所に戻って来るなんて、あんたは相当の変わり者だね」


 彼女の言う通り、私は変わり者なのでしょう。

 その後は夫婦に問われるまま、これまでに訪れた町の話をしました。



 食事が終わり、私は厩で眠ることを許して欲しいと頼みました。夫婦は居間のソファを貸すと言ってくれましたが、私は巡礼の身ですから、戒律について説明し、丁重に断りました。

 トドールは肩をすくめました。


「好きにすればいい。でも、何か必要なものがあれば言いなさい」


 私は大丈夫だと答えてから、ふと思いついて尋ねました。


「一つ知りたいことがあります。イレーンという少女はご存知ですか?」


 トドールは少し目を泳がせました。


「ああ、もちろん……ここは小さな村だ」


「彼女にお宅のことを教えてもらったのです。それから……彼女の犬が死んだことも」


「ただ死んだんじゃない、」アンナが声をひそめて言いました。

「殺されたんだよ。本当はあの子が死ぬはずだった」


 それがイレーンの話とまったく同じ、突拍子もなく、不吉な言葉だったので、私は思わず聞き返しました。


「それはどういう意味でしょうか」


 夫婦は顔を見合わせました。

 それからトドールが言いました。


「血筋だよ」


 私が戸惑っているのを見て、彼は続けました。


「仕方のないことさ。彼女の父親の家は、血の中に《獣》を飼っているから」


「と、いいますと?」


「不幸を呼ぶんだ。でも根絶やしにすると、酷いことが起こる──やっかいなもんだ」


 アンナが言いました。


「あの子の父親もろくな死に方をしなかった──次はあの子の番だ」


 私はそれ以上のことを問うて良いものか分からず、釈然としないまま黙りこんでしまいました。



 私は厩で、自分の蝋燭の灯りを頼りにあなたへの手紙を書いています。トドールはランプをつけて良いと言ってくれました──とても親切な男です──しかし、私は必要以上の施しは受けられないと改めて説明しました。

 本当は貴重な蝋燭を使うべきではないのですが、どうにも昼間に会った少女と、彼女にまつわる不穏な噂が気がかりで眠れそうもありません。もう一度彼女に会うことはできるだろうか、そしてもっとはっきりしたことを教えてもらえないだろうか、と考えてしまうのです。

 しかし、そろそろ祈りを捧げ、明日に備えるべきでしょう。やっと、かねてからの目標であった神殿に足を踏み入れることができるのですから。そこを訪れれば、あなたの病気も少しはましになるはずです。

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