第16話 「世界は崩壊するのか……?」


「ちなみに、チハルちゃんはどんな夢を見たのー? もしかしてさー、オレとか出てきてない?」

夢の話で盛り上がった。月形くんはここぞとチハルちゃんをプッシュする。

「月形さんは出てないかなー。夢の内容はね、今の彼氏とは違う人と付き合ってるって夢ですー。その人もすごくいい人ではあるんですけど、別にその人のことを好きだったことはないんですよ。変ですよね。まー、告られたら付き合ってもいいなって思ってたことはあるんですけど。だからこそ逆にリアルなんですけどねー」


 ありえたかもしれない人生を夢に見る。もしかしたら、これが沙織の引き起こした宇宙の歪みなのかもしれない。


「なるほどねー。……ってか、チハルちゃん彼氏いたの?」

「え? はい。いますよ」

 あっけらかんとした顔でチハルちゃんが頷いた。

「ま、まじ?」

 月形くんは凍りついた。

 その時、カウンターの向こうから焼き鳥ができたと、チハルちゃんを呼ぶ声がして、彼女は元気に返事をして行ってしまった。月形くんはジョッキを持ったまま氷のように固まっている。

「えらく早い失恋だったな」

 井岡さんはガハハと笑って、月形くんの頭をわしゃわしゃと撫でる。

「うわーーー! まじかー!! 聞きたくなかったー!!」

 氷が溶けたと思ったら、月形くんは絶叫して机に突っ伏した。

「うう。オレの運命の人ぉ……」

 机を拳で叩き嘆いている。うーん、なんというか哀れ。


「まあ飲め飲め。今日は俺の奢りにしてやる!」

 井岡さんが月形くんにビールジョッキを押しつけ、さらに追加でビールを注文する。

「ぐすん……ありがとうございます。二次会はカラオケにしましょう……」

「行かねえよ。しかし不思議なこともあったもんだなー。雨宮は見てねえのか。ヘンテコな夢は?」

「僕は……見ていないですね」

 けど、夢よりも不思議な体験をしている。そして、皆が見ている不思議な夢の元凶を知っているかもしれない。もちろん誰にも言えないけれど。


 その時、どこからともなく携帯電話の鳴る音がした。居酒屋の喧騒の中でも、はっきり聞こえるそのメロディは、タイタンからのメール着信音だった。

 僕は二人に断って立ち上がるとトイレに向かった。僕以外には見えない携帯電話を皆の前で操作することはできない。

 個室に入りポケットから赤い携帯電話を取り出す。


『緊急事態です。流川沙織を特異点にした大きな時空の歪みが検出されました。残念ながら今までの努力は水泡に帰すことになるかもしれません。「大いなる意志」は宇宙の崩壊を免れるために、時間凍結の緊急処置を行うことを決定しました。』


 なんだって。まさか。


 知らぬ間に最悪の事態が起きていたというのか。

 沙織が雫ちゃんから何かを聞き出してしまったのか。

 まずい。どうしたらいい。

 ともかくまずは状況を掴まなければ。僕は雫ちゃんに沙織の状況について確認を取ろうと、スマホを取り出した。LINEの画面を出すためにスマホを操作する。が、なぜかスマホが一切反応しなかった。待ち受け画面をいくらタッチしても反応がない。文字が打ち込めない。フリーズしてしまったようにうんともすんとも言わない。こんな時に故障か?

 トントンと画面を叩いていると、妙な違和感を覚えた。

 なんだろう、この感覚。スマホをいじる手を止める。

 不思議な感覚だった。まるで自分しかこの世界にいないような人の気配が消えたような感覚。

 ハッと気がついた。静かなのだ。静かすぎるのだ。トイレに入ったとはいえ、さっきまで聞こえていた店の喧騒が全く聞こえない。

 携帯とスマホを両手に恐る恐るトイレから出ると、驚くべき光景が広がっていた。


 店にいる人々全てが動きを止めていた。


 焼き鳥を口に咥えたままの人も、ビールのジョッキを持ち上げたままの人も。井岡さんも月形くんも焼き鳥を焼いている大将も、ドリンクを作っている最中のチハルちゃんも固まったまま動かず、店の中は静寂に包まれていた。


「な、なんだこれ……」


 絵画の中に閉じ込められたような、静寂に包まれた空間。

 なにひとつとして動かない部屋の中、あたふたと周囲を見渡していると、背後から突然声をかけられた。


『時間凍結の緊急処置を行いました。』


 ハッとして振り向くと女が立っていた。

 白いワンピースのような丈の長い布を纏った僕と同じ年頃の女だった。

 長い髪、つり目がちの瞳。長い黒髪に、白い頬には小さなホクロ。

「君は……」

『私は「大いなる意志の僕」です。』

「もしかしてタイタン?」

『はい。』

「女の人だったんだ……。でも、その姿は……」

『私自身は自分の姿を認知してはいませんが、コミニュケーションを円滑に行うため「大いなる意志」によって、あなたが一番親しみを持っていた存在の形をとっています。ちなみに我々に性別という概念はありません。』

 そうは言うけど、その姿は沙織にしか見えなかった。

 しかも、僕と同じように歳を重ねた大人の沙織の姿だ。だけど、その無表情ぶりは感情の豊かだった沙織とは似ても似つかない。


『お伝えしなければならないことがあり、こうしてやってきました。』

「これはどういうことなんだ。信じられないけど、もしかして時間が止まってるのか」

『はい。流川沙織は本来知るはずのない自身の将来を知り得てしまいました。そのため、緊急処置として、一帯の時間を凍結させております。』


 沙織の姿のタイタンは無表情に言葉を続ける。感情もなければ言葉に抑揚もない。


「沙織が自分の運命を知ってしまったってことか」

『はい。その影響で歴史が大きく変わってしまう可能性が発生しました。』

 恐れていたことが起きてしまった。自分が交通事故で命を落とす運命を知ったら、誰だってそれを回避するだろうけれど……。

「ちょっとまってくれ。前に、もし沙織が未来を知っても、今この世界に沙織がいないってことは、どう足掻こうと沙織は事故に遭ってしまうって言ってなかったか?」

『はい。しかし、あの時と今では状況が変わっています。以前は俯瞰してこちらの世界を観測できていたのですが、現在は「大いなる意志」の力を持ってしてもパンクチュアルな視点からしかこの世界を観測できません。現状では流川沙織の運命が不確定な状況にあります。つまり、彼女の運命は彼女が決めることができる状況と言うことです。』


「じゃあ、事故を回避することもできるってことか?」


『はい。ですが、事故を回避し、歴史が変わるということになれば、時空の歪みが発生することになります。あなたの時代に流川沙織が存在しないのに、彼女がもし事故を回避したとなっては、歴史の流れが一致しないことになります。時空の歪みを原因とした異常な並行世界が誕生してしまいます。しかし、二つの世界は元々はひとつのものですから、二つに分かれてしまっては世界を正常に働かせるために必要なエネルギーが足りなくなるのです。もし、世界が枝分かれしてしまった場合は、時空に不具合が発生し、どちらの世界も崩壊することになります。』


 そうだ。

 沙織がこの世界に来て、最初にタイタンから告げられたことだった。


「世界は崩壊するのか……?」

『それは流川沙織の行動次第です。彼女が自らの運命を知ってなお、その運命通りに行動するのなら、世界が枝分かれすることはありません。』

 自分の運命を知って、それでもその運命に従おうなんて考える人がいるだろうか。

「なんとかならないのか」

『この状況を解決できる、いくつかの手段を「大いなる意志」は持っています。それをあなたに選択してもらうために私はここに来ました。』

「そんな重大なことを決めるのが僕でいいの?」

『はい。本来目覚めるはずのない流川沙織はあなたの元で目覚めました。これは「大いなる意志」にも予想できなかった不測の事態です。あなたの存在がこの選択の必要性を生んだと「大いなる意志」は理解しています。ですので、あなたにこの世界の行く末を選択する権利があると「大いなる意志」は考えています。』

「突然、そんなこと言われても……困るよ」

 僕が俯いてもタイタンは無表情のまま抑揚のない言葉を続ける。

『そうですか。「大いなる意志」にとって、もっとも簡単な方法は流川沙織の存在を「無かったこと」にして歴史を修正する方法です。幾分乱暴ですがこの方法なら世界の枝分かれも時空の崩壊も防ぐことは容易です。もし、あなたが選択の権利を放棄するというのならば、「大いなる意志」は、この方法を取ることを決定しています。……選択の権利を放棄しますか?』

「ちょっと待ってくれ。それは沙織のことを僕も含めて皆が忘れてしまうってことか?」

『はい。』

 そんなの死ぬより酷いじゃないか。

『なんとか、彼女を生かすことはできないのか』

『選択の権利を主張したと捉えます。では、いくつかの方法を提示します。……ですが、」

 タイタンは初めて感情を表すような言葉の詰まりを見せた。

『ですが……あなたは彼女が亡くなってからのこの10年、ずっと心をふさいで生きてきたではないですか。彼女のことを忘れることができれば、明るく生きていけるのではないでしょうか。』


 その言葉は僕の胸に突き刺さるほど鋭かった。きっとそれは事実だろう。だけど。


「確かにそうかもしれない……。だけど、そういうことじゃないんだ。沙織といた日々は僕の全てだった。例え辛い今があったとしても、あの日々も忘れてしまうなんて、悲しいし、なにより沙織に失礼だと思う。それに、勝手に未来に飛ばされて、都合が悪くなったから消されるなんて、ひどい話だよ」

 僕の言葉の意味をタイタンはどのくらい理解したのかはわからない。その表情は変わらなかった。

『なるほど。では、案を提示してまいります。実は流川沙織を生かすと共に、この世界を存続させる方法もあるにはあります。』

「良かった。なら、それを教えてくれ」

 初めからそれを伝えて欲しかった。ほっとしながら言葉を待つ。

『それは彼女をもとの世界に返すことを諦め、この世界に定住させるという方法です。いかがですか。』

「どういうことだ。あの高校生の沙織をこの世界に? ずっと?」

『はい。この方法を取れば、流川沙織はこちらの世界で生き延びることができますし、この世界も変わらず存在し続けることができます。』


 ちょっと待て。

 でも、そうなった場合は結局、歴史が変わってしまうんじゃないのか。

 僕が疑問を口にすると、タイタンは表情を変えずに答えた。


『枝分かれをした「歴史が変わる可能性のある過去の世界」については残念ながら剪定することにはなりますが、こちら側の世界には修正をかける必要はありません。元々存在した流川沙織の死に関しても同様です。ですので、あなたを含めこの世界の人々が事故で亡くなった流川沙織の記憶を失うことはありません』


 タイタンはこれで僕に伝わると思っているのだろうか。言っている言葉のそれぞれの意味はなんとなくわかるが、もう少しわかりやすく言ってほしい。


「……話が難しいよ。つまり、死んだ沙織が蘇るわけじゃないけど、過去から来た沙織は事故には遭わず生き延びることができるってことなのか」

『そうです。彼女がどういった人生を歩んでいくのかは未知数ですが、少なくとも21歳で事故に遭うという既存の未来は訪れることはないでしょう。』

 タイタンは必要以上のことは言わないし、わかりやすく言葉を砕いて伝えてもくれない。僕はタイタンの言葉を頭の中で反芻するしかない。僕は必死に考える。僕が黙ればタイタンも言葉を発することはない。黙って僕の言葉を待っている。

 時計の針の音すらしない静寂の中、無い頭で考える。

 僕にとって、この提案は素晴らしいものかもしれない。

 沙織はずっといてくれる。世界も崩壊しない。

 この方法を取れば、沙織は死ぬことなくこの世界で生きていける。


 だけど、彼女にとって、この選択は幸せなのだろうか。

 知らない未来に飛ばされて、元の世界に帰れないとなれば、彼女は故郷を失うことになる。友達も家族も失うことになる。この世界で生きていくのだとしたら、戸籍とか進学とかわからないけれどそういう問題だって山積みだろう。


 ……けれど。僕は考える。

 沙織は元の世界に戻ったって良いことなんてないじゃないか。

 もし、事故を回避したとしても世界が枝分かれして崩壊してしまうのなら意味はないし、彼女がもし歴史が変わらなかったのだとしても大学四年に命を失うことになる。どちらにしたって沙織は死んでしまうのだ。

 なら、こっちの世界で生きていく他に方法はない。

 未来の雫ちゃんとだって仲良くやっているし、お母さんたちも死んだ娘が戻ってくれば喜ぶに決まってる。なんと言えば信じてくれるかはわからないけど、沙織の顔を見ればすぐに信じるだろう。

 考えは固まった。


「その方法で、お願いできるか?」

『……わかりました。ですが、この方法には条件があります。」

「条件? 僕にできることならなんだってするよ。教えてくれ」

『それは流川沙織の意思です。彼女が元の世界に帰りたいという未練を持ったままだと、時空修正のタイミングで元の世界に引き戻されてしまいます。ですから、彼女にはこの世界に留まりたいと思うように説得をお願いします。もし、説得に失敗した場合は、彼女をこの世界に定着させることは不可能です。』


「沙織の意思……。わかった。大丈夫、それは僕が言ってきかせるよ。沙織は自分の未来を知っちゃってるんだろ。なら正直に全部伝える。そうすれば沙織はわかってくれるさ。彼女の性格ならば、この世界にもすぐに馴染めると思うし」


『わかりました。では「大いなる意志」には流川沙織をこの世界に留める方向で時空の歪みを修正する行動を起こすよう伝達いたします。時空修正のタイミングは当初の予定通りです。地球時間に換算すると、91時間6分後に時空修正プログラムの適応がこの宇宙群に及びます。ですので、その時までに流川沙織の説得をお願いします。』


 左腕の時計を確認する。頭の中で計算すると、つまり、四日後、6月11日の19時が期限だということだ。


「わかったよ」

『では、時間凍結を解除します。……ですが最後に、』

「なんだ?」

『現在、流川沙織は自身の未来を知って、大変なショックを受けています。彼女の精神状態が新たな時空の歪みを生まないとも限りません。そうなると、今までの計画は全て白紙に戻ってしまいます。ですので、心のケアをしてください。それはあなたにしかできないことだと……私は思います。』

「わかった。」

『よろしくお願いします。』


 そう言ってタイタンが小さく頷いたかと思うと、周りの喧騒が蘇った。驚いて周囲を見渡すと、何事もなかったかのように店の人々は動き出していて、視線を戻すもタイタンの姿は影も形もなかった。

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