バルーン彼氏

66号線

My Boyfriend Made Of... (上)

 クリスマスイブ当日。私はトージと調布駅北口前のパルコにいた。

「ハル、食事のあとはどこに行く?」

 俺、アイスが喰いたいな。目の前にいる自分の彼氏が楽しそうに言う。前髪の奥にある目がほほ笑みで細くなる。痩せていて身長が高く、冬でもざっくりと襟の開いた服を好んで着る。喉仏が目立つ首に巻かれたロングマフラーの、白と黒のコントラストが目を引く。

 アイスはデザートで食べたでしょ、と私が言うと小学生のように彼が口を尖らせる。不覚にも可愛いと思ってしまう。薄紅色に彩られたバラ園と、そのなかを歩くトージの細い姿がこころに浮かんだ。

「植物園、行きたい」

「えっ」トージが短く訊き返す。

「神代植物公園。昔、行ったでしょ」

 憶えているわけないか。聞こえないように小さく呟いた。


 あるカップルが竹下通りを歩いている。次の瞬間、恋人である男の子は間抜けな音をたててしぼんだ。慌てた女の子はしぼむ彼に口づけ、人工呼吸のように息を吹き込む。他のカップルに笑われて真っ赤になった女の子は、それでも使い物にならなくなった自分の彼氏を蘇らせようと必死に息を送る。

「このような最悪の事態が起きないよう、ご使用の際はくれぐれもご注意ください」

 滑舌の良いナレーションが学生食堂に響いてクリエイティブバルーンのテレビCMは終わる。毎年一二月はこの奇妙なCMを特に見かける気がする。

 クリエイティブバルーンは、息を吹き込むだけで自分が希望するモノが作られる風船だ。用意するものは、魔法の風船と肺活量と、強い想像力だけ。CMのような粗悪品でなければ強度も頑丈で割れにくい。唯一の難点は一日経つと風船に戻ってしまうことだ。

 強くイメージさえ出来れば思い通りのモノができ、まるで本物の人間や動物であるかのように動く。こんな魅力的な風船を世間が放っておくはずはない。時には多くの労働者となって老人の介護をしたり、また時には工事現場で地面を掘ったりして風船は本物の人間と上手く共存していた。

 毎年クリスマスシーズンになると寂しい男女が、どんな恋人にも変身してくれる魔法の風船を買い漁る。私の通う大学でも、今年のイブはクリエイティブバルーンを使わずに済むかどうかを話す機会が増えてきた。安いカレーライスを口にほおばり、友人たちのイブの予定を適当に聞きながら、私はトージと半年前に交わした約束を思い出していた。


 二〇分間バスに揺られて、私とトージは神代植物公園の正門に着いた。地図を手に取り、辺りを一望する。五月に見た一面に咲くツツジの鮮やかなピンクを想像したが、さすがに冬の間は枯れていて面影が無い。

「とりあえず歩いて見られる花、探そう。こういうのって子供の頃やった宝探しみたいだね」

 無邪気に笑ってトージが私の手を握ってバラ園の方へと進む。身体を包む寒さが無くて、吐く息が白くなければ何もかも半年前と同じだ。確かに私たちは、ここでクリスマスイブを一緒に過ごす約束をした。初夏の風に揺れるバラに囲まれたこの庭園で、まだ歩けた頃のトージと私は寄り添って写真を撮った。緑に光る木々と、赤や黄に咲くバラたち。神様に油絵の具を渡したら、きっとこんな絵を描くだろうと思った。

「バラ園も、冬だと灰色でちょっと寂しいね」

 確かに庭園から当時の彩りは失われ、中央にそびえ立つ巨大な噴水がどことなく居心地が悪そうにも見える。私たちのような変わった男女二人組はちらほら見かけるが、カメラで一輪ずつバラの写真を撮る人も、半袖で跳ねまわる子供を連れた家族も当然いない。まるで遠い昔のおとぎ話の出来事だと言われた気がした。

「まだあるかな、バラのソフトクリーム。食べられないかな」

 彼が憶えているはずのないことを言うので身が震えた。珍しいと言って二人で買ったピンク色のソフトクリーム。バラのやさしい味と、ほのかな香りが気に入ってトージは二つも食べた。

「寒くても食べるなんて、どれだけアイスが好きなんだよ」

 口では突っ込みをいれていても、内心では嬉しかった。

 二人は、すっかり枯れてしまったバラのツタを背景にして、ずらりと並ぶベンチの前に来た。

「確か、この辺じゃなかったかな」

 私がトージから貰ったネックレスを落としたのは。バラのソフトクリームを食べながら歩いていて、いつの間にか首から消えていた。周囲の人たちが笑うのをよそに、二人して四つん這いの姿勢でベンチの下を次々に覗き込んだ。バラの香りでむせかえりそうだった。二時間があっという間に過ぎるくらい探しても見つからなかった。彼がくれた、小さなダイヤモンドがついたネックレスがお気に入りでいつも身に付けていた。

「何が? ソフトクリームの売店?」

「ソフトクリームのことしか頭にないのかよ」

 花より団子とはまさにこのことだ。今度は呆れながら突っ込みをいれた。サザンカと咲きかけのツバキを見て、二人はとぼとぼと来た道を引き返した。冬の空はすでに赤と群青の絵の具を混ぜ合わせたような夕焼けだった。正門に辿り着くと

「ごめん、トイレ」

 と、顔の前で手を合わせてトージが園内に戻っていく。仕方なく正門前で待つことにした。もう少し暗くなれば調布駅前にも明りが灯るだろう。イルミネーションで街路樹は彩られ、街はまるでキラキラ光る首飾りを付けておめかしをしているようになる。普段とは違った華美な装いで私たちが乗ったバスを迎えてくれるだろう。

 クリスマスは人を浮かれさせる、口当たりの良いシャンパンのようだと思う。人々を幸せな気分にさせるクリスマスは、同じように人々が抱える偽りの喜びを少しだけとがめる。

 取りとめもなく考えていたら、友人が男の子と腕を組んで歩いているのが見えた。男の子はトージだった。自分でも知らないうちに声にならない悲鳴をあげていた。


「悪い、お待たせ……ハル?」

 トージが正門へ戻ったときには、誰もいなかった。

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