捌 華、風に舞い散りて

獣道

 桜の宮から離れて三日。町と町をつなぐ薄暗い山道。

 馬がいななきをあげて走り去っていく。その背を見送り、陵駕りょうがは桃の手を引いて、草木で覆われ細く消え入りそうな脇道へと踏み入った。

 最初に追って来た陵駕の従者は、一人だったこともあってなんとかかわすことが出来たのだ。しかし、桜の宮から放たれた追っ手に、こんなにも早く追い詰められるなんて。

 馬は捨てた。その背から降りて、鞭を打ち山道を走らせる。ある程度のところまで、足跡を付けてくれれば、追っ手はそちらを追うはずだ。

 とにかく追っ手をやり過ごす時間を稼ぎたい。

「足跡を付けないように、ゆっくり進んで」

 桃は頷き、陵駕の手をしっかりと握って注意深く藪の中を歩く。その足は、鼻緒の部分に血が滲んでいた。痛むのだろう、歩みがぎこちない。

 元々外に出ることなどほとんどないのだ。履物にも慣れていない。

 それでも、今は逃げなければならない。

 追っ手に見つかったのは、山へ入る直前。

 二人とも都を離れて次の町で、貴族の美しい着物は脱ぎ捨てていた。桃は貴族の間では下着として、臣民の間では表着として着用されている質素な小袖袴姿に変わった。長く美しかった髪も、背にかかるほどの長さでばっさりと切っている。

 陵駕も軽装である水干すいかんに着替え、やはり頭上で一つにまとめていた髪を、散切ざんぎりにした。

 それでも、追っ手の目はごまかせなかった。身分上、二人とも桜の宮では広く面が割れている。

「陵駕」

 不安そうな桃の声。ふり返ると、髪を切ったからだろうか、やけに小さく見える桃の頭。切りそろえた前髪の下から、不安そうな瞳がのぞいている。その様に胸を突かれた。

 彼女を守ると言った。それだけは、絶対に違えたりするものか。

 桃を連れ出したのは、自分の我儘なのだ。それに、命をかけて飛び込んでくれた桃だけは、なんとしてでも守りたい。この名のように、人を陵駕する力が、他をしのぎ上に出る力があるのならば。

「もう少し頑張って下さい。大丈夫」

「ええ、そうよね」

 返した桃の声は、自分に言い聞かせているような響きをたたえている。

 桜の宮と比べれば、外の世界のなんと厳しいことか。覚悟はしていたが、身の回りの世話など誰もしてくれない。少数の供だけで地方を回っていた陵駕でさえ、不便を感じる。

 桃は、はっきりと戸惑い閉口していた様子だった。

 それでも、桃は不平のひとつも言わない。だからこそ、より一層守りたい気持ちが大きくなる。

 宮育ちの貴族が外の世界で生活して行くのは、やはり難しいのかもしれない。それでも、あのまま籠の鳥でいるよりはいい。

 二人で、始めは辛くとも幸せになれれば……。

 生い茂る草をかき分ける。前がよく見えない。

 ふと何かの違和感を耳朶が捉え、歩みを止める。桃に静かにするように身振りで示すと、彼女は頷いた。

 にぎり合った手が汗ばんでいくのが感じられる。

 軽快な土を蹴る音。そして、複数の声。速い。

 追っ手が来たのだ。その音はどんどん近づいて来る。陵駕の走らせた馬を追って、こちらに気がつかないことを祈るしかない。

「桃姫、そこへ入って、じっとして」

 囁くように静かに告げ、桃の身体を抱くようにして、より茂みの中へと入る。山道が見えない位置に桃を押し込んだ。

 不安そうな顔は、それでも希望を忘れていなかった。その瞳に励まされるように、陵駕も身を隠そうと茂みに分け入ろうと右足を上げ、その足が何かを足裏で押し込んだ。

 その瞬間鋭い金属音が弾け、それと同時に身を貫く灼熱の痛みが足首に走り、脳天を突き抜けた。

「————ッああぁぁぁッ‼︎」

 一瞬にして胸から熱いものがせり上がり、口の中に苦味が走る。

 倒れないようにと足を踏ん張ろうとし、さらに痛みが走った。血の気が引く。冷や汗が吹き出し、痛みで目の前が真っ暗になった。

「陵駕ッ‼︎」

 桃の悲鳴。その声に意識を取り戻す。陵駕の足首に向かって身をかがめ手を伸ばす桃。その手を、刃物が切り裂き血があふれたのが見えた。

 驚いた桃が手を引く。

「————ッ‼︎」

 陵駕の足首に突き刺さっている、それは刃物だった。

 左右に別れた半円の金属に、獣の歯のような鋭い刃がぐるっと付いている形状。陵駕がそこに足を踏み入れた途端に跳ね上がって、足首を切り裂き捕らえたのだ。

 その刃は、どんどん肉に食い込み、こらえようのない痛みを与える。

「陵駕‼︎」

 泣きそうな声でまた桃が手を伸ばす。しかし、食い込んだ刃を取ることは出来ず、また新たな傷を作る。

 押し殺した悲鳴。

「桃姫、やめて下さいッ」

「駄目よ、これを取らなきゃ……‼︎」

「桃姫‼︎」

 草をかき分ける音、人の声。足音が近づく。

 悲鳴を上げてしまったため、追っ手に気がつかれてしまったことは明白だった。

「桃姫、やめて下さいっ」

 痛みをこらえ、身体を桃の方へと向けた。その血を流す両手を取った。

「やめて下さい。追っ手が来ます、あなたは私に攫われた。そう言って身を保護してもらって————」

「嫌よどうして⁉︎ 陵駕を差し出して自分だけ助かれるわけないじゃない‼︎」

 陵駕の言葉を遮った桃の声が震えた。

「桃姫! ここで二人とも捕まったら、逃げてきた意味がない」

「違うわ、二人で逃げなきゃ、一人になることこそ意味がないわ‼︎」

 涙を浮かべて桃が叫ぶ。その声に胸を突かれ、首をふる。確かにそうかもしれない。けれど、桃だけは————。

「桃姫、わかって下さい」

「わからないわ。一緒じゃなきゃ意味なんてないわよ‼︎」

「その通りですな」

 突然響いた第三者の声。そして、屈強な褐衣かちえ姿の男が姿を現す。その顔を、陵駕は知っていた。桃も、はっとしたようにその顔を見つめた。

 柑子こうしの護衛をする随身ずいじんの一人だ。その手には、抜き身の脇差。

 その随身に付き従うように、後ろから四人の男たち。陵駕と桃は、藪の中に押し込まれるような形で取り囲まれてしまう。

「馬を捨てましたか。危うく騙されるところでした。しかし、まさかこのような獣道で、まさに獣よろしく捕らえられておいでだとは」

 はっきりと侮蔑の色を浮かべ、随人が吐き捨てる。その言葉で初めて、ここが獣道で、自分は獣狩りの罠にかかったのだということを陵駕は理解した。

「さあ、大人しく宮へお戻りしましょう。乱心なされた陵駕殿に乱暴されておいでではありませんか、姫」

 それは、桃の身を案じているような口調ではない。そもそも、陵駕が桃を攫ったなどと思って追って来たのではないのだろう。

 その言い方に、虫酸が走る。

「ああ、しかし二人でなければ意味がないと仰っておいでだった。まさか、禁忌を犯しなされたか」

 桃の瞳が揺れる。

 そうだ、どんな疑いがかかっていようと、桃だけはまだ助かる道がある。

 一歩踏み出した随人に、桃は顔を上げた。止める間もなく、陵駕を背にかばうようにして前に出る。

 血のにじむ手が懐から取り出したのは  懐剣。

 鞘を捨てると、その刃を随人へと向ける。

「ええそうよ、お察しの通りだわ」

「桃姫! なにを⁉︎ 違う、そんなことは断じてない‼︎」

 叫び力の入った身体に、また刃に貫かれる激痛が走った。額から大粒の汗が垂れる。

 駄目だ、桃だけは助けなければ。そう思うのに、痛みで動くことすらままならない。

「ほう、なるほど。禁忌を犯したとなると、全て辻褄が合いますな。瑠璃神杜かみもりにも示し合わせて参拝に行かれたか」

「最初からそう思って追って来たのでしょう!」

「まさか。私たちは姫をお救いしなければと思っていたまで」

 わざとらしく肩をすくめ、随人はうそぶく。

「乱心なされた陵駕殿は処刑されるでしょうが、姫に罪はないと信じておりましたゆえ。しかし、禁忌を犯しなされたのなら、話は別」

 懐剣を持つ桃の手が震えている。その表情は見えないが、背中はわずかに後ろへと引いている。

 怖いのだ。それでも、自分を庇おうとして、刃を向けて。

「すでにお二人は周囲も親子と認めている関係。正式な親子になるまであと数日あるなどと、言い訳できるものではない。禁忌を犯していた場合は、公開処刑と相場が決まっている」

 随人が、脇差を構えた。その切っ先を桃へと向ける。

「二人仲良くあの世へ旅立たれるが良い、罪人どもめ」

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