二章 三節


 アメリアは一月の間、イザベラについて考えを巡らしていた。


 反魂の術についてはローレンスの座学で学んでいた。ごく少数だが人間には死者の魂を呼び戻せる者が居るらしい。


 肉体から尾が切り離された魂は基本的に自力で肉体に戻れない。それを強制的に呼び戻すのが術者の役目だ。飽く迄も『遺体若しくは自分の体に一時的に魂を下し、遺言を聴く』のが彼らの仕事だ。この世に死者の魂を長時間留まらせては術者の精神も肉体に負担がかかるし、遺体の腐敗が進む。基本的に彼らは遺体が無いと魂を下ろせない。それに長い事留まらせると各神族にある死者の国の長が黙ってない。反魂の術ではないが、かつて死人を甦らす程の名医であったアスクレピオスも死者を蘇らせ、冥府に魂が到来するのを阻んだ。冥府の最高神ハデスは罰としてアスクレピオスの命を奪った。原則的に第三者が死者の魂をこの世に留まらせるのは違法である。


 しかし『僅かな時間、死者の声を聞くだけなら』と一部許されている。それがイザベラを含む術者だ。特殊な力故に目立つと生き辛いらしい。公の場では彼らは鳴りを潜める。目立った営業活動はしないが時の権力者や重要ポストの側近や親族からよく声が掛かる。主に遺産の分割や後継者決めをする際に呼ばれるらしい。


 死人に口無しと言うが術者を呼ぶのは遺族だ。死体安置所で見た遺族は血も涙も無い夫婦だったが、公明正大な遺言を望む遺族も居る。己の利益にせよ他者の利益にせよ死者の言葉を欲する者は存在するのだ。それ故に術者は存在する。


 死者アーウェルの遺志を弁護士と共に守るなんて……自分の正義がある子なんだな、イザベラって。


 黒いレディを走らせ次の仕事先まで移動するアメリアはヘルメットの下で微笑んだ。


 また会いたいな。もっとお話したい。


 素性を明かせないが友人として付き合いたい。島に残した馬のアレイオーンとまではいかないが色々と話せる友人が欲しかった。ローレンスもイポリトも自分の世界を持っている。現世でも心を許せる友人が欲しい。自分を持ったイザベラと友人になりたい。


 そういえば月末にお墓に居るっていってたよね? 吸血鬼を待ってるって。……一昨日辺りから月末だけどいるかな?


 仕事場はあの大きな墓地に近い。墓地へ寄ってイザベラを探そうか。


 アメリアは高速を降りると墓地へ向かった。


 イザベラは居た。白いワンピースを纏った彼女は前回と同じ墓石に座して歌っていた。


 眉を下げたアメリアは苦笑を浮かべる。死に携わる仕事をしているのにまた墓石に座るだなんて……死者に対して失礼って想わないのかな。


 佇み自分を見詰めるアメリアにイザベラは気付く。


「……あれ?」


「こんにちは」アメリアは片手を挙げた。


「お墓参り? マメね」イザベラは脚をぶらぶらと揺さぶる。


「う……ん。お墓参りもあるけど会いたくて。月末ここに居るって聞いたから」


「吸血鬼はまだみたいよ?」


「吸血鬼も見てみたいけど貴女に会いに来たの」


 面喰らったイザベラは失笑する。


「変ね」


「う、うるさいな。別にいいでしょ。会いたくなったから来たの!」屈託なく笑うイザベラを横目にアメリアは唇を尖らせた。


 瞼をこすったイザベラはワンピースのポケットに手を突っ込み、何かを掴むとアメリアに差し出す。


「あげる」


「なあに?」


 アメリアは側に寄る。差し出された白い掌にはベビーブルーの水玉の紙に包まったあめ玉が乗っていた。


「わ! ありがとう!」包み紙の両端を引っ張りあめ玉を摘まんだアメリアは口に放り込む。舌にあめ玉が乗った瞬間、爽やかな香りが広がりしゅわしゅわと発泡する。


 ソーダ味のあめ玉を舌でカラコロと鳴らすアメリアを尻目にイザベラは忍び笑う。


「ガキ臭くて可愛い」


 満面の笑顔を崩したアメリアは頬を染める。


「ガキ臭くない! 可愛くなんか無い!」


「あめ玉一つで喜んじゃって……」


 眉を下げたアメリアは俯く。……外見は成人なのにまた子供っぽい事をしてしまった。二階建てバスを追いかけていた数ヶ月前から何も成長していない。


 二人の間を沈黙が支配する。辺りに響くのは木々の葉が風にそよぐ音と舌に弄ばれたあめ玉が歯に当たる音だけだ。


 眉を下げるアメリアをイザベラは見遣る。……こんなに居たたまれない表情をしていてもあめ玉を舐めるアメリアが子供っぽく、愛しく想えた。


 そんな彼女の視線にも気付かずアメリアは考えを巡らす。あたしはイザベラよりも年下だ。外見は成人に見えても生まれて九年かそこらだもの。子供なのは仕方ない。……でもいつまでもだんまりでいいのかな? それこそ子供っぽい。相手を困らせちゃう。……折角会えたのに……折角時間を作ったのに……こんな終り方は寂しいよ。


 アメリアは唇を引き結ぶと、意を決する。


「……あたしアメリアって言うの。貴女は?」


 アメリアは包帯が巻かれていない左手を差し出した。イザベラはそれを見詰めるが寂しそうに微笑する。


「……友達作らない主義なの。だから握手しない」


「……どうして?」


「昔決めた事。これは死ぬまで守るつもり」


「作りたいって想わないの?」


「……想わないと言えば嘘になる。でも別れる時に辛くて悲しくてやり切れなくなるから、きっと耐え切れない」


「学校で寂しい想いしない?」


「学校に通う子供が平日のこんな時間に墓場に居る? 察しない?」イザベラは苦笑した。


「ご……ごめん」眉を下げたアメリアは足許に視線を落とす。


 項垂れるアメリアを見詰めるイザベラは煩わしそうに瞼をこすった。それをアメリアは視界の端で見ていた。


「……目が痒いの?」アメリアは問う。


「霞むだけ」


「あたし、人口涙液持ってるよ」ポケットに手を突っ込んだアメリアは目薬を差し出す。


 一瞥したイザベラは鼻を鳴らした。


「医薬品の貸与は禁止されてる。他人の心配をするなんて随分と心に余裕があるのね」


 アメリアは再び項垂れる。


「……ごめん」


 イザベラは小さな溜め息を吐く。


「なんだかアメリアを苛めてるみたい」


 青白く光る不思議な瞳を潤ませたアメリアは顔を上げた。


「そんな事無い! あたしが失礼なこ」


「イザベラ」イザベラはアメリアの言葉を遮った。


「……え?」


「名前。イザベラ」


「……いいの? 教えてくれるの?」


「べそ掻いてるんだもの。本当にガキ臭い。それに……」


「それに?」


 イザベラは口を開くが思い止まる。横眼を逸らし一点を見詰めると唇を割った。


「……名前くらいは教えるわ。友達にならなくても、ビジネスでは挨拶と自己紹介は基本でしょう? こう見えて働いてるの」


「ビジネスだなんて、あたし……迷惑?」アメリアは眉を下げた。


 イザベラは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「友達にならなくても興味はある。ガキ臭くて素直な貴女に」


「ガキ臭くて悪かったわね」アメリアは唇を尖らせた。


「吸血鬼の話を信じる、すぐに感情が表情に出る、何かに一生懸命……私と違っていい環境に生まれついただろうから正直鼻についたわ。でも私は苛めるようなクズじゃない。苛立つなら理解に努めたい。愛も憎悪も根底は一緒。興味があるから愛するし、また興味があるから憎悪する。……きっと私とアメリアは何かが同じ。だったら愛か憎悪のどちらかを見極めたい」


 イザベラと別れ、任をこなしたアメリアは家路を急ぐ。アパートへと黒いレディを転がしていたが交差点で信号に捕まった。アメリアは夕闇に飲まれる街を眺める。老舗の百貨店やパラディオ様式建築の店が夕陽色に染まっていた。


 対岸を見遣るとローレンスを見かけた。


 ローレンスは白いブーケを下げてフラフラと歩道を歩いていた。


 黒いトレンチコートを纏い、通りを歩くローレンスは亡霊のようだった。道を行き交う人は骸のような彼の顔に驚き短い悲鳴を上げたり、亡霊と間違えて二度見したりしている。


 アメリアは苦笑する。三食ちゃんと食べるように努力させているものの、ローレンスは生来代謝が良くてなかなか太れない性質らしい。困ったものだ。……しかしブーケなんて下げて何処へ行くつもりなのだろうか?


 アメリアは眉を顰める。


 もしかして女性に……? 父さんは母さんの事なんて忘れちゃったの?


 信号が変わり、黒いレディをスタートさせると次の交差点でUターンした。そして路肩に黒いレディを停めるとヘルメットを外し、電話を掛けた。


 歩いていたローレンスはポケットの振動に気付くと携帯電話を取り上げ受話する。


「どうしたの?」


 ローレンスに問われたアメリアは大きく手を振る。


「前を見て」


 前方を見遣ったローレンスはアメリアに気付くと駆け出した。長い手脚を懸命に動かす様はナナフシを想い起こさせ、アメリアは失笑した。少しの距離だがローレンスは息を弾ませてやって来た。


「……し、仕事終わり?」華奢で儚い体型のローレンスは息切れしつつ問うた。


 アメリアはこっくりと頷く。


「……走らなくても良かったのに」


「いや、女性待たせちゃ悪いからさ」


「父さんってイポリトとは真逆だよね」


 ローレンスは苦笑した。


 そんな父の横でアメリアは瞳を伏せる。


「でも……そんな所が寂しいな」


 眉を下げたローレンスはアメリアを見遣った。アメリアは直ぐに表情を変える。


「そ……それよりもブーケなんて下げて何処へ行くつもりだったんですか?」


「……あ? これ? 帰るつもりだったんだけど」ローレンスはブーケを構えた。白薔薇やトルコキキョウが纏められた儚い雰囲気を漂わせたブーケが夕方の風に揺れる。


 アメリアはローレンスを見詰める。


 ローレンスの青白く光る瞳に今にも泣き出しそうなアメリアが映った。


「……ん、と。言わなきゃダメ?」


 気圧されて眉を下げたローレンスは口をもぞもぞと動かす。あまり言いたくないのだが、言わないと良好な関係が崩れそうな気がした。これから共に仕事に廻る事もある。その際黒いレディに乗る。気まずい雰囲気でタンデムするのは困る。


 気まずそうに瞳をぐるぐると動かすローレンスを見詰め、アメリアは首を横に振った。


「……いえ。いいです」


 しかし『否』と言ったもののアメリアの表情は曇っている。ローレンスは視線をブーケに落とすと気付いた。……もしかして僕が女性にブーケを贈ると想っているのかな? 師と言えども父親代わりの男が女性にブーケを贈ったら……そっか。嫌か。そりゃ良い気はしないか。


 微笑んだローレンスは言葉を紡ぐ。


「時々ね、僕が関わった故人に花を手向けるんだ。今日は花束買った後に仕事が舞い込んだんだ。用が済んでから手向けようって想った。でも長引いちゃったからこんな時間に花束持ってウロウロしてたんだ」


「……本当?」アメリアはローレンスの瞳の奥を見据える。


 ローレンスはこっくり頷く。


「本当だよ。もう訪ねるのには遅い時間だし、かと言って大きな花束を下げて帰ったらイポリトに『振られたか?』って弄られるだろう? 花に可哀想な事をしたなって困ってたんだ」


「……確かに。……イポリトなら父さんを弄りかねない」


「あのさ……もし良かったらなんだけど……貰ってくれる?」


「え?」


「そりゃ特定の人に向けてのブーケだから失礼だけど……アメリアが貰ってくれるとこの花も喜ぶ気がするんだ」


 アメリアは唇を尖らせる。母さんが言ってた通り、女心を本当に理解していない人だ。


「……どうしてあたしなんですか?」アメリアは眉を顰めた。


「故人に贈ろうとした物を貰うなんて気分悪いよね。ごめん。その亡くなった人……少しね、アメリアに似てたんだ。ああ、亡くなった人に似てるって言うのも失礼なのかな。どうなのかな。失礼だよね。ああ。どうしよう。どうしよう」慌てたローレンスは目を泳がせ、早口で言葉を紡ぐ。


「……怒ってませんから落ち着いて下さい」


「……貰ってくれる?」瞳を潤ませたローレンスはアメリアの顔色を伺う。


「……あたしに似てたってどんな所が?」


「う……ん。怒ったりしない?」ローレンスは眉を下げた。


「内容によっては」


「……じゃあ黙る」


「分かりました」アメリアは踵を返す。


「ああ! そんな所が似てるんだよ!」ローレンスは叫んだ。驚いた通行人が一斉に彼を見遣る。しかし呼吸を荒げた彼は気付かない。


 振り返ったアメリアは問う。


「……他には?」


「ひたむきな所とか笑顔とか気が強い所! あと恥ずかしがったり都合が悪くなったりすると膝をモジモジする所!」


 アメリアはローレンスの瞳を見詰める。ローレンスは瞳をぐるぐると動かす。衆人から多くの視線を集めていると気付いた彼は羞恥で涙ぐんだ。


「お……教え子に邪な想い抱いてる訳じゃない! だけどそんな所が似てるから! 貰って欲しいなって」

 二柱を取り囲んだ野次馬達は口笛を吹き、手を打ち鳴らし囃し立てる。


「そんなんじゃないって!」ローレンスは叫んだ。


 溜め息を吐いたアメリアはローレンスのコートの袖を掴むと彼を裏通りまで引きずって行った。

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