元お姫様が俺を異世界に呼び出したけどなぜか一緒に札幌に戻ってきた。

夜々予肆

第1章 謎の世界と謎の女の子

第1話 キスしてくれ!

「死ぬ」


 そんな風に思った途端、本当にそうなってしまうような気が、した。


 どうして俺がそんなことを思うことになってしまったのか。


 時間を、少しだけ巻き戻してみる。



 小さな針で肌を突き刺されるような寒さが続く1月の早朝、アパートの玄関のドアを手袋越しの手で開け、外に出た。


「雪国ってこういうのが嫌なんだよな」


 誰に対してでもなく、小さく呟いた。かといって、雪国以外の場所で過ごした経験がある訳でもないのだが。


 まだ日が昇りきっていない薄暗い空の下、一面真っ白く染まった道路を一人でとぼとぼ歩いた。試しに息を吐いてみると、白いもやもやが口から出た。昔はこれを見て怪獣だとかなんとかって騒いでた気がする。


 それはともかく、家の中でも暖房を切った途端体が震えるくらい寒いのに外に出たら凍える風に直接吹かれて体の感覚が一気に奪われる。手が震えてティッシュをポケットからまともに出せないので鼻水も垂れ流しになる。


 北海道の冬は、はっきりいって地獄だ。


 本音を言えば、布団から一瞬たりとも出たくなかった。しかし今日で冬休みが終わり、再び学校が始まるので出るしかなかった。


 サボればいい、と考えるのは簡単だろう。だが、親に無理を言って地元の釧路から遠く離れた札幌の高校に通わせてもらっているので、サボる訳にはいかない。


 と、綺麗な理由付けをしてみたが、いくらなんでも寒すぎる。震えが止まらない。


 制服の下にパーカーとダウンジャケットを重ね着しているが、それでも全く意味がないように思える。耳が痛い。鼻が痛い。下半身は制服のスラックスだけだから特に痛い。


 しかしこれでも天気は落ち着いていて、空は嫌らしいほど青々としていた。そんな天気にできるんだったら、多少は雪を融かすなりなんなりしてほしい。そして思わず、両手の指を組み合わせて祈った。


 雪を融かすことできないというのなら、せめてどうかそのまま――


 ビュウウゥゥゥ!


「うげっ」


  荒れずにいて欲しい。と思ったら、願いとは裏腹に突如天候が悪化した。


 雪が降り始めたと思ったら、一気に風が強く吹き荒れ始めた。


 吹雪だ、これ。


 氷の連続攻撃に顔を殴られ、靴に雪が隙間を埋めるように入った。地面のみならず視界までもが真っ白になってしまい、数十歩先も見えなくなった。


 やばい。


 このままじゃ、凍死する。


 早く行かないと。俺は歩行速度を速めようと試みたが、寒さと重ね着のせいであまり速くは歩けなかった。


「痛てっ!」


 それどころか無理に走ろうとしたせいで、冷やされ続けて凍り、摩擦が消えた道路に足を取られてしまった。盛大に転んで尻を強く打つ。


 椅子から転げ落ちたような鈍い痛みにしばらく怯んだ後、二度目を恐れゆっくりと手をつき立ち上がった。幸い下着にまで水分は到達していなかった。


……やっぱりゆっくり歩くことにしよう。急がば回れとも言うし。


 ゴオオオオオオオッ!


……やっぱり急ごうかな。 


 しかし、その考えが命とりになってしまった。


 俺はまたしても足を滑らせた。


 さっきよりも、勢いよく。


 鉄棒なんてここにはないのに、勢いが足りない逆上がりみたいに宙を舞った。身体が浮いた瞬間、鈍色の空がはっきりと視界に入った。


 あ、やばいかも。


 そう思ったときには、もう遅かった。


 俺は、凍って固まった道路に後頭部を強く打ち付けた。


「ああああああああ!!」


 目の奥に光が走り、たまらず悲鳴を上げた。


 スラックスのポケットの中に入っているスマホが、ピロピロと音を鳴らして着信を知らせているような気がした。


 何を着信したのか確かめたかったが、身体は密閉袋で圧迫されたかのように一切動かなかった。


「死ぬ」


 俺は、そのとき、そう思った。視界がだんだんと滲み、暗くなっていく。


 完全に周囲が見えなくなったとき、俺の視界には古い時計の部品のような、無数の歯車が見えた。その歯車の間を、俺は落ち続けた。


 歯車に挟まれ、俺は。


 切り刻まれた、ような気が、した。

 

 そして、俺の意識は途絶えた。





「ん……?」


 暖房――というよりもストーブが効いているような温かい空間で、俺は再び視界を取り戻した。


 その感覚で一瞬、実家に帰ってきたのかと思ったが、倒れた寸前の状況を思い出し、それはないだろうとすぐにその考えは頭を振りかき消した。


 第一、ここは俺の知っている場所ではなかった。


 俺が今いる場所は、西洋の屋敷の一室のような場所だった。少なくとも、日本のどこかとは思えなかった。


 ジャンプしても届きそうにないほどに高い天井、暗い赤色の壁、仰々しい観音開きの扉、派手な装飾のカーテン、格子で分割された窓、年季が入った横長の木製のタンス。


 こんなところ、外国の映画の中でしか見たことがなかった。


 部屋の広さはだいたい学校の教室と同じくらい。そして俺は、いかにも高級そうな幾何学模様の赤いソファで寝かされていた。枕代わりに四角いクッションが頭の下に置かれていて、足元には俺が肩に掛けていたスクールバッグがあった。何か盗まれていないかと中身を確かめたが、特に何かを取られたような感じはなかった。


 鞄を漁ってるうちに意識がはっきりし始めたので、一体ここはどこなのだろうかと改めて考えてみた。


 だけど、やっぱり心当たりは無かった。


 そもそも俺は二回目に足を滑らせた後、どうなった? 歯車、が見えたような気がするが、そもそもあれは何だったのだろうか?


「あ、そういえば」


 スマホに着信が入ってたような気がしたので、ポケットから取り出して確かめた。しかしスマホは圏外で、何も届いていなかった。


 圏外……? ますます訳がわからなくなってきた。


 ドオオオッ。


 あれこれ思考を巡らせていると、突然視界の先にあった観音扉が低く音を鳴らして開き始めた。


「目覚めたみたいだな!」


 そして扉の先から現れたのは、女の子だった。


 壁の色と同じような暗く赤い髪と目を持ち、雪のように透き通った白い肌の小柄な女の子だった。


 服装は――ロリータファッションとでも言うのだろうか、フリルやリボンがたくさんついている、黒いワンピースだった。くるっと回ると、ふわっとなりそう。


 まるで、どこかの外国のお嬢様みたいだと感じた。実際そうなのかもしれない。


 しかし。


「死んだのかと思ったぞ! まったく。お前を呼び出すのにどれだけ苦労したことか……」


 よく通る清らかな声だけど、喋り方は全然お嬢様っぽくなかった。普通に日本語喋ってるし。


 ……いや、日本語か? なんか違うような気がしたが、何が違うのかわからなかった。


「だいぶ混乱しているようだな。では、説明するとしよう」

「説明って……?」


 俺が疑問に頭を悩ませていたら、女の子は説明すると口を開いた。この子は、どうして俺がこんな場所にいるのか、知っているのだろうか。


「結論から話すと、お前は私によってここに召喚されたのだ」

「召喚?」

「ここはお前がいた世界とは異なる世界――オッスルドゥンム」

「おっする……え?」

「オッスルドゥンムだ」


 どこ?


「ともかく、本題は私がお前を召喚した理由だ。よし……」


 すると、女の子は決意を固めたように握り拳を作ると、俺の目の前まで駆け足で寄ってきた。


「キスしてくれ!」


 そして、俺にそう頼んできた。


「え?」


 ……ええええええええええええええええええええ!?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る