無情な運命

「お姉様ぁ」

 駆け込んだ姉の部屋。そこには、どうしてか目を腫らしている姉と、そして桜が恋うている陵駕の姿があった。

 どこか、いつもと違う二人の空気。それが、桜の胸にねじ込むような痛みを生じさせる。ああ、この上に、また。

 急に息を吸うのが困難になり、顔が歪む。目頭が熱を帯びた。のどが詰まり、それまでこらえていた涙が一気にほおへとあふれ出す。

「桜⁉︎」

「桜姫⁉︎ 一体どうなさったんですか」

 慌てた顔で腰を浮かす二人。特に桃は、肝を潰したように顔を引つらせている。それもそうだろう。桜が人前で泣くことなど、幼かった頃をのぞいてないに等しかったのだから。

 その桃の目は、やはりそれとわかるほどに腫れている。泣いていたことは間違いなさそうだった。

 同じ時に、こうして姉妹で目を腫らしているのは、深くつながった半身だからだろうか。なんて皮肉な。

「桜、どうしたの⁉︎」

 その桃の純粋に桜を心配する声に、首を左右に振る。なぜ泣いていたのお姉様、そう問いたくて出来ない気持ちが余計に涙を生む。

 それに、今はそんなことを問いただしている場合ではない。どうしても、どうしても桃に動いてもらわなければならないのだ。

 おそらく無理だろう。変えられないだろう。それでも、何もせずにその日を待つよりは、足掻きたかった。どんなに少ない希望でも、それに縋らずにはいられない。

「お姉様……わたし、わたし……」

 どうして運命は、こうも自分に無情なのか。

「待って、落ち着いて桜。座って話してみて」

「そうですね。さ、どうぞ」

 陵駕が慌てて桜に場所を空ける。そこに崩れるように座り込み、両手で顔を覆った。涙が溢れて止まらない。

 こんな顔を陵駕に見せられない。

「先ほど、貴子様に……お聞きしたの……っ」

 桜は神子みこ。都を、臣民を守る要となる力を持つもの。神殿に属し、魔を払う神の子。だからこそ、貴子は桜の宮から出すのを嫌がるだろうと思っていた。

 それなのに。

「わたしの嫁ぎ先がッ、決まったのですって……」

 息を詰めた音が聞こえた。その音はどちらがたてたものだったのか。一気に張り詰めた空気に、さらに押しつぶされそうになる。

「うそ……」

「こんな事、嘘でも言わないわ! いや、お姉様と離れたくない……!」

 それは小さな嘘。離れたくないのは、陵駕だ。嫁いでしまえばもう終わり。きっと一生会うこともなくなってしまうだろう。

 その前に、なんとしてでも柑子こうしを!

「離れるって……外なの⁉︎」

「葵の宮ですって……」

 告げた途端に、喉に嫌なものがせり上がる。そこから、ひしゃげた嗚咽が漏れた。繰り返し駆け上がってくるそれに、首を絞められたかのように息が吸えない。

 葵の宮。桜の宮からはあまりに遠い。

「そんな……」

 かすれた桃の声。本気で桜を想ってくれているのだ。

 一緒に生きて来た、桜の半身。陵駕ともう関わらないで、親しくしないでと嫉妬を感じて、最近はなかなか顔も出せないでいた。それでもやはり、憎もうと思っても憎み切れない。

 桃は何も悪くない。自分より年上の養子を、家主の命で受け入れただけ。それに勝手に嫉妬したのは、自分の心の問題。

 そうわかっていてなお、受け入れられない。陵駕が桃ばかり構うことも、自分が葵の宮に嫁ぐことも。

(お姉様、ごめんなさい……)

 いつでも自分の意思を貫き、強く、桜を守ってくれている姉姫。貴族らしくないと陰口を叩かれようとも、折れることがない。

 その強い姉を避けておきながら、都合が悪くなるとこうして泣きつく。どうかその強さで、貴子に楯突いて欲しいと。

 愛する人と結ばれる為には、手段なんか選んでいられない。

「どうしたら……いいの……ねえ、お姉様! 離れたくないの————‼︎」

 考えればいつでもあり得たことだ。桜はもう、いつ嫁いでもおかしくない歳なのだから。

 けれど、そんなこと考えたくなかった。いつまでもこのまま、今の状態が続いて行くと錯覚していた。いや、そう思いたかっただけなのかもしれない。いつかは終わると知っていて、そう錯覚することで目を逸らしていたのだ。

「桜姫……」

 桜を呼ぶ低くくぐもった声。そして、桜の背に重みが加わった。その手が優しく背をさする。その温もりはうちぎに阻まれ感じられないが、桜にとっては何より欲しい温もりだ。

 その手の優しさに、ますます嗚咽が漏れた。つい馬鹿なことを口走りそうになり、ぐっと唇を噛み締めて我慢する。

(陵駕殿、わたしを愛していると言って————)

 そう言ってもらえたからといって、どうなるものでもない。けれど、そう言ってもらいたかった。

 しかし、陵駕はなにも声を発さない。黙って桜の背に手を添えているだけだ。

 離れたくない。絶対に嫌だ。陵駕を諦めて、あまりに遠い葵の宮の見知らぬ殿方に嫁ぐだなんて。

 どうして。どうして————……。


   ◆ ◇ ◆



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